姫騎士に散々と罵られたが、立場が逆転したので色々と教えることにした
俺は赤ん坊の頃、師匠の家の前に捨てられていたらしい。素性に繋がるような物はなにもなく、名前すら分からなかったそうだ。
だから、俺は両親のことを知らないし、知りたいとも思わない。名前すら残さなかったと言うことは、相手もそれを望んでいないということだろう。
ただ、師匠の家の前に捨ててくれたことだけは感謝している。
師匠――俺を拾ったのは、世界に名を轟かせたパーティーに所属していた、漆黒の魔女と呼ばれる偉大な魔法使いで、俺に生きる術を叩き込んでくれた、厳しくも優しい女性だった。
そんな師匠に育てられたおかげで、俺は人生に絶望することもなくまっすぐ育ち、冒険者として一流と呼ばれるまでに成長することが出来た。
だから、俺は師匠を心から尊敬している。
あの頃の俺は『あの魔女にも子育ての才能まではなかった』――と、師匠が笑われずにすんだことを心から安堵したものだ。
だが――俺はミスを犯した。
そのミスが原因でパーティーを除名になり、冒険者を引退することになった。俺の冒険者としての人生は、弱冠二十歳にして終わりを告げたのだ。
だが、ここで終わって師匠の名を汚すわけにはいかない。
冒険者がダメなら、師匠から引き継いだ知識を生かして、どこかの田舎を王都にも負けないほどに発展させ、師匠の名誉を守ることにしよう。
そんな風に結論づけて旅支度をしている俺のもとに、ギルド経由で師匠の仲間であり、俺の友人から書状が送られてきた。なんでも、話があるから屋敷まで来て欲しいらしい。
「――だが断る」
厄介事を感じ取った俺は、その書類を即座に破り捨てた。
しかし、まるでそれを予期していたかのように、翌日にはもう一通の書状が届く。その最初の一行に顔を出してたら、おまえの知らない師匠の昔話をしてやると書いてあった。
それを見た俺はすぐさま旅立ちの準備をすませ――そいつの屋敷へとやって来た。
さすが大領地を治める公爵家だけあって、屋敷は物凄く遠い。敷地をぐるりと壁が囲っていて、その壁の向こうに見える建物が遠くて霞んでいる。
そんな屋敷の門番に目的を告げ、屋敷へと案内してもらう。
そしてエントランスホールで、案内役が綺麗なメイドにチェンジした。
歳は二十歳半ばくらいだろうか? プラチナブロンドと青い瞳。柔らかな眼差しと、柔らかそうな胸を持つ、魅惑的なメイドだ。
「初めまして、ジークフリート様。ここからはわたくし、アイシャが案内役を務めさせて頂きます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
メイドさんは優雅にカーテシーをすると、こちらですと歩き出した。上品な足取りだけど、スカートのシルエットに映る大きなお尻が揺れている。
「ジークフリート様?」
「ああ、いま行く」
俺はメイドの隣へと並び立つ。
「ところで、シグムントは俺になんの用なのか知ってるか?」
俺が問い掛けると、アイシャは目を丸くした。
「……どうした?」
「あ、いえ。シグムント様のことを、呼び捨てにするような仲とは存じませんでしたので」
「ふむ、無礼だって話か?」
「いいえ。シグムント様がお許しになっているのなら、私が口を挟むことではありませんから。ただ、純粋に驚きました」
「まあ……俺とシグムントは歳が離れているから意外かもな」
俺達は親子ほどに歳が離れているが、かつては同じ女を取り合った敵同士だった。だが、それも昔の話だ。いまはこうして、呼び出しに応じるほどの仲になっている。
「……そういや、俺のことを聞いているか?」
「もちろん、存じております。漆黒の魔女の弟子にして、ランクS最年少記録を更新したあなたを知らない者などおりませんわ」
