勇者の弟子は想いの全てをその剣に
「もういい、カイン。あなたは逃げなさい……!」
「嫌です! 師匠をおいてなんて!」
血の気の引いた顔をするルフィアに肩を貸し、カインは必死に豪奢な廊下を進んでいた。
この国で最も大きい城の中だからか、出口までの最短ルートが分からない。だが、止まって道を探す時間などない。
振り返えらずとも、追手の足音が聞こえた。
「どうして、こんなことに……!」
史上最強の女勇者と言われた自分の師が、こんなにも弱っている姿を見てカインは混乱していた。
魔王討伐の礼をしたいとこの国の王に呼ばれ、つい数分前まで平和になった世界についての話をしていたはずだ。
突然だった。前触れもなく、兵士の一人が得体の知れない短剣をルフィアの背中に突き刺したのだ。
あれがどんな武器なのかは分からないが、ただ刺されたという衰弱ではない。呪いか、なんらかの魔法か。いずれにせよ、ルフィアに戦う力はもうない。
「いたぞ! あそこだ!」
後方からそんな声が聞こえた。ルフィアを支えたまま逃げ切ることは不可能だろう。
カインはルフィアの肩に回した腕を離し、剣を握った。
「僕が時間を稼ぎます。師匠は這ってでも逃げてください」
「何を……! あなたの力では殺されてしまう!」
「僕が弱いのなんて知ってます! でも、あなたが死ぬくらいなら!」
カインがルフィアの弟子になったのは五年前。魔物に襲われたカインの村をルフィアが救ったのがきっかけだった。
自分の命を救った勇者に対して十歳だったカインが抱いた感情は恋ではなく憧れだった。惚れたのは暴力的な美貌ではなく、優しい強さだった。。
剣の握り方すら知らなかった昔の自分を、カインは思い出す。
「師匠、ありがとうございました。才能の無い僕に、こんなにも良くしてくれて」
最初に弟子にしてほしいと言ったときはすぐに断られた。元々弟子を取るつもりもないし、そもそも才能がないと。
体も貧弱なうえに、魔力も人並み以下。ダメ押しのように、誰もが一つだけ持てるスキルも使い物にならない。
カインのスキルは、【武器覚醒】と呼ぶらしい。武器に秘められた力を解放するというものらしいが、そもそも魔力が秘められた武器自体が貴重で簡単には手に入らないし、以前に魔剣を使った時は一振りで刀身が魔力に耐えきれずに壊れた。
それ故、カインが今持っている剣もただの変哲の無い剣だ。
「重くて剣を持つことすら出来なかったのに、今はこうして師匠のために剣を握れるようになったんです」
弟子にはしないと言われた少年カインは、後先考えずにルフィアの後についていった。最初は、すぐに諦めて帰ると思っていたらしい。しかし、一ヶ月以上経ってもボロボロになりながら死に物狂いで後ろを歩くカインに対して、ルフィアは問いかけた。どうして、ついてくるのかと。
カインはこう答えた。
「あなたみたいに、誰かを守れる優しい強さが欲しい」と。
ようやく折れたルフィアは、カインに剣を教え始めた。
センスの欠片もないカインは、結局五年修行した今もルフィアには遠く及ばず、魔王討伐の時も見守ることしかできなかったが。
「ここまでだ! 勇者ルフィア!」
カインたちに追いついた兵士たちの一人が、威圧感のある声を放った。
兵士の数は四人。どう見てもこの国の兵士だ。何かしらの組織ではなく、この国がルフィアを狙っている。
「一つだけ、訊かせろ」
カインは問う。
「どうして、師匠を殺そうとする。どうして、世界を救った勇者を!」
「邪魔だからだよ」
兵士は即答した。
「国が束になって勝てなかった魔王をたった一人で倒した勇者なんて怖くて仕方ないだろうが」
他の兵士も補足するように言う。
「このまま勇者がどこかの国に肩入れしたら、これからはその国の時代だ。だから各国の王たちは集まってこう決めたのさ。争いが起こる前に、争いの元凶を断とうと」
「なんだよ、それ……!」
「もうこの国だけじゃなく、他の国も勇者の指名手配が始まっている。これでお前が死ねば、晴れて平和な世界の完成だ」
「ふざけるなッ! どんな想いで師匠が今まで戦ってきたと思ってるんだ!」
カインは怒号を放つ。
許せなかった。ルフィアが戦ってきた時間全てを否定されている気がした。
しかし、
「もういいのよ、カイン。こうなる予感は、前からあったから」
ポンと、カインの肩にルフィアは手を置いた。
立つだけでも精一杯なのか、震える足で前へ出る。
「観念したか、勇者ルフィア」
「私を斬るのは構わない。たが約束しろ。この子にだけは決して手を出すな」
「笑わせるな。雑魚を生かしておくほど、世の中は甘くな――」
「私の弟子を、馬鹿にするんじゃない……ッ!」
