3-6
ユルシェルが「それ」に気がついたのは六歳の時だった。その時、ユルシェルがかわいがっていた飼い犬が狂い病にかかり、それを彼女の父親が殺した。狂い病にかかってなお、愛犬は父親とユルシェルにしっぽを振り、病で曖昧になった脳から必死に二人への親愛を探し出し、父親の剣が突き立てられるまで、その最期の瞬間まで、自分が愛する主人から殺されるなんて夢にも思っていないことを全身に表わしていた。
幼いユルシェルはその光景に目を奪われた。最大の愛を裏切るその瞬間の後、理解できない殺意に対する絶望。わずか六歳、幼いユルシェルはその血と腸と糞尿の匂い立つ悲劇の場所から、しばらく動くことができなかった。父親はユルシェルが悲しんでいると思っていたが、俯いたその表情は、生まれて初めて感じる愉悦の感情で歪んでいたのだった。
それからユルシェルは父親に咎められるまで、両手両足では数えきれない動物を殺害したのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
右手に握った剣を、相手の肩口に向けて叩きつける。相手の防術士は反発の魔法を使っていたようだが、何百回と鍛錬を続けてきた私の片手打ちは魔力の力場のムラに滑りこむように刀身をくぐらせ、防術士の肩を砕いた。
「甘い!」
私の攻撃した隙を当てにして無造作に飛びかかってきた後ろの男に、振り向きざまに剣の柄で鼻のあたりを殴りつける。
「ぎゃああ!」
倒れようとしたところにとどめの追撃を剣で加え昏倒させた。死にはしていないがもはや自力では立ち上がれないだろう。
飛んできた魔法を左手でかき消し、私は残った三人へと走りだす。
二人は普通の魔法使い、一人は魔法使いと蛮人の混成か。手には大きな斧を持っている。
「おぉぉぉぉ!」
蛮人が咆哮を上げる。魔法による強化と蛮人の怒りによる強化、そして。
「やっぱり巨人の相ね」
見る見るうちに蛮人の身体が大きくなり、三メートルを超える巨人へと変化した。変身術は術者にしか効果のない魔法だ、この男は蛮人であることを活かすために魔法を学んでいるのだ。
巨人の相の魔法は身につけた装備も同じようにサイズアップする、いまや私よりも大きくになった斧を両手で振り上げ、蛮人は大地を踏み砕きながら巨象をも両断せんとばかりに振り下ろした。あんなもの受けたら剣ごとへし折られる、私は横に飛び退いて一撃をかわす。
あの蛮人にあって私にないもの、それは間合い。今の蛮人の間合いは普通の人間が槍を使った時よりなお広い。これまで優勢に戦ってこれたのも、魔法使い用の剣は短く、私に届く前に私の剣を相手に当てることができたからだ。その上魔法と怒りで強化された筋力は、今や本物の巨人に匹敵する。
だが、マルチクラスは相応の代償がある。魔法使いを訓練した分、蛮人としては同格の相手より劣っているのだ。
「だからここは真正面から挑む!」
私は相手の懐へと飛び込んだ。まさか自ら飛び込んでくるとは思わなかったのか、蛮人は一瞬戸惑ったが、私の剣の間合いになる前にびゅうと横薙ぎに斧を振った。
「なに!?」
蛮人は驚愕を顔に浮かべて唖然とした。ガキィィンという甲高い金属音が響き、巨人の斧は私の剣によって止まっていた。
受け流してなおビリビリと、右手の感覚が鈍くなるほどの衝撃が走った。それでも、救世騎士の技と魔法によって強化された剣は、暴力の一撃を受け流したのだ。間合いに踏み込めば勝負はこちらが優勢だ、蛮人は攻めが得意な代わりに守りに薄い。自然の中で培った素朴な技は、予測不能の攻めをするが、騎士の技のような守りの妙は無い。相手の一撃を受ける間に私の剣は三度、蛮人の脛を打った。
痛みで蛮人が咆哮を上げた。脛への対策に蛮人は斧を下に構えて守ろうとする。そうよ、それを待っていたのよ。
私は剣を跳ね上げ、蛮人の喉元を激しくついた。強靭な肉体も喉は脆く、ついに蛮人は膝をついた。そこにもう一撃、これで蛮人も倒れ、意識を失ったことで魔法も消え失せ元の姿へと戻った。
あと二人!
