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人魔機獣のレコンキスタ

 夜明け前の朝霧に包まれた山の頂上にマルコは立っていた。

 視線の先では灰色のローブの青年グレイが、展望台の欄干の手前で霧の向こう側を静かに眺めていた。

 その姿にマルコは怪訝な目を向ける。


「不満かい?」


 はたと振り返ったグレイが尋ねる。その顔には疲労を押し殺したような、陰のある微笑みが浮かんでいた。


「別に。理解出来ないだけだ」


 マルコは拗ねたように答えた。


「何が……と聞くのは無粋か」


 頬を掻きながら苦笑するグレイ。それさえも、マルコには不可解だった。

 状況を理解していないのか──いや、誰よりも正しく現状を理解しているはずなのに、どうしてお前は泣かず、嘆かず、俯かずにずっと、空を見ているのか、分からない。

 マルコの知る人間という生き物と、グレイの生き様は酷く乖離していた。


「そろそろ自分の気持ちに素直になったらどうだ。もう見栄を張る相手もおるまい。皆、先に逝った。人類は滅び、あとはお前だけだ」


 つい口に出たそれは、挑発するような言葉だったかもしれない。たとえ怒らせたとしても彼の底を見たいと思ったがゆえの発露。

 しかしグレイは一瞬きょとんとした表情の後、また小さく笑った。


「それは違うよマルコ。滅びたのは国であって人じゃない。スクラップ&ビルドってね、また新しく創り上げればいい話さ」


 なんてことはないとおどける態度に、ムッとして言い返す。


「その人間が何処にどれ程いるか。本当にお前が最後の一人という可能性もある」

「さてねぇ、此処じゃなければ極東か、はたまた新大陸かは知らないけどさ……」


 グレイはマルコの瞳を確と見据えながら続ける。


「人間はしぶといよ。確かに弱いし脆いし、簡単に殺せる。……だけど、そう易々と滅ぼされてなどやるものか」


 揺るがぬ金色の瞳と、珍しく僅かに語気の強くなった言葉に息を呑む。


「……チッ」


 張り詰める空気と刹那の沈黙の後に、先に目を逸らしたのはマルコだった。

 ばつが悪そうに目を伏せる姿を見てグレイはカラカラと笑った。


「……それにさ」


 一頻り笑ってから彼はゆっくりとマルコに歩み寄り、拳で軽く胸を叩く。


「君もいるだろ?」


 人類最後の希望であり、最後まで見栄を張り続けたい相手が、と。


「見なよマルコ、もうすぐ夜が明ける」

「……夜が明けるとどうなる」


 それは刻限なんだぞ。マルコは言外にそう込めたつもりだった。朝が来ればグレイは死ぬ。なのにその声音は無邪気な少年のように明るい。

 命よりも大事な何かが夜明けに待っているのだろうか。もしそうなのだとしたら、それはどれ程価値のあるものなのだろう。


「知らないのか?」


 そう考えるマルコに、グレイは少し馬鹿にしたような表情を向ける。

 そして彼が東天を背に両の手を大きく広げると、山頂の霧が渦を巻いて一気に霧散した。

 それはおそらく、彼が起こした最後の奇跡。そして──


「日が昇る」


 ──ニヤリと、笑った。

 東の空が燃えていた。淡い紫一色に染まった地平線の上に、茜色の炎が燃えていた。

 しばしそれを呆然と眺めていたマルコだったが、やがてその胸の内に何かが沸々とわき上がる。

 気に食わなかった。何が、と問われればそれは自分にも分からない。けれど、脳裏を埋め尽くす怒りにも似た感情が、遂には溢れ出そうとするのは抑え難かった。

 やがて、心の堰が決壊する。


「……っなぜ笑う! なにが可笑しい! 死を前にして気でも狂うたか! お前たちの築き上げた文明、歴史、人生、全てが崩れ去る! なに一つとして残りはしない!」


 乱暴に胸倉を掴み上げ、激情を並べ立てた。


「悔しくないのか? 怖くないのか? 泣きたくないのか? お前たち人類になんの意味も価値もなかったという現実を叩きつけられたというのに、どうしてお前たちは笑っていられる! どうして自分に嘘をつく!?」


 殺気を込めた眼を向ける。この期に及んでくだらない返答をしたら只では置かないと、それぐらいに心の底から問うた。


「そりゃあ君、笑えなくなったら人間終わりだぜ?」

「は?」

「よく言うだろ、戦場ではユーモアを忘れた方が負ける」


 それなのに、地面から足が離れた状態でさえグレイはあっけらかんに言った。

 マルコの中にまた感情がわき立つ。これは分かりやすい、怒りだ。


「ふざけるな! 適当抜かすのも大概に──」

「まだ負けてない」


 だがその熱も、鋼のような冷たさの前にすぐにしぼんで消えた。


「負け犬根性は困るなマルコ、それじゃ君を喚んだ意味がない」


 グレイがマルコの腕に手を添える。汗で湿っていた。微かに震えているのがよく分かった。


「なぜ笑うか、そんなのは簡単だ。まだ負けてない。確かに俺の国は滅びた、でもそれがどうした、人類の戦いはなんら終わってなんかいない。今回は駄目だった、だから次で勝つ。次が無理ならその次だ。何度でも挑む。どれだけ打ちのめされようと、どんなに時間が掛かろうと、俺たちは何度でも立ち上がる」