シグムントから聞いているかというニュアンスで問い掛けたのだが、アイシャは当たり前のように、世間ので評価を口にした。
……怪しい。
「……そうか。ちなみに、シグムントからはなにか聞いてないか?」
「さすが漆黒の魔女が見初めた子供だ、と」
「……他には?」
追及すると、アイシャは視線を泳がせる。だが、ほどなく観念したかのように目を伏せた。
「えっと……その、自重をどこかに置き忘れてきた方とも伺っております」
「ふむ。それは事実だな」
仲間達にも、良く自重しろと言われたものだ。
もっと酷いことを言われているかと思ったが、意外とまともな評価だな。まあ……俺の名を貶めたら、師匠の名にも傷がつくからそっちを嫌ったんだろう。
そんなやりとりをしながら少し歩き、一階にある大きな応接間へと案内された。
「それでは、こちらでお待ちください」
「ああ、そうさせてもらおう」
俺は勧められるがままに部屋のソファに腰掛けた。
庶民のあいだでは堅い木の椅子が一般的だが、このソファはむちゃくちゃ柔らかい。身体が半分ほど沈み込みそうな勢いだ。
「シグムントはすぐ来るのか?」
「いえ、実は外出なさっておいでで、お戻りになるまでもう少し掛かります」
「……おいおい、聞いてないぞ。それなら、出直したのに」
「申し訳ありません。ジークフリート様がお越しになったら、屋敷に留めるように申しつけられておりましたので」
「……なぜだ?」
「“顔を出したから義理は果たした”と、そのまま戻ってこない可能性が高いと」
「……ぐっ。あいつめ……」
俺の性格を読んでやがる。
「その……騙すようなことになって申し訳ありません」
「あぁいや、謝る必要はないぞ。俺は貴族でもなんでもない、ただの一般人だからな」
「あら、英雄達の後継者たるあなたが一般人なら、わたくし達の立つ瀬がありませんわ」
「いや、いまの俺はホントに一般人だぞ。パーティーからも追い出されたしな」
俺がなんでもないことのように言い放つと、アイシャが一瞬遅れて目を見開いた。
「え? あなたが立ち上げたパーティーを、ですか?」
「色々あってな。幻滅したか?」
「まさか、そのようなことはありません。きっと、わたくしには及びもつかないような事情があるのでしょう」
社交辞令――ではないようで、その表情は柔らかくて好意的だ。
以前この屋敷を訪れたときは、平民を見下すような使用人にあたったんだが……アイシャはそうじゃないみたいだな。
「シグムント様が戻られるまで、紅茶とスコーンをお楽しみになってはいかがでしょう? ローゼンベルク領自慢の茶葉がございます」
「……そうだな。それじゃ紅茶とスコーンは二人分で頼む」
「二人分……ですか?」
アイシャはこてりと首を傾げた。
二人分食べるんですかと言いたげな顔をしているがもちろん違う。
「ぜひとも、ローゼンベルク公爵家自慢の美しいメイドとお近づきになりたくてな。シグムントが戻るまで、話し相手をする気はないか?」
「あら、わたくしのような行き遅れでよろしいのですか?」
行き遅れという言葉に疑問を抱く。
貴族社会においては、十代で嫁ぐのが当たり前。二十代になると行き遅れと言われることはもちろん知っている。だが、平民では二十代で結婚するのも珍しくはない。
貴族社会の考え方が身についているのか、それとも見かけより年上なのか……どっちにしても、アイシャが美しい女性であることには変わりない。
女性に歳のことを追及するのは野暮というものだ。
「嫌じゃなければ、ぜひあんたが相手をしてくれ」
「まあ、光栄ですわ。それでは、二人分用意いたしますわね」
たぶん口説かれ慣れているのだろう。アイシャは余裕の微笑みを浮かべて、紅茶の準備をするべく退出していった。
……しかし、俺はなんで呼ばれたんだろうな?