私は魔法を唱えようとしていた一人へと飛びかかろうとした。
「なっ!?」
つるりと私は足を滑らした。足元を見ると地面が無色透明の液体で覆われている。
「つるり油か!?」
つるり油の魔法は「正義の恩寵」を以てしても無効化できない。魔法は油を作り出すものであり、創りだされた油は物理的性質を持つのだ。
「かかったな! 死ね、火弾!」
油の撒かれた地面に倒れている私へ炎の弾が飛んでくる。左をかざして炎をかき消そうとするが。
「きゃああ!」
私は炎に包まれた。正義の恩寵はファイヤーボールへの抵抗を成功させたが、ファイヤーボールによって引き起こされた熱でつるり油が発火したのだ。この炎は自然の炎、正義の恩寵でも無効化することはできない。
熱い! 私はゴロゴロと地面を転がりながら火を消そうともがく、幸いすぐに火は消えた。だが、私が見せた隙は大きかった。
剣を突き刺そうとすでに魔法使い二人は私のすぐ側まで迫っていた。対して私は倒れたまま、起き上がる暇もない。
とっさに私は蛮人の残した斧を手に取り投げつけた。
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げて胸から斧を生やした一人が倒れる。
「取ったぜ!」
だがもう一人からの攻撃は対応できなかった。私は胸に激しい痛みを感じて呻いた。剣が突き立てられている。
「この状況じゃ救世騎士さまも形無しだな」
激痛とともに剣が引き抜かれた。涙で目が曇りそうになるが、それを堪える。振り下ろされた追撃の剣を、私は左手を刀身に添えた守りの構えで迎え撃った。突き出された剣を押し出すように受け流す、魔法使いの剣は私の脇をかすめて外れた。
「ちっ!」
不愉快そうに魔法使いはさらに攻撃を加えようとするが、三度も受けるほど私はトロくはない。
「練習用の剣で良かった」
私は左手で刀身を掴み、柄を持った右手を離す。剣を逆に持った形だ。これを相手の足の裏へと振る。そして、T字状になった鍔の部分で足を引っ掛け、引きずり倒した。
「なっ!?」
倒れた相手を掴み、本来なら左手の剣を相手の顔に突き立てるところだが、練習用の剣では何度も刃の無い刀身を叩きつけ、戦意を喪失させるしかなかった。
まずは六人。私はやっと立ち上がる。ユルシェルはニタニタと歪んだ笑みを浮かべていた、取り巻きの二人も動く気配はない。
伏兵がいることは分かっている。相手は分かるだけでも五人。私は警戒しながらユルシェルへと一歩踏み出す。二歩、三歩……。
カシュっという音が鳴り、四方からクロスボウの矢が飛んできた。すばやく身を翻し、矢を回避する。飛んできたのは四発、あと一発あるはずだ。
私が振り返ったところで、背後からカシュと音がなった。狙い通り、私は背後も見ないまま、飛んできた殺気をたよりに反転し、剣でボルトを撃ち落とした。
「なっ!」
驚きの声があがる、私が引き出したかったのはこの一瞬の隙だ。
私は声の上がった方へ駈け出した。材木の影に二人、クロスボウを装填しようとしているようだが私の剣がずっと速い。私は剣を振り回し、クロスボウでは受けることすらままならない二人を叩きのめした。
残りの三人も隠れ場所は分かっている。これで。
バン!
