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頂きのないフングス

 東の空が白む。

 砂一粒も入り込まぬよう全身を防護服で覆い、手に松明を持った人影が剥き出しの大地に足跡をつけていた。

 ふと、立ち止まり遠くを見遣る。


「ああ、昨日は雨だったから『ルトゥタイ』がよく見える」


 防護マスクの中で呟かれた声は少年のものであった。

 ――ルトゥタイ。それは世界を土壌としたきのこである。繊維質な柄と呼ばれる軸が天まで伸びており、その柄が支えるのに見合った大きさの傘が広がっていた。根元では日中でも陽が当たることはほとんどないだろう。

 それよりも、と少年は足元へ視線を移した。地中からひものような物体が膝ほどの高さまで生えている。傘はないが、これもきのこだ。


「仲間を呼ぶ種類か。美味いのが来ると良いな」


 今度は高揚感が混じった声であった。

 腰に着けていた水筒型の容器を手に取り、中に入っていた粘性のある液体をきのこにかける。仕上げに、距離を取って松明の火を近づけた。すると、


「――ギィィィィィィィィィィ!」


 着火した炎とともに、この世のものとは思えない断末魔が清々しい朝の空気を震わせた。

 少年のゴーグルに炎の中で踊り狂うきのこが映っている。やがて動きが鈍ったそれは黒こげになりボロボロと崩れ去った。

 松明を置き、きのこが生えていた根元に背負っていたシャベルを差し込む。

 掘り返した土を探っていくと、円筒型の幼虫を見つける。その体には先ほどのきのこが生えていた痕跡があった。

 また粘性のある液体をかけて焼却する。


「――来たか」


 炭になった幼虫を踏み潰し顔を上げると、少年の三倍ほどの体格を持つ四足の獣が一直線に向かって来ていた。頭に二本の角があり、その背中には傘のある背の高いきのこが一本生えている。

 シャベルの先をスライドさせる。カチッと音が鳴り、シャベルは斧へと変形した。

 少年は両手で持った斧の刃を後ろに下げて駆け出す。勢いを落とさずに向かってくる獣は唸り声を上げた。

 衝突する瞬間、獣は引いた頭を振り上げて少年を角で抉ろうとした。だが、少年は地を蹴り上げると、獣の頭を飛び越えて首元へ。さらに蹴り上げ、きのこに斧を振るう。柄の根元辺りを捉えた刃は容易に両断した。

 少年は華麗に地面へ着地する。背に生えていたきのこを切られた獣は、転倒し地面を滑って長い線を引いた。

 ピクピクと痙攣する獣へ歩み寄り、少年は斧を振り上げる。


 ※


 清澄な水が流れる川のほとりに、一軒の小屋が建っていた。煙突から白煙が立ちのぼっていなければ、人が住んでいるとは思えないほど廃れている。

 少年は獣の肉をかまどに入れて火を通していた。防護マスクを脱ぎ、精悍な顔に汗を浮かべている。

 肉をかまどから取り出し、一緒に持って帰ってきて切り分けたきのこを火にかけようとした時、玄関の戸が叩かれた。

 調理を中断し、少年は棒切れを手に警戒しながら戸を開く。


「やあ、こんにちは」


 にこやかな笑顔でそう挨拶したのは、艶やかな銀の髪を持つ人物であった。歳は少年と同じぐらいと思われるが、中性的な顔立ちと肩に届かないほどの髪の長さのせいで、男性か女性か判別がつかない。背中には両端に滑車の付いた弓が担がれていた。

 その美しさに目を奪われた少年であったが、すぐに我に返ると怒鳴り声を上げる。


「お前死ぬ気か! もう昼過ぎだぞ! 防護マスクはどうした!」


 初対面で叱られ、きょとんとした顔を見せた彼、もしくは彼女は、「ああ」と察して笑顔に戻る。


「平気だよ。ここ一週間ほど何も着けずに出歩いているけど体に異常はない。ボクは胞子の宿主に向いていないようだ」


 この世界はルトゥタイから放出された胞子や、そこから生まれたきのこの胞子が空気中を漂っていた。その胞子は様々な動物に宿り成長する。そして、成長したきのこは宿主の脳を支配する。

 発芽する確率は高くないとはいえ、この危険な胞子に対して防護マスクなしで外に出るのは自殺行為である。それなのにこの人物は問題ないと言ってのけるのだから、少年の眉間にしわが寄るのも仕方がなかった。


「とにかく中に入れ」

「うん、いい人で良かったよ」


 怪しい人物だが少年は招き入れて戸を閉める。


「で、用は?」


 手にしていた棒切れを壁に立てかけ、少年が訊ねた。


「煙突から煙が出ていたから食事を作っていたんだろ? ご一緒したいと思ってね」

「構わないけど……、名前は?」

「名前? ……ああ、名前ね。ヴィヴィ、だ。キミは?」

「ルカ」

「よろしく」


 名を名乗り合うとヴィヴィは自分の家のように奥へと入ろうとしたが、それをルカが呼び止める。


「待て、体についた胞子を落としてこい。そこの裏口を出たら川がある」

「わかったよ。肉はよく火を通しておいてくれ」


 机の上に置かれた肉を見てそう言い残し、ヴィヴィは裏口の戸の向こうへ姿を消した。ルカはため息をひとつ吐いてから、夜用に取っておいた肉をかまどに入れる。

 それから、ヴィヴィ用の肉を焼き上げ、きのこにも火を通した。それらを皿に盛り付けたのと同時に、裏口の戸が開かれる。

 見計っていたとしか思えないタイミングに呆れながら、ルカがそちらに目を向ける。そこには手に服と弓を持ち、一糸纏わぬヴィヴィの姿があった。僅かながらある胸の膨らみと、ルカにあるモノがないようなので、抱いていた疑問がひとつ解決する。


