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俺の指から垂れ下がった振り子が重力を無視して霧の向こうを指し示している。指示の魔法は、魔法の発動時に視認していた存在がどこにいるのか指し示す魔法だ。
「座礁に気をつけろ」
いつのまにかこの船の航海士的な立ち位置にバンカニルは居座っていた。頼りにならない河の地図を手にしながら、適時指示を出していた。
「初めてくる河なのに、よく危険なポイントが分かるな」
「初めて来るっつっても河は河だ。見れば大体分かる」
そういうものなのか。ディーヴァエリザベス号と九隻の帆船は、魔女の吐き出した霧の中を座礁することなく進んでいった。
蜥蜴人の集落は、周囲を山に囲まれた土地にある。その土地は、巨人の荒野と同じく水はけの悪い湿地だが、その土は鉄を多く含み、また周囲の山は豊富な材木を蜥蜴人に与えた。
食料の生産には向かないが、略奪者である蜥蜴人にとって、この土地は都合の良い場所だった。
ただそれは、無敵の水軍を持っているというのが前提だが……。
霧の晴れた向こう側には、港に浮かぶ蜥蜴人のガレー船が見える。集落から激しくなる鐘の音が聞こえ、入港しようとしたばかりのガレー船たちが慌てて錨を引き上げるところが見えた。
「今のうちに陣形を正せ、配置につき次第撃ちまくれ」
地上制圧用の大砲は甲板の榴弾臼砲二門。ここからは榴弾、つまり火薬の入った爆弾を発射できる。
まぁ爆弾と言っても火薬の入った砲弾に導火線の付いたものを飛ばしているだけだ。構造は花火に近い。命中した時に爆発する感圧式砲弾の作成には、まだ足りない技術が多くある。感圧機構は攻城魔術師のサポート外のようだし。
「さて、お望み通り叩き潰しに来てやったぜ」
慌てふためく河賊たちを睨みつけ、俺はそう呟いた。
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「な、なぜだ、霧をばらまきながらここまで来たのに!」
副船長の蜥蜴人が叫んだ。
「アナトリアの領主は魔法使いでもある、指示か真実の目の魔法を使ったのだろう」
参謀のダークエルフはそう言って、アナトリアの布陣を確認した。
「側舷から大砲を撃つとは、面白い」
「くそっ、そんな戦術認めねえ。水上戦ってのは船をぶつけてお互い斬り合うもんだ」
ロンジョウのうめきを無視しつつ、ダークエルフは指示を出す。
「ガレー船をすべて失っては、この集落はすぐに干上がってしまうぞ。錨を上げてすぐに出発しろ、散開して一隻でも多く生き残るんだ」
食料の供給を略奪と略奪品の交易によって成り立たせている河賊の集落にとって、船を失うことはライフラインの停止に等しかった。
「それはそうだが、逃げてばかりじゃ遅かれ早かれ全滅するぞ……」
「そうだな、交易船から奪った大砲はどれくらい残っている?」
「二十門ってところだ、大砲は重すぎてあんまり盗らなかったからな」
「心もとないが、それを港から撃って牽制しろ」
「運びやすいようバラしてあるから組み立てには時間がかかるぞ」
「その時間は私が稼ごう」
ダークエルフはそう言って獰猛な笑みを浮かべた。蜥蜴王ロンジョウは、このアンダーランドからやってきた黒い男に言い知れぬ恐怖を感じたのだった。
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港から脱出しようとしているガレー船を、容赦なくアナトリアの砲弾が襲った。一隻、また一隻と航行不能に陥り、それらの船が障害物となって、他の船の脱出を妨げている。
「絶え間なく撃ち続けろ!」
俺がそう叫ぶまでもなく、大砲は火を吹き続けた。
勝利は目前かに見えたが……。
「風が変わった?」
背中から吹いていた風がピタリと止んだ。何か違和感を感じる。
指にはめていたミスリルの指輪が白く曇った。ミスリルは魔法に反応し、その表面を曇らせる性質があった。
「風向操作? いやこの規模の風を操作することはできないし、距離が離れすぎている……となると」
天候操作。俺にもまだ扱えない最上級の大規模魔法。
「こんな強力な魔法を使える相手がいるのか?」
想定の範囲外だ。風が止まれば、帆船は動けない。向かい風なら遅くとも、船は進むことができるが、無風こそ帆船が最も恐れる状態だった。
「だが、大砲は止まっていても狙えるぞ……」
オールを使って方向転換しつつ大砲は撃てる、ここで風が止まっても勝てるはずだ。
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「残念ながら、人間と我らとでは格が違うのだ。思い知るがいい若き英雄よ」
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ガレー船は少しずつだが、確実に撃沈している。港内で修理中の船や、老朽化して予備船になっている船も容赦なく破壊した。アナトリアの勝利は揺るがない。
「報告! 敵港内に大砲が並べられています!」
「榴弾を浴びせろ! 素人砲術など恐れるに足りん!」
無風にしたのはこのためか? だとしたら折角の大魔法をとんだ無駄遣いしたものだ。砲撃戦でアナトリアに勝てる勢力など、まだこの世界には存在しない。
「報告! 蜥蜴人が川に飛び込んでいます! お、泳いでこちらに向かってきます!」
「は?」
「に、西からヒドラが三頭! 頭の数は五首! ひ、東に巨大ワニ出現! こちらは魔法で呼び出された恐竜のようです!」
「船が無くても戦えるのか……やってくれる、このための無風か!」
蜥蜴人、ヒドラ、サルコスクス、これらのクリーチャーはどれも水を泳ぐ能力を持つ。それでも船の機動力に対抗できるほどではない。
船で逃げることを阻止するための無風。そのための大魔法だったのだ。
「オールで無理やり動かすか? そうすると砲手が足りなくなるか。解呪で天候操作を無効化する? 天候操作を使えるほどの魔法使いだ、俺の力じゃ解呪することは難しい」
港内から泳いで敵の船に乗り移るなんて戦術、人間同士の戦いでは成立しない。
人間という種族は持たざる種族として他の種族からは見られていた。事実、人間という種族は特殊能力を持たない脆弱な種族だ。
種族としての理不尽な格差が俺とアナトリアの勝利へと立ちふさがっていた。




