武士道とはタピることと見つけたり
「今はもう令和。侍の時代は終わったんだよ」
この状況は、ちとよろしくないかもしれん。
目の前には紺の服を纏う、細長の男。机を挟み、表面上は穏やかな表情であるが、胡乱げな瞳がまっすぐに俺を見つめている。
主人曰く、この建物は“交番”と言うようだ。
周辺の治安を守り、維持する集団の詰所。
その場所に連れてこられ、座して会話をさせられている。
それすなわち、俺が危険人物と目されているということではなかろうか。
「それなのになんだい? その腰に提げた得物は」
「これは木刀である。尼園でおよそ2500円だ」
即答する。そして合点がいった、どうやらこの男は木刀を真剣と勘違いしていたようだ。
何も問題はない。木刀には刃がないので、銃刀法違反なるものにはならないのだ! “グールグル”で調べたので知っている。
「だとしてもね。見た目が怖いとそれなりの人数から苦情が届いてね」
「む……?」
おや、雲行きが怪しくなってきたではないか。
帽子を目深に被り直し、じっと聞きに徹する。
「たとえ法に触れなくても、やっていいことと悪いことがあるのさ。治安を乱す存在が現れたら、僕らはそれを取り締まるのみ」
「結論として。次にそういう情報が寄せられたら、君に対して然るべき処置をしなければいけないわけだ」
圧が込められた言葉に、俺はただ頷くことしか出来なかった。
「君も見た感じ高校生くらいだろう? もう交番のお世話にはならないようにね」
話は終わりとばかりに俺を放り出す。
前をみれば人の群れ、上をみれば建築物が空を縁どる。
ここは日の丸一の街、東京。
300年前とは、何もかも違うこの場所で。
「まっこと、侍にとって生きにくい時代だ!」
そう叫びたかった。実際にはしなかったが。
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俺は侍である。江戸の時代に生を受け、立派に大成するため日々鍛練に励んでいた。
ところがある日、気がつけば東京にいた。とんと訳が分からなかった。
自分がいわゆる“時間移動者”であると知るまでに、何度この世界の洗礼を受けたことか。
一つ、誰も帯刀していない。
一つ、誰も髪を髷にしていない。
一つ、誰も自分のことを拙者とはいわない(SNSでは時折見かけるが)。
この時代でのありとあらゆる“普通”が、俺にとっては新鮮であった。
当然のように通貨は使えず、餓死すら覚悟していたときもあったが。そんな時に現れたのが、俺の主人である。
命の危機を救ってもらっただけでなく、今なお俺を養ってくれている彼女には全く頭が上がらない。
「ねぇ五右衛門、ご飯まだー?」
声の方へ振り返ると、退屈そうに金髪をいじりながらスマホを操作する主人の姿。
「少しお待ちくだされ。今日の夕食は主人の好きな青椒肉絲ですよ」
「やたっ、肉多めでね」
「存じております」
因みに五右衛門というのは本名ではない。主人いわく「侍といえば五右衛門」らしいが、俺にはよく分からなかった。
「やっぱり学校帰りに料理を作ってくれてる人がいると楽だねぇ」
以前、主人はこのマンションの一室に一人で暮らしていたという。
今でこそ、金銭面での問題をなんとかしてもらっている代わりに俺が家事をしているが、それ以前は自分で全て行っていたために、いわゆる“ギャル”である主人も一通りこなせる。
もっとも、主人はただのギャルではなさそうだが。男一人を養うだけの経済力を、一切の労働をしていない女子高生が持っているとは思いがたいからだ。
出来上がった料理をテーブルの上に揃え、座って手を合わせる。
「いただきます」
しっかりと食材への感謝を述べ、正座で食事をしている。
こういったところからも、育ちの良さが垣間見える。
「どうしたん五右衛門? じっとこっち見て」
「主人は不思議な方だな、と思いまして」
「私からしてみたら、タイムスリップしてきた五右衛門のほうが不思議だけどね」
俺が江戸時代からやって来たことを告げたとき、彼女はあっさりとそれを信じた。体験した自分でさえ、信じられない出来事であったにも関わらず。
そのことにどれだけ救われたか、きっと主人は知らないだろう。
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「それじゃお風呂入ってくるね〜」
「承知。その間に皿洗いを済ませておきます」
夕食後。いつものように返事をすると、主人は怪訝そうにこちらを見つめる。
「男って、普通こういうときは興奮するものじゃないの?」
質問の意図を測りかねていると、主人が二の句を継ぐ。
「男は獣だから年中妄想してる、って友達が言ってたのだけど」
「なかなか酷い偏見ですね……」
「でも、五右衛門ってそういう素振りを一切見せないじゃん。もしかして清純派が好み?」
食器の山から一旦目を離し、主人へと視線を向ける。
決して彼女に魅力がないわけではない。むしろ美人の部類だと思うのは、果たして侍従としての贔屓目だろうか?
