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初めてのお酒は幼馴染の味

 『酒は百薬の長』という我が家の家訓は、酒を一滴も呑んだことのがない俺には縁がない言葉だ。


 卵酒は風邪に、冷えには蜂を丸ごとつけた焼酎を呑めばという具合に適した酒を飲めば元気になれる。どんな酒だって誰かにとっては薬となるから酒は手放せないというのが我が家の家訓だ。

 立派な家訓ではあるが、禁酒令が発令されて以降ほぼ毎日閑古鳥が鳴くぐらい誰も来ないのだが。


 王が酒酔いによる犯罪防止のために酒を飲むことを禁じたのが一月前。国中の酒屋があっという間に開店休業状態に陥り、村唯一の酒屋である俺の家及んだ。別に酒が飲めなくて生きていけるだろうと思うのだと常々思っていたのだが、こうも暇だと飲める飲めない以前に商売上がったりだ。


 酒壺を眺めながらあくびをしていると、顔まですっぽりと頭巾を被った女の子が大きめの瓶子を抱え、店を覗き込むように入ってきた。


(コウ)、お役人さんいないよね。お酒もらえる?」

良良(リャオリャオ)。今日あの日だっけ?」

「うん。今日満月の日だから、切らしたら村の人に迷惑かかるもの」


 幼馴染の良良が頭巾を取ると、()()()()()である銀の髪は、この前まで襟が見えるぐらいの長さが尻尾のように伸び、その間からは琥珀色の目がきらめく。頭巾を取らないとわからなかったが顔色が少し青ざめていて悪い。やはり今日がその日か。


 棚から今朝蔵から降ろした狼酒(ろうしゅ)と書かれた甕を降ろす。

 俺の先祖が気まぐれで作成した我が家秘伝のこの酒には、人狼の血肉と骨がつけられている珍品だ。人狼はもとより普通の人でさえ飲みたくない代物なのだが、この酒には満月の夜になると狼になって狂暴化する人狼の悪しき特性を抑える力がある。

 禁酒令の目的である犯罪防止のための酒が、良良たち人狼が理性を保つための生命線だなんて皮肉というべきか。


「この瓶いっぱいに入れてよね」

「はいはい、言われなくてもお得意様なんだからそんなけち臭いことしないよ」


 杓子で酒を掬うと、血のように赤い液体が瓶子の中に落ちていく。まるで血を分けているような感覚だ。いやそうなのかもしれない、どこの誰かわからない同族の血肉の力でここの人狼たちは生活できているのだから。

 要望通りに縁のギリギリまで注いだ瓶子に栓をすると、良良が腰元から銭を引っ張り出した。


 酒屋にはだいたいお得意様がいる。酔っ払いは然り、神官、領主。そしてウチの場合は村の人狼たちだ。

 うまいことに、扱っているのはただの酒ではない。理性を保てる酒など禁酒令が出されても買うに決まっている。先祖は商家として目ざとい才能があったのだろう。

 だがそんな命に係わるものを、こうして役人の目をかいくぐり金を出さないといけないのは少し心が痛む。


「なぁ、その酒の金出して家は大丈夫なのか」

「心配性だなぁ。ちゃんと肉が食べれるぐらい生活できてるよ。もちろん人肉じゃないよ」


 質問をはぐらかし、けけけと口元を手で覆い人狼的冗談をした良良であるが、笑えなかった。

 狂暴化した人狼は人を食べるという。人食いは大罪であるため役人に見つかったら最後、一族郎党殺されてしまう。


「恩には対価をだよ。この酒のおかげで私たち普通の人と何ら変わりなく過ごせているんだから対価は払わないと。それよか、康の家が潰れないか心配だよ。潰れたらこっちが困るし」

「それは、まあ何とかするさ……ところでその酒の味ってどうなんだ?」

「辛口なんだけど。もしかして、まだお酒呑んでないの?」


 父は酒屋の人間らしく強いのだが、前世で酒でひどい目に遭ったのか、小さい頃に酒蔵に入っただけで倒れてしまったぐらい酒に弱い。さすがに匂いで酔っぱらうことはもうなくなったが、まだ酒の一滴も呑んだことはなくいつもお茶と果汁ばかりだ。

