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ポニーテイル・ドロップス

作者: はまち
掲載日:2016/09/25

「あのさあ、こんな若い女の子に踏んでもらえて嬉しくないわけ?」

 背中越しにつま先の造形を感じる。ぐにぐにぐにと。そいつは俺の背中から今度は脇腹までを足蹴にしている。

 特段声もあげず身じろぎもしなかったせいか、ついにはつま先だけではなく足裏全体をつかって踏んでくるようになった。

 体重を乗せてきてるかと思いきや、痛いと思う寸前のところで加減をしてくれているらしい。

「嬉しいか嬉しくないかでいうと」

 いちいち顔を見るために振り返るのも面倒だったので、俺はいじっていたスマートフォンを鏡のかわりにして、彼女の様子を伺う。 

 ひび割れた古いスマートフォンの画面には、とても無機質な少女が立っていた。あるいは水を吸う前のスポンジのようなつまらなさがそこにあった。

「あんまり嬉しくないかも」

「――変態」

 捨て台詞を吐くのと同時に、たちまちそいつは不機嫌になって踏むのをやめた。

 それからわざとらしく足音を立てて冷蔵庫へ向かうと、俺の買ってきた牛乳を紙パックに口をつけて飲み始めた。

「ちょっとまて、コップにうつせって昨日も言ったじゃねえか。それじゃあ俺が飲めねえよ」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「うそつけ、減ってんだろ」

「んー」

 左手を腰に当てて直飲みする銭湯スタイルを披露していたそいつが、ふいに紙パックを差し出した。

「飲む?」

「飲まねえ」

 なんだこいつ。

 なんなんだ、こいつ。

「んでさ、お前いつ家に戻んのよ。今日で何日目かわかってる?」

「お前じゃなくて、紗耶香って呼んで」

「じゃあ紗耶香」

 飲みかけの牛乳を冷蔵庫へ無造作にしまうと、紗耶香はすらっと長い指を四本立てた。

「四日目でしょ、うん」

 こいつ、計算もできないのか。しかも、にへへって顔して笑ってやがる。

「一週間だよ、一週間。数字に直すと、七日分。うちに転がりこんできてから、もうそんだけ経ってんの」

「あ、わかった。これ説教の流れでしょ? そういうの、やだ」

 なぜかそういう空気を読んで察しがよくなるのか、紗耶香は落ちていたクッションにぐしゃりと顔を押し付けた。

「あんな、由香里おばさん心配して、毎日俺の携帯にショートメール送ってきてんの。毎日ごはん食べてますかって」

 クッションに埋もれた髪がぴくんと跳ねて、また動かなくなった。

「俺がもうつらいの。何あったか知んないけど、そろそろいいじゃん」

「――よくない」

「いいじゃん」

「――よくない」

 何度か押し問答を続けたが、答えは一向に変わらなかった。

「じゃあ、晩飯食うか?」

「食べる」

 こういうときだけ、返事早いのな。


 客人なら手が込んだものを出そうとするけど、こいつは居候なのでそんな配慮は一切合切ナッシング。

 セブンで買った辛子明太子とバターをボウルにあけて、ゆでたパスタをぶちこんで混ぜただけの簡単レシピだ。

 それなのに。

「なんでお前泣いてんの?」

 パスタすすりながら涙をぼろぼろ流すやつなんて、映画でも見たことがない。

「だって、これ。あったかい」

 およそ紗耶香の言っている意味がわからなかった。

 そりゃ作りたてだからあったかいだろうし、それこそ昨日の晩だって、それより前の晩だって、あったかいごはんは出してきたのにもかかわらずだ。

「毎日ごはん食べてますかって、どの口言ってんのって感じだもん。毎日コンビニ弁当あっためて、あったかいけど、めっちゃつめたかったのに」

「由香里おばさん、帰ってくるの遅くなったんだっけか」

 こんなとき、どんな言葉をかけていいのかわからない。

 もう大丈夫だよ。あいつは大丈夫じゃない。涙ふけよ。うるさいやつだと思われる。もう高校生なんだから我慢しろよ。あいつにできるわけない。

 かけるべき言葉が浮かんでは消えて、ついにはぱたと無くなった。

 ああでもこいつ。家じゃいつもひとりなんだよな。

「紗耶香、おかわりいるか?」

 でっかいしずくを目尻にためた紗耶香が、不器用にだけど確かに「うん」とつぶやいた。

 それから俺たちは無言でパスタをすすって、また紗耶香がおかわりを要求してきたので、今度はペペロンチーノを作りもした。

「あんま食べてる姿見ないでよ。目ぇ赤いし」

「ようやくいつもの調子に戻ってきたじゃん」

「うるさい」

 不機嫌そうに頬を膨らませてるのか、パスタを口に含みすぎてるのかわからなかったけど、いつも通りに戻ったのでそれはそれでよしとしようか。

「なあ紗耶香」

「ん?」

「晩飯ぐらいだったら、食べに来てもいいぞ」

「え」

「休日はそりゃ飲みに行くし、ときどき残業があるからその日はだめだけど。おばさんには俺から言っておくから、俺んちで飯食えよ」

 若い女の子とごはん食べたいとか変態。とか。食うわけねーじゃん、ばーか。とか。

 言ってしまったから仕方ないけど、我ながらくさいセリフだったと思うし、そんな答えが返ってくるものだと覚悟していた。

 けれど紗耶香は。

「そっか。うん、そっか」

 言葉を咀嚼する。といえば正しいのだろうか。

 視線を落とし、唇をすこし噛んで、何回もうなずいて、

「うん、ありがとう」

 へえ、こいつ。こんな笑顔もできるんだな。

 たとえば彼女の言う、あたたかさに触れたとき。

 人はきっと、こんな晴れやかに笑えるのだろう。

「ああ、どういたしまして」なんだよ、悪くねえじゃん。

 珍しく今日は紗耶香が皿を全部洗ってくれた。

 こうやってちいさなことで、すこしずつ。

「お前もオトナになったな」

 偉い偉い、と彼女のポニーテイルの付け根をたたいたら、顔を真っ赤にして怒られた。

 ごめん。変態。怒ってる間に風呂入ってくるわ。やだ私が先に入る。減るもんじゃないってやつでしょ。お風呂のかさが減るからだめ。

 そうやって、一日は廻ってゆく。

 朝起きて、シャワー浴びて、飯を食べる。ゴミ出しをして、出勤して、買い物をして。料理して、そして――。

「明日はハンバーグが食べたいから、つくって」

「ハンバーグって手かかるからパスで」

「私も手伝うから作ってよ。煮込みのやつでさ――」

 日常の一隅に、ほんの隅っこでいいから。いつまでもそんなあたたかさがありますように。

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