02話:ひとりだけの物語
「アニク、隠れろ! マフィアの連中だ!」
アニクと呼ばれた僕――、高槻吾郎はテレビの前で拳銃を手に息を潜めていた。
テレビ画面にはゲームの映像が映っている。
画面は炎と煙が混じり、そこに僕の分身である主人公のキャラクターが映っていた。
主人公はロングコートと帽子をかぶった体格のいい男で、銃を手にして柱に半身を隠している。
隠れている場所は炎で燃え上がった警察署の物陰だ。机や柱と、影から影へと移動していく。
警察署の壁や扉という仕切りから炎の手があがるが、現場の警察官は消火に向かう代わりに物陰に隠れている。
厳重な警察中枢である警察署は本来、簡単なボヤで火がつきはしない。
これは悪意ある者の放火によってつくられた状況で、その証拠に警察署の中を銃弾が飛び交っている。
ゲームを繰り返しやってきていた僕は、これが主人公を狙うマフィアの襲撃だと知っていた。
だが、ゲームの中では襲撃犯がマフィアであることに主人公陣営が気づいたばかりの状態だ。
主人公陣営は逃げ惑う人々を援護し、マフィアに銃撃戦で対抗していた。
「どうする、アニク。建物がもたないぞ!」
同じように身を隠す相棒キャラクター、カリム警部が、主人公であるアニク探偵に檄を飛ばす。
彼がいうように、ここで持ちこたえても時間制限によって建物崩落エンディングを迎えてしまう。
かといって前に出ると死角にいるマフィアに撃ち殺されて死亡エンディングとなる。
僕はこの警察署ステージで、まだ試したことのない行動をするつもりでいた。
意を決すると、僕は拳銃のボタンを押して主人公に前進させた。
警察官の援護射撃のタイミングに合わせて拳銃の雨をかいくぐって柱の陰に隠れる。
そして、前方のマフィアではなく警部の後ろに隠れていた警察官を拳銃で撃ち抜いた。
「アニク……! いったい何をするんだ!!」
カリム警部が目を見開いて倒れた警察官に目を向けた。
僕は拳銃のボタンを押して主人公に後退させ、カリム警部の隣に逃げ込ませた。
「カリム警部、あいつは味方じゃない。よく見ろ!」
主人公が声をあげて指差した。
分岐イベントが発生して、会話シーンに入ったのだ。
初めて見るイベントに僕は目を見張った。
「この警官が持っていた拳銃は警察支給のものじゃない。こいつは後ろから俺たちを殺すために送り込まれた、マフィアのスパイだ」
「なんてことだ……! じゃあこの火災も、まさか!?」
「あぁ、きっと内部の犯行だ。切り抜けるぞ!」
会話のイベントが終わり、再び戦闘シーンに切り替わった。
僕は拳銃を構え直し、主人公を前進させた。
背後から大ダメージを与えてくる刺客を倒してしまえば、警察署ステージは楽勝のはずだ。
なんども同じステージを繰り返したおかげで、残りのマフィアが登場する場所は記憶していた。
残りのマフィアを順番に倒していけばクリアのはず。
そう思っていると、いつのまにか主人公の足元にグレネードが転がってきた。
ボタンを押して主人公を逃がそうとするが、避けきれない……!
主人公の回避もむなしく爆発で吹き飛び、体力ゲージがゼロになった。
大怪我を負った主人公は暗転する視界で宙に手を伸ばして、消え入ってしまいそうな声で叫んだ。
「俺は……ここで死ぬわけには……、レナ……」
伸ばした手が生気をなくして落ちる。
主人公の視界が完全に黒く染まるとゲームは終わりを迎えた。
死亡エンディング。
『Game Over : Bad End No.54』という文章がテレビに映り出された。
「あーーー、また失敗かぁぁ!!」
僕は拳銃を机に置くと、勢いよくベッドに飛び込んだ。ひとしきりごろごろして悔しがると、僕は片隅に置いてあったメモを掴んだ。手書きで『ドゥルガー攻略チャート』と書かれたその紙には、これまでのプレイで判明したゲームの進行と分岐点が樹形図のように書かれている。
『分岐ポイント:主人公を狙う警察官を撃つと会話イベントが発生する』
『分岐ポイント:前進するとグレネードで死ぬ』
新しい分岐点を書き加えると、その樹形図は計22本の枝を伸ばす計算になった。
『ドゥルガー』で遊び始めてから、2週間がたった。
2週間のやり込みの成果がまさに攻略チャートに描いた22個のエンディングだ。
そのどれもがバッドエンディングで、僕はまだグッドエンディングにたどり着いたことがない。
「悔しいな……。なかなかクリアできないぜ……」
バッドエンディングの末路は様々だ。
主人公が死ぬか、相棒が死ぬか、謎が残ったまま主人公が街から逃げ去るか、街が爆発するかなど。
いずれも後味が悪い終わり方のオンパレードなのに加えて、ドゥルガーはセーブやリセットができない。
負けると最初から始まるしかない、面倒くさいゲーム設計になっていた。
僕は樹形図を眺めながら、じんじんと痺れる右手をさすった。
ゲームは負けてしまったが、不思議とゲームに対する熱意が陰ることはない。
『ドゥルガー』は様々な分岐があるやりごたえのあるゲームだ。
だが、それとは別に、夢中にさせる特徴がいくつかあった。
ひとつは、コントローラーを兼ねる拳銃だ。そして、それが演出するリアルな体験。