乾いた音がした。私は一瞬何が起きたか分からず立ちすくんだ。
「が……は……」
私の脇腹から血が溢れ出す。視線の先にはうっすらと煙を吐いている細長いモノを構えた魔法使いがいた。六人目がいたのだ。
「ライフルドマスケット銃……魔銃士……」
魔銃士はその名の通り銃を使う魔法使いだ。魔法戦士系ではなく純粋な魔法使いからの派生クラスで、銃を通して魔法を使ったり、魔法を消費して銃の能力を上げることができる。私も銃を使う相手と戦うのは初めてだ。だけど、銃の弱点は聞いている。
「う、く……」
私は治療の魔法もかけずに足を踏み出した、銃はリロードに非常に時間が掛かると聞いている。火薬と弾を込め、突き固め、そして構えて撃たなければならないはずだ。それにあれはライフル。銃腔に溝を掘ることで、その溝にそって弾丸が回転し、威力と命中率を高める銃。だけど、銃腔と弾丸のサイズが同じなので、押し込まないと弾丸が入らず、ただでさえ遅い銃のリロードをさらに遅くしている。歩いたって間に合うはずだ。だけど。
「なぜ!?」
あいつは弾を込めること無く再び引き金を引き、そして銃は発射された。私は反射的に地面に身を投げ出し銃弾をかわす。ついさっき、苦労して立ち上がったのに、また伏せた状態に戻ってしまった。
「見えざる装填者だ」
ぼそりと魔銃士は言った。知らない魔法だが、名前と状況から察するに自動装填の魔法か……あいつは銃の弱点を魔法で完全に補っていた。三射目もあるのだろう、弾を込めようとする動きはない。
すぐに残り三人の魔法使い姿を見せた。伏せたままでは三人は対処できない、だが立ち上がれば銃で撃たれる。
この戦いでできた傷がずきりと痛んだ。冷静になろうとすると思い出したように傷が、特に刺された傷と撃たれた傷が痛みと熱を帯びて私を苛んだ。
「へへ、可愛がってやるぜ救世騎士さま」
じりじりと敵が近づいてくる、私は這いながら材木の後ろへと後退した。
「救世騎士さまも惨めなもんだ、地面に這いつくばって逃げてやがる」
否。断じて否。これが救世騎士の戦いなのだ。矢弾飛び交い、死のあふれる戦場で、傷つき倒れたものを癒し、その身を挺して庇う。自身の傷よりも倒れた仲間を優先し、傷つくことを恐れない。救世騎士に必要なのは、その豊富な回復能力を、誰のために使うのが正しいのか見誤らないこと。自分の痛みに目を曇らせないこと。そして傷つくことを恐れないこと。今だ!
「尊厳の一喝!」
私は信仰の系統魔法を発動する。聖騎士の魔法の一つである尊厳の一喝は、朗々の響く破壊の音波を生み出す。
「ぐっ!」
魔法使いたちは耳を押さえて顔をしかめるが、聖騎士の使える攻撃魔法など、魔法使いのそれに比べたら貧弱なものだ。彼らは意味のない悪あがきだと思って笑った。
バチンと音がした。魔法使いたちは驚いて音のした方を見る。そばの材木を縛っていたロープがはじけた音だった。
「な、こいつ!?」
打たれ弱い魔法使いには思いもよらなかっただろう、自分の身ごと崩れた材木に巻き込ませるとは。魔法使いたちは避ける暇もなく材木の下敷きになった。私も、同じように太く重い材木に押しつぶされる。
もうもうと土埃が舞っている中、ぐらりと崩れた材木が揺れた。
「かは……」
私は材木を押しのけ立ち上がる。敵の魔法使いは四人とも昏倒したようだ。救世騎士は魔法使いとは打たれ強さが違うのだ。それでも全身を酷くうち、私の髪は血で赤く染まっていた。
私は左手を傷口にかざす。痛みが見る見るうちに消えていき、赤黒く開かれていた傷口が元の肌色にふさがっていく。救世騎士のスキル「慈悲の手」は、手をかざすだけで傷を癒やすことができた。
ジリリと首筋が焼けるような感覚がした。
私はとっさに左手に全神経を集中する。
「まだ伏兵がいたのか!」
魔法で不可視になっていたヤツが、私を後ろから組み付き、手にしたダガーを脇に突き立てようとしたのだ。私はその手を左手で掴み、不可視の相手に身体を押し付けるように腕を引っ張り、腰で相手を浮かせ投げ飛ばす。掴んだ左手は離さずに固めたまま。
ボキッと嫌な音がした。砕けた関節の悲鳴だ。
