08話:ケース① 捜査状況報告書 2/2
「事件の発覚が夜中12時だったということが一点。そして、位置関係ですね」
担当官は手振りを交えて説明した。
「マンションの出入り口は敷地の出入り口までまっすぐ伸びているんですね。それも、あまり距離がありません。なので、敷地の横奥に注意を払うことがないため、素通りしてしまうというのがあります。また、街灯が近くにあるのですが、マンションの敷地を囲う草垣で影になってしまうのです。機動捜査隊によって発見されたのは、午前4時になってからでした」
「今から約2時間前か……。ずっと気づかれずに、かわいそうに」
「そうですね……。この現場が悪目立ちしてしまって、発見が遅くなってしまった点も否めません」
担当官は両肩を下ろして、リビングを視線で示した。
これだけ凄惨な現場だ。交番から直行した警官なんかは、まず間違いなく外に注意を向けないだろう。
極め付けはきっと『銃声らしき音』だろうな。
「鈴木弘さんの特殊な傷について教えてくれないか?」
担当官はメモ帳に注意を引き戻し、次のページをめくった。
「わかりました」と口にしつつ、担当官は思案げに下唇を甘噛みする。
「鈴木弘の傷に関してですが、体に3条の『銃創らしき痕』が確認されています」
「やはり、『らしき』が入るのか」
「断定ができない理由があるんですよね?」
「はい」
水瀬の質問にも、担当官は淡々と受け答えるようになった。
「この銃創と見られるものが貫通創であることは間違いありません。何かが被害者の体を通過したようです。ただし問題がふたつありまして。ひとつは熱傷が見られないこと。ふたつ目は、着弾痕がどこにもないことです」
「んん?」
担当官の説明を受けて、俺は思わず首を傾げた。
貫通しているのに熱傷がなく、着弾の形跡がないだと?
ありえるのか、そんなことが。
視線を水瀬に向けると、しかめっ面で「むむむ」を精一杯に表現していた。
これは、不思議に思ってる顔じゃなくて、ただただ、わかってない顔だな。
「水瀬、いいか。お前も警官なら立派な腰道具をひっさげてるだろう。銃を撃ったらどうなる?」
「弾丸が飛びますね」
「ふっ……! ケホッ、ケホッ!」
おい、担当官が思わず吹き出しただろうが。
あーあー、深呼吸。
「……水瀬、いいか。銃を撃つと弾丸はたしかに飛ぶ。それは間違いない。そして人に当たれば穴があくが、何かに当たったらそれは壊れたり凹んだり削られたりする。それが着弾痕だ。ここまではいいか?」
「はい……、すみません……」
「着弾痕がなかった。つまりこの場合、銃から放たれた弾丸は被害者を貫通して勢いよく抜けたのに、弾丸がどこにも着弾しなかったことになる」
「なるほど……。でも、ちょっと、待ってください。弾丸の勢いが衰えて着弾の形跡が残らなかったということは考えられないですか?」
「お前、よくその発想が逆に出てくるな……」
見ろよ。担当官が今度は感心して目を丸くしてるぞ……。
しかし、水瀬の言った可能性は考えてみる価値は十分にある。
「体を貫通して壁だか扉だかを跳弾した。その可能性はあるのか?」
「その可能性も考慮しましたが、辻褄があわないのです。現場を見ればすぐにわかるのですが」
「……なるほど、わかってきたぞ。距離の問題か」
担当官は静かに頷いた。
「廊下は長く見積もったとして全長10メートルもありません。そしてリビングから玄関へ廊下がL字に曲がっているので、リビングをまたいで玄関を狙うこともできません。結果として射程10メートル以内で撃つしかないのですが、この距離で体を貫通するほどの威力がある銃ならば、着弾痕が必ずどこかに残るはずなのです」
「確かに」
「そして、もう一つの懸案があがります。……熱傷がない点です」
担当官はペンを立てて、説明を続けた。
「武山警部はご存知の通りですが、人を銃で撃つと、弾丸の持つ運動エネルギーで人体が破壊されます。そのとき、弾丸が貫通した周囲が運動エネルギーによって火傷します。これがいわゆる熱傷です。熱傷は近距離で撃たれると深くなり、長距離で撃たれれば浅い火傷ですみます」
ペンを弾丸に見立ててメモ帳に突き立てる。
ペン先が勢いよく突き立てられた場合……、重い熱傷を表現して大きな円を描く。
ペン先が弱めに突き立てられた場合……、軽い熱傷を表現して小さな円を描いた。
「もっとも、熱傷が弱い場合は弾丸が貫通していないことが多いです」
担当官は小さい円をトントンと叩きながら言った。
「……熱傷がなかったなら、威力が弱いかよほどの長距離で撃っていなければならないことになる……」
「はい」
「しかし実際の射程は10メートル以内。威力は申し分なく弾丸は貫通している」
「はい」
