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07話:ケース① 捜査状況報告書 1/2

 冬の気配は薄れつつ、季節は春めいてきた。


 桜がようやく芽吹く頃。

 穏やかな時季を過ごそうとも、それらは日々やってくる。


 自殺、他殺。事故に事件。


 1年に365日もあるならば、平和な日が1日はあっていいだろう。

 3桁だぞ、3桁。俺に平穏をくれ! と、願う今日この頃。


 俺は車窓から、左手に流れ行く壁と迫るトンネル出口を眺めた。

 高架下をくぐり抜けると、灰色によどんだ空を背景に立ち並ぶ住宅マンションが見えるようになった。


 パトカーから眺める住宅地の景色は、車内にはらむピリピリとした空気とはうってかわって穏やかなものだ。

 せわしないタクシーや民間車両が白黒の車を見るや普段よりゆったりと走るから、景色に意識を向けて余念を払うことができる。


 曇り空のところどころに黒いもやが顔を出していた。

 もうすぐ一雨が来るかもしれない。俺の心にも似て、ずいぶん憂鬱な空模様じゃないか。


 やがて、角部屋の一室がブルーシートに包まれたマンションが見えた。

 今日の現場はあそこだろうな。


「先輩、着きましたよ」


 運転手を任されていた新入りが静かに車を停める。

 捜査三課から異動して間もないから、上品なものだ。

 運転の仕方も口の利き方も、これから捜査一課に染まっていくのが楽しみだ。


 車を出ると目的地のマンションを見上げて目算で階数を数えた。5階建だ。

 この地域にしては高くもなく、低くもない。至って庶民的なマンションだ。

 4階にあたる角部屋の大窓を、ブルーシートが風でそよそよと波打ちながら覆い包んでいる。


 マンションの敷地に入ると、地上にもブルーシートを張っている一角があった。

 4階の角部屋の真下にあたる部分だ。事前の報告によれば、あそこも現場の一部らしい。


 おそらくはここいらの住民たちだろう、主婦らしき婦人の方々が溜まり場を作っているのを横切る。

 ……不審者を見るような目を向けられたが、こちとら警察だぞ。

 朝6時を回ったばかりというのに、早起きでご苦労なこった。


 黄色の規制テープをくぐり抜けると、紺色の制服に身を包んだ馴染みの鑑識官と目があった。


「おはようございます! 担当捜査官が上でお待ちです」


 そうか、と目配せして挨拶する。

 証拠採取を任とする鑑識官は、実は捜査官より先に現地入りする。

 客観的な証拠を集めるのに、捜査官が先に立ち入ると現場保全が崩れることがあるからだ。

 ちなみに、鑑識官のいう『誰彼が何処其処でお待ちです』は、やんわりと『ジャマだからここから出て行け』を意味する。


 現場を一目すれば、その理由は明らかだ。


「ここは、まだ時間がかかりそうだな」


「そうですね……。もうしばらくしてから、お立ち寄り頂ければと思います」


「わかった。ありがとう」


 早速、後輩の顔がこわばっているな。まぁ焦って慣れる必要はない。

 地上の現場は後回しに、マンションの4階へ移動した。


 4階の踊り場に上がると初動捜査の担当官はすぐに見つかった。

 無線で何やら報告しおえるのを静かに待つ。ほどなく報告がおえると、引き継ぎを始めていく。


「おはようございます。武山警部、水瀬警部補」


「おはよう。遅れてしまって申し訳ない。状況は変わりないか」


 軽く敬礼を交わして、本題に入る。

 担当官は敬礼を解くと、流れ作業で説明を始めた。


「直前の報告から異状ないですね。口でお話しするより、実際に見ていただいたほうが早いと思います。どうぞ、こちらへ」


 よく訓練されたドーベルマンよろしく、パリッとした歩みで住居に入る担当官の後をひたとついていく。

 水瀬は初々しさを全開で、規制テープに服をひっかけてモタモタしながらついてきた。


 生活感あふれる他人の住居。

 玄関からして、非日常が始まっているようだ。


「ここが被害者の倒れていた現場です。姓名はスズキ・ヒロム。まだ先があるので中へ入ってください。念のため、検分は終わっていますが一応は避けて通ってくださいね」


