2-7
俺は6歳児の日常へと戻ってきた。
あの事件は、マリーと外に出たら人攫いにあって、森に閉じ込められたということにしておいた。マリーと俺の戦いは、2人の間だけで完結していればいいことだ。ダンフォースはそう思ったんだ。
アナトリアの博物館へは父さんの部下が向かったらしい。焼け跡を調べたら箱と手紙は無事見つかったそうだ。
悪いことばかりではない。俺は面白い発見もした。
クラス:子供はレベルが上がらない。常にレベル0だ。この状態で経験値を得ると、レベル上限ボーナスの条件を満たすのだ。
レベル上限ボーナス、ミナトは無駄だと言ってたものだ。計算式は……
必要な経験値=次のレベルアップ必要な本来の経験値×2×上限ボーナスを受け取った回数
本来ならレベルカンスト後になるはずなので、莫大な経験値が必要だ。それなのに手に入る能力は好きな能力に+1。レベルカンストするころには数万くらいはある能力に+1。実質的な効果はない。
子供の場合は違う。レベル0からレベル1にレベルを上げるのに必要な経験値は10。本来はレベル1スタートのため、この10は使われることのないはずだった10だ。あのクエストをクリアしたことで、俺はなんと、84ものポイントを手に入れていた。能力が二桁しかないレベル1のキャラクