猫系オンナから離れるためのアン・ドゥ・トロワッ!!
かつ、かつ、かつと下駄の音が聞こえる。
目の前には五人、どうやら背後にも数人の敵が迫っている。リーダーっぽい女以外は全員、目元以外は覆われていて、性別は判断できない。俺は左腰に収められている二振りの短刀をすぐにでも抜けるように構えた。武術高校の敷地内ではないが、戦闘許可領域内。銃火器の使用も真剣の使用もできる空間だと即座に判断した。
「さあ、ご覚悟はできましたか?」
前方にいる薄い赤色の和服を着た女が俺を見て、冷ややかに言う。童顔でコクリと首を傾げる姿と背の高さがそぐわない。高いところでまとめられた髪は烏の濡れ羽色で瞳も同じ色。二十代か三十代か。女は俺と隣の少女、一松 櫻を見ていた。俺はその女を知らないが、向こうは俺らのことを知っているみたいで、只者じゃない気配でその場を支配していた。
「ああ」
俺は心の中の怯えを出さないように頷く。櫻にとってみれば、これくらいの人数なら相手にするのに不足はないのだろうが、俺にはこの人数を捌くのは難しい。これじゃ、せっかく作った無表情が保たれてるか分からなねぇな。
だが、やらなきゃいけないときだってある。
いつやるか。
今だな。
心の中で自問自答した俺は二つの短刀を抜き、構える。俺の構えを見た目の前の女性以外が俺に襲いかかってくるが、接敵する直前にアキレス腱に痛みを覚えた。
なんでこのタイミングなんだ。
こんちくしょう。
だが、敵は止まらない。止まるわけがない。ああ。ここで俺は負けて殺されるのか。
黒目黒髪という日本人としてごく平凡な顔立ち、男子高校生としては普通な背丈に武芸諸派では平均的な戦闘力の俺。長子相続のうちはまあ、なんとかなるだろう。けど、こいつの生活能力は……――こちらもなんとかなるか。
降りかかってくるだろう全身の痛みを覚悟した。そんな状況下でも、何故か偶然が重なっていすぎていることに気づいてしまった。
武術高校入学してすぐに行われる武術科限定の実習帰り。
学校から寮へ戻るまでのわずかな距離。
徒手空拳の『一松』の首領と双刀の『伍赤』の次期首領が揃っている。
武術高校では何十年に一度起こるか分からない二家の直系のそろい踏み。どれも偶然で片付けられるものだ。けども、全てが重なるこのタイミングを狙っていたとしか思えない襲撃。呑気なことを考えていた俺にやってくるはずの痛みがやってこない。
「あ、れ……――」
俺は体勢を立て直し、なにがどうなったのか見てみると、やっぱりかと乾いた笑いをこぼしてしまった。
お前なぁ。
俺の幼なじみ兼一松の首領はその小柄な体格を駆使して、相手の懐に飛び込んでいる。俺よりも体格の良いヤツらを相手にひたすら素手で急所を押さえていき、次々と相手の武器を落としていく。
苦無に手裏剣、しころに兜割り。
お前ら忍者か。
後継者として諸派を知っているが、首領らしき目の前の女を知らないから、さしずめどこかの新興派閥で、忍者の流れでも汲んでいるんだろう。そいつら相手に牛若丸の八艘跳びと同じくらい、いや、それ以上の身軽さが櫻の攻撃にはあった。
しっかし、あいつ学生服のブラウスとスカートなのに、よくあんな派手な動きできるよなぁ。
つーか、ここって一応、公道だけどなぁ。
うん……――今日は黒か。
幼いときから一緒に野山駆け回って、毎日のようにお前の下着とか見てたけど、今、見るとなんか恥ずかしいものだな。
というか、恥ずかしがれよ、十五歳の女子高生。
体格が幼く、紺色に近い黒のボブヘアとサファイア色の瞳だとより幼く見えるとかで、伊達メガネをかけるところは可愛いく見られているはずなんだけどなぁ。少なくとも一般科はお前が何者なのか知らないから、入学直後にアンケートしてた『告ってもらいたい女子』のナンバーワンに選んでたくらいには可愛いんだけどさ。
けど、そんな外面は今は関係ない。彼女の軽々とした動きは俺には無理だ。猫のようにしなやかで靭い。
他家と違って唯一、実力のみで首領を決める一松家。その頂点に立つ十五歳の少女は正体不明の敵を次々と倒していく。しかも、全く傷を負わせずに。アイツが本気を出せば絶対に死人が出てもおかしくない。思い切り手加減してるのだろう。
誰もなにも喋らない、目の前の妙齢の女性でさえも。
「おい」
アイツが女性との戦闘体勢に入ったとき、すっと前に俺は出た。遅いと櫻に言われたが、仕方ねぇだろと思った。なにせ足がつってしばらく動けなかったんだから。
「まさかソウに下着を見られるとは思わなかった」
バレてたか。だが、あれは不可抗力で、しかも見てしまったことに気づいてないと思ったのに。
……――いや、そういう問題ではないな。
あとで謝っておこ。さすがに変な噂立てられたりするのは嫌だからな。
「あなたの実力は分かりました。あるじからの招待状です」
俺らのやりとりについては何も触れず、コホンと咳払いした女性はそう言う。懐から白い封筒を取り出して櫻に渡し、彼女はためらいもなく受け取る。
え、なんで?実力を試されたのは俺じゃないのか? 接敵する直前で足がつって、お前に手柄譲ったけどな?