シグムントは公爵家の当主だから敵も多いとは思うが、かつては超一流の冒険者だった。その辺の暗殺者くらい返り討ちにするだけの実力がある。
大抵のことは自分でなんとか出来るはずだが……
そんな風に考えていると、廊下からパタパタとかすかな足音が聞こえてきた。貴族の屋敷で、誰かが走るなんて緊急事態くらいのものだ。
なにかあったようだと腰を浮かすが、その足音がずいぶんと軽い。子供らしきものだと気付いて、ソファに座り直した。
そのまま、足音は部屋の前を通り過ぎる――と思ったのだが、応接間の扉が開いた。
「……あれ、あなたは?」
開いた扉から姿を見せたのは、淡いブルーのドレスを身に着けた金髪の女の子だった。この部屋に人がいると思っていなかったのか、目を見開いている。
「お嬢様、どこですか、お嬢様」
「――やばっ! あなた、ちょっと隠れさせてもらうわよ!」
「……隠れる?」
おまえはなにを言ってるんだ? と俺の心の声は聞こえなかったようで、女の子は部屋に飛び込むと、俺の座るソファの後ろに回り込んだ。
どうやら言葉通り、追っ手から隠れるつもりのようだ。
だが、客のいる部屋に入ってくるなんて、お前くらいのものだと思うぞ? なんて俺の予想は正しかったようで、彼女の追っ手らしき男の足音は部屋の前を通り過ぎていった。
「もう行ったみたいだぞ?」
「――まだよ」
「……あん?」
ソファの後ろを覗き込むと、おまえはスニーキングミッションでもやっているのかと突っ込みたくなるような格好で、少女はソファに張り付いていた。
「あたしの油断を誘って、外で待ってる作戦かもしれないわ」
「……まあ、戻ってくる可能性は否定しないけどな。足音はもう遠ざかったぞ?」
「分かるの?」
「ああ、間違いなく、近くには誰もいない」
気配察知だけじゃなく、念のためにサーチの魔法も起動するが誰もいない。
「そう、なんだ。どうしてこの部屋を確認しなかったのかしら?」
「……それは、この部屋に客がいるって知ってたからじゃないか?」
俺が思ってることを口にすると、少女はポンと手を打った。
どうやら、考えてもいなかったらしい。というか、そこまで言われても、この部屋に自分がいることになんの疑問を抱いてないっぽい。
ぱっと見た感じ、十五歳くらい。貴族社会においては立派なレディで、それこそどこかに嫁いでいてもおかしくないほどの大人のはずなんだがな……
「あなた、なかなかやるわね」
「はあ……どうも」
ここでおまえが考えなしなんだなんて言わない程度の理性は持ち合わせている。
少女はソファの裏から戻ってくると、マジマジと俺の顔を見始めた。
「……なんだ?」
「あなた、まさかあたしの婚約者候補とか言わないわよね?」
「……は?」
なに言ってるんだおまえ――という俺の心の声は正しく届いたようで、少女は「違うなら良いのよ。変なことを聞いてごめんなさい」と続けた。
「ところで、もうしばらくここに隠れさせてもらっても良いかしら?」
「……一体なにから逃げてるんだ?」
「あたしにも色々とあるのよ」
意味深なことを言ってるが、答えたくないという意味だろう。
「あいにくだが、もうすぐここにメイドが来るぞ?」
「メイド? 誰かしら?」
「アイシャとかいうプラチナブロンドの良い女だ。これから口説く予定だから邪魔をするな」
「アイシャ? なら大丈夫ね、しばらく隠れさせてもらうわね」
