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結局、白鯨が原因で船足が遠のいているらしく、この島でエーリュシュオンの有力な情報は得られなかった。俺たちは情報収集を諦め、翌日の朝一番に船出した。
エーリュシュオンのある北へ向けて、暖かい風が俺たちの背を押す。メインマストが大きくたわみ、ミライは航路が逸れないように、慌ただしく測量と指示を繰り返していた。
「幸先がいいな」
俺は、風で飛ばされないように。中折れ帽を押さえながら言った。
「ああ、良い風だぜ」
シシドがそう言って笑う。シシドの赤い髪が風になびいているのだが、気にした様子もなく、気持ちよさそうに目を細めていた。
「一週間ちょいくらい程度だと、海も飽きはこないか」
「一ヶ月の航海だって飽きないぜ」
どうやらシシドは海が好きなようだ。アナトリアやモーンから海へは少し距離があるため、シシドがこの世界の海を見たのは数えるほどしかないはずだ。
「全部終わったらさ」
シシドは海を見ながら言った。
「みんなで泳ぎに行こうぜ。海にさ」
なるほど悪くないな。
船室でうとうとしていた俺は、みゃあみゃあと海鳥の鳴き声で目を覚ました。
「なんだか騒がしいな」
俺は慣れない船での生活のせいか、取れない疲れを感じながら甲板へと向かった。
「てや!」
外に出た俺に、カミラの声が聞こえた。
「何やってんだ?」
「げ、アホ主人」
甲板にうつ伏せになっていたカミラは、俺の姿を見て顔を赤くしていた。
「……なるほど」
カミラの懐から「ぎゃあぎゃあ」という鳴き声と、激しく羽ばたく音が聞こえる。どうやら海鳥を捕まえたらしい。
「今夜は鶏肉か」
「は、はい、たまには新鮮なお肉をと」
カミラはカエルのような格好のまま、暴れる海鳥を必死に押さえつけていた。
「わ、笑ってないで手伝ってくださいよ」
「悪い悪い」
鳥の締め方はイェシー叔父さんから教わっている。俺はカミラを手伝うべく近づいた。
ぎゃあぎゃあ!
上からたくさんの鳴き声が聞こえた。
「ずいぶん鳥が多いな」
「そんなこといいから手伝ってくださいよ!」
「……それに、この匂い」
「アホ主人?」
海鳥は島の周りに生息する。だから海鳥の多い場所で、この匂いがするのは異常ではない。だけど……強い胸騒ぎを感じだ。
「カミラ! この近くに島はあったか!?」
「え? ええっと、そりゃ細かい島までは地図にも載っていないかもしれませんが、少なくとも地図にはなかったと思いますよ」
俺はマストを登って見張り台へと向かった。
「ちょっとアホ主人!」
カミラの抗議の声が下から聞こえる。だが構っている暇はない。
そして俺は海上に竜巻を見た。
「なっ!?」
それは白鯨の吹き出した潮だ。だがなんという勢いだろうか。海上に立ち昇る水柱は遠く離れた俺の目からも、ありえないほどの巨大に見えた。
「青い目……」
白鯨の目は見るものを不快にさせる青で輝いていた。
「異色の災禍の産物だったのか」
色素を失い、凶暴化した動物。知性のある生物を好んで殺す怪物。
「白いクジラと言われた時点で気がつくべきだったか」
白鯨はまっすぐこちらへと向かってきている。
雪の積もった氷山の様な巨大な身体で海を裂き、歌い続ける海鳥たちを引き連れて。
「白鯨だ!」
俺は叫んだ。逃げられるか? 諦めて距離のあるうちに砲撃を加えるべきか?
