おっさんDKと狐っ娘OLは仮初めの姿で世界と戦う
冷えた夜空に浮かぶ三日月の下。高層ビルの屋上に、草履を履いた着流し姿の中年オヤジがいた。
世捨て人のような雰囲気のオヤジが、雑踏を見下ろしながら、ぼやく。
「はぁー、面倒くせぇ。このまま、ほっとこうかなぁ。そうすれば、明日の朝は大地震がおきて休めるし」
そこで肩先から抗議の声が上がる。
「なんてこと言いますか! 上に報告しますよ、イブキ殿!」
クリッとした大きな目が睨む。風に泳ぐポニーテールの隙間から狐耳がピクピクと動き、それに合わせてモフモフの尻尾も揺れる。
オヤジはうんざりした顔になった。
「二頭身ゆるキャラのくせに、うるさいぞ」
「ゆるキャラ、違います!」
ペチペチと肩を叩くが、小型犬サイズのため威力はない。白い振り袖に赤い袴という巫女のような服装で、ゆるキャラ感が増している。
「へい、へい。黙ってないと舌を噛むぞ、シブキ」
オヤジは気怠そうに床を蹴ると、陽炎のように姿を消した。
刹那、すべてのモノが静止した。
風に舞って落ちかけていた街路樹の葉も。大通りをたまたま散歩していた猫も。その猫に足をとられて、こけかけていた人も。
写真のように時が止まり、音が消えた。
無音の世界で、カゲが走る音だけが不気味に響く。カゲは人々の間をぬるりと滑り抜けていた。
中年オヤジがカゲを追いながら舌打ちする。
「チッ、早いな」
「言葉が汚いので、マイナス一点になります」
「うっせぇな。集中できねぇだろ」
懐に手を入れ、数枚の札を出す。
「あいつの動きを止めろ」
オヤジがフッと息をかけて離す。空中に浮かんだ札は、白いキツネに姿を変えて駆け出すと、すぐにカゲを追い越して行く手を阻んだ。
カゲが逃走しようと急旋回したが、すでに白いキツネに囲まれていた。白いキツネの睨みに負けたカゲが、逃げ道を求めて空へ昇る。
が、そこに草履の裏が降って来た。
グシャ。
オヤジの足の下で、踏まれたカゲがバタバタと暴れる。
「はい、はい。とりあえず消えとけ」
まるでタバコの火を揉み消すように、足の裏をグリグリと地面にこすりつける。
「……消えないな」
呟いているとカゲが足に絡みつきながら這い上がってきた。
「それは、消える類のモノではありません、ます。マジメにして下さい、ます」
「シブキ……なんでも〝ます〟を付けたら丁寧な言葉になると思うなよ」
イブキの肩の上で、シブキが小さな鼻をツンと上げて、そっぽを向く。
「わかっております、ます」
「……」
イブキが疑惑の視線をむけている間に、カゲが着物の裾をめくり、ふくらはぎへと登っていく。
「おっと、そこから先は有料だ」
白いキツネが一斉にカゲに喰らいつく。
「あー。おまえらが、そんなの食ったら腹壊すから止めとけ」
イブキはカゲをつまみ上げると、上を向いてツルンと飲み込んだ。
「すぐに出してやるから、腹の中で暴れるな。あと何匹だ?」
肩に乗っているシブキがタブレットを操作する。
「十三います。次は、ここになります」
「一匹、一匹は弱くても、数が多いと次の日に疲れが残るんだよなぁ」
「文句を言わずに、早くします。納期は待ってくれません、ます」
「納期って、まるで会社員みたいだな。昼間は会社員でも、やってるのか? でも、ゆるキャラじゃあ無理か」
イブキのからかい混じりの言葉に、シブキの肩がビクリと揺れる。
「うぅ、うっしゃいです! ましゅ! それより、期限は夜明け前までになります! さっさと働きなさい、ます!」
「へい、へい」
イブキが軽い動作で飛び上がる。再び高層ビルの屋上に足をかけると、世界は時を取り戻し、雑踏の人々は動き出した。
高層ビルが建ち並ぶ街から五駅ほど離れた、長閑な田園風景が広がる河原。空はうっすらと白くなり始めているが、太陽の姿はまだ見えない。
イブキが河原を歩いていると、肩に乗っているシブキが叩いてきた。
「止まって下さい、ます」
イブキが無言で足を止めると、シブキが肩から飛び降りた。河原の石に足をとられながらも、トテトテと歩いて行く。
「ここであります」
シブキが主張するように、ぴょんぴょんと跳ねる。イブキは頭を掻きながらその場に行くと、顔を上げた。
「じゃあ、始めるか」
腹の限界まで空気を吸い込んだイブキが、空に向かって一気に紫煙を吐く。口から勢いよく出たカゲは、夜が明けかけていた空を隠すように渦巻いた。
そこに、シブキがタブレットを河原に置いて、短い両手を向ける。
『陣展開』
二人の前に黄金の円柱が現れた。タブレットからあふれ出てきた梵字が陣を描くように並んでいく。