俺の意見は完全スルーで、少女は俺の向かいの席に座りやがった。
「……おまえ、ちょっとは客人に気を使え?」
この感じからして、たぶんシグムントの娘かなにか。つまりは王族の娘だろう。でも、俺だって、その王族の、しかもこの娘の父親にあたる人物の客人だ。
いくらなんでもこの態度はないと思う。
「うるさいわね。気を使ったから、上座を空けろとは言わなかったでしょ? そもそも、客が訪問先のメイドを口説こうとしてるんじゃないわよ」
「……ふむ。それはたしかに」
非常識という意味では、俺も人のことは言えないな。だからって、自重するつもりもないのだけど……だからこそ、この娘に自重しろというのは身勝手か。
「まあ……良い。それなら好きにしろ」
「あら、なかなか話が分かるわね。そうさせてもらうわ」
少しだけ機嫌良く、少女はソファに座り直す。
はあ……メイドと仲良くなるチャンスが台無しだ。この娘も十年後くらいなら、メイドに負けないほど美しい女になりそうだが、いまは子供でしかない。
シグムント、早く帰って来てくれ。
「ねぇ、あなたって何者?」
「あん?」
「お父様の客人なのよね?」
「人に身分を尋ねるときは、まず自分からって習わなかったか?」
「習ってないわ」
「……そうか」
たぶん、相手が先に名乗るんだろうな、立場的に。
「俺はジークフリートだ」
「もしかして……漆黒の魔女の弟子?」
軽く頷いてやると、少女は目を見開いた。
「へえ……あなたがあの漆黒の後継なのね。噂じゃパーティーを除名になったって聞いたけど、それって本当なの?」
「本当だ」
アイシャは馬鹿にしなかったが、俺が落ちぶれたと笑うものも決して少なくはない。さてさて、この娘はどういう反応を示すのやらと、その反応を伺う。
「へぇ……あなたも理不尽な身分差に苦労させられてるのね」
「……なんのことだ?」
「あなたは孤児で、パーティーには貴族もいるって話じゃない。身分差を振りかざされて、理不尽に追い出されたんでしょ?」
なにやら勘違いをしているらしい。
「パーティーに貴族の娘がいるのは事実だが、別にそれが理由じゃねぇよ。そもそも、身分差なんて振りかざされたこともないぞ」
「はあ? ばっかじゃない、そんなことありえないわ!」
同情的だった瞳が急に険しくなった。
「ありえないって……なにを言ってるんだ?」
「文字通り、ありえないからありえないって言ってるのよ! 目下の者は目上の者の理不尽に従うしかない。それがこの世界の理よ」
「……そういう一面があるのは否定しないが、必ずそうとは限らないだろ?」
「そんなのは、目上の者の気まぐれでしかないわ。それか、あなたがそう思い込もうとしているだけよ。現に、あたしがここに隠れることを認めたのも、断れなかったから、でしょ?」
なるほど、たしかに断ったら面倒になりそうとは思ったのは事実だ。
だが――
「断れなかったからじゃない。ただ、面倒だったからだ」
断ったらめんどそうだったから、簡単な方を選んだだけだ。面倒を避けなければ、別に追い出すことだって出来た。
「ふんっ、おめでたい頭ね。それは相手も面倒を避ければの話でしょ? 相手が全力で掛かってきたら、あなたは抗えない。たとえば、あたしがここで権力を振りかざして、あなたを奴隷のように扱おうとしても、あなたは抗えないわ」
「いや、普通に逃げるし」
というか、なんでこんな話になったんだろうか?
