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2-15

 その日……私はいつものように部屋にメイドを一人置いて座っていた。あの人はフレグ伯が石切り場に兵を出したと聞いて朝早くから飛び出していった。いつもの威嚇行為だろう。小さな小競り合いになるかもしれないが、私には関係ないことだ。

 ダンフォースは今日は遊びに行くことにしたようだ。昨日は朝から晩まで家の手伝いをしていた。召使いの仕事の何が面白いのか。気味の悪い。

 執事のアルフレッドもあの人の代わりに領内の視察に向かった。今この屋敷には私と、あとはメイドくらいしかいないということだ。私は少し気が楽になっていた。今日はなにか良いことがありそうな気がする。


 十六の時に私はこの家にやってきた。あれから七年経った。私の家は今どうなっているのだろう。父は……。


 私の父はいかつい顔をした武人肌の人だった。戦いで功名こうみょうを立て、痩せた土地とはいえ、伯爵位を貰いゲオルギエヴナ家を発展させた英雄だ。厳しい人だったけど、娘の私には甘かった。

 父はよく私を馬の背に乗せ森の花畑に連れて行ってくれた。どこで憶えたのか、岩の塊に指が生えたような手で器用に花輪を作って私にかぶせてくれた。


「これはね、母さんにプレゼントしたんだ。俺は戦ばかりで女の子のことなんて何も知らなくてね。村娘が祭りで被って楽しそうに踊っていたのを見て、もしかしたら喜んでくれるんじゃないかって」

「母さま、喜んだ?」

「ああ喜んだよ。ヘッタクソな花輪だったんだけどね。あまりにも下手だったから、申し訳なくて、やっぱり捨ててこようかとも言ったんだけど。これがいい。このヘッタクソな花輪がいいって……」


 部下の前では絶対に見せない、柔和の父親の笑顔。あの時受け取った花輪はしおれて虫に食われてしまうまで、大事に飾っていた。


 ノックの音がした。

 私はなぜかウキウキとした気分を抑えることができなくなっていた。どうしたことなのだろう。待ち望んでいた人がようやく訪れた時のような……。


「フロリア様……」


 部屋にいたメイドが真っ青な顔をして震えていた。


「悪い予感がします、心臓を冷たい手で握りしめられたような……フロリア様、誰か人を呼びましょう」


 カチカチとメイドの歯が鳴った。私がこんな楽しい気分だというのに、このメイドはなぜそれを遮るようなことを言うのだろう。なぜか私はひどく腹立たしく思った。


「その必要はありません、窓の外をご覧なさい、こんなにも気持ちのよい風が吹いているではないの」

「私には夜の墓場に吹く冷たい風に思えます。お願いですフロリア様、誰か人を呼びましょう。そうだ、村に人を走らせ神官を呼びましょう」

「何度も言わせないで! 人は呼ばないわ!」


 私は大きな声を出した。メイドはビクリと肩を震わせると黙った。


「そんなに怖ろしいのならあなた一人でどこにでも逃げればいいわ」

「フロリア様、私は決して自分の命が惜しくて言っているのではありません。私はフロリア様の身が心配なのです」


 彼女は、この屋敷に来た時からずっと親身になって私に仕えてくれていた。今の言葉も本心からのものだろう。私は嬉しさを感じた。だけれども、なぜか腹立たしさが湧き上がるのも抑えられなかった。


「…………」


 だから私は答える代わりに口をつぐんで、うつむいた。口を開いたら怒鳴り散らしてしまいそうだった。


 窓からふわりと風が吹き込んだ。私はハッとした。この香りを私は知っている。


「父さま」


 これは父さまに連れて行ってもらった花畑の香りだ。そして父さまが作って私にかぶせてくれた花輪の香りだ。


「フロリア様!」


 ほとんど悲鳴に近いメイドの叫び声で、私は我に返った。せっかくの良い気分だったのに台無しにされたようで私は強い怒りを感じた。


「フロリア様! 死の臭いです! 腐敗した肉の臭気です!」

「馬鹿なことを言わないの。これは故郷の香りです。ああ、どうしてこんな良い香りがするのかしら」

「フロリア様! お気を確かに! 誰か! 誰か来て!」

「お黙りなさい!」


 なぜメイドがこのようなことをするのだろう。私はこんなに気分が良いのに。私の怒りは殺意にまで膨れ上がっていた。理性的な部分が、なぜ私はこんなに怒りを感じているのだろうと不安を感じていたが、漂う花の香りを嗅いでいるうちにどうでもよくなっていった。



