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相手はユルシェルの取り巻きの男子生徒が三人。実力は下の下が二人と中の下が一人。ミラは拳を固めると、ニヤニヤと笑みを浮かべる三人に向けて抑えていた怒りを燃やした。
「手をついて謝るなら許してやるぜ」
ケンカの理由は、魔法を教えてやる代わりに授業料を寄越せということらしい。ようするにカツアゲだ。善の体現者と言われる救世騎士であっても、ふりかかる火の粉を払うことは禁じられていない。ミラは堪えてきた怒りをついに解放できることに、後ろめたい喜びすら感じていた。
私を分からせてやる!
まだ幼いミラと男子生徒たちでは体格差がある。だがそれを差し引いても救世騎士と魔法使いでは埋まらない差があった。男子生徒たちは魔法で肉体を強化していたが、それでもなお彼らは救世騎士をあまりに過小評価していたのだった。
ミラは無造作に振り下ろされた拳を左手で受け流しながら掴む。
「おおっ?」
男子生徒は拳の勢いに加えて、腕を引かれて体勢を崩した。そこにミラの拳が叩き込まれる。顔面に容赦なく。鼻の骨が折れ、カッと熱と痛みが顔の中心から広がった。
「うぎゃあああ」
鼻血を吹き出しながら男子生徒はのたうち回る。彼はもう戦えない。
「この野郎!」
二人がかり。だが素人の攻撃、連携攻撃とは言いがたいお粗末なものだ。ミラは先に飛び込んできた片方へと、真正面から飛びかかる。相手の拳を胸で受け……。
「ぎゃああ!」
相手の拳を脇に抱え、固定された相手の肘に右手を叩きつけてへし折る!
後ろから抑えこもうとした最後の生徒も、腕を折られて発した友人の絶叫を聞いて、戦意を喪失した。
河川諸国式の戦場組手術は鎧を着ていない状況であっても、貧弱な魔法使いにとっては致命的な戦力差を作り出していた。
だが、それでも、ミラはここで拳をふるうべきではなかった。
ユルシェルの一派にとって、この程度は想定の範囲だ。むしろこの展開をユルシェルは望んでいたと言ってもいい。
「あのヨークさま、生意気じゃない?」
そうだそうだと彼女の周りの生徒は同調した。魔法使いが聖騎士に一方的にやられた。それは同じく魔法使いであるこの学園の生徒にとって面白いことではないのだ。もともと愛想の悪いミラのことを積極的に味方するものもいなかったため、大義名分さえあれば、中立だったものをユルシェルに同調するように仕向けるのも難しくない。過半数がユルシェルに同調すれば、残りも消極的にだが、それでもユルシェルの味方となる。
その日を境に、イジメは本格的なものへと変わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺とミラが受ける授業は基本的に違う。俺は三年目で攻城魔法師。基礎講義は終わって、今は専門的な授業を受けているのだ。だから魔法使い共通の講義を受けているミラとの接点は少ない。
それでも全く無いかと言われるとそうでもない。
俺は精霊知識の授業を受けるべく、講堂へと向かっていた。知識の授業は選択制で、在学中に好きなように選んで授業を受けるようになっていた。そのため、一年目で選択した生徒と一緒に授業を受けることもあるのだ。
扉を開けて講堂に入ると、後ろのほうに座っていた青い髪をした女子生徒が魔法を発動しようとしていたところだった。加減した水塊か、狙いは……そいつの視線の先にはミラが一人で座っていた。
反射的に俺は対抗呪文を発動していた。同量の炎の呪文が発生しようとした水を相殺し、魔法が現象とならず離散する。女子生徒は驚いたように俺の方を見た。
「ちょっとアンタ! なに……マク・モーン!?」
文句を言おうとしたそいつの口は、俺の顔を見て動きを止めた。
「これからここで俺も授業をうけるんだが、いたずらは別のところでやってくれないか?」
「は、はい……すみません」