なんか面倒くさくなってきた。もう、本当にここから逃げて帰ろうか。
「出来るかしら? たとえば、ここであたしが悲鳴を上げたらどうする? あなたに襲われたって父に泣きついたら、あなたはどうなるかしら?」
たぶん、どうもならないだろう。なぜなら、シグムントは俺が年上好きで、年下に興味がないと知っているからだ。
「ふん、恐怖のあまり声も出ないようね。分かった? 身分に差があれば、身分が下の者は従うしかないの。それは抗いようのない事実よ」
「まあ……おまえがそう思うのは勝手だけど、だからなんだって言うんだ?」
「え? それはつまり……えっと……」
考えてなかったらしい。
「つまり……そう、あれよ! 誰も、自分より上の者には逆らえないって話よ。目上の理不尽には、粛々と従うしかないの」
「ふむ。つまり、自分には誰も逆らえないって言いたいのか?」
「いいえ、あたしだって同じよ。目上の者には逆らえないわ」
逆らえないと口にした瞬間、少女の瞳にわずかな憂いが映った気がした。だが、気のせいだったのだろう。次の瞬間には俺に嘲りの視線を向けていた。
「もしあたし達の立場が逆転したら、あたしはあなたのおもちゃにされたって文句は言えない。けど、そんなことはありえない。――だから、あなたはあたしに逆らえない」
……なぜか論点がずれている。理由は分からないけど、とにかくズレている。――と思っていると、扉が開いてシグムントとアイシャが入ってきた。
「なにを騒いでいる? というか、なぜリズがここにいる?」
シグムントの視線がナマイキ娘あらためリズへと向けられる。
俺に襲われていたとでも騒ぎ立てるかと思ったが、リズは「いえ、その……」と言葉を濁している。どうやら、リズにとっての目上の者というのはシグムントのことらしい。
「彼女はシグムントが来るまでの話し相手になってくれてたんだ」
「――なっ!?」
俺に庇われると思っていなかったのか、物凄く悔しげな顔で睨みつけてきた。せっかく助けてやったのに、その反応はないんじゃないかな。
「……ほう、そうなのか、リズ?」
「え!? そ、それは……はい。お父様のお客様だと伺いましたので」
リズがしぶしぶと同意する。シグムントはその不自然さに気付いたはずだが、「そうか、それはちょうど良かった」と笑い声を上げた。
「……ちょうど良かった、ですか?」
「うむ。ジークフリートを呼んだのは他でもない、おまえの家庭教師をやってもらうためだったのだ。これから、色々と教えてもらいなさい」
「冗談じゃありません! どうしてあたしが、こんなやつに学ばなきゃいけないんですか!」
化けの皮、剥がれるの早かったな。
だが、俺としてもナマイキ姫の家庭教師なんてごめんだ。自分で断るのも面倒だから、がんばって断れよと、リズを内心で応援する。
「ダメだ、これは決定事項だ」
「なぜですか!」
「理由はいくつもある。まず、おまえの騎士校での成績がヤバいことが原因だ」
「んなっ、なんのことですか?」
「俺が知らないとでも思っているのか? このあいだ、落第だったそうじゃないか。しかも再試験で合格できなければ、留年だそうだな?」
……それは、なんと言うか、ヤバイな。王家の血を引く娘が留年とか、外聞が悪すぎる。
「べ、別に良いじゃないですか。卒業が一年延びるくらい」
「良い訳がなかろう。良いか、留年したら、学校をやめて即結婚してもらう」
「なっ、理不尽です!」
「それが嫌なら、こいつに教えてもらって試験を合格して見せろ」
「むぐっ」
あぁ、なんかリズが劣勢だ。がんばれ、そこで諦めるな!