だが、侍の精神修練のおかげか、思えばそういう目で見たことはなかったな、と思い返す。
「主人に手を出して追い出されたら、野垂れ死ぬしかないですからね」
「違いないや」
ひとしきり笑いあってから、彼女は言った。
「明日土曜日だし、タピりに行かない?」
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【タピる(たぴる)】︰タピオカドリンクを飲むこと。また、タピオカを食べること。
「ふーむ……」
言葉自体は何度か聞いたことはあるが、実際に体験するのではまたわけが違ってくる。
多少現代に慣れたと言えど、さほどこちらに来てから長いわけでもなし。まして俺は300年も前の人間。未知なる事柄にはしり込みしてしまうのだ。
「ほら、きりきり歩く」
先導するは俺の主人。慣れているからであろうか、俺とは対照的に堂々たる足取りである。
もっとも、歩みが遅いのはそれだけが理由ではない。昨日久しぶりに外出して、そして紺服に連れていかれたのを思い出しているからである。無論、理由となった木刀は置いてきたが、主人に迷惑をかけるわけにいかぬという重荷が、身体にのしかかる。
なるべく他の人間と目を合わせぬよう────まだ伸びきっていない髪を隠すための────帽子を深く被り、小走りで進む。
「実は私もタピるのは久しぶりなんだけどね。まだ人気あるのかな」
そう言って笑う彼女を見ていると、一人で緊張している自分が少しだけ馬鹿らしくなってきた。
「早く行かないと、待たされるやもしれませんね」
「時は金なり! ほら、ダッシュダッシュ」
急かす主人を追いかけて、幼い頃のように笑う。
次の瞬間、鈍い音と共に彼女の小柄な身体が弾かれる。
「ってて……」
その先を見れば、男の背中。振り返る顔には小さい古傷が二、三。
立ち上がって土を払うと、主人は男に頭を下げる。
「前を見てなかったので……すみません」
少し萎縮した様子で謝罪すると、古傷の男は快くそれを許して、歩いていく。
それを確認してから、しっかり前を見て早歩きで進む主人。さすがに走るのは自重したらしい。
少し遅れて俺もそれを追いかける。男の横を通り過ぎていこうとしたとき、ボソッと呟く声が耳に届いた。
「あれって九条財閥の娘か……? いいモンを見つけたぜ」
視界の端で、唇が歪むのを見た。
「どったん五右衛門、タピオカが待ってるよ」
「ええ、すぐに参ります」
嫌な予感を振り切って、小さな背中を追いかける。
が、結果として。その予感は的中してしまった。
彼女は攫われた。
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結局タピオカ屋は混んでおり、並んでいる最中に財布を落としたかもしれないと離脱、その隙を狙われた。
戻りが遅いのを不審に思って掛けた電話は繋がらず。十分経ってもなんの反応も無いために、列を抜け出して主人を探し始めたのは、今思えば良い判断であった。
そして────人気のない路地裏で、彼女を取り巻く三人の男たちを見た。
「おや、アンタはさっきの少年、カレシ面で助けに来たか?」
「お前は先ほどの古傷男、その子に何をしている?」
そう問い返すと、男は下卑た笑いを漏らす。
「メイクとかですっかり見た目が変わってはいるが、この女は金持ちの娘だ! コイツを種に脅せば大金持ちだぜ」
その醜い動機を内心で軽蔑する。
「そうか、ならば主人を守るのが侍の役目だ」
心臓が跳ねる。
────お前は、誰かを傷つけるためではなく守るために刀を抜け。
兄者の言葉が蘇る。腰に得物はなくとも、戦う。
「何が侍だ、三人相手に勝てると思ってんのか? 調子に乗ってるとぶっ殺すぞ」
「こんな平和な時代に、殺すとか平気で言うんじゃないぜ」
俺の役目は死ぬことではない。主人とともにこの平和な時を過ごすことだ。
「拙者、推して参るッ!」
決意とともに、拳を振るった。
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「結局、“タピる”ことは出来ませんでしたね」
あの後、騒ぎを聞いて駆けつけた警察官から逃げ出してマンションまで戻ってきたために、結局本来の目的は果たすことが出来なかった。
「また別の日に行けばいいっしょ」
「左様でございますね」
部屋に電話の着信音が響く。主人が対応する。
ひとまずは一件落着。時間はまだまだあるし、焦らなくともいいだろう。
次こそは何もなければよいな。
が。
「お前のような馬鹿娘は勘当だ!」
耳をつんざく怒号がスマホの向こうから聞こえてきた。
…………これ、大丈夫かね?