そいつは怯えたように謝ると、そそくさとその場を離れた。他の生徒たちも後ろめたそうに俺のことをチラチラと窺っている。
(なるほど、全員グルか)
ミラへのイジメは深刻化しているようだ……。
「何をしたの?」
声がした。振り返るとミラが俺に向かって敵意の視線を向けている。魔法使い全員が信用出来ないという様子だ。
「大したことじゃない、ただ扉を開けたら不愉快な魔法が準備されていたから対抗呪文を使っただけだよ」
「対抗呪文?」
「まだ習ってなかったか、ある種の呪文は、別の呪文と全く反対の構成をしているものがある。希望の精神魔法に対する絶望の精神魔法、蘇生の魔法に対する即死の魔法といった感じにな。特に単純に元素を使用する魔法は、まず対応する呪文が存在する。この、対応する魔法を相手の発動しつつある魔法に重ねることで、発動に必要な構成要素を無力化するのが対抗呪文だ。元素魔法は強力だが、相手が魔法使いだと無効化されることもある。尤も、対抗呪文じゃ相手を倒すことは出来ないから、戦いに勝つためには仲間が必要だけどな」
ぽかんとミラは口を開けていた。
「……今は分からなくてもいいさ、要するに魔法は相殺できるってことだ」
「つまり……助けてくれたの?」
いかん、これ以上関わるのは危険かもしれない。
「誰が狙われているかも知らなかったけどね。気まぐれだよ、気にするな」
と、言って離れた席に座るべく向かおうとしたところで、ふと視線を落とすと、ミラのものだと思われる教本が黒く焼け焦げていた。
「……ものはついでか」
「え、何を」
俺はミラの教本を手に取る。ミラは驚いて俺から教本を取り返そうとするが、俺に悪意が無いことがわかると、黙って手を引っ込めた。
「修復」
教本から焦げ目が見る見るうちに消え、破れていた部分も元通りになっていった。次に俺はポケットに入っていた金属片を取り出す。
「加工」
唱えた魔法が、教科書の周囲に薄い金属の膜をつけた。メモが書けなくなるから内側には出来ないが、これで多少は水や火にも強くなるはずだ。俺は完成品の重さを確かめ、問題ないことを確認し、ミラに返した。
「え、あ……」
ミラは何が起こっているのかわからない様子で本を受けとったが、本に加工が施されたことを見ると驚き、ばっと俺の顔を見た。
「魔法も結構面白いだろ?」
それだけ言うと俺はそそくさと離れた席に戻る。しまった、やりすぎただろうか。
それからしばらくは、俺とミラに接点はなかった。ただそれとなく、イジメカッコ悪い的なアピールはしてみたりしたが、どれほど効果があったかは定かではない。
俺の元に緑の髪をした地味な女子生徒、マリが訪ねてきたのは季節が変わろうとしていた頃だった。
俺とクロウがカードで遊んでいた時、ノックの音が部屋に響いた。
「珍しいな」
クロウが呟いた。確かに、俺の友人に部屋にはいる時にノックをするような礼儀正しいやつはいたっけな? 多分、あの扉がノックされたのは数年ぶりのはずだ。
俺は立ち上がり、扉を開けた。
「こ、こ、こんにちは、本日はお日柄もよく……」
そこに立っていたのは緊張した様子のマリだった。メガネもずれてしまっていた。
「むさ苦しい部屋で悪いね」
クロウが笑顔で告げた。俺の部屋だぞこの野郎。
「で、でも綺麗です、男の人の部屋ってもっと散らかっているイメージがあって、あ、いえ、すみません」
テーブルの向かいに座っているマリは失言に気が付き何度も謝った。クロウは気にしないで気にしないでと楽しそうだ。確かにマリはちんまいからな。
ちなみに部屋が綺麗なのは定期的にシシドが掃除に来るからだ。
「で、どうしたの?」
俺とマリに直接的な面識はなかったはずだ。マリははっとしたように顔を上げると、興奮して俺の手を両手で掴んだ。
「え? 何?」
さすがのクロウも驚いて言葉を失っている。もちろん、俺もなにがなんだか分からない。
「助けてください!」
マリはそう叫んだ。
「まぁまぁ、落ち着いて。何が起きたのかちゃんと説明して欲しい」
