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最悪のやりとり


「えっと……久しぶりです」

「そんなにかしこまらなくていいのに、ここは貴方の実家なのよ」


 じとりとした汗が手を湿らせていたことを、母の一言で気付いた。

 一度右手を確認すると、かすかに震えている。それも自覚したらすぐに引いていった。荒立っていた心臓の速さが整っていく。どうも自分が思っていたよりも、実家に帰るのは緊張していたのだと気付いた。



「……そうだよね。うん、ただいま」


 私たちは土間でのやりとりを終え、玄関を後にした。


 私は母の後ろをついていき、居間に向かうため縁側を歩く。縁側に沿い、よく整えられた緑色が敷き詰められた庭園が映える。家自体が大きいものだから、家の隅から隅にいくまで、数分かかってしまう。この庭園も客人の緊張をほぐすもてなしだ。だが、そんなものを見ても私の心はいまだざわついていた。


「どう?数年ぶりの実家は」


 私の前を歩く母は気兼ねすることもなくそうたずねて来た。まさか少佐と同じ質問を投げかけられるとは思わなかったが。


「…変わりありませんね」

 視線を床にむけて、わざとそう答えた。さきほど『親族が聞けば悲しむぞ』と少佐が言っていた返答と同じ答えを告げた。

 母はどう思うだろうか。

 正直言うと、実家へのささやかな抵抗だった。


「ふふ、改築してるわけでないし、そんな簡単に印象なんて変わらないわよ」

「…そうですか、そうですよね…」

「でも貴方は変わったわね、顔つきがよくなったし、背も高くなった」

「数年会わなかっただけなのに分かるのですか?」

「分かるものよ、それが親だから」

 どうやら母の方が私よりも何手も上手うわてのようだ。私の放った言葉は軽くいなされ、すぐに母の微笑みに変わった。


「……そういえば父上はどちらに」

「あの人の話は…居間についてからにしましょう」

 母は一瞬歩みを止めて、すぐにまたひたひたと縁側を歩き始める。

 こんな母を見たのは始めてだったと思う。この煙に巻く具合から察するに嫌な予感は十中八九当たっていたようであった。



「…久しぶりだな、凜」


 …私の嫌な予感は外れていた。

 いや、外れていたというのはニュアンスが異なり、より正確に言うと、こんな予感はしていなかったと言うほうが正しいのだろう。


 はっきり言うならば、私はこの状況に呆気にとられていた。


 私は父の目の前で正座している。その後ろに母も座って。


 そして、私の父は床に伏していた。


 畳に敷かれた布団に陣取り、汗拭きようのふきんが桶に入れられ、かび臭い匂いを部屋中に放っていた。

 ニ、三年で、父は様変わりしてしまった。

 どうやら、父は大病を患っているらしかった。


 母や使用人が疲れていた理由がこれでよくわかった。きっと父の世話で大変だったのだろう。一切実家に寄り付かなかった私が慮ることではないかもしれないが。


「お久しぶりです、父上」


 私は父に対し、頭を下げた。

 母からの話では、すぐにはなくならないがもうあまり先は長くないという話だった。

 父達が何故、私に婚約の話を持ってよこしてきたのかも理解できた。


 …まぁ、父が私に状況を知らせなかったのは、私が実家に帰らないだけでなく、それ以上に理由があったのは明らかだった。お互いをどう思っていたか薄々分かっていただろうから。

 口答えこそしなかったが、私はこれまで父とあまり仲がよくなかったから。


 肩透かしのような気分にこそなったが、正直、不思議といい気味だという感情は湧き上がってこなかった。あれだけ嫌いだった父だから、そういう感情の一つや二つ湧いてきても可笑しくなかったのに。

 今はただ淡々とこの状況を受け入れていた。

 もしかしたら脳の処理が追いついてないだけなのかもしれないが。


 だが、殺されても死にそうになかったあの元気な父が、病気だったなんて。


「…今日は、どのようなご用件で私をお呼びになられたのでしょうか」

「大体、想像がつくだろう。家を出て察しも悪くなったか?」


 …先刻のは前言撤回である。そういえば、父はこんな人だった。

 私は父の言葉にじっと黙っていると、嘆息混じりに父は言葉を付け足した。


「…お前に縁談の話を持って来た。その為にここに呼びつけた」

「……お相手は」

「九州に住む職業軍人だ。お前とは30近く年は離れているが、私と旧知の仲でな。なかなかの豪傑で、あの地域を治める名家の出身でもある」

 私は絶句してしまった。それはもはや命令だった。

 有無を言わさず、スラスラとその決定事項を楽しそうに告げてきた。父の中では私が話を受けることで、すでに話は終わっているのかもしれない。まだ、その人について顔も何もかも知りもしないのに。