「何か拭く物をもらえるかい?」

「……ああ、そこの布を使ってくれ」


 引き締まった体つきに、きめ細やかな白い肌は芸術作品を思わせる。そこに欲情という感情はなく、ルカは神々しさを感じていた。

 しかし、動揺を見せるとこの女性は遠慮なく突いてくるだろう。ルカは冷静に振舞い、ヴィヴィが服を着るまで目を逸らしていた。



 食事を終えたヴィヴィが足を組み、床に座ってシャベル兼斧の手入れをしているルカを眺めている。特に会話を交わすことなく、静かな時間が流れていた。

 あくびをするヴィヴィに出て行かないのか、とルカが思ったその時、けたたましく玄関の戸が叩かれた。瞬時に二人は身構える。

 戸の叩かれる音は止まないどころか強くなる。そして、ついには鍵と蝶番が壊れて戸が外れた。同時に何かが飛び込んでくる。


「助け……、助けて……」


 それは防護服に身を包んだ人間であった。マスク越しに聞こえる悲痛な声は男性のものである。

 ルカが斧を向け声を張り上げる。


「止まれ! 何があったか言え!」


 だが、男性は歩みを止めることなくルカに手を伸ばす。


「くっ!」


 男性を突き飛ばそうと体重を前に傾けた。

 次の瞬間、男性の背が破裂し緑色の触手が飛び出ると、ルカに鋭く襲いかかる。


「伏せろ!」


 ヴィヴィの声に反応したルカは前に倒れ込んだ。その上を射掛けた矢が飛び、男性の額に突き刺さる。その衝撃で男性は後方へと吹き飛び小屋の外を転がった。

 駆け出しながら立ち上がったルカも外へ飛び出す。倒れた男性は、背中だけでなく胸も破裂させ、触手が何本も体の周りを蠢いていた。


「ルカ!」


 ヴィヴィの声に振り返ると、胸にルカの防護マスクが飛んできた。すかさずそれを被って勇敢に斧を前に構える。

 目の前の男性はすでに絶命しているだろう。しかし、その体から無数に伸びる触手が大きな束となって立ち上がり、見たことのない巨大な化け物へと変貌していた。


「ボクが致命傷を与える! キミは伸びてくる触手を切って道を開け!」

「――わかった!」


 ルカは先ほど出会ったばかりで素性も知らないヴィヴィの言葉を信じ、次々と己を貫こうと向かってくる触手に集中した。かわしながら斧を振るい、切断していく。

 正面から飛んできた触手をかわし、斧を振り下ろした。そこへ頭上から触手が襲いかかる。避けきれないと判断したルカは、左腕で防ごうと構えた。

 左腕を失うかもしれないと覚悟したが、触手がルカに届くことはなかった。ヴィヴィが触手を射抜いたのだ。

 九死に一生を得たルカだが、礼を言っている暇はない。次の触手が向かってくる。斧を振り上げ断ち切った。


「そろそろか」


 ルカの奮闘を見守るヴィヴィが呟いた。今なら触手の塊の中心にある男性の遺体に矢が届きそうだ。

 腰に携えた矢筒から鏃がない矢を手にし、巾着から取り出した山型の鏃を回転させながら取り付けた。

 右手に持った弓にその矢をつがえる。左手で弦が引かれ滑車が回った。

 狙いを定め、ヴィヴィが叫ぶ。


「後ろに思いっきり飛べ!」


 体で反応したルカが後ろに転がる勢いで地を蹴った。再び頭上から襲いかかってきていた触手が地面を叩く。

 射掛けられた矢は、狙い通り男性の遺体に当たった。直後、高温の炎とともに爆発が起こる。容赦ない爆風がルカをさらに後方へと飛ばし、川に落下させた。


「ぶはあ!」


 水面から顔を出して立ち上がる。川はルカの腰辺りの深さだ。防護マスクを脱ぎ、濡れた顔を手で拭って飛ばされてきた方を見遣る。巨大な触手の塊の姿は消えていた。ついでに、小屋もない。

 変わり果てた景色に呆然としていると、大量の木片が川の流れに沿いながら浮かんでいることに気づく。

 触手が現れた時とは別の感情で血の気が引くのをルカは感じた。

 そこへ、やり切った表情のヴィヴィが川岸から声をかける。


「どうだい、ボクお手製の矢の威力は。褒めてくれ」


 その楽しげな調子と比例するように、ルカの怒りは高まっていた。だが、助けられた事実がある以上、ヴィヴィにぶつけるわけにはいかない。


「バカ野郎ー!」


 行き場のない怒りを声に乗せ、茜色に染まり始めた空に響かせることしかできなかった。

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