「す、すみません……でも大変なんです」
最初の怯えた様子はなくなり、マリは必死で俺に懇願している。
「モーンさまはミュウを助けてくれました。そのモーンさまにさらにお願いをするなんて厚かましいと非難されてもしかたないと思います。私のことならいくらでも軽蔑して構いません。でも他に頼れる人がいないんです!」
「ミュウ?」
「とぼけないで下さい! モーンさまはミュウを陰ながらいつも助けてくれたじゃないですか!」
「……あっ、なるほど、ミラ・ミュウ・ヨーク・ライラか」
小説ではミラ・ライラだったからミュウだとピンとこないのだ。河川諸国の第二名は家族のような親しい間柄のみ使われる名前だし。
「あ……」
マリは顔を青くした。俺がなぜミュウで分からなかったのか気がついたのだろう。
また謝りだしたマリを落ち着かせ、ようやく俺たちは事情を聞くことができた。
「呼び出された?」
「はい、ミュウ……ミラがいつも意地悪してくる人たちに呼び出されて」
「そんなもの無視すればいいじゃないか」
「教本を盗まれたんです」
「教本か、でもそれはまた買えばいいだろ。そりゃ悔しいとは思うが、これまでだって教本を使い物にならなくされたことはあったみたいだし」
「……盗まれたのは精霊知識の教本なんです」
「?」
俺がきょとんとしていると、クロウが俺を小突いた。
「お前が修理してやった教本だろ」
「ああ、そういえばそうだった」
忘れていた。
「ミュウにとっては大切な本なんです……その、この学校で唯一、自分を助けてくれた、正しい魔法使いとの思い出だって」
あ、あれ、ちょっとした親切のはずだったのにエライことになってるぞ。
「だから、それを盗まれて……」
「お前のせいだなダン」
クロウがあちゃーという顔をしている。
「私にできることならなんでもしますから! お願いです、ミュウを助けて下さい」
まぁ助けるのはやぶさかではないのだけど、少し気になることがあった。
「なんで君はそんなにミラを気にかけるんだい? 賢者志望ってことだけど、わざわざミラと一緒に転校する必要はないというか、僧侶から先に学ぶために僧侶学校に入学したんだろ? それを曲げてまでミラを助けようとするのには理由がある気がして」
このマリという少女、小説には出てこなかった人物だ。ただの友人の域を超えてミラに尽くすこの少女が俺には不思議だった。
「その……」
一瞬顔を赤らめた。もしかしてそういうことなのかと勘違いしそうになったが、マリが話したことは俺の下世話な予想とは違っていた。
「私、おしっこ漏らしたことがあるんです」
「え?」
「ミラと私は同じ街に住んでいて、一般教養を教える幼年学校に通っていたんです」
幼年学校とはクラスとは関係ない読み書きや作法なんかを教える学校だ。俺の場合は屋敷で執事やメイドたちから教わっているので通ってはいない。
「私たちがもっと小さい時、私は授業中に漏らしたんです。周りからひどく笑われ、からかわれました」
マリは恥ずかしさで顔を赤くしていた。だけどその表情はとても真剣だった。だから俺もクロウも笑わず、黙って話を聞いた。
「でもミュウだけは何も言わず、一人立ち上がって私が汚した床や椅子を雑巾で片付け始めたんです。まわりからミュウまでバカにされて、私は泣くばかりだったのに、ミュウはただ黙々と掃除をしてくれました。からかわれる対象は、漏らした私より、それに手を触れて掃除をしたミュウの方がひどかったくらいです。でもミュウは私に恨み事を言うこともなく、むしろ私に気を使って、仲良くするとマリまで周りからからかわれるよって」
「そんなことが」
「そのときは私も幼くて、ミュウへのからかいが自然になくなるまで何もできなかった。それどころか、私がイジメられなくてホッとしていた。そんな自分が許せなくて……だから今は何があってもミュウの力になりたいんです」
そう言うマリの強い眼には、もう最初の怯えた様子はわずかにも感じられなかった。