「もう私も先は長くない。この家に跡継ぎが必要なのだ」

「はぁ」

「今まで、お前のわがままも許してきたが、私にも時間がない。私の力が軍に及ぶうちにお前の縁談を済ませておきたい、この竜胆家のためにな」


「……そういえば、妹はどうしたのですか」

「あのバカは男と逃げ出したよ。竜胆家の風上にも置けん女だった」

 父は苛立ちを押さえるかのようにこめかみを押して、そう告げる。


 妹に結婚話を押し付けたくて、こういったのではなかった。事実確認だ。きっと妹も私同様、この家に嫌気が差していたのだろう。そして私の予想は見事当たっているようである。


「凜、あの子はね。耐えられなかったのよ。この竜胆という名家の重さに」

「それは、お気の毒に」

 なら私なら耐えられるのかと、喉元までせりあがった言葉を飲み込んで言葉を濁した。


「先程からお前の態度はなんだ!凜!竜胆の人間たるもの、親に対して気配り一つできないのか!?」


 どうやら、父は私の態度がお気に召さなかったのか、私を子供の頃したみたいに怒鳴りつけてきた。

 私は逆に父をにらみつけ、数秒の間お互いの視線が合わさる。


「お、おい。なぜ立ち上がる」


 私は正座を崩しさっさと立ち上がる。父の話が先に先にと進むたび、もうここにいてもしょうがないという気持ちになっていた。


「用件は済んだでしょう?私は帰らせていただきます。これ以上貴方の話を聞いていたら耳が腐ってしまいます」


「な、なんだと!!父親に向かって」

「――ですが、家の事については一考しておきます。私だって竜胆の女ですから」

「まて!話はまだすんで……」

「失礼します!」


 咳混じりの怒鳴り声をあげる父を無視して、私は勢いよくふすまを開き、ズカズカとわざとらしく音を立てて部屋から出て行ってやった。


 私は大また開きで、さっさと縁側を出て、玄関口まで歩を進めた。縁側の美しい景色など、もう目に入りすらしなかった。


「…今日は、お父さんがごめんなさいね」

 私の後をついてきた母は、玄関口で立ち止まり、肩越しに息を切らしながらそう告げる。

「そんな…お母さんが謝らないでよ。私のほうこそ、あんな態度を取ってごめんなさい」


 まさか半日かけて家に戻ってきた結果が、父と数分話すだけだったとは。

 全く何をしにきたんだ、私は。


「でも、あの人のことも分かってあげて。本心であんな態度をとっているわけではないの。縁談の事、よく考えておいてね。」

「………わかった」

「貴方が嫁げば、竜胆の家は再興できる。もう、貴方だけが頼りなのよ」

 私は振り返り、母を一瞥する。驚きだった、母まで父のようなことを言うなんて。


「……お母さん変わったよね」

 私の呟きに、母は虚を付かれたような顔をしていた。

 以前の母は、父の味方をすることはあれど、絶対にこんなことは言わない人だった。やはり、妹がいなくなり、父があんな状態で、だいぶ追い詰められているのだ。 

「ううん、ごめんね。なんでもない。それじゃあ必要な書類があったら、後で郵送で送って。私が手続きする奴は、こっちでやっておくから」

「あ、ありがとう助かるわ」


 一瞬母は戸惑って、笑顔を作る。

 その顔が見てられなくて、私はすぐに玄関扉を閉め、一度青空を見つめた。


 私は一足あゆみ、ため息をつく。


 まさか、父相手とはいえ、病人相手にあんなことをしでかすとは。

 正直憂鬱な気分である。

 私は自分が思っていた以上に父の前では感情的になっていたらしかった。

 ここに来る前後で、自分の感情がどうにも制御できていないことや父へどんな感情を抱いているかくらいは自覚している。でも、まったく上手く制御することはかなわなかった。

 そんな自分が悔しい。もっと自分が大人だと思っていたのに。


 …いや、気持ちを切り替えよう。


 先程から一時間も時間はたっていない、短い時間のやり取りだった。

 きっと少佐は、私が今いる本館から離れた別館に控えているので、少佐に呼びかけてここを出よう。

 …そのまえに、電車の時間に合わせる必要もある。

 先程のやりとりから、電車の時間までここにいるのは流石にきまづいなと、そんなことをぼんやり考えていた。


 ――つい、数分前まで。



「おい、竜胆少尉!!」


「何事でありますか、少佐!」

 私はすぐさま声のするほうに敬礼する。少佐だった。少佐は慌てた様子で、少し離れた別館から急いで走ってきたようだった。少佐の一足で、地面の砂利が大地を離れ、辺りに飛び散っていった。


「最悪の状況が起きた。先程連絡を受けてな」

 嫌な予感がする。数刻前、実家を訪れたときにかいた汗とは種類の違うものが流れてきた。



「それは一体……」

「……私達の基地が魔物たちに襲われた」


 なぜか、その時、白露少尉の顔が脳裏によぎった。



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