「は、はい……!」


 早速、釘を刺された水瀬が気まずそうに返事をかえす。

 出鼻で規制テープでもたついたのが(あだ)になったな。


 玄関には、形の崩れた円形に白線で印が引かれていた。

 白線を中心にして血痕が広がり、足の踏み場の相当が赤で占めている。

 出血性ショック死と聞いているが、詳細は後で聞けばいいだろう。


 まずは全体像を聞くために、住居の中心部へ向かう。


 玄関を曲がると、おどろおどろしい景色が一挙に目に入った。

 床や壁、カーテンやテーブルに染みついた、視線の置き場に困るほどの、赤、赤、赤。

 犯人は住居を荒らすだけでは事足りず、血液をばら撒く遊びでも思いついたのか。


 報告を読んで感じたより、さらにすこし猟奇的だな。

 なるほど、見たほうが早いわけだと担当官と視線を交わす。

 顔を青くして片手で口を押さえる水瀬を気にせず、担当官は続けた。


「ご覧の通りですが、ここはキッチンと一体になったリビングになっています」


 リビングと銘打たなければ、何の部屋かわからないほどの荒れ具合だ。

 テレビは倒れ、割れた食器がそこかしこに散らかり、食卓と思しきテーブルは足が折れている。

 割れた花瓶や写真立てといった雑貨が散った先々で、両手指ほどの人数の鑑識官が入念に現場検分を続けていた。


 彼らの邪魔にならないよう、担当官は現場を説明する。


「こちらに被害者が倒れていました。姓名はタカツキ・イクヨ。ここの世帯者のひとりにあたります」


 リビング中央にある人型の白線を示して、担当官が続ける。

 玄関より思い切った血の量だ。部屋中に散った血痕はここを起点にしているようだ。


「まだ本結果は来ていませんが、周囲に撒かれた血痕に関しては彼女のもので間違いないでしょう。鋭利な刃物で頸動脈が切断された形跡がありました」


 担当官の説明を聞きながら、俺はジャケット裏のポケットからメモ帳を取り出した。

 事前に聞いていた報告内容と照らし合わせながら、漏れがないか確認する。


「ありがとう。続けてくれ」


 間を置いてくれた担当官の気遣いに気がつき、話の先を促した。

 このぐらいの気遣いだと水瀬でもできるんだよな。あいつは上品だから。


「では、続けます」


 担当官はリビングに接する大きな窓枠へと歩を進めた。

 高さは2メートル弱、幅も同じくらい。窓枠を開けると、そこはバルコニーだ。

 少し広めのベランダに毛が生えたようなものだ。観賞用の花と植木鉢が整然と並んでいる。

 血のついた足跡がリビングからバルコニーにかけて続いていたが、ここは荒らされた形跡は何もない。

 強いていうならば、バルコニー床に設置された非常用扉についた血の跡だろうか。

 非常用扉は、角部屋に特有の避難経路だ。ここを開けば非常階段となるハシゴが展開される。


「非常階段は使用された形跡がありませんでした」


「報告の通りですね」


 俺の視線に気がついて補足した担当官に、ここぞとばかりに水瀬がうなずく。

 合いの手を入れられる程度には、少しは威勢を取り戻したらしい。

 担当官は、注目すべきはこちらです、とでも言いたげに身振りでバルコニーの塀を示した。


 塀の高さは1メートルと少しといったところか。

 今はブルーシートでほとんどが覆われているが、景色を優先した作りのようだ。

 子供がよじ上れないように柵は縦に伸びた形状だが、少し不安になる高さだな。

 景色を犠牲にせざるを得ないが、転落防止ネットを付けるべきだ。……今では後の祭りか。


「最後の被害者は、ここから転落したようです。姓名はタカツキ・ゴロウ。入り口でもうご覧になりましたか?」


「いいや、まだだ」


 バルコニーの形状や柵の高さを書き込むと、パタンとメモ帳を閉じた。


 現場状況に関しては、これをもって一通りのおさらいができたことになる。

 最後に、担当官と捜査状況のすり合わせを終えれば実質の引き継ぎは完了だ。

 初動捜査を専門とする彼は、また別の現場急行に備えて待機を命じられ、捜査一課がこの現場を引き継ぐ。