中身を見て、確かに承りましたと頭を下げる櫻。女性は満足した様子で去っていく。気づいたときには俺たちを襲撃していた奴らもいなくなっていた。
公道に立っている櫻と俺。奇妙な沈黙がそこにはあった。
なんなんだ。
このビミョーな敗北感は。
大一番のときに足がつったこと以上に、今の方がすっげぇ悔しいんだが。
俺の葛藤に気付いてない櫻に呼びかけられた。
「ソウ、帰ろ」
「お、おう」
すっと気持ちを切り替えて、寮に向かって歩きはじめた。あの妙齢の女率いる襲撃者たちとの戦いの前までは実習の感想を話していた俺らだったが、今は一切ない。ただ歩く音だけが聞こえる。
「さっきの襲撃」
寮の敷地内に入り、玄関まであと数歩になったとき、櫻が立ち止まって口を開いた。どうしたと俺も立ち止まる。
「うん? ああ、あのようわからんヤツらのことか」
「知ってる」
「はあ? あの女のこと、知ってるのか?」
まさか、と言って尋ねた俺の問いかけに頷く櫻。
って、そうか。言われてみりゃ、あの女が『あるじ』って言ったとき、こいつはなんの疑問も抱いちゃいなかったな。誰なんだ、と聞くと胡乱げな視線を向けられた。なんでそんな目を向けられなきゃならないんだ。
「皆藤理事長の秘蔵っ子って言えば分かるよね?」
櫻の言葉になるほどと乾いた声を出してしまった俺。皆藤家、昔は海棠家と言ったらしいが、武術諸派が確立されて以来、ずっと頂点に立つ家。各々が全ての武術を扱えるという化け物みたいな家。そのトップである武術高校理事長の秘蔵っ子ということは。
「皆藤 茜か……――」
「うん」
櫻の頷きにげんなりする俺。入学式のときに保健室医として紹介されていた女性がここに現れるなんて。しかし、よくあそこまで化けたもんだ。あの時はなんかやべぇ巨乳な姉ちゃんとして認識してたのに、今は清楚系な人にしか見えなかったぞ。
「でも、なんで俺を襲う必要があったんだ?」
「私だよ。襲われたの」
俺の独り言に自分が襲われたと主張する櫻。馬鹿じゃないのという視線を俺に向ける。
「私が一松の首領になってから三ヶ月。そして、武術高校に入学して一ヶ月。実習後の次のイベントは?」
その質問に必死で頭をひねる俺。
一般科と違って武術科では定期試験ではなく毎月のように実習があるが、それ以外にはイベントはない、はずだ。必死になって考えてると、櫻が無表情で下から覗き込んできた。
「生徒会役員決め」
なるほど。
うちの生徒会は武術科の実技トップの生徒が理事長から直々に生徒会長に指名され、それ以外の役員は生徒会長が任命するという変わったシステム。なぜ、武術科の生徒限定なのかはよく分かってないが、おそらく高校の発祥に由来するものなのだろう。
一松 櫻が生徒会長に選ばれてもおかしくはない。むしろ、選ばれて当然だ。そりゃ俺がお呼ばれしないのも当然だ。
「だから、彼女は私の力試しに私を襲撃した」
淡々と説明する櫻の表情は変わらない。
「待て」
俺はあることに気づいた。
「じゃあ、さっきの俺のアキレス腱……――」
「うん、私が蹴った」
お 前 の せ い か。
「ソウの暴走を止めるためには手段を選ばない」
選べよ。
彼女の言葉にげんなりした。不貞寝してやる。じゃあなと言って、男子寮に向かう。あいつといるといつも調子が狂うな。このままだといつあいつに絆されるかわからない。
一松の首領と伍赤の次期首領。
対立してるわけじゃねぇけど、ロミオとジュリエットよろしく、いつ引き離されてもおかしくない。できることならば、早く離れたほうがいいのだろう。
そんなことを考えながら歩いてると、後ろから足音が聞こえた。あの足音はアイツか。なにごとかと思って振り向くと、腹に強力な痛みがキた。
っ!?
うしろに自分の体が傾くのが分かったが、それを止めるための防御行動が取れない。
なぜだ。
なぜ、お前は笑っている? 猫のようにニカっと笑いながら、俺を襲う? 猫のように自由気ままなヤツめ。
刹那、口の中が鉄の味に染まるのに気づいた。
体全体が固いコンクリートにぶつかる衝撃と同時に俺は意識を手放した。