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どうするこの状況。
海からはアナトリアを、陸からはレオンを、そしてイザベラに吸血鬼の呪いをかけたダークエルフのヤダルがアナトリアから逃げ出そうとしている。
ヤダルを捕らえるためには各街道を封鎖して、領内を人を使って調べる必要がある。だがそれをすると、アナトリアからレオンへの援軍や、海から向かってくる水軍に対しての軍備ができなくなる。
アナトリアの防衛を優先し、港からの砲撃と水軍でガレー船を迎え撃つならおそらくそちらは勝てる。だがレオンが単独で勝てるは分からないし、何よりイザベラを吸血鬼にしてしまう。
レオンへ援軍を送るとすれば、これは船を使って大砲と援軍を輸送することになる。これに船を使うとなると、アナトリアの防衛が難しくなり、そしてイザベラは……。
「……結局、俺は貴族失格か」
どれかを選ぶとするならば……俺はイザベラを救うことを選ぶ。これまで作り上げてきたモノと、これからの未来を捨てる。
実を言えば、あんまり頭は回っていない。残り二つの選択なんて、最初から考慮していないのだ。
俺は力なく立ち上がり、命令書を棚から取り出した。アナトリアと人間世界を破滅に導く、街道封鎖の命令をそれに書き始めたのだった。
書類を書き始めて十分くらい経ったとき、扉が蹴破られんばかりの勢いで開かれた。俺は驚いて立ち上がった。
「な、なにごと?」
「モーンさん!」
「レオンさん!?」
飛び込んできたのはイザベラだった。昨日はずっと泣いていたのに今はそんな素振りも見せていない。
「朝から今までなにを考え込んでいますの! 今すぐにでも各領主に伝令を出さないと! 軍備の時間がただでさえ足りないですのに」
「……街道は封鎖する」
「やっぱり、そんなことを考えていらしたのね」
「そんなこととは何だ……俺は」
「お黙りなさい!」
イザベラはこれまで聞いたことのないような大声で俺を怒鳴った。
「あなたは貴族でしょう! 自領のことが最優先、あなたにはこの領を守る責任があるのですわよ!」
「分かっている! 分かってはいるが……」
「だったら迷うことはありませんわ、水軍を移動させアナトリアを防衛するのです。レオン大公領だって長年竜人と戦ってきた実績があります、多少の領地は失うかもしれませんが、単独でもみすみす竜人にやられたりはしませんわ」
「……街道を封鎖しヤダルを探す。各地からの援軍はヤダル逃走の危険があるため行わない。これが俺の最終決定だ」
「馬鹿な! それではすべて失うということではありませんか!」
「そうかもしれない、だけどお前は失わない!」
パチンと音が響いた。遅れて俺は衝撃と痛みを感じる。イザベラに頬を叩かれたのだ。
「バカ! それでも私のライバルですか!」
殴られた俺よりも、殴ったイザベラの方が辛そうな表情をしていた。その両眼からは涙がこぼれていた。
「わ、私は、アナトリアを、あ、あなたを支えるために、この一年努力し続けてきましたのですわ……そ、その選択を、どうか後悔させないでくださいませ。最後まで、私が人である最後の一秒まで、あなたは私のライバルでいてくださいませ。ダン、あなたは私の永遠のライバルなのですわよ」
言葉をなくして立ち尽くす俺の前から、イザベラは顔を抑えながら踵を返し、走り去ってしまった。
「アホ主人」
どれくらい立ち尽くしていたのだろうか、開きっぱなしの扉をカミラがノックした音で、俺は我に返った。
「カミラか、もう大丈夫なのか?」
「大丈夫ではありませんね。今もこうしてアホ主人とレオンさまが目を覆いたくなるような言い争いをしていましたし」
「聞かれていたか」
「あれだけ大声ならそりゃ聞こえますよ」
そう言いながら、カミラはハンカチを差し出した。
「え?」
「ほれ、どうぞ使ってください」
「使うって?」
「男前が台無しですよアホ主人」
気が付かなかった、俺は泣いていたのだ。
「……ありがとう」
俺は、力なく椅子に座り込んだ。全身が鉛のように重い。
「さて、アホ主人。この絶望的状況を打開する一手は思いつきましたか?」
「何も……ただあのヤダルだけは必ず殺す。それだけは守る」
「まったく、アホ主人は本当にアホ主人ですね」
「黙れ……俺もようやく自覚したよ」
「ドゥラスもそうでした。さらわれた自分の妻を取り戻すため、単身で勇者の罠に挑み、そして討ち取られました。でも、あの敗北は私の責任なのです。私だけは、あの時アホ主人を救うことができた。だから、もう後悔しない、恐れない」
「何を言っているんだ?」
カミラは顔に笑顔を浮かべて言った。
「アホ主人、アホ主人がやるといったことは絶対なんですよね?」
「ああそうだ。俺が殺すといったら必ず殺す。それだけは追い込まれても変わらない」
「だったらもうひとつ付け足してください」
「なんだ?」
「私が、このカミラがカミラでなくなったら、必ず殺してくれると」
ドクンと俺の心臓が脈を打った。
「どういうことだ?」
「私はご主人様によって吸血鬼にされました。その時の主従のつながりは一度魔人王ドゥラスによって断ち切られ、今の私はご主人様に対してつながりを持っていません」
「そうだな、つながりがあるなら今こうしてここにはいられないだろう。吸血鬼は主人の命令には逆らえない」
「……そのつながりを取り戻します」
「は?」
「そしてアホ主人、あなたは私が私でいられるうちに、精神魔法をかけて私のつながりからご主人様の居場所を探るのです」
「だが、それでは」
「一ヶ月はこらえます。三ヶ月くらいはこらえたいと思いますが、確実に持つのは一ヶ月と数日です。その間は、私はアホ主人のカミラでいられます。その間に決着をつけてください。そしてもしそれが無理なら……私を殺してください」
カミラの顔が憎悪で歪んだ。
「二度とご主人様にこの身を好きにさせたくない。ご主人様を憎むこの心で、ご主人様への愛を囁くなど耐えられない。現世に地獄があるとするならば、あの日々こそが私の地獄です。どうか、それだけは約束してください。その約束があれば、私はご主人様と戦えます」
カミラの表情に、普段の飄々としたものは感じられなかった。どこまでも真剣で、ほんの僅かな冗談すら、そこには含まれていなかった。
「……俺に、カミラを殺せというのか」
「はい、どうかお願いします」
俺は……。
「約束するよカミラ。そうなったら俺が必ずお前を殺す」
「アホ主人……」
「そして、そうなるまえにヤダルを殺す。必ず……必ず殺す」
「はい、信じています」
カミラの信じていますという言葉がどちらの約束に対してなのか、俺には分からなかったが……カミラもイザベラも必ず救う。俺はそう心に誓っていた。