誰よりも衰弱しているはずの相手が放つ突き刺すような圧力に、兵士の足がすくむ。
不気味な沈黙の中、ルフィアは口を開く。
「確かに、カインは剣士としてはまだまだよ。でもね。この子は誰よりも次の勇者にふさわしい優しい心を持つ子よ」
彼女の出来る精一杯の笑顔で、ルフィアは振り返った。
震える指先で腰に巻いたベルトを外し、愛用していた剣をカインへ手渡す。
「後は託したわ。私は世界を救って平和にした。今度はあなたが平和になった世界を救うの」
以前カインが持たせてもらった時よりも、その剣はずっと重かった。
「嫌です。僕は、あなたと一緒にこの世界を……!」
「嬉しいわ。弱かったカインがこんなにたくましくなって。育てた甲斐があったわ」
ルフィアのその笑みは、まるで母親のようだった。
弟子の頭を、師は優しく撫でる。
「生きなさい。それが私の願いよ」
「嫌、です」
「あなたとの旅、とっても楽しかったわ。本当にありがとう」
「いや、です……ッ!」
一方的に。言うだけ言って。
師は、背を向けた。
触れただけで倒れてしまいそうな体で、それでも勇者は立ち向かう。
「さあ、斬れ。大馬鹿者共」
つい数秒前とは真逆の異常な迫力が、兵士たちの心の奥の何かを揺さぶった。
涙を流すカインを一瞥した兵士の一人が、こう問いかける。
「言い残したことは」
「ない。全て伝えた」
それを聞いた兵士は、無言で剣を振り上げた。
師から渡された剣を握りしめるカインは顔を上げる。
その視界に映る兵士の動きが、やたらと遅く見えた。時間の動きに、自分だけ置き去りにされているような感覚。
立ち上がるなら、今しかない。
見ているだけでは、守れない。しかし、守るための力がない。
それでも、諦めたくなかった。
感情に任せて、カインはルフィアの剣を鞘から抜いた。
その、直後。
魂が震え、奮えた。
彼の中に眠る何かが、産声をあげる。
無意識に、カインはこんな言葉を発した。
「【武器覚醒】」
刹那。
可視化できない不思議な力が、剣を起点に体の中に流れ込む。
理解はできない。この剣には魔力が宿っていないことを知っていたから。
だがその謎の力は、カインの意思を経由せずに次の言葉を紡ぐ。
「【自動操縦】」
気が付いたときには、兵士が振り下ろしていた剣を受け止めていた。
訳が分からない。ただ、いつの間にかルフィアを守るというイメージがいつの間にか現実になっていた。
いち早くその異常に気付いたのはルフィアだった。
「この、力は……!」
遅れて、カインも気づく。
自分が使った力の正体に。
「師匠の、スキル……?」
【自動操縦】。それは、頭でイメージした行動を、完了するまで全自動で強制的に体に出力する力。
たった一瞬の動きだけでも、スキルに体が耐えきれずに軋む音が聞こえた。
どうして、この力が使えるのかは分からない。
しかし考えている暇はない。カインの動きに反応した兵士たちが、一斉に襲い掛かってきていた。
「踏み込み。切り上げ。体を捻る。勢いを剣に。三歩左。振り下ろし」
カインが小さく呟いた瞬間、兵士たちの視界からその姿が消えた。
そして、消えたと兵士が認識した次の瞬間、四人の体に傷がほぼ同時に現れた。
動こうとしていた兵士たちが、その場に崩れ落ちる。
自動操縦は、頭で事前に行動を完結させる並外れた集中力と想像力が必要になる。だが、カインにとってそれは難しいことではない。イメージすべき対象なら、五年間ずっと見てきた。
思い出の中の憧憬を、ただ脳裏に浮かべればいいだけなのだ。
自分の力を使うカインを見て、ルフィアは呟く。
「私でも、気づかなかった」
カインの力を、ずっと勘違いしていた。
彼が覚醒させたのは、剣に宿る魔力ではない。
「私が剣に込めた、託すという想いを覚醒させた……ッ!?」
カインはまだ、その事実を理解しきれていない。
分かったのは、師を守る力を手に入れたということだけ。
だが、それで十分だ。
「僕は師匠を護りたい。平和な世界で、幸せに生きてほしい」
今まで師が捨ててきた当たり前を、当たり前に過ごせるように。
「ダメよ……! そんなことをしたら、世界があなたの敵になる」
「世界を敵に回したって、構いません。あなたと一緒なら」
新たな兵士たちがこちらへ走ってくるのが見える。やはり城の中を逃げるなら、戦い続けるしかない。
でも、怖くはなかった。
師匠の想いを秘めた剣を握り直す。
この想いが、弱い自分を強くしてくれている。
やることはきっとたくさんある。
でも、まずは。
「今度は僕が、師匠を護る番です」
この平和な世界から、世界一大切な人を護るところから始めることにしよう。