 大の男のそれも酒屋の息子が、酒の一杯もまだ呑めてないことをほじくり返されされて、傍にあった酒壺をぐりぐりと回して不貞腐れる。


「どうせ俺は甘ちゃんの甘党ですよ」

「一杯ぐらい飲んでみたら?」

「役人に見つかったら怒られるぞ。それに商売道具を飲んだら親父に怒られるに決まってんだろ」

「でも康の親父さん、昨日蔵の中で蔵の酒こっそり飲んでたよ。それにもう十六にもなってお酒が飲めないなんて恥ずかしくない?」


 カチンと癪に触った。そして良良が持っていた酒を奪い取った。


「飲んでやるよ。そこまで言われたら、飲んでやる」

「じゃあ私も飲むよ。残したらもったいないし」


 トクトクと瓶子の中から血のように赤黒い液体が軽快な音を立てて卓の上に置いたおちょこ二つの中に注ぐと、指の中に収めたそれを掲げて乾杯する。


「「乾杯」」


 呑む前に少し嗅ぐと、赤黒い見た目通り血特有の鉄臭い感じがぬぐえない。それでも後には引けないので、臭いをこらえぐいっと一呑みして人生初の酒を飲んだ。

 舌の上をピリッと辛い液体が転がり、そのまま喉を焼きながら胃に収まる。空っぽになったおちょこを置くとすぐに水で洗浄して率直な感想を述べた。


「ゴホッ辛くて苦い。こんな物よく呑めるな」

「あはは。康の舌子供なんだ。う~ん苦い。もう一杯! が癖になる味がいいのに」


 もう一杯口に含んだが、もう頭がぐらんぐらんと回り始めて飲むのをやめた。やっぱり俺は酒がとことん駄目なんだな。その一方で良良は三杯四杯とぐいぐい飲んでいた。つまみのかぼちゃの種を合間にボリボリ貪ると、これぞ酒飲みの飲み方だぞ見せんとばかりに一気に飲む。

 すると良良の頬がほのかに赤くなり始め、琥珀色の目が色あせてトロンと眠たげになっている。これが酒の力というのか、なんだかいつもより色っぽく見えてしまう。すると良良が鼻をスンスン鳴らしながら卓の上に体を乗り上げて寄ってきた。


「康、いい匂いするよね。果物のような甘い匂い、私これすごく好き」


 良良が鼻をヒクヒク鳴らすと、俺の胸板に頭をこすりつける。ゴロゴロと狼のくせしてまるで犬っころだ。ひっつきすぎだぞ。

 いくら暇だからとはいえ、胸の柔らかい部分が布越しに伝わるぐらい引っ付いているところを他の客に見られては商売あがったりだ。だが何度も引きはがそうとすれども良良の力は強く容易に引きはがせない。

 もう唇が触れるか触れないかの所まで来たとき、ほんの冗談のつもりで良良の耳元でささやいた。


「お前狼になっていないか?」

「……! ご、ごめん。ちょっと飲みすぎたかな。外の空気吸ってくる」


 危ないものにでも触れたかのように急に離れるや否や、店を飛び出していった。そしてそのまま良良は帰ってこなかった。買った狼酒を置いたまま。


***


 良良は店から飛んでいったきり帰ってこないまま夜となり店を閉じる時間となった。俺はそのまま蔵の酒を見に行くついでに、良良が置いて行った酒を持っていく予定だったが、帰ってきた親父が俺を呼び止めた。


「康。今日は満月だから蔵のことはいいから家に帰りな」

「良良が狼酒を」

「そんなもん明日でもいいだろ。さっさと家に帰れよ」


 あざ道を歩きながら村の周辺を見渡すと、やけに静かで人っ子一人いない。

 夜はたいがい人は少ないのだが、毎日家の傍で月を眺めているじいさんや村の見回りさえ、誰もいない。

 みんな今日が人狼になる日(満月)と知っているからだ。うちの狼酒で大人しくなっているとわかっていても、本当に襲わないことなんてないと怯えている。同じように生活しているのに俺たちには隔たりがあることをこの満月の明かりが事実を照らしている。

 

 柳の木の隣に黒い土壁のうちの酒蔵が見えた。この酒蔵を越えた先に良良の家がある。酒が切れたといったが本当に全部飲んだわけじゃないはず。家に入ったとしてもいるのは言葉をしゃべるお調子者の狼がいるだけだ。

 

 先に蔵の中を見ようとした時、今朝はなんともなかった柳の枝が一本折れていた。誰か忍び込んでいる。

 静かに酒蔵を開けて、つっかえ棒片手に忍び歩きで物音がする方に近づくと、棚の影から月明かりで白く輝く銀の毛を持つ狼が見えた。


 人狼だ。


 一瞬逃げ出そうと思った。だが月明かりおかげで、人狼が予備に置いてあるもう一つの狼酒の甕に体を傾けているのが見えた。狼酒を飲んでいるのならまだやりようがあると踏んで犯人の前に躍り出た。


「おいっ! どこのどいつだウチの酒蔵に手を出すと」


 次の言葉が出てこなかった。なぜなら振り向いた人狼の目が琥珀色に光っていたからだ。


「なにやってんだ良良」

「あ、あはは。見つかっちゃった。ちょっと月明かりが気持ちいからこっそり忍び込んで」


 狼の姿となっても昼間と同じく笑ってごまかすが、甕の中に入れている腕から垂れる狼酒と同じ赤い鮮血が中で混ざっている。


「なあ、ごまかさないで話してくれ。どうしてお前の血で酒を足しているんだ。いくら酒が飲めない俺でも、それの材料ぐらいわかるんだぞ」


 そして良良は観念したように目を伏せるとポツリと言った。


「……この狼酒、もう効力が切れ始めているの。けど私の血を入れると効力が戻ってくるみたいなの。でも私の血の力でももうだめみたい。昨日別の甕に血を入れたんだけど。私、本能で康を襲おうとしてたみたい」


 それが俺の冗談であったと告げるのを押しとどめる。


「勝手にしてごめん。でもこの酒の力が消えたら、私。康とのお別れしないといけないから」


 もう悠長に酒壺を眺めている日とはお別れしなければならないようだ。良良の血の代わりとなる狼酒を見つけなければならない。

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