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はぁ、私は心のなかでため息を吐きました。
目の前の殿方は、そんな私の様子を見て首を傾げています。ええそうでしょう、あなたに女性の心を理解しろというのが無理な相談ですわね。
実は今日だって服を選ぶのに時間をかけてきたというのに。この右手につけているエメラルドのついたブレスレットはお母様から貰ったとっておきのアクセサリーですのよ? 気がついていらっしゃいます?
彼の名はダンフォース・マク・オブ・アナトリア。またはダンフォース・マク・モーン。いずれはモーン伯爵を継承なさいますので、モーン姓の方が高位ではあるのですが、この街ではもっぱらアナトリア閣下と呼ばれることが多いのです。
アナトリア閣下、すなわちアナトリアの領主であるということ。
「これ美味しいですね!」
彼……私はモーンさんと呼んでいます。モーンさんは目を輝かせて、お米を使った料理であるパエリアを美味しそうに食べています。政務のときの大人びた雰囲気や、戦いを前にしたときの頼りになる姿とは違い、この領主がまるで歳相応の幼さの残る青年に見えてしまいます。
「まさか米があるとは思わなかった」
「レオンではよく使われる野菜の一つですわ」
「するとこの店もレオンから来た人が?」
「ええ、リョブレガートの出身ですわ」
「リョブレガートというと四年前に竜に襲われた」
モーンさんは手を止めてそう言いました。
「はい、痛ましい惨事でした。このお店の主人もそれで家が焼け、この街に住む親戚を頼ってやってきたのですわ」
この世界で、人間という種は決して強い勢力を保っているわけではありません。アナトリアは北の荒野の巨人たちに常に脅かされてきましたし、西のアンダーランドから現れる奴隷狩りのダークエルフに、長年領民が襲われ続けてきました。
広大な土地を持つレオン大公領も同じです。領内は広大ですが、その中には人が足を踏み入れられない魔獣の住処がいくつもあり、カステーニャ湾では海トロル達によって、毎年多くの船が沈められます。
そして何より西の大島、ドラゴンキングダムから時折、ふらりと竜がやってきて、領内を荒らしまわるのです。
「ドラゴンキングダムか」
モーンさんはそう言うと、なにか考えこむような素振りを見せていました。いえ、何か遠い昔のことを思い出そうとしているように見えます。そういう時のモーンさんは、とても大人びているのですが、同時に何故か、儚く揺れる浮き草のように見えます。
そして、なぜだか私はそうしているとモーンさんがどこか遠くに行ってしまうように思えて、寂しくなってしまうのでした。
「レオンさん?」
モーンさんが驚いたような顔をしています。どうなさったのでしょうか?
「あ」
気が付くと、私はモーンさんの左手に自分の右手を重ねていました。なんということでしょう。どうしましょう。どうしましょう。
「ど、ドラゴンキングダムからやってくる竜をこの大陸から追い出すこと、それが私の夢なんです」
ああ、私は急に何を言っているのでしょう。テンパッてしまってつい頭にあったことをそのまま口に出してしまいました。
レオン大公領は本来ドラゴンキングダムから人の帝国を守る役目を背負っていました。帝国が崩壊し、レオン大公領も四分の一は、すでにドラゴンキングダムの下層民である竜人によって奪われています。領内の貴族の子息たちがこぞって東のアナトリアやバルザックへと留学させるのは、大公領がいつドラゴンに襲われるか分からないからなのですわ。
今の人の勢力じゃドラゴンキングダムと戦うなんてできません。せめて今ある土地を奪われないことが、私達人間にできる最大の戦略目標なのです。
「そうですね、いつまでも大蜥蜴にでかい顔されるのも癪です。そのうち大陸から叩きだして、その上ドラゴンキングダムも取り返してやりましょう。あれはもともと、ノーマンを助けた竜に、ノーマンが預けた島。そろそろ人が取り返してもいいはずです」
この人、モーンさんは平気でそう言います。私の夢を笑わずに、むしろ乗り気になって肯定してくださいます。
「まずは近隣諸侯をまとめる必要がありますね、まあ十年計画になるでしょう」
「ええ、私の生涯をかけて達成しますわ」
「さすが俺の永遠のライバル。いつか取り戻してやりましょう」
夢物語ではなく、遠くとも確かな目標としてこの方は語ります。その表情には、はっきりとした存在感があり、私はその自身に満ちた顔を見るのがとても好きなのです。
とても好き? きゃあ恥ずかしい。なんてことを私は考えているのでしょう。私は内心の焦りをごまかすために、いつものように扇を取り出し、おほほと笑うのでした。
モーンさんと最初に出会ったのは、巨人との戦争のときでした。マーグマニルの町で住民の避難を無傷で成功させた戦功により、アナトリアの参謀としてこの戦いの指揮を執ることになったモーンさんは司令室で指揮を執っていました。指揮官とは前線にでて直接指揮を執るというのが一般的だと教わったのですが、モーンさんは前線にでることなく、与えられた情報だけで、指揮を執られていました。
私はレオン大公の娘であり、レオン女伯爵だということで、前線は免除され、司令室のある屋敷でじっとしていることになりました。