「あべこべだな。初捜隊はこれについてはどんな見解を持っているんだ?」
ペンの頭でこめかみを掻きながら不思議な状況を夢想する。
冷たくて鋭くてやわらかい弾丸でもあるのか。
投げやり気味に意見を問うと、担当官は視線を俺と水瀬に交互に向けた。
嫌だな。なんか聞きたくねぇな。
「これは捜査一課の方針に影響を及ぼしそうなので言いたくないのですが……」
担当官は一考して言葉を選んでいる。
目を細めた視線で先を促すと、担当官は観念して言葉を吐いた。
「私たちとしては本件は、銃ではない何かが使われた、と考えています」
「……直径2〜3cm、長さが50cm以上あって、骨を砕ける杭とかか?」
「凶器が杭か槍かは問いませんが。貫通した弾丸や薬莢すら現場からは見つかっていないので、可能性が高いと考えています」
「弾丸も見つかっていないのか……」
五寸釘やアイスピックなどが使われる事件は何度か見てきた。この件について杭が使われたと推測することは難しい帰結ではない。事前報告の内容には肩口から胸にかけて貫通した傷という記載がある。深い傷なのでモノは限られるが、これが杭打ちしたものなら熱傷と着弾跡、弾丸がないことの説明は可能だ。とがったパイプや槍を刺せば似たような傷が再現できるかもしれない。
そうすると問題になってくるのは……。
「通報にあった『銃声らしき音』は何の音だったのか?」
組み上げたロジックに、もうひとつの謎がおおいかぶさる。
これに対する担当官の答えはなく、問いは宙に浮いた。
きっとここが現状の捜査の終着地点なのだろう。
「それが銃であれ、杭であれ、新たな手がかりが見つかるといいのですが。捜査状況は以上になります」
担当官はメモ帳に何かを書き足すと、ちぎって切れ端を差し出した。
電話番号が書いてある。
「こちらの世帯主の方の番号です。アメリカに滞在されているそうなので、後はお願いいたします」
……ちっ。汚れ役を押し付けられ、俺は心の中で舌打ちした。
メモの切れ端をくしゃりとポケットにつっこんだ。
「では私はこちらで。1階の管理人室にはまだ当直がいらっしゃるので、何かあれば彼をお尋ねください」
引き継ぎを終えた担当は一礼すると、肩で風を切ってリビングから立ち去った。
さて、どこから手をつけたもんか。
目撃者は不在。死者は黙して、証拠のみが現場を語る。
やることは目白押しだ。一度、今後の操作方針を明確にしておいたほうがいいな。
「おい、水瀬」
リビングの血痕や鑑識官の動きを観察していた水瀬を飛び寄せた。
血まみれ現場を見たときは青ざめていたのに、捜査となると切替えが早いようだ。
「何でしょう、先輩」
水瀬の純粋無垢な視線を向けられた。
何も知らない眼差しだが、その黒い瞳には力が宿っている。
組織の上に立つ素質をもった警察の卵の目だ。
「お前はこの現場をどう思う? 捜査方針を立ててみろ」
卵の殻を割ってみせろ。
どこまでやれるか見ておいてやる。
「えぇ……、いきなりですか……」
水瀬の目が泳ぎはじめた。
いきなり幸先が不安になってきたぜ。
「まずは推理の仮説をたてるだけでいい」
水瀬は自信なさげだが、俺は腕を組んで返答を待った。
水瀬はメモ帳を開き、リビングやバルコニー、そして鑑識に目を向ける。
だがそれでも観察が足りないのかまたメモ帳に視線を落とした。
「まず、今わかっていることを整理しよう」
俺は助け舟を出すことにした。
わかっていること。
高槻育代さんは完全なる他殺。理由は、凶器と見られる包丁の放置された場所が死体から遠すぎる。
鈴木弘さんは完全なる他殺。理由は、3条の銃創が事故と考えるには不自然すぎる。
「そして高槻吾郎さんは、他殺でも自殺でも可能だ。塀から落ちるだけだからな……」
「3名とも、死亡時刻は昨晩の10時から12時の間と出ています」
水瀬が言葉を継いだ。
こめかみに指を当てながらだが、水瀬は続けて話した。
「死亡した順番は現時点では不明ですね」
「おそらく精密検査の結果も似たようなものになる。死亡時刻は誤差があるからな」
「と、すると仮説の幅は広がってしまいますが……」
水瀬は眉をひそめた。
熟考して、続ける。
「私はおそらく母、子、鈴木さんの順番だったのではないかと考えます」
「それはなぜだ?」
「犯人にとって、銃声のような音を出す殺人は事件発覚リスクが高いので、できるだけ使用を避けようとすると思うのです」
いい線をいっている。
「それに鈴木さんはこの部屋の住民ではないので、何か異変に気がついて部屋に来たのではないのでしょうか?」
水瀬の声に張りがでてきた。
ひとつの結論に達したのだろう、間髪を入れずに続けていく。