その判断は早かった。
「ダメだ、今は風が強すぎる。この風じゃ船の小回りがきかない」
ミライは海図を見ながらうめいた。
「この先に南西側に流れる海流がある、ここで速度が落ちる上、白鯨の方に流される。逃げられないよ」
「なら、戦うしか無いか」
「……勝ち目はあるか?」
クロウの表情は厳しい。
「わからん、だが船まで到達されたらひとたまりもない」
白鯨は海地竜よりふた回り以上に巨大だ。船に体当たりでもされたらマズイ。
俺、クロウ、シシドは召喚の魔法を唱える。
「大砲に向かえ!」
下級悪魔たちは、白鯨を一瞥すると、大慌てで大砲へと走った。
「砲弾はすべて榴弾を使え! 接近される前に戦意を喪失させるんだ!」
だが相手は普通の動物ではない。不自然な、知性に対する憎悪をくじくことなんてできるのだろうか。
大砲から放たれた榴弾は海中で爆発し、衝撃で白鯨の皮膚を破いた。だが止まらない。勢いが衰えることもない。
「くそ、ヒドラくらいならこれで止まるんだが」
クロウとシシドは呪文の発動を、ミライは弓を構え、ミュウとカミラは大砲の操作を手伝っている。
海上で距離がある状況で、普通のクラスができることはあまりない。
「かといって接近されたらすぐに船は破壊されるぞ」
どうすればいい?
「ミュウ、あの化け物クジラに空から接近戦を挑んで倒せると思うか?」
「分からない、でも私を無視して船に突撃されたら守りきれないよ」
「シシド、魔法でアイツを吹き飛ばせるか?」
「同じく、殺しきる前に接近されるね」
シシドの右手から稲妻がほとばしり、白鯨を打ち据えるが、まるで意に介した様子はない。ダメージはあるのだが、膨大なHPを削り切るのは厳しいだろう。
「こちらも水棲生物を召喚して戦わせるってのはどうです?」
「あんな化け物クジラと戦えるクリーチャーなんて召喚できないな」
そう言っている間にも、白鯨はこちらへと猛スピードで近づいてくる。
「動物なら精神強制魔法が有効なんだが」
睡眠や混乱の魔法は、意思の強くない動物には普通有効だ。
だが相手は異色の災禍で生み出された魔物だった。普通の動物には無い魔法への耐性を持っている。
その時、白鯨の尾が界面を叩いた。津波のような衝撃が、俺たちの船を襲った。
「わわっ!?」
船は大きく揺れる。大砲の照準が狂い、白鯨から離れたところに砲弾が着弾した。
「ど、どうする!? ただでさえダメージが足りないのに、命中率まで下げられたらどうしようも!」
クロウが叫んだ。ミライも表情に焦りが浮かんでいる。
「錨を下ろして無理やり安定させるべき?」
「あの化け物クジラと足を止めて殴り合いだなんてゾッとするね」
「だったらどうすれば!」
「あのスピードをどうにかしないことにはなんともな」
「蜘蛛の糸か大砲の粘着弾を使うとか?」
「あんな巨体を止めるのは不可能だ」
「白霧で目を塞ぐってのは?」
「クジラは音波でも知覚しているから無駄だよ」
そもそも水中に効果のある魔法が少ない。また相手を拘束する魔法は、白鯨の巨体と筋力に耐えることはできないだろう。
エリア内の移動を制限する魔法も、エリア外に抜けられたらそれで終わりだ。
「だったらクジラ自体をどうにかしないといけないって訳なのか」
「そういうことだ」
「ダメ元で混乱連発してみるか?」
「精神強制系魔法の間合いから、この船に到達するまで魔法を使える機会は二回ってところか」
「くぅ……厳しいぜ」
何か手は……俺はあたりを見渡す。何か、この状況を覆す方法は。
「そうか錨か」
俺は甲板に転がっている錨をみて、この状況から脱する手を思いついた。