屋敷の外から聞こえる怒号と悲鳴、大砲の音に巨人の投げる大岩が城壁を破壊する音。初めて身近で起こった戦争に、私は恐怖していました。
「レオンさま……」
友人のエミリアさんが不安そうに私の名前を呼びました。
「堂々としましょうエミリアさん。貴族の心が揺れれば人心も揺れますわ」
「は、はい、申し訳ありません」
エミリアさんは私の言葉に顔を引き締めましたが、今の言葉は他ならぬ、私自身に言い聞かせたものでした。内心はどうにかして逃げ出したい、死にたくないと思っていたのです。
そして、そう考える弱い心を私は恥じていました。
その後、屋敷に暗殺者が侵入し、私達がいた部屋もすぐに制圧されてしまいました。恐ろしい手練で、この部屋を守っていた戦士はすぐに倒されました。彼らの狙いは私達ではなかったようで、私達をロープで縛ると、その銀髪の暗殺者は、そのままどこかへ立ち去ってしまいました。
彼らの狙いはモーンさんだったのです。モーンさんはあの恐ろしい暗殺者と戦い、傷だらけになって、なんとか撃退したそうです。ひどい怪我を負っていたそうですが、構わずそのまま戦いが終わるまで指揮を執り続けました。
モーンさんが領主となったのも、そうした不屈の精神と冷静な判断力を、前領主のアナトリア子爵が惚れ込んだのでしょう。私も初めはなんてすごい人なんだと思っていました。
彼が私が学ぶ貴族学校に転入してくると聞いた時にはとても驚きました。彼を規範として学べば、私も彼のような強い貴族になれるかもしれない。そう考えましたの。
でも、机を並べて話していたり、彼の様子を間近て見ることができるようになって、その印象は変わってしまいましたわ。
「それじゃあ、また」
授業が終わると、慌ただしく教室を出て行くモーンさん。なんでも建設中の工房の様子を見に行くとのことでした。彼はいつも忙しそう。
モーンさんはとても器用で優秀です。ですが完璧な人間なんかじゃない、多くの欠点や不器用なところもある、私達と同じ人間でした。それなのに、皆さん彼を英雄のように扱い、彼に大きな負担を強いているのです。
彼は疲れ、弱り、それでも必死に働き続けました。
だから、私は、このイザベラ・ドーラ・レオンだけは、彼と対等のライバルになろう、彼の背中を追うのではなく、彼と並び、そして先に進めるようになろう。そう決心したのです。
いつか、彼と共に並び立ち、彼に意見できるように。そしていつか彼の前に立ち、彼に貴族の道を示せるように。
勉強会から一週間と三日後のことでした。
「レオンさん」
今日はモーンさんを手伝い、商人に対する税率の調整を行っていました。外はもう夕暮れ時、今日はこれで終わろうかという時に、モーンさんが改まった様子で私の名前を呼びました。
「なんですかモーンさん」
「あー……その」
いつもは冷静なモーンさんが、なにか眉をハの字に曲げ、口の中でモゴモゴと言葉を探しています。珍しい表情です。
「どうしましたの? モーンさんらしくありませんわね」
でも彼はたまにこういう表情をします。優秀な英雄としてのモーンさんとは別に、歳相応のモーンさんも彼の中にはいるのです。
「……明日誕生日ですよね?」
「ええ、モーンさんもいらっしゃるのでしょう?」
「もちろん。ですけど、パーティーは公的な立場として参加することになるので」
「寂しいですが仕方ありませんわ」
何を言っているんだろう。私は顔が赤くなるのを感じました。モーンさんに気が付かれてなければいいけれど。
「レオンさん」
彼は意を決したように、机の引き出しを開け、箱を取り出しました。
「レオンさん、君がこの街にいてくれて本当に良かったと思っています。感謝している、心から」
「これはプレゼントですの?」
「はい、一日早いけれど誕生日プレゼントです。アナトリア子爵ではなく、ダンフォースとしての私からのプレゼントです」
「開けてみても?」
「ええ、開けてみてください」
私は箱を受け取り、そっと蓋を開きました。
「まぁ……」
そこにあったのはエメラルドをあしらったミスリル銀のネックレスでした。真なる銀と呼ばれるミスリルは窓から差し込む夕日を浴びて、キラキラと輝いています。
「前にエメラルドの付いたブレスレットをしてたのが、すごく似合っていたので、あのブレスレットと合わせて使えるようなデザインにしてみました。どうでしょう?」
まったく、気がついていたのならその場で伝えて欲しいものですわ。
「ええとてもステキですわ。大切にします」
「良かった」
「ところで……デザインにしてみた?」
「ええ最初は買おうかなとも思ったのですが、良いと思うものがなく、大砲工房を借りて自作しました」
まぁ、相変わらず凝り性というか、自分で何でもやらないと気が済まないというか。
「ふ、ふふ……まったく、モーンさんは本当にモーンさんですわね」
「え、ええっと?」
「さ、つけてくださいまし」
私はネックレスをモーンさんに差し出します。モーンさんは軽く頷くと、私に歩み寄り、ネックレスを首につけてくださいました。つけるとき、モーンさんの吐息が首にかすかにかかります。
「似合ってますよ」
一歩下がったモーンさんは嬉しそうに頷いています。
「ありがとう、一生大切にしますわ」
私が笑うと、モーンさんも一緒に笑いました。