 そして扉が開いた。


「父さま!」


 驚いた。そこに立っていたのは間違いなく父さまだった。


「きゃあああ!」


 メイドは悲鳴を上げて、私と父さまの間に立ちはだかった。


「フロリア様! お逃げ下さい!」

「何を言っているの? これは父さまよ、きっと私を迎えに来てくれたんだわ」


 そうだ。私は帰るのだ。私の家に。本当の居場所に。


「あれはフロリア様の父君ではありません! 目を開けて下さい! あれは怪物です!」


 何を言っているのかしら、目を開けなくてもあれが父さまだって、私にはちゃんとわかっているのだから。

 ザクリと音がした。何かがどさりと倒れる音もした。


「さあ行こう、私の可愛いフロリア」


 何か、心のなかで激しい感情が渦を巻いた。なのに、父さまの力強く、そして優しい腕に抱かれたら、どうでも良くなった。


「フロリア様!」


 父さまの腕に抱かれて外へ出た私に、また叫び声が聞こえた。


「アスラン、馬の用意はどうした?」


 父が優しい声で怒鳴った。優しい声で怒鳴った? 何か変なような気がする。


「馬など用意していない! 俺はお前の言いなりにはもうならん」

「穢れた血が。我々がいなければ、貴様も娘もどこぞで野垂れ死ぬか、石を投げられ殺されるかどちらかだぞ」

「俺もそうだと思っていた、でも違った。俺の娘はここで笑うようになった、世の中には善い心を持つ人だっているってことを、ダンフォース様とシシドお嬢ちゃんが娘に教えてくれた。そしてそれを娘が俺に教えてくれた」

「ではどうする?」


 剣を抜く音がした。


「グルルル」


 そして唸り声が聞こえた。私の首筋に冷たいものが当てられる。


「できないはずだ、お前たちにだってその人は必要のはず」

「我々が必要なのは、我々がフロリアを囚えているという情報だ。やつらが生きていると思い込んでくれれば、実際にフロリアが生きている必要はない」

「……くそ」

「どうするアスラン。君の家族の恩人であるダンフォースの母親を見殺しにするかね?」

「卑怯者め!」


 おかしな話だ、父さまはいつだって正々堂々としていた。そんな気がする。違ったっけ? よく分からない。


「動くなアスラン、ワーライオンの生命力は危険だ、お前を殺している時間はない。縄で縛って連れて行くとしよう」

「馬はないぞ、お前はどこにも逃げられないんだ」

「貴様のせいで無駄な力を使った」


 馬の蹄の音が近づいてきた。


「な……」

「我々は死霊の馬を用意することもできる。さあフロリアを生かしたくば馬車の用意をしろ」


 私はわらを敷いた荷台の上に座らされた。どうやら荷馬車のようだ。隣には両手、両足を縛られているらしい男の人が転がっている。


「目を開けて下さいフロリア様」

「なぜ目を開けなくてはいけないの? 私はもう何も見たくないの、目を開けるのが恐い」

「このままではあなたは連れ去られてしまいます。家族にも、もう二度と逢えません」

「家族? 私の家族はそこにいるわ」


 そう、父さまがそこにいる。


「ダンフォース様を置いて行くのですか!」


 ダンフォース!


「知らない! あんなやつ私は知らない!」

「ダンフォース様はあなたの息子です。私の娘と私を救ってくれた素晴らしい、あなたの息子なんです! お願いです! 目を開けて下さいフロリア様!」


 嫌だ、絶対に開けてやるものか。ダンフォースなんて知らない。私は知らない。


「うるさい獣め」


 父さまが猿ぐつわを男にかけたのだろう。男はもうあの不快な言葉を発することもできず、うーうーと唸っていた。

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