「……別に、俺じゃなくてもいいだろ?」
ぼそっと助け船を出す。
「そ、そうよ。こいつである必要はありません!」
「おまえが他の家庭教師の授業を真面目に受けるならな」
「も、もちろん、受けますよ?」
「今日も逃げたと聞いているが?」
「そ、そそそ、そんなことは、ありませんよ!?」
……ダメっぽい。
たぶん、さっき逃げてたのがそうだろう。
「ほかの者では、おまえに気を使って強気に出られない。それに、いまからがんばっても、家庭教師が並みのやつでは間に合わないだろう。ゆえに、こいつに頼むしかないのだ」
「むぐぐ……」
お姫様らしからぬうめき声である。
「――という訳だ、ジークフリート。しばらくの間で構わない、こいつの家庭教師になってやってくれないか?」
「……こいつが俺に従うとは思えないんだが?」
「心配するな。おまえが家庭教師である以上、地位はおまえが上とする」「――え゛っ」「リズにも、他の誰にもおまえの行動に文句は言わせん」
リズは声にならない悲鳴を上げる。見れば、その顔が真っ青になっていた。……そういや、俺と地位が逆転したら、おもちゃにされても文句は言えないとか言ってたからな。
「……ふむ。おもちゃ……か」
「そんなの嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああぁぁぁぁっ!」
リズが半泣きになって走り去っていった。
……ふむ。軽い意趣返しのつもりだったんだが、ちょっとからかいすぎたようだ。
「……どうしたんだ、あれは?」
「自分の発言が帰ってきて恐くなったんだろ」
「うん?」
「立場が逆転したら、おもちゃにされても文句は言えない、とか言ってた」
「……なるほど。……アイシャ、すまぬが、様子を見てきてくれ」
「かしこまりました。ジークフリート様、紅茶はまたの機会に」
「ああ、楽しみにしている」
笑ってアイシャを送り出す。
「……おまえ、もううちのメイドを口説いたのか?」
向かいの席に座ったシグムントがなんともいえない顔をする。
「これから口説くところだったんだ」
「まったく、年上好きは相変わらずか。ソフィアが愚痴ってたぞ?」
「知らん。というか、年上好きはおまえも同じだろうが」
こいつは師匠に惚れていたから、師匠に可愛がられている俺を目の敵にしていたのだ。もっとも、師匠の愛は弟子である俺が勝ち取ったわけだが。
「おい、クラウディアの前でそれを言うなよ? あいつは年下なんだからな?」
「ふむ。そういや、そうだったな」
ちなみに、政略結婚の相手である。
もっとも、そんなことを気にする辺り、それなりに想い合ってはいるのだろう。
「……しかし、おまえにあんな娘がいたとはな」
「なんだ、いたら悪いのか?」
「あの子の年齢を考えて、師匠を追い掛けていた頃には生まれてたんじゃないか……?」
「い、いや、まぁ……な。あの頃は俺も若かったんだ。だが、いまはクラウディアとリーゼロッテを愛している。だから……クラウディアには秘密にしておいてくれ」
「……まぁ良いけど」
俺も、人の家庭を壊す趣味はない。
「しかし、家庭教師って言うのは本気か? 俺は聞いてないぞ?」
「言ったら断られると分かっていたからな」
「分かってたら諦めろよっ」
「ふんっ、直接会って交渉すればなんとかなると思ったんだ」
たちが悪い。実際、なんらかのカードを切ってきそうな辺りが本当に。
「まずは聞いてくれ」
「だが断る」
最初から話を聞かなければ、説得されるはずもない。
「実はリズを甘やかしすぎたんだ」
「聞けよ、聞かないって言ってるだろ!?」
「ふっ、おまえが話を聞かないと言っているのに、なぜ俺が話を聞く必要がある?」
「へりくつだな」
自分のことは棚に上げ、相手にしなければ良いと腰を浮かす。
「だが、エリスの昔話は聞きたい、そうだろ?」
俺は無言でソファに座り直した。
「話を聞くだけだ。それで、師匠の話を聞かせろ」
「良いだろう」
そんな交渉のもとシグムントの口から聞かされたのは、いつか自分のように政略結婚をさせられることが決まっているリズを少しでも自由にさせてやりたくて、甘やかしすぎたらあんな子供になっちまった、てへぺろ。という救いようのない話だった。