 4階から顔を出して下を眺めると、改めてその高さに驚かされる。

 下でブルーシートを出入りする鑑識官が、豆粒とは言わないまでもそこそこの小ささに見えた。

 空はますます色を深めて、弱いながらもぽつぽつと雨が降り始めていた。


 手持ちの捜査状況を整理するため、俺たち三人はリビングに戻った。


 リビングの片隅で男が三人、メモ帳を手に円に並ぶ。

 これから魔術師が儀式でも取り行なうかのような面持ちで、情報共有が開始された。


「本件の第一発見者は、当直となっていたマンション管理会社の社員でした」


 担当官は少しの間をあけて、次の説明を続けた。


「夜中に『銃声らしき音』があったと近隣の住民より通報があり、様子を見に来たときに発覚したとのことです。本件の被害者は三名。高槻育代(43)、高槻吾郎(20)、鈴木弘(45)。初動捜査の見識としては、自殺、他殺、事故に事件のすべての可能性あり」


 担当官が淡々と告げた内容を心のうちで復唱する。


「自殺、他殺、事故に事件ですか……」


 水瀬は思わず声に出して復唱してしまったようだ。


「今回は特殊な要因が絡んでいます。全ての可能性を考慮して周囲の捜査を継続しています」


「通報された『銃声らしき音』だな」


「そうです。力が及ばず、平たく言ってしまえばまだ『銃らしきもの』は見つかっておりません」


「銃が見つかってないって、けっこうな問題じゃないですか……!」


「はい。ただ、これについては特殊な問題なので後で説明させていただきます」


 担当官は問題と言われたことにカチンときたようで、念を押すように説明した。

 水瀬が「すみません……」と謝ると、担当官は小さく鼻で息を吐いた。


「まず、それぞれの被害者の状況についてです」


 高槻育代の死因は、刃物による頸部の裂傷によるものです。

 気道に達するほどの傷が致命傷となり、窒息または出血多量で死亡したと推定されます。

 凶器については、リビングに放置された包丁が該当すると考えられています。

 精密検査はこれからですが、現状の鑑識では包丁には高槻育代、高槻吾郎二名の指紋のみ付着しているようです。

 キッチン兼リビングにおいては、多くの損壊が見られますが、高槻育代の爪裏等から抵抗跡は見られませんでした。

 これらの結果から、現場破壊は加害者との抵抗によるもの、又は、加害者による現場工作の可能性が考えられます。


 鈴木弘は、玄関で死亡が確認されました。死因は失血性のショック死によるものと考えられています。

 傷に関して、鑑識の速報では特殊な見解が出ていますので、追って説明いたします。

 彼については、現場となっている住居の世帯に入っていません。何らかの理由で被害者宅に立ち入ったと見られます。

 補足まで、近隣への聞き込みによれば、高槻家と騒音によるトラブルを抱えていたようです。

 騒音の内容としましては、高槻家の長男である高槻吾郎……被害者のひとりですが、彼の深夜の足音等とのことです。

 ただ、ここ数年はトラブルに関して落ち着いていたらしく、たまに険悪な状況にはなっていなかったとのことです。


「高槻吾郎は、被害者宅の長男です。高所からの転落によって死亡が確認されています。先ほどお見せしたバルコニー下、マンションの敷地入り口から10メートルほど離れた地点ですね。落下した衝撃による頭蓋骨陥没。……それ以上のことは、詳細待ちです」


「ありがとう。とりあえず概要は理解できたよ。高槻吾郎さんについてだが……、情報が少ないな」


「ええ。他2名の被害者と比較してですが、発見が遅れたためです」


「発見が遅れた……、と言いますと? すみません、教えていただけますか……?」


 水瀬の質問に、担当官の眉がピクリと動く。

 がんばれ、水瀬。下手に出るのは、ひとまず正解だ。


「事件の発覚が夜中12時だったということが一点。そして、位置関係ですね」


 担当官は手振りを交えて説明した。


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