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過去の悪夢


 

 両手がしびれて、手のひらから木刀がこぼれていった。


 まるで、やすりでもかけたかのように手のひらは痛くて、不自然なほど真っ赤に腫れている。もう木刀を持っていることさえ困難だった。落ちていった木刀が松製の道場床がカランと音を立てる。道場壁の板の隙間から漏れる乾いた空気のせいで、女の子の手にはできないような血豆が沁みた。


「この程度も出来ないのか!凛!」

 

 父の怒鳴り声が稽古場に響く。あまりに声が大きいものだから、神棚に飾ってある我が家の家宝の日本刀まで落ちてくるんじゃないかとさえ思った。


「はぁ、はぁ。申し訳ありません。父上」

「何をやっているんだ、お前は」


 子供の私は正座して、父の言葉にただ震えていた。私の「男らしくない」オドオドした姿勢が気に入らないのか、父はあからさまにため息をつく。


 正座とはいえ、体を休ませるのにはていのいい理由になった。

 朝は魔法学、昼は高等学校、夕方は剣道、夜は座学。一日中スパルタ教育を受けてきた私は、体のどこかしらが悲鳴を上げて、もうヘトヘトだったからだ。この訓練が寝る間も惜しみ行われるのが私の毎日の日課で、そして失敗すると怒るのが父の毎日の習慣だった。


「夕餉が出来ましたよ、貴方。凜」


 ありがたいことに助け舟はすぐ出てきた。

 道場の障子がすと引いて、母が顔を覗かせる。

 母は頭を低く下げ、嫌にかしこまっていた。私は母の顔を見たとき、正直助かったと思った。まるで、どこからか見ていたかのようなタイミングのよさに心の底から感謝する。竜胆家に嫁ぐ前はどこぞの華族だっただけのことはある、母は大和撫子で、立ち振る舞いは無意識でも洗練され、どこまでも美しい。いわゆる立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、という奴だ。


「…すぐ準備をしてくれ。戻るぞ凜。今日はここまでだ。夕飯を終えたらすぐに座学に入る」

「はい、父上」

「お前には失望した凜」


 父は正座する私を通り越して、省みることもせず足早に去っていく。

 まるでこの道場に私は最初からいない者として扱うように。いや、最初から父にとっては私はいないものなのかもしれない。


 …結局のところ、父は男の子がほしかったのだ。武家の出身である竜胆家を継ぐ息子を。

 だが、父と母の間に生まれたのは私と、妹の女の子。私の厳しい訓練はその息子の替わりなのである。


 では逆に、私の妹は私と違いえこひいきされて可愛がられているかというと…


 はっきりいって正直大差ない。妹は今も塾で厳しい花嫁修業をさせられているのだ。妹はまだ6歳になったばかりだというのに夜までお稽古をさせられている、華道やらなにやらで。先生も古い型の人間が多く、妹が叱られているだろうことは想像は安易に想像できた。

 

 友人の中には私をうらやましく思うと言うものもいるが、実際はそんなことはまるでない。

 華族に生まれた者の宿命なんてろくなものがない、それは子供心に気付いていた。



◇ 


 ――あぁ、クソ。

 最悪の目覚めである。

 

 肌寒さと体の不快さで眼を覚ましたら、布団はベッドからずり落ち汗を吸った肌着がグッショリ濡れていた。ベッドは幸いぬれていないとはいえ、肌着は大変である。観測所は貯水の制限があったりして洗濯は四日後の火曜日まで待たなくてはならない。


「いて……」

 寝起きだからか頭を万力で押し付けるような頭痛が、じわりと広がりだした。

 それもこれも、全てあの夢のせいだ。過去の出来事の中でも、最悪の部類の夢。これが楽しみにしていたデートに行く当日の夢だなんて。

 ちょっとついてなさすぎる。


 …私の記憶辿ると、思い出すのはいつも怒っている父。


 我が竜胆家は、武家出身である。

 息子がほしかった父に生まれたのは女である私と妹。父はそのことになんて思っただろう。きっとあのしわがよった眉間をいつも以上に寄せて怒り狂ったのに違いない。


 子供の頃から厳しい訓練を受けさせられ、男並みに訓練させられた私だったが、おかげというのは銅貨と思うが、軍学校ではそこそこの実力があるのが認められた。というか、実技、座学、魔法とも主席で卒業した。そこまではよかった。私も竜胆家の人間として立派に戦える、と思っていた。


 …が、その結果がこの観測所行きである。本来士官であるはずの私が、二等兵の仕事である観測員の仕事に配属された。父の差し金だった。父は女である私に、戦場で無様を晒させるような竜胆家の恥部になってほしくなかったらしい。そしてそれが私がこの観測所にいる理由だった。


 最初から期待していないのなら、子供の頃から男並みに厳しい訓練をさせられた意味はなんだったの?私は父と顔をあわせるのが嫌で、私が軍属になってから長期の休みに入っても、一度もまだ実家に帰ったことはない。

 


 帰りたくもなかった。



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