「おまえには師匠と違って子育ての才能がなかったようだな」
「なんだとっ!? おまえの時は、俺もフォローしてやっただろうがっ!」
「師匠の弟子ならこれくらい出来るだろうと、無茶な依頼をいくつも押しつけてきたことを言ってるのなら、まったく感謝はしてないからな?」
むしろ迷惑だったと声を大にして言いたい。
「そのおかげで、さすがエリスの弟子と言われてただろうがっ」
「おまえの依頼はいつもむちゃくちゃなんだよっ! Fランクの冒険者としてデビューした十二歳の俺に、Aランク級の指名依頼をよこしやがって!」
「Sランクじゃなかったところが優しいだろうが!」
「大差ねぇよっ!」
十二歳の新米冒険者。角の生えたウサギとかを相手にするのが普通なのに、王族の命を狙う暗殺者の討伐を依頼されたのだ。
相手が公爵とはいえ、受けたくなければ断ることは出来る。だが、そんなことをしたら師匠の名に傷がつく。
苦渋の決断で依頼を受けたときに受付嬢から掛けられた「規約上は断れますが、相手は貴族ですから……」という言葉と共に、俺に向けた哀れみの視線といったら……
「とにかく、俺は家庭教師なんて引き受けないぞ」
「……そうか。なら仕方ない。おまえにはリズと結婚してもらおう」
「あ? おまえはなにを言ってるんだ?」
「さっき聞いてただろ? リズはわがままに育ったせいで、政略結婚の幅がかなり狭い。このままだと、ろくな相手と結婚できない。だから、おまえに結婚してもらう」
「いやいやいや、意味が分からない。なんで俺がリズと結婚しなきゃいけない?」
リズに嫁のもらい手があろうがなかろうが俺には関係がない。
「それは、俺がおまえの後見人で、おまえの結婚相手を選べる立場にあるからだ」
「……なにを言っている。俺の後見人は師匠ただ一人だ」
シグムントのことはそれなりに認めているが、それとこれとは話が別だ。俺にとっての家族は師匠、ただ一人だけだ。
「だが、そのエリスは死んだ」
「それがなんだ? 師匠が死んだとしても関係がない」
「それがあるんだな。これを見ろ」
シグムントが、テーブルの上に一枚の書類を置いた。
「さっき、昔話をしてやると言っただろ? エリスは自分になにかあったとき、おまえのことを頼むと言って、俺にその書類を託したんだ」
「な!? ま、まさか……」
その書類には師匠の字で、自分になにかあれば後見人をシグムントに移すと書いていた。
「……どうしてだよ、師匠。俺には師匠がいればそれで良かったのに……」
死に別れたって関係ない。俺にとっての家族は師匠ただ一人だった。なのに、どうして……
「おまえが、そう思うから、だよ」
「どういうことだ?」
「エリスが言ってたぜ。ジークは私のことを好きすぎる、って。自分が死んでも、いつまでも引きずりそうで心配だ。だから――だってよ」
「むう……」
たしかに俺にとって師匠は唯一の家族で、女を教えてくれた相手でもある。だから、いつまでだって師匠は俺にとって特別な相手だ。
だが、別に過去に囚われているわけじゃない。
「さっきだって、メイドを口説いてただろ?」
「師匠に似た年上の女性を、だろ?」
「別にそんなつもりはないが……」
ない、よな?
年上で包容力があるって辺りは、たしかに師匠が最初の女だった影響だと思うが……って、あれか、その時点で影響を受けていると言うことか。
「分かった。たしかに俺は師匠の面影を見てる。という訳で、年下の女に興味はない」
「開き直るな」
呆れられようが年下に興味がないのだから仕方ない。
「まあ無理に結婚しろと言ってるわけじゃない。嫌なら、リズにまともな選択肢が増える程度に、教育してやってくれ。そうしたら、結婚しろなどと言わん」
「だから、なんで俺が」
「エリスの遺言を無視するのか?」
俺は沈黙した。
……認めよう。たしかにあのナマイキ姫が口にしたとおりだった。人は、より上位の者には決して逆らえない。たとえどれだけ理不尽でも、粛々と従うしかないのだ。
「いや、おまえの場合はエリスを好きすぎるだけだ」
俺は苦渋の末に、ナマイキ姫の家庭教師を引き受けることにした。