「ぎゃあああ!」
続けて悲鳴が上がる。集中力が切れ不可視の魔法が解除された。私はそいつに馬乗りになると、剣の柄で気絶するまで顔面を殴打した。
危なかった、慈悲の手ではなく集中力が必要な魔法の方を使っていたら気がつけなかっただろう。だが勝った。
「これであとはあんたと取り巻きの二人ね」
私は剣を突きつけ立ち上がった。相手はもちろん。
「すごいすごい」
邪悪な笑みを浮かべて拍手をしているユルシェルにだ。
「十三人斬りね、うふふ」
味方がこれだけやられたというのに彼女は楽しそうに笑っている。なぜだ、なぜそんな顔ができる。
「十四人目は手強いわよ」
取り巻きの一人、青白い顔をし、眉毛の薄い陰気な男が進み出た。手にはダガーを持っている。
「魔法使いこそ最強、聖騎士なんぞに大きな顔をされては魔法使いの沽券に関わる。私がそれを証明する」
ぶつぶつと男はつぶやく。
「あなた、ユルシェルの取り巻きじゃないわね?」
物腰が違う、こいつは誰かにヘコヘコと頭を下げるようなヤツじゃない。
「私はお前を倒して魔法使いの最強を示したいだけだ。この戦いの経緯なぞ知ったことではない」
手強い。私は脇に冷たい汗が流れたのを感じた。
「すでにお前の戦いは見切った、教えてやる勝ち目はない」
男は陰気な笑みを浮かべ、構えた。私も剣を構えて走りだす。正義の恩寵があるため救世騎士は魔法使いと相性が良い。魔法使いに誇りを持っているあいつが武器に頼る魔銃士のようなタイプであるとは思えない。優位は私にあるはずだ。
「喰らうがいい」
「なに!?」
男はダガーで自分の左手首を切った。すぐに血が吹き出す。あの戦い方はこの学校の授業で聞いたことがあった。
「血術魔法使い(ブラッドウィザード)か!」
魔法力だけでなく自分の生命力たる血を消費することで、魔法に強力な付加効果を与える上級クラス。派生クラスとは違い、下位クラスでの訓練が必要な上級クラスは、それというだけで自分の実力を公言しているようなものだった。
「貫通化雷壁!」
私の目の前に輝く電撃の壁が創りだされる。両手の正義の恩寵が無効化しようと力を発揮するが……。
「きゃあああ!」
私は全身を電撃で焼かれて後方に弾け飛んだ。
「血によって付与された貫通化は魔法抵抗を無力化する」
男の陰気な顔に獰猛な笑みが浮かんだ。
「詰みだ救世騎士。お前の残された生命力ではライトニングウォールは強引に突破することはできん。かといって治癒の力を使うなら、その間に我が最強の雷牙を貫通化して打ち込む。治療によって戻った生命力ごと殺せる。お前の能力は雑魚どもとの戦いで見切った。私の勝ちだ。魔法使いこそ最強」
男は早口で、しかし饒舌にそう言った。たしかに強い。
「それはどうかしら」
「なに?」
私はライトニングウォールに向けて駈け出した。
「馬鹿め、やけになったか」
奴の見下した表情は、ライトニングウォールから私が抜け出たことで崩れた。
「な、なぜ、無効化はできないはず」
そう、無効化はしていない。私の身体は電熱で焦げ、煙をあげていた。だが倒れてはいない。
救世騎士にのみ使えるスキル「攻治一体」。悪と戦うことと味方を救うこと、どちらも切り捨てないために与えられた攻撃と治療を同時に行うことのできるスキル。私は剣を構えながら、残った「慈悲の手」の力をすべて注ぎ込みライトニングウォールに耐えられるだけの生命力を取り戻したのだ。
「くそ!」
男は魔法を唱えようとする。だがもう遅い!
「だぁッ!」
私は気合を込めて剣を振った。少ない魔法使いの生命力をさらに魔法へとつぎ込んだ血術魔法使いは、ただの一撃に耐え切れず、崩れ落ちた。
「十四人……」
私は残された魔法力をすべて治療につぎ込む。これで慈悲の手も魔法も品切れだ。
「だけど私はまだ戦える……悪には屈しない」
そう叫んだ私を見て、ユルシェルは嬉しそうに笑った。
次はあの茶色の髪をした男。まぶたが分厚く、首の太い男だ。
「さあ、ゼロファイター、あなたの出番よ」
ゼロファイターと呼ばれたその男は不敵に笑うと、一歩を踏み出した。