「砲弾をロープでしばれ!」
下級悪魔たちに俺は新しい指示をだした。
「ダン! どうするつもりだ?」
「白鯨の機動力を殺す、あいつに錨をつけるんだクロウ」
俺は船倉へと走った。
「手伝ってくれ!」
そして、槍のように太い大型のバリスタ矢の入った箱を抱えながら叫ぶ。
「こいつで錨を撃ち込むんだ!」
もうすぐ白鯨の間合いに入る、そうなればお終いだ。
「だが、そうはいかない」
先ほどまで轟音を響かせていた、アナトリアコグの大砲が今は息を潜めている。用途外使用の弾が命中できる距離は短い。
「合図をしたら三十秒だけ白鯨を食い止めてくれ」
「了解!」
ミュウ、カミラ、シシドが威勢よく答えた。翼の加護のかかった三人は、空から白鯨と戦い、僅かな時間を稼ぐ。
そしてその隙に、砲弾を長いロープで結びつけたバリスタボルトを白鯨にうちこみ、それを錨にするのだ。
ロープは海底まで十分の長さがある。海底を引きずられる砲弾は、強い摩擦力を産むのだ。それが複数ともなれば、白鯨のような怪物ですら、動きを鈍らせるはずだ。
「バリスタは一台、あとは大砲にバリスタボルトを突っ込んだ」
棒火矢というやつだ。ボルトの尾に氷の魔法で円錐状に固めた泥をくっつけて火薬の爆発を受けるようにしている。
もちろん、まともに当たるシロモノじゃない。ギリギリまで接近させ、確実に打ち込まなくては。
「…………」
白鯨は大きな歯をむき出しにして船へと迫る。青く輝く目には激しい憎悪をたたえ、砲撃によって吹き出した血は白い肌を赤く彩っていた。
その恐ろしい容貌に、誰もが恐怖した。俺も悲鳴を上げたくなる衝動を噛み殺していた。
「今だ!」
俺の叫び声に合わせて、三人が空へと飛び出した。
白鯨の巨大な身体に飛びつき、剣を突き立てる。
「くっ、こっちを見てよ!」
竜すら恐れるミュウの一撃ですら、白鯨は止まらない。
「だったら!」
「カミラ!」
カミラは無謀にも海面すれすれ、白鯨の目へと飛びついた。ついに白鯨は動きを止め、身体を震わして、周囲を飛び交う小さな敵を打ち払おうとした。
「きゃあ!」
カミラが爆発によって吹き飛んだ。だがそのすぐ後、カミラがいた場所に白鯨の尾が振り下ろされた。
「すまんカミラ!」
「いえ! 助かりました!」
シシドの魔法で煙を上げながら、カミラは額に浮かんだ冷たい汗をぬぐった。
その尾の一撃によって引き起こされた、嵐のような波が船を揺らす。
ドン! ドン! と立て続けに砲撃の音がした。
俺が白鯨とは反対側の大砲を発射し、その反動で強引に船の姿勢を留めたのだ。
「撃てえええ!!」
俺の絶叫と共に、バリスタ、そして大砲が火を吹いた。
矢が次々と撃ちだされ、白鯨の身体へと突き刺さる。
飛びつくように下級悪魔たちが次弾を装填する、大砲内の清掃すらおざなりだ。三射目は必要ない、そんな時間もない。
この一射で勝負が決まる。大砲が轟音を立てた。
八本のバリスタボルトが突き刺さっている。クロウが海へと投げこんだ砲弾は、ロープでしっかりと白鯨へと繋がった。
「良し!」
ミライが帆の角度を変えた。風を受けて一気に船は加速する。
最後に俺が魔法力をこめたハンドキャノンを白鯨に撃ち、その隙にミュウたちが船へと戻る。
「あとは逃げるだけだ!」
白鯨は青い憎悪で燃える目で俺たちを睨みつけながら、巨大な尾を振り回して船を追いかけようとするが、八つの海面を引きずられる錨は白鯨の泳ぐ力を削いだ。
「よっしゃ!」
シシドが手を上げた。白鯨は船から徐々に引き離されていく。
やがて、山のような巨体は、水平線に浮かぶ点となり、消えていった。