その拳銃はすべてが金属製でできており、手に持つだけでもずっしりと重厚感があるのに加えて、射撃すると実銃のような反動が返ってくる。さすがに薬莢や弾丸は出ないものの、銃は本物のように細部が稼働する。
ふたつめは、ゲームのストーリー展開だ。
主人公アニクは拳銃と軽いフットワークを武器に探偵業を営んでいるが、ある日、事件に巻き込まれてマフィアに追われ、そしてマフィアのボスとされる『殺し屋』を追うことになる。ステージは自宅でマフィアの襲撃を受け、警察署へ、カーチェイスや下水道に入るなど、どれもスリルが目白押しだ。
主人公が装備しているのと同じ拳銃を握ってゲームをしていると、僕はいつしか自分がテレビ画面の主人公と同化しているような気になる。まるでゲームの中にとりこまれたかのような、不思議な引力で物語に熱中させられるのだ。
「レナ……。助けてやりてぇ」
主人公が死に際で口にした、レナという名前。
レナというのは、主人公の妹でゲームのヒロイン的なキャラクターだ。
年齢は明かされないがきっと高校生ぐらい。栗色の髪を巻いた、綺麗な橙色の瞳をしたかわいい女の子だ。
……しかし、レナを助けるという不可能かもしれなかった。
かわいそうなことだが、オープニングイベントでレナは主人公の自宅で殺し屋に殺されるのだった。
妹を殺された主人公が復讐に燃えて殺し屋を追いかけるというのがこのゲームのあらすじで、それは変えることができない。
僕はベッドに横たわって、主人公が最期にしたように手を伸ばしてみた。
『俺は……ここで死ぬわけには……、レナ……』
景色が揺らいで、僕の手が警察署で倒れた主人公の手と重なった。
「……!?」
急いでベッドから起き上がった。
周りを見ると、テレビと学習机がある。壁はゲームやアニメキャラクターのポスタが貼ってあった。
僕は自分の部屋にいると確認がとれると、思わず胸をなでおろした。
「ゲームのやりすぎかな……?」
まさか、本当に自分が主人公になるわけがないというのに。
そのとき、ドアが鳴って僕はびくりと身を震わせた。
「吾郎、お夕飯できたわよ。早くきなさーい」
お母さんの声だ。
……いったい、僕は何に驚いたんだろう。
ゲームはゲーム、現実は現実なのだ。
「はーい」
とりあえず、一息ついたほうがいいかもしれない。
僕はベッドから跳ねるように飛び出して、いい匂いが漂うリビングに向かった。
「最近、アルバイト行ってないじゃない。どうしたの?」
今晩は好物のハンバーグだった。
夕飯をつついていると、おしゃべり好きなお母さんが最初の話題をふった。
「休みを取っただけだよ。春休みもあと1週間ちょっとしかないし」
「ふーん、ゲームをやるためなのねー」
お母さんが棒読みで事実を曲解する。……いや、間違いではないのだが。
「じゃあ、もっと家事を手伝ってもらおうかしらん? お皿洗いに、お風呂掃除もたまにはいいわよね〜」
「いやぁ、それは、ははは、は……」
僕は誤魔化すように苦笑するしかなかった。まずい、話題を変えたほうがよさそうだ。
「それよりさ、父さんが帰ってくるのいつだっけ? もうすぐだよね」
「なによー、手伝ってくれないの? お父さんは2週間後には休みで戻って来るみたいよ」
お母さんはむすっとしたが、父さんの話となると悪い気はしていないようだった。
我が家は三人家族だが、父さんがアメリカに長期出張で出ているので今は母子ふたりで暮らしている。
僕の両親は息子である自分が引くほどの仲良しだ。長期出張が入った時には、お互いにいい年してるくせに寂しいだの一緒に行くだのでてんやわんやだったが、僕が大学に通っていたこともあり、一人暮らしさせることはできないとお母さんは日本に結局残ってしまった。……僕は一人暮らしで全然賛成だったのに。今では、父さんは数ヶ月に一回は休みで帰ってきて、アメリカのお土産をもらったりお母さんの料理が豪華になったりと小さなお祭りごとになっていた。
「テレビでアメリカのことやってるよ」
「え、アメリカ? どれどれ?」
僕がテレビを指差すと、お母さんは引っ張られるように視線を向けた。テレビではちょうど、アメリカの銃乱射事件が発生したとのニュース特集が流れていた。
「あらやだ! 物騒なニュースじゃない!」
「まぁ、アメリカでは日常茶飯事だねー」
「そんなこと言わないの! あぁ、お父さん……!」
某国では、学校、イベント会場、町中とところ構わず乱射事件が起きている。父さんがいる国とは知りつつも、対岸の火事というか、どうしてか現実感がわかない。きっと父さんは事件に巻き込まれないからだと僕は心のどこかで思ってしまっているのかもしれない。
「父さんはきっと無事だよ。影が薄いから狙われないよ」
「影が薄いとか、そんなこと言わないの! あぁ、今夜も無事か電話しなくっちゃ!」
「毎日、生存確認されて父さんも大変だなぁ」
お母さんがニュース番組にハラハラしているのを見ながら、僕はドゥルガーの銃撃戦を思い出していた。
あれはゲームだが、アメリカのニュース番組に比べればリアルに感じる。
……いや、考えすぎだな。
僕はひときわ大きなハンバーグを箸でつまみ、口の中を肉汁で満たして空想をかき消した。