私たちの関係の、終わりの兆し
私は高らかに空を飛んでいた。
風圧で髪の毛が幾重にもたなびく。初めての空を飛ぶ経験をしたため、握り締める力が余計こもった。
白露少尉のその背中の翼で何度か飛んでいる光景は何度もみたが、実際に飛ぶのと飛んでいるのを見ているだけではこれだけ差があるのかと、その違いを身をもって体験することになるとは。あまりの出来事に胸がドキドキしていた。
彼は白く大きな翼をはためかせ、そのままこの町で一番高い時計塔に向かっていく。
すばやい動きで時計塔のベランダ端に敷かれる柵を乗り越えた。柵に止まっていた十数匹の鳩たちが驚いて、私達と入れ替わりでばさばさと翼を鳴らせ空に飛んでいった。
「あ、あの目的地に着いたなら降ろしてほしいのですが」
「はい、どうぞ」
さきほどまであわただしかった動悸が少しずつ平静に戻っていく気がした。
彼はゆっくり私を地面に降ろすと、急に足腰の力が抜けそうになってしまった。安心感なのかもしれないが、よろめきそうになった。咄嗟に白露少尉は私の腕を掴んで、バランスを崩す私を支える。
「大丈夫ですか竜胆少尉」
やけに慎重そうな表情を覗かせる彼に、私は笑顔を作ってみせた。
「今ので髪の毛がぼざぼさになりましたけど、おおむね大丈夫ですよ」
これでも彼は繊細なところがあるから、気を利かせなくてはならない。彼を心配させないよう、私はすと姿勢を正す。
「失礼しました…」
彼はしょんぼりした表情で謝罪してきた。
「空を飛ぶの楽しかったですよ、始めての経験でしたので。というかここでお昼を食べる気ですか?」
私は話題を変えて、時計等に備付けられたベランダを確認する。丁度私達を背にして時計台がある。私の身長ほどの秒針や、それ以上に大きい分針のカチカチという音が聞こえてきた。
「ええ、なかなか名案でしょ。こんなに綺麗な景色を眺めながら食べるのは」
彼は多少ぎこちないものの表情をほころばせた。私から料理が入った容器を受け取り屋上の地面に広げ始める。
「ああ、安心してくださいベランダから落ちたら私が助けに行きますので」
高いところに慣れている彼は下の景色をチラとみても平然としていたが、私はそうはいかなかった。
確かに、彼の言うようにここからの景色は絶景だった。
町で一番高い時計塔に降り立ったため、遮蔽物もなく、町と、町を遠ざかり白い草原が地平の彼方まで続いている景色が私の瞳に映った。豆粒サイズの人が何十も動き回り活気立つ閉所とかたや広大であるのに静寂な草原。いつまでだって白露少尉なら見飽きないのだろう。
が、私は景色を眺めているよりもこの立ち居地が気になっていた。
「信用しますからね、まじで」
時計塔のベランダはそこそこ狭い。
人二人分程度と、料理を広げるぐらいの空間は確保できそうだったが、ここまで高いところに登ったことはないので妙に不安感を感じた。任務のときはそんなに気にならないのだが。多分足場がいつもの観測所の3分の一もなくて、足元がおぼつかないからだろう。
「ええ、頼ってください」
流石の鳥人族である。
自慢げな彼はどんどん食べ物が入った容器を並べていく。
先程購入したじゃがバター、焼きとうもろこし、焼きそばにラムネなどをどんどん広げ、満干全席……と比べたら流石に見劣りするが、香ばしい匂いを漂わせ、見栄え自体もそそられるものがある。
「ここで食べるのは分かりましたが、時計塔のベランダは立ち入りしても大丈夫なんですか?警備員とか来るんじゃないでしょうか?」
私も彼に倣って付属品の箸の配膳などもしつつ、疑問に思ったことをたずねた。
「警備員が入ってきたときは」
「その時は?」
「一目散に逃げましょう」
万弁の笑みで彼はそう答えた。
彼はそのまま地面に腰を下ろし私の座る位置にハンカチを地面に敷いた。
「さすが白露少尉。的確な判断ですねー」
「竜胆少尉の発言には心がこもっていないことが難点ですが、おおむねその通りです。」
白露少尉は、言うが早いか手元の焼きそばが入った容器の蓋を開く。
「私が学生の時はこういう食べ方に憧れていたんですよ。いつもお付きが側にいて、皆が楽しそうに食べるのを遠めで見ているだけでしたから」
「買い食いみたいな感じですかね?今の食いしん坊の白露少尉からは考えられないですね」
「私を何だと思っているんですか」
白露少尉は、次々と食べ物を頬張った。
私も負けじと箸を伸ばしていく。お互い軍人で鍛えているため、新陳代謝が良いせいか食べる量は多い。私達は縁日の屋台みたいな昼食を食べながら、なんだか楽しくなってきていた。
思っていた昼食とはかなりかけ離れていたが、今までの華族としての生活で堅苦しいのに慣れてしまい、この軽薄さが私たちには新鮮で心地よかった。
「楽しいですね」
「ええ」
まるで私達は違う場所で生まれた兄弟みたいな関係だった。たとえ種族が違くても考えることが似ていて、まるでテレパシーのように通じ合った。
そうだ、きっと私達の関係をは彼の言うように鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)というのだろう。
「…先日、手紙が来ました。実家からの手紙です」
不意の言葉だった。私は彼を見た。
彼は神妙な面持ちで、呟く。
今まで見たこともないとても切なそうな目をしていた。
「それって……」
心当たりがあった。実家からの手紙。その報告だけでお互いに心当たりがあった。
きっと婚約の話に違いなかった。
「……ええ、私は近いうちの観測所を出て行くことになるかもしれません」
その手紙の報告は、後から考えれば、私達の関係を終わらせる始まりだったと思う。