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数年ぶりの実家に


 私は観測所からジープを乗り継ぎ、少佐とともに夜汽車で実家に向かっていた。

 竜胆家は東北のある地域を治めており、横須賀の観測所からだと5、6時間はかかる長旅となる。


「酒はいける口か?」

「いえ下戸ですので」


「そいつは残念だなぁ。夜風に当たりながら一人でチビチビやるとするしかないじゃないか」

 私の対面に座る少佐は肩をすくめ、日本酒の入ったお猪口に一たび口をつけた。


 列車のなかで晩酌なんて出来るのは私たちの座席が特等室のものだからだ。

 我が家から汽車の切符を預かっていると少佐に説明された。やはりこの日のために、実家は色々準備をしていたらしい。


 道中を共にする少佐は、今は腰の帯刀を座席に置き、悠々と晩酌を進めている。


「酒はいいぞ。緊張をほぐしたり、精神を整えたいときは特にな」

「はぁ」

「竜胆少尉。君も飲めるようになればわかるようになるさ。酒は百薬の長だ。何にだって効く」

「そういうものですかね」


 少佐はすでに4合目に突入し、空き瓶は座席の隅で横になっていたりしていた。顔色が赤くなることもなく淡々としている。とはいえ、常日頃の通信機で話すときよりは刺々しさはなく、端から見てもわかる通り気は緩んでいる。


「…君は彼のことをどう思っているんだ」


 だから少佐もこんなことを、私に尋ねてきたのだろう。


「彼とは…」

「ごまかさんでいい。隊の人間は皆感づいているぞ。ばれていないと思っているのは君たちくらいだ」

 少佐の言っているのは白露少尉の事なのだろう。

 私は誤魔化すのは無駄だと判断して、すぐに彼に対する本心を答えた。


「…白露少尉は私達のことを鴛鴦えんおうちぎりといっていました。私もそう思っています」

 私の答えに少佐は日本酒を飲み進める。

 こちらまでアルコール特有のツンとする匂いが香ってきた。


「鴛鴦の契り……か。君たち二人、難しい立場だな」

 少佐は鞄から何かしらの書類を取り出し、それに目を通す。多分私か白露少尉のことが書かれた内容だったのだろう、少佐はしかめ面をしてこちらをもう一度見た。


「白露少尉は再来月にも別部隊に転属することに決まった。獣人族で構成される部隊だ。その部隊の司令官の娘と縁談するらしい」


「………私に教えてもよろしかったのですか」

 私は少佐の発言に対してなんとか言葉を搾り出した。


 喉はカラカラで、体が硬直し、ひとつひとつの所作がぎこちない動きになっていたかもしれない。体中か発する緊張とは真逆に心はいてつくように冷えてきていた。どうも私は自分が思っていたよりも、白露少尉の転属について憤りを感じているらしい。


「話して良いわけないだろう。だが、君たちはなんとかという関係だろ?なら知っておいてもいいだろう。それに私は今酔っている。少しぐらい機密をしゃべっても、誰も文句はいわないさ」

「……ありがとうございます」


 あっけらかんと話す少佐はまた飲み進めた。

 遠距離での通信でしか少佐とは会話したことはなかったが、こんな豪快な性格だったとは知らなかった。彼女の明るい性格のおかげで私はさきほどよりも不安が和らいだ気がした。


 まぁ、その一抹の望みもすぐにかき消されたわけだが。


「今回の君のご実家からの命令も似たようなものなのだよ。君が家に召集されたのは、そういう類のものだ」


 私は息を呑む。

 少佐を見ると、バツの悪い表情をして私の視線を躱し、夜汽車の外の景色を見ていた。それだけでだいぶ察しはつく。窓越しから東北の冷たい風が、汽車の室内まで入りこんだのかと思うほど肌寒さを感じる。


 時計台で白露少尉が言っていた「モラトリアムは終わりを迎えた」という旨の発言。それは私にも当てはまったということなのだろう。


 夜汽車は線路の上を走り、たんたんと私の故郷に向かっていく。



 ◇



 私達が竜胆邸にたどり着いたのは、夜汽車に乗った明朝だった。


 数年ぶりの帰省だったが、実家は私が思っていたよりも、何も変わり映えはしていなかった。まぁ、数年程度では印象が変化していないのは当然なのだろう。

 何百万円もする屋根瓦に、専属庭師が整える何本もの松の庭。苦々しい思い出ばかりの道場とそれらが収まってなお、十二分に空いている広大な立地。

 私が幼少期を過ごした実家だった。


 玄関先に私たち二人が立つと、数人の使用人が玄関先に立ち並び、丁寧にお辞儀をし出迎えてくれた。

 顔なじみばかりかと思ったが、何人かは私の知らない使用人もおり、一様に皆くたびれたように見えた。私の出戻りと何か関係でもあるのかと、そんな思考が頭をよぎる。


「どうだ、数年ぶりの実家だと聞くが?」

 私の隣に立つ少佐は、幾分か楽しそうな様子だった。


「感慨深さはないですね。久しぶりといっても数年ぶり帰省程度なので」

「そう言ってやるな。親族が聞けば悲しむぞ」

「申し訳ありません。口が滑りました」


 少佐が軍帽を脇に挟むと、いままで帽子の中に納まっていた長い黒髪が背中を舞う。

「まぁ、上手くやれよ。途方もないトラブルでも起こさんかぎりは多目にみるさ。ここから先は私の管轄外だからね」


 そして興味なさそうに、すぐに一歩玄関先に向かっていく。


 実際少佐からすれば今日の事はいい迷惑なのだろう。

 実務は忙しいのに、部下の帰省のお供をさせらているのだ。うちの実家が竜胆家でなければ、少佐が付いてくることもなかっただろうし。余計な仕事なのは火を見るより明らかだった。こんな時に魔物でも襲ってきたらどうするのか、と一抹の不安さえ感じた。

 とはいえ実際には心配には及ばない。

 少佐の一番の部下である銀浪大尉と別の下士官が現場の指揮を執っているのだろうから。


「どうした?君の実家だぞ。君から入らんでどうするのだ」

「は!今行きます!」

 そして私は、二度と戻りたくはなかった玄関にそびえ立つ門をくぐった。


 玄関口で私を出迎えてくれたのは母一人だった。


 母は代々竜胆家で受け継ぐ呉服屋に売れば家は優に一軒位は購入できるであろう和服に身を包む。支給品の茶色の所々ほつれた軍服の私とは、落差を感じた。

 そういえば実家はこんなに金持ちだったと、他人事みたいにこの家の思い出がよみがえってくる。


「命令通り。ご息女をお連れしましたよ。母君」

「ええ、無事連れてきてくれてありがとう。貴方は客室で少し休んでいて」


 少佐は私の隣で頭をひとつ下げ、室内敬礼を行う。

 私も目の前の母に向かって敬礼する。


 やはり母は大和撫子を体言したような人物だが、この家を出ていった時よりも、肩幅が細くなって、老いて見えた。美しい黒髪に白髪が多少混じる。数年ぶりの再会程度で、こんなに母親がか細く見えるものなのだろうか。



「おかえりなさい凛。大きくなったわね」





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