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黒いバナナ

作者: 奈宮伊呂波
掲載日:2019/05/17

 退屈だなーなんて思いながらもしぶとく俺は生き残っている。いや、生き残るなんて仰々しい表現をするのは日々を全力で生き残っている方々に申し訳がない。

 毎日仕事に出て、理不尽な目に合いながらもそれでも歯を食いしばって守りたいなんやらを抱えている社会人を見ていると本当に尊敬してしまう。大学三年生だというのにやりたいことは何ですか? と聞かれて無言を貫くことしかできない自分が今年の冬、下手したら夏ごろから就職活動なる聞くだけでストレスゲージがインフレしそうな労働を課せられると思えばそれだけで精神に綻びが生じそうなものだ。


 やりたいことと言えばこうして小説のようなものを書いていたいのだが、表現力もなければそれを育てる気力もない。本もあまり読まないので語彙力と言うまさに言葉の選択肢がない者が使う言葉ランキングナンバーワンに君臨しそうな物が欠けているのでどうあがいてもこれで食っていけるとは思えない。


 某まとめサイトを見れば、『入社初日の午前中が終わり、休憩中に新入社員が会社を出てそのまま二度と来なくなった』、『入社初日に新入社員が辞表を叩きつけた』などという書き込みがあった。

 鼻で笑った。

 新入社員はもちろんだが何で初日にやめられるんだ。絶対にその会社はブラックだ。

 最近勢いを増しているバイトテロとやらも理解に苦しむ。あいつらここ最近でほんとに目立ってきたからな。どっかに「日本連合バイトテロ組合」でもあるんじゃないの?

 動画による情報拡散はいいこともあるけど悪いこともある。俺は若者だから知らないけどどうせバイトテロなんか昔からあっただろ。俺の親なんかは「画面の向こうの人間に個人情報を与えるな」と言ってるからその年代はきっとネットに対する警戒心が高いのだろう。だから昔はバイトテロの動画は広がらず、大衆に認知されることもなかった。

 それが今はどうだ。動画投稿サイトでは少年が「不登校はいいことだ」みたいなことを言いだすし、子供がオンラインゲームをしていればすぐにボイチャで見知らぬ人と仲良くなる。バイトテロの年代は俺と同じぐらいだから関係ないかもしれないが、きっと下の年代が俺と同じ年になったらさらに増えるんじゃないか? 表面的に。


 そんな時勢の変化から、勉強もスポーツもそんなに得意ではなくて特に打ち込むこともなく、好きなことはあるが熱中するものはない。彼女もいないし、金もないからとりあえず皆やってるからバイトだけは続けている。何も無いくせに自己表現だけは一丁前にこなしてみたい。きっとそんな自己顕示欲がちっぽけなコップに収まりきらなくなった理性の利かない猿が、お手軽に有名人になれる場(いい形ではないが)を与えられた結果がバイトテロだ。

 きっと当人たちは普段は毒にも薬にもならないごくごく凡人なんだろう。それが一歩間違えれば拡散炎上逮捕前科だ。下手したら店側から賠償金を求められる。いやまじでこれ他人事じゃねえ。テロを起こす気はないけど俺達日本人は小学校のころから個性を殺され、空気と言う目に見えないくせに全国に跋扈している悪しき風習の下こうやって成長してきた。いつ、その空気に逆らえずに「おふざけ」を起こしてしまうかわからない。バイト先の先輩から強制されてみろ。逆らえるような精神の出来上がった人間がどれだけいるか。少なくとも俺には不可能だろう。いやひょっとしたらできるかもしれないし努力はするが、小さき者は大きいモノに潰されると相場は決まっている。


 そんな平凡な日常をひっそりと生きている俺は今朝も、ああいや昼か。今昼けちゅうも回る寿司屋でコップに付着した謎の油に気づかずに、そのままお湯の出るところに押し付けたところ手元が狂い親指が真っ赤に染まった。

 俺の情けない悲鳴を聞いて慌てて冷えた氷を用意する店員に「何でコップにこんなの付いてんの? おかしくない?」と毅然と言えるはずもなく涙ぐんで震えた声なのだから店員さんも申し訳なさそうに謝るばかりだった。

 その後食べた寿司も一人できたせいか、久しぶりで味覚が変わったのか微妙に美味しくなかったし。

 今はどうしてるかと言えば、必修じゃないくせに取らなければならない単位を取るため五限だけという非常に面倒な授業のため駅に来ている。いるんなら最初から必修にしとけ。


「はあ」


 溜息を吐いても「どうしたの?」と聞いてくれる甲斐甲斐しい彼女がいないことにさらに溜息を吐きたくなる。不細工ではない(と思いたい)はずなのに何で彼女が出来ないんだろう。やっぱりオタク趣味が駄目なのか。ここ最近はそのオタク趣味でさえ飽きてきたのだからまじで救いようがない。空っぽな人間になりそうで怖い。

