02.視線と視線
席替えをしてから数日が過ぎた。お互いにほとんど存在を無視して生活していた。
そんな、夏休みも間近に控えた暑い日。
目が覚めたら、あいつの顔が見えた。隣の席なんだから、あたりまえなんだけども。いやいやでもなんで目が合ってるの、っていう。
黒沢はいつものように眉間にしわを寄せたまま、あたしと目を合わせていた。あたしが見るこいつの顔は、ほとんどがこの表情だ。でもこの表情がいやに似合うのが黒沢だとも思った。
凝視してくる黒沢を見つめ返しながら、冷静にどうしようか考える。なんかあたしから目をそらしたら負けみたいじゃない。そういうのってなんか癪だから、そのまま目を合わせおく。現国の先生の眠たくなるような声がどこか遠くから聞こえる。ああ、そういえば現国の授業だったんだっけ。
そうしてしばらく経った頃に、先に目をそらしたのは黒沢のほうだった。ノートをとることもせずに反対のほうに顔をそむけて動かなくなった。ふわり、と香水みたいないいにおいがした。
勝った、と思った。
熊に会った時もそうだけれど、目をそらしたほうが負けなのは自然の摂理だ。とあたしは信じている。だって目を合わせて睨みあってたら弱いものは逃げるもの。たぶん。熊に会ったことはないけど。
だから、授業終了直後に得意げに声をかけようとしたあたしは、黒沢の言葉に声が出なくなった。
「お前さあ、俺の事見すぎ」
「……はあああ!?」
「てっきり惚れられたのかと思ってどうしようかと思っ……」
「っんなわけあるか! アホ!」
予想外の言われように、声を張り上げるとクラス中から好奇の視線が注がれる。しまった、と思って口をつぐむとニヤリと黒沢が笑ったのが見えた。しかも一瞬だけだった。完璧にあたしにしか見えないように。
この男、わざとやりやがった! 少し前に教科書に落書きしたことへの仕返しか!
「なになに? なんかあったの?」
しかも黒沢と仲のいい……川島君まで出てきやがった。野次馬精神を隠そうともしないで。
ああもうこれだから!
黒沢はなぜか得意げにあたしをチラリと見て、口を開いた。
「八色が俺のことす……」
最後まで喋らせないで、あたしは黒沢の足を思い切り踏みつけていた。からかうような笑顔のまま動きを止める彼を見て、川島君はおかしそうにくつくつと笑う。なにがおかしいのよ、なにが。
「クロのこと、す?」
「すっごい嫌いで目の前から消えてくれればいいのに」
その言葉の何がおかしかったのか、ついに川島君は声をあげて笑い始めた。その笑い声にまた注目を浴びる。
ていうか川島君とまともに喋ったの初めてなんだけど。なんでこんなに笑われてるのだろう。
川島君はいつも不愉快そうな顔の黒沢と違って、笑顔が似合う明るい雰囲気だった。なんとなく黒沢と一緒にいるから顔と名前は覚えている。たしか野球部だった、気がする。あたしは人の顔を覚えるのが苦手だ。
黒沢はそんな川島君を無視してさっきあたしに踏まれた足を気にしている。踵と体重を使ったから、痛かったのは保障する。ざまあみろ。
笑い続ける彼をどうするべきか悩んでいると、ちくりと刺すような視線を感じた。
嫌になるくらい、痛い。
完璧に悪意のあるそれに、あわてて振り返るもそこには普通の教室の風景があるだけだった。
ただ、気のせいというにはあまりにもあからさまな悪意で。
嫌な記憶がまた思い出されて思わず眉を寄せた。今思い出しても、何になるわけでもない。
頭を振って、よみがえりそうになるそれを押しとどめる。そしてふと顔を上げると、ひどく焦ったような黒沢と目が合った。はじめて見るその表情があまりにも意外で、そのまま授業中みたく見つめ返してしまう。
やっぱり綺麗な顔立ちをしてるな、なんて考えていた。もう少し愛想よくすればいいのに。あたし以外にはまだ愛想良いんだっけ。
結局、最初に口を開いたのはあたしのほうだった。
「……なに?」
「お前さ、黙って寝てたらまだマシなのにな」
「……あ、アンタに言われたくないッ!」
再びあたしは声を張り上げるはめになったのだった。川島君の笑い声が一緒になって教室にこだました。