 気づけばマルコは手を放し、逆にグレイの手が自分を掴んでいた。


「きっと……いや絶対だ。この無限の牢獄から解放される日が絶対に来る。止まない雨が無いように、明けない夜が無いように、太陽は必ず昇る! 希望の光はいつか射す! だから笑うんだ、絶望なんて誰がするか! こんなの全然大したことねぇって、笑いながら死んでやる! それが俺の、俺たち人類の矜持だ!」


 グレイが不敵に笑う。だがこれはマルコにも分かる。これは見栄だ、強がりだ、やせ我慢だ。意地とかプライドとかそういう類の代物だ。

 本当は聞くまでもない。悔しくないはずが、怖くないはずが、泣きたくないはずがないのだ。

 それでも彼らは、震える手足でそれを乗り越える。

 太陽の輝きにも似た、黄金の矜持を示すために。


「……光だ」


 その時、地平線の彼方から日が昇り始めた。


「……綺麗だろ」


 それ以上言葉の出ないマルコを見て、グレイが誇らしげに言った。


「ああ、そうだな」


 出会ってから、いやこれまでの生の中で日の出などまともに見たことはなかった。

 だがこれは、とても美しい、光だった。


「これが最後に見たかった。そんで見せたかった」

「……そうか」

「っと、そろそろかな」

「……そうだな」


 グレイの体が消失を始める。あと数分で、この世から完全にいなくなる。

 だけどしばらくの間、二人はじっと太陽を見つめていた。


「言い残すことはあるか」


 ふと、マルコが聞いた。


「そうだなぁ……」


 欄干に両手をついて空を眺めていたグレイは顎に手を当て首を傾げながら考える。

 そして一度頷くと。


「マルコ……いや、悪魔よ。我が下僕にして魂の簒奪者、邪悪にして人の願いを叶えし者よ。俺からの願いは一つだ。我が同胞三千名の魂と願いを未来に託す。だからどうか、人類の未来を、俺たちの矜持を、後の世に続く善き人々を──」


 向き直り、言った。


「──頼むぜ、ヒーロー」


 逆光に隠れて、その表情はよく見えなかった。

 たぶん、笑っていたのだろう。最後まで泣き顔なんてもの見せてはくれなかった。

 彼のいた場所へと歩く、太陽の光がまばゆい。

 そうして欄干のところにたどり着いてから気付いた。


「……詰めが甘い」


 ──そこには涙の跡が少しだけ、残っていた。

 小さく笑う。だが、大した男だった。


「契約者よ。地獄の侯爵の名に懸けて、その願い聞き届けた。安心しろ、悪魔は契約を破らない」


 これから永い眠りに就く。

 それは二度と覚めない眠りなのかもしれない。

 だけどきっと──


「お前たちの人生は無駄ではなかったと、俺が証明してやる」


 ──いいや、絶対にその時が来ると、マルコシアスは確信している。


 ⁂


 24回目の人類は勝てなかった。

 生き残った魔術師達は、悪魔を召喚する為の贄として、その命を捧げた。

 いつか来る夜明けに、人の願いを叶える為に。


 79回目の人類は勝てなかった。

 最後に残った科学者達は、ナノメタル製超巨大決戦兵器の開発に心血を注ぎ、その命を終えた。

 微かに残る可能性に、培った知恵を託す為に。


 163回目の人類は勝てなかった。

 追い詰められた人々は、禁忌によってその身を獣と合成し、獣人となって凍土に消えた。

 来たるべき復讐の機会に備え、その爪牙を研ぐ為に。


 ⁂


 そして千より遥か、万より数多の時が流れた。

 人類は生き残り、文明は再興し、また滅亡を迎えようとしている。

 全ては突如として空より飛来した、人を、人だけを喰らう化け物の手によって。


「帝国は終わりだ。俺の二十年は全くの無駄か」


 かつて灰色の魔術師の生きた大地に建つ大帝国。

 その宮殿のとある一室に、身なりの良い青年と軍服の少女が二人。


「あれ、新大陸と極東にも降りたらしいですね」

「訂正、人類は終わりだ。実にめでたい」

「阿州の方は無事です。南に逃げますか?」

「馬鹿を言うな。俺にはこの国を百合の花一杯の棺桶にする仕事が残ってる」

「……皇帝も大変ですね」

「皇太子だ、親父はまだ死んでない」

「呼吸することを生きるとは言わないのでは?」

「またお前は……誰かに聞かれたらどうする」

「殿下が守ってくださるかと」

「……お前を守る俺を誰か守ってくれんかね」

「ふむ、例えば?」

「……封印されし悪魔とか」

「遺跡に眠る古代兵器とか?」

「自然の奥深くに隠れ潜む怪獣とかな」


 だがこの年、彼らを中心に。


「まっ、そんなのいるわけないよなぁ……」


 運命は、交錯する。

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