 外国では見られないという駅の列に並んでいるとやがて電車が来た。ちんたら歩く前のばあさんについて行き、車両に乗り込む。


 あ、美人だ。

 反対側のドアの前に立っているので顔は見えないが、後ろ姿は百点満点の女の子、いや、女性がいた。身長も肩幅も女の子らしい、おっと女の子らしいなんて言えば男女平等主義者に殺されてしまうな。失礼。言い直そう、豚よりも高い身長にゴリラよりもスリムな体を持った、ミロのヴィーナスさながらの美貌を持ってそうなメスがいた。

 何言ってるかわかんねえよ。


 とにかく、後ろ姿美人図があればこれだという感じの女だった。黒髪はもの凄くさらさらっぽい。

 普段の俺なら綺麗だなーと思って後ろ姿をまじまじと眺めているところだが、今日は違う。昨日某動画投稿サイトで見た「恋愛コンサルタントが教えるモテ術」を見た俺は昨日とは一味違う。彼によるところ女はその辺の女に目線を向けない男、つまりかわいい子がいれば思わず見てしまうような安い男には惹かれないらしい。実際彼は女を見ないことで逆ナンされた経験もあるらしい。

 それに感銘を受けたので彼に倣って俺も彼女を見るのは最初の一瞬だけにしておいた。

 最後に後五秒だけ、と眺めているとぬっと影が現れた。

 ああんと見てみるとそこにはリュックを背負ったおっさんか大学生か判別に困る風貌の男がいた。男は彼女のすぐ後ろに立ちそこで吊革を掴んだ。

 彼女は何やら本を読んでいて男には気が付いていない。

 さすがにないだろと思って俺はポケットからスマホを出して液晶画面に視線を移す。俺の、渋谷同時多発テロでも起きないかなとさえ思ってしまう退屈な日常にそんな事件が介入してくるわけがない。

 現実離れしそうになる思考を抑え、楽しくないスマホゲームに俺は興じることにした。


 暫く画面をくるくる回してパズルをしているといつの間にか二駅ほど移動していたようだ。ちょうどボスも倒したので顔を上げてみるとさっきの男は依然として彼女の後ろにいた。しかもさっきよりも微妙に近づいている(ような気がする)。しかし実際に何かしたところを見たわけじゃないし彼女も本を読んだまま動いていない―――いや待て、なんだあの手の形。彼女に近い方である男の左手が彼女の方に向かって見事に反り返っている。なんて奇怪な形になることができるのか。男は手でイナバウアーができる超人だったのだ。

 とか言ってる場合じゃない。これはだいぶグレーだ。

 イレギュラーに遭遇したことのないくだらない脳を使い、最悪の事態を想像した。

 スマホを見てるふりをしつつ、視線はちらちらと二人に向けたままにしている。


 と、男が動いた。

 今度は彼女の横に上半身を突き出し、なぜか持つ必要ない手すり(自動ドアの横についてるやつ)を右手で掴んだ。

 これはまずい。と動きそうになるが、彼女は一切動いていない。よく見ると男の体はまったく彼女に触れていない。多分。

 車内は椅子がすべて埋まる程度に人がいて、俺のように男に注視している人はいなかった。

 事件を未然に防ぐために詰問してもいいが、もし男に「え? どういうことですか?」なんてひょっとこみたいな顔で言われたら真偽に関わらず俺は死にたくなる。だから、彼女には申し訳ないけど確実に現行犯で捕まえたい。

 しかし、男は体をもとの位置に戻した。

 どうやら何事もないようだ。よかった。

 俺は胸をなでおろし、再び監視を続ける。

 できれば男の胸倉を掴んで怒鳴り散らかしたい。どういうつもりだ、と。俺だって強姦モノのAVを見たりするがあまり好ましくはない。気でも狂った時にしかそう言う類のものは見ない。女の子が泣き叫ぶ姿は見ていて気持ちいいものではないからだ。

 それを現実の、この世界で実行に移すなど正気の沙汰とは思えない。ふざけるな、と内側から怒りが生まれる。


 男は落ち着きがなかった。手を世話しなく動かしているし、周りを気にしてるのかキョロキョロとしている。目が合わないようにスマホを見ている風に装う。もしかするとやばい人かもしれない。中学に運動してたとはいえ、貧相な肉体の俺は男に狙われると絶対にやられるだろう。怖い。

 近くには別の男の人もいた。彼は誠実そうな顔をしていて、おそらく社会人だろう。もう五分もすれば俺は降りるので続きの監視は彼に任せたい。気づいてるか知らないけど。


「っ……」


 男と目があった。ほんの一瞬だったが確実に目が合った。

 本気で殺されるかと思ったが、そんなことはなかった。よかった。

 彼女はまったく気が付いていない。ひょっとしたら気づいてるかもしれない。でも動けばさらに恐怖を味わうかもしれないという恐怖から動けないのかもしれない。俺にはそれはわからない。後ろからでは彼女がどんな表情をしているのか全く判別できないのだ。

 そして、最後の駅に着いた。この駅で降りなければ俺は授業に遅刻する。さすがにそうまでして見ていることは出来ない。

 ドアが開き、降りようと思うと、先に男が降りた。

 男に続き老人やおばさんや他の学生が電車を降りた。それに続き、俺も降りる。

 ……何事もなかった。


 結局、俺のような凡人の日常はそう簡単には崩れないということだ。

 うん。学校行こう。ああ、就職活動、本当に嫌だなあ。


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