3 喪失
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熱い水が両眼から流れ出して止まらない。
なんなのだ、これは・・・
失ってしまった。
これほど飢えが満たされ、充足したことは未だかつてない。
だが、満たしてくれた、それはもういない。両手の中は空だ。
確かにここにあったのに。全身で感じて、満たされたのに。
渡された名と共に、全部、彼が取り込んで、いなくなってしまった。
どこへ行ってしまった・・・どこへ・・・
喪った相手を求めて、彼は深く潜っていった。
取り込んだ自分の内部へと・・・深く・・・深く・・・
肉体を構成する、分子のレベルまで・・・
人にも、妖魔にも、そんな事をする能力はないはずなのに。
だが見つけたそれは空しく散って、指の間からすり抜けて行ってしまう。
(ソレハ外側ダケ。ナカミハモウナイ。ナカミハソナタト一緒ニナッタ)
一緒になっても、それはもういない。
もう、二度と戻らない。
中身のないそれを、必死でかき集め、記憶にとどめようとする。
(ナカミハソナタトトモニアルノダ)
だが、これも散らしたくない。
ひとかけらでも失いたくない・・・
(・・・ツカエヌ・・・コノ器ハ、フカンゼン・・・。情ガ深スギル・・・)
混沌と混乱のうちに、時は過ぎる。
・・・・・・・・・
奴隷の祖父の昔話は、いいかげんなものだった。
『王の血を受けて、妖魔は覚醒する』
そんな事はおこらないのだ。
今は滅びた王国で、妖魔が人族を狩り、王族を生贄として求めたものは。
妖魔に伝わる、古い伝承。
『人族に伝わる、太古の神の血が、妖魔の中に覚醒する』
そう、太古の神の覚醒なのだった。
いまだかつて実現したことがないが、いつか起こりえるかもしれない。
そんな奇跡を求めての事。
その奇跡が、今、起こったのだった。
立ち会う者もない、崩れた坑道の奥深くで。
だが、彼は半妖。
肉体は妖魔に近くても、精神は人に引きずられる。
神を受け入れる器には、なれなかったのだ。
その血は失望のうちに、また深く、深く、沈み込んでいく。
・・・・・・・・・
・・・どれだけ時がたっただろう・・・
瘴気かだいぶ濃くなってきた。
遠く、近く、岩ゴブリンたちの気配がする。
彼は身を起こした。
今だ激しい混乱の中、本能が危険を察知する。
自由に生きろ、と、あれが?自分が?彼が?言った。
ならば、ここから出て、自由にならねば。
足を拘束する鎖を引きちぎる。
首を拘束する首輪を、むしり取る。
『噛ませ』という他人の名で構成された呪は、もう彼には効力を持たない。
岩ゴブリンの死体の山から、手ごろな石の棍棒を取り上げ、バランスを確かめると、〇〇〇○となった生き物は、出口を求めて、歩き出した。