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先の戦争で手に入れたのは、大量の巨人の死体。人ではないとはいえ、その肉を食用にしたいと思うやつは、このファンタジー世界にもいない。
だが放って置いては疫病のもとだ。早急に処理する必要があった。あったのだが、冬越のために食料を集めていた戦後直後に、巨人の死体を処分するだけのために人員と資金を使用する余裕はなかった。
そのためアナトリアはこの巨人の死体を処理し、同時に食料と交換するための交易品を生産する必要があった。
町の郊外からさらに少し離れたところに作られた塀に囲まれた煙を上げる区画。隣接するのは食肉解体と燻製肉の生産を行う工房だ。そのためここでは強い獣臭が漂っていて、肉食の怪物たちが襲ってくることがあり、塀の回りには大砲や弩砲が設置してある。
ここで働いているのは、戦災孤児や未亡人、戦傷した男たちで、工房長である錬金術師の元、巨人の死体や獣の死体を使った製品を生産している。
巨人の血は魔法薬の材料になり、抽出して各学校への戦争協力に対する補償にあてた。血の気の無くなった肉と骨は土に混ぜ、肥料へと変える。内臓は穴に埋め硝石を生成する。内臓は分解が早く、通常なら数年かかる硝石の生成を一年と少しに短縮できるはずだ。
そして残った脂肪を使ったものが、この工房の目玉製品。
「ご苦労様」
俺が足を踏み入れると、働いていた妙齢の女性が笑顔で俺を迎えた。
「閣下、お忙しいのでは?」
「皆さんほどじゃないさ」
時折大声を上げて叱咤する声も聞こえる。この工房で作られている製品が現在、一番利益を上げているのだ。
最初は巨人の脂肪を使っていたが、それらも使いきり、今は動物を隣の肉工房で破棄される脂肪や、植物油、そして街からでる廃油を原料にしている。
ぐつぐつの煮えたぎる釜から強い臭気が漂っている。ある程度慣れている俺はともかく、この環境で無表情を貫いているレオンも大したものだ。口数は少なく、我慢しているのは分かる。ただそれでも表情に出すまいとこらえている姿を見た工房で働く人間たちも感心していた。
「ひどい臭いでしょう?」
案内している女性が言った。
「無理をしなくていいですよ。私だって、最初にここに来た時は気分が悪くなったものですから」
「おーほっほっほっ、貴族たるもの、民がよく働いているところで顔をしかめることなどできませんわ」
レオンはいつもと……この臭気の中ですら、いつもと全く変わらない上品な笑みを浮かべて応じた。
「それにしても、私は他所の人間ですのに、この工房を見せてよかったのですの?」
「レオンさんが来たいっていったんじゃないですか」
「そりゃ、いずれは自領を治める時に、ぜひ参考にしたい技術ですもの」
「感謝の気持ちってやつですよ。あとレオン大公へ、イザベラお嬢様をお借りすることへの義理立てもありますね。大砲工房の方は見せられないですが」
「では遠慮無く方法を学んで帰りますわね」
大釜に蓋をして、油脂と水を混ぜて煮ることで、油脂は脂肪酸とグリセリンに分解される。生成された脂肪酸を蒸留して濃縮し、それに灰から生成した水酸化ナトリウムを混ぜる。そして中和が完了したものに、柑橘類や花から絞ったエキスで香りをつけて、乾燥させれば完成。
生地からカットされた、その四角い塊は……石鹸だ。
「よくこんな方法ご存知でしたね」
「まあね」
実は知っているのには攻城魔術師としての理由があるのだが、それはまだレオンには言えない、多分ずっと言えない。この知識は、アナトリアのトップシークレットだ。
「これほど大量の石鹸を一度に作れるなんて」
レオンは並べられた石鹸を驚きの表情で見つめている。