シブキは静々と円柱に入り、瞳を閉じて手を合わせた。先ほどまでの無邪気な雰囲気が消え、人形のような無表情となる。そのまま薄っすらと目を開け、厳かに祝詞を唱え始めた。
『掛けまくも畏き伊邪那……』
「面倒くせぇ」
イブキはその一言でシブキの祝詞を遮ると、陣の中に手を突っ込んだ。そのまま梵字を掴んで引っ張る。すると鎖のように持ち上がった。
「なっ! なにをしますか!」
慌てるシブキにイブキが口角を上げる。
「こうした方が早いだろ」
イブキが勢いよく梵字の鎖で空を叩くと、紫煙に絡みついた。
「いくぞ!」
紫煙を背負い投げするように梵字を引っ張る。空で渦巻いていた紫煙が細い竜巻になり、梵字を追いかけるように地面に吸い込まれた。
直後。
地面が大きく揺れた。
「震度3ぐらいか」
地震が治まったところで、シブキは怒り顔でタブレットを拾い上げた。
「人の邪魔をした上に、雑すぎます」
「この方が手っ取り早い」
「言い訳はいりません! ます! ともかく、こうして定期的にガス抜きをしないと、いつか大きな地震が起きます。それは防がなくてはなりません、ます」
「わかってるが……これも、そのうち限界がくるだろ?」
「それは……」
シブキが言いかけたところで突如、足元が揺れて地面から水柱が噴き上げた。
「ぷぴゃぁ!?」
「チッ」
イブキがシブキを庇うように懐に入れる。噴き出た水は、土砂降りの雨のようにイブキの体を濡らした。
「……地下水脈を刺激しちまったか。大丈夫か?」
イブキは水が掛からない場所に移動すると、懐からシブキを出した。
「す、少し濡れましたが、大丈夫です、ます!」
髪が濡れたシブキは顔を赤くして、パタパタを腕を振った。手に持っているタブレットは濡れていない。
「タブレットが無事なら良かった」
「えっ、そっちで!? ます!?」
シブキの頬が餅のように、ぷくぅーと膨らむ。
「今日の仕事は、これで終わります! さっさと帰りなさい! ます!」
「あぁ、そうする」
イブキが体をブルッと震わせる。シブキはペコリと頭を下げた。
「お疲れ様です、ます。失礼します。クチュン」
「へい、へい。お疲れ様」
シブキがポニーテールと、もふもふの尻尾を揺らしながら走る。テトテトと危なっかしい足取りのまま、シブキは煙のように消えた。
「はあ、今日もあまり寝れそうにねぇな。ヘェッークシュン!」
イブキは鼻をすすりながら、明るくなりつつある東の空を睨んだ。
※※※※
快晴の青空。
「ねむい……寒い……やっぱり学校より病院だよな」
マスクをした男子高校生が病院の前にいた。寝不足な上に、寒空の下で水を浴びたためか、朝から寒気に襲われていた。
病院に入ると、マスクをして咳込む人や、鼻をすする人、今にも倒れそうな顔色の人などがいた。
とりあえず開いていた席に座ると、隣にはマスクをした若い女性がいた。ビシッとスーツを着て、仕事が出来る会社務めの女性という雰囲気が漂っている。
ふわりと良い匂いがするが、それよりも眠気が勝って頭が回らない。ひたすらボーと天井を眺める。
隣の若い女性は、その様子を鋭く観察しながら、思わずため息を吐いた。
「はぁ……やっぱり、若いっていいわよね。見てるだけで癒される……こんな子がパートナーなら、やりがいもあるのに。なのに、なんで私は堕落オヤジと組まされているのか……しかも、私よりタブレットを優先するような……」
マスクの下で恨み言を呟きながら鼻をすする。
そこに声がかかった。
「伊吹さん、第一診察室にお入り下さい」
「渋木さん、受付へどうぞ」
同時に立ち上がった二人が、思わず顔を見合わす。
「……シブキ?」
「……イブキ?」
数秒して、どちらともなく吹き出した。男子高校生が頭を下げる。
「すみません、知り合いと同じ名前だったもので」
若い女性が穏やかに微笑む。
「ごめんなさい、私も同じ名前の知り合いがいたから。あの人とは、まったく似てないのにね」
「オレの方も。お姉さんは、あいつみたいなチビじゃないのに。じゃ、失礼します」
男子高校生が診察室の方へ歩いていく。若い女性は、マスクの下で表情を崩した。
「お姉さん……いい響きだわ。もう、今日はこれだけで頑張れ……クチュン」
若い女性のくしゃみに、男子高校生は診察室の手前で振り返った。
視線の先では、若い女性が鼻をすすりながら受付へと移動している。その後ろ姿に、なぜか二頭身ゆるキャラの姿が重なった。
「……まさか、な」
男子高校生は、自分の考えを振り払うように、診察室に入っていった。