「高槻育代さんは抵抗跡がなかったので最初に殺害された可能性が高いと思います。破壊されたリビングの端々に飛び散った血は彼女のものでした。きっと高槻吾郎さんが異変に気がついて犯人と格闘したときに血が周囲に散ったのでしょう。……犯人は高槻吾郎さんを無力化して、バルコニーから落としたあと帰ろうとします。しかし、このドンチャン騒ぎです。下階で騒音だと感じた鈴木さんが訪ねてきて、玄関で鉢合わせてしまった」
仮説に夢中で忘れていた息を一呼吸して、続ける。
「とっさの判断で犯人は銃を使ってしまった。弾丸は熱傷が出ないような特別な加工を施していた。鈴木さんを殺害した犯人は弾丸を回収して、着弾痕が残らないような細工を施した」
「熱傷が出ない加工はまだしも、着弾痕が残らない細工だと?」
「……着弾したものを……たとえば持って帰ったなど……方法はあるのかもしれません……」
「なるほど。よく考えたもんだな」
最後のほうは声が段々と小さくなっていたが、水瀬の推理は筋が通っているように思えた。
犯人が痕跡を回収した、というのはあながちハズレではないかもしれない。
「即席で出したにしてはいい仮説だ。ひとつの可能性として考えておこうか」
「……本当ですか!? あ、ありがとうございます!!!」
水瀬の顔がぱっと明るくなった。
警察犬だったら尻尾をふりふりと全力で振っているところだろう。
念のため、メモ帳に「着弾物回収の可能性?」と書き残しておく。
「この調子でもうひとつの仮説を出してみろ」
「も、もうひとつの仮説ですか?」
もうやめてくれ、と顔に書いてあるぞ。
それか、私以上の推理があるんですか、とでも言いたげな目だな。
水瀬に対するアメとムチではないが、仮説は否応なしにもうひとつ導き出さなければならなかった。
「水瀬の仮説には第三者が現場に立ち入った痕跡が必要となるが、それがなければどうなるか。現状、この部屋には死亡した3名以外の痕跡が見つかっていないと報告に記載されている。足跡も、髪も。エレベーターやマンション出入り口の監視カメラにも不審な人物は映っていない。それが最終的に見つからなければどうなるか、だ」
これによって導き出される可能性を、水瀬はもしかすると意識的か無意識的にか考えるのを避けたのだろう。
「この仮説では死亡順は母、鈴木さん、子となる」
「子が最後ですか?」
「あぁ」
いぶかしげにする水瀬の無垢な目。
その綺麗な目に、俺はどす黒い、一滴の雫を垂らすことになる。
「大筋はお前が考えた仮説と同じだ。母をリビングで殺し、異変に気がついた鈴木さんにむけて発砲。最後に精神的におかしくなりリビングを暴れまわったのち、罪の意識に苦しんで投身自殺で命を落とした。この仮説では……」
「……待ってください、それって……」
淡々と説明していく。
「……この仮説では、連続殺人の犯人は高槻吾郎だ」
水瀬の目が驚愕に見開いたのを、俺は見逃さなかった。
推理を締めくくってからも水瀬はしばらく言葉を失っていた。
彼にとって、これが初めて担当する殺人事件だ。無理のない反応だろう。
警察に着任し、捜査三課の窃盗事件で目覚しい成果をあげた彼を上は捜査一課に引き抜いた。
だが同じ警察であれ、窃盗現場と殺人現場では見るものも感じるものもまるで異質だ。
殺人事件の捜査ではあらゆる可能性を考慮する。それがどんなに暗い可能性であってもだ。
これに慣れることに、焦る必要はない。
「……消去法で至る推定だ。想像したくもない仮説だと思うが、ひとつの可能性と考えてくれればいい」
合図のように、メモ帳をぴしゃりと音を立てて閉じた。
水瀬は元気がなくなったようだが本当の仕事はこれからだぞ。
「ほら、気をぬくな。やることは多いぞ」
「うへぁっ」
メモ帳でうなだれた水瀬の額を叩くと変な声が聞こえた気もしなくないが、無視する。
「犯人第三者説と犯人身内説のふたつを骨子に捜査を進めていく。監視カメラに映った住人の調査、周囲の監視カメラの位置どり確認、聞き込み調査の結果収集とその他で山積みだ。当直だった管理人のもとへ先に聞き込みに向かってくれ」
「了解です。先輩は行かないんですか?」
「俺はここで先にやることがある」
早く行け、シッシッ、とメモ帳をひらひらと仰いで先を促した。
初めはとぼとぼと歩いていた水瀬だったが、廊下に消える頃には足取りはしっかりと戻っていた。
さぁて、嫌な役を押し付けられたもんだ。
30年の警察人生でいまだに慣れないたったひとつの仕事を任された。
バルコニーに向かいながら、ポケットの中の切れ端をまさぐって取り出す。
メモされた電話番号をスマホに打ち込みながら、俺はどのように被害者遺族に連絡すべきか考えた。
あなたの妻と子供が殺されました。犯人は第三者かもしれませんがあなたの子供の可能性もありますってか?
「嫌な天気だぜ」
バルコニーから外を見ると、黒い雨が降りだしていた。