石鹸は重要な産物だ。戦争後の衛生環境の悪化を防ぐためにも、そして冬の食料と交易するためにもこの石鹸工房はどうしても必要だった。石鹸を領内にばらまき、疫病を防ぐこと。まだ細菌に関する知識の無い領民には、煩わしいシラミの対策になるとも教えて使わせた。その甲斐もあり、戦後の冬を疫病の発生もなく、なんとか乗り切ることができた。
ここでも攻城魔術師の鋳造スキルが役に立っている。突貫で製作した大釜は、まだどこも破損せずに石鹸を生産していた。
「それじゃあ、皆さん、無理をしない程度に頑張ってください」
「はーい!」
俺が帰る前にそう声をかけると、工房中から声が上がった。
「すごい人気ですわね」
帰り道、レオンは手におみやげの石鹸の入った袋を持って歩いている。帰ったら使って臭いを落とさないといけないしね。
「あの臭いは強烈でした。いくら他に職のない状況の方々とはいえ、不満がでると思っていたのですが」
「そりゃ不満はあるだろうね」
「ですが、モーンさんに文句を言う方は一人もいませんでしたわ」
「人気を狙ったわけじゃないんだけどね。まあ副産物だよ」
「何をしたんですの?」
「社会的弱者を集めてさ、特別な仕事をやらせるとさ、どうしても差別的な視線が生まれる可能性があるでしょ?」
「確かにありますわね。地域によっては屠殺屋を嫌っているところもありますわ」
「俺が発案して彼女たちにあの仕事を用意したわけで。そうなるのはどうしても嫌だったんだ」
そう嫌だった。損得じゃない。ただ嫌だった。
「だから工房が稼働してから最初の頃は出来る限り、俺も職人の一人として参加してたんだ。幸い、俺は人気の英雄だ。俺が働いていればそこで働いている人を悪く言うやつなんていなくなる」
「まぁ……」
「いやあ大変だったよ。会談のときに身体についた臭いをごまかすのに、わざわざ同種族変身の魔法で、自分自身に変身して体臭をごまかしていたんだ。あの頃は正式には戴冠式を済ませていなかったから、会談関係の大半を前領主のウルトさんに投げられていたのが幸いだったね」
同種族変身の魔法は、術者と同じ種族の者に変身する魔法だ。体臭も変身先と同じものになるのだ。
俺は、鏡の前で自分自身にちゃんと変身できたかどうか何度もチェックしていた頃を思い出して、笑った。
そんな俺を見つめながら、神妙な顔をしてレオンはただ一言。
「それこそが貴族の役割ですわ」
とだけ呟いた。
貴族のクラス能力は、いるだけで領内の生産能力にボーナスを与えること。
レオンは俺と違って、この能力の意味をしっかりと理解し、貴族が特別である理由と自分が貴族のクラスを取っていることに誇りを持っていた。
学術都市アナトリア。魔導を極めた三賢者が建てたクリスタルタワーを中心に、三賢者を慕う魔法使いたちによって作られた街。今ではほとんどすべてのクラスをカバーする教育設備と、世界中で起こる変事と調査を行っている博物館で有名だ。
尤も、俺はこの三賢者が実はろくでもないやつらであることを知っている。この街は人間を辞めて怪物になった三賢者の餌場なのだ。クリスタルタワーで研究をするような強力な魔法使いに乗り移り邪悪な実験と魔力の収集を行っており、この街で定期的に起こる悲惨な事故や魔法使いの乱心は三賢者の仕業。そういう街だ。
これがBOACレベル40程度向けのクエスト「黒い水晶片」の真相だ。
先の戦争ではこの三賢者からも、半ば恐喝的に力を借り、彼らの所有するゴーレムをいくつか借りた。大半が戦中に壊れてしまったため、かなり文句を言われてしまったが、ゴーレムなんて高級品を補償することなんてできるはずもなく、すべて先送りにしていた。
シシドが、この街の影の支配者である三賢者を連れて、夜中にこっそりと俺の部屋を訪ねてきたのは、その日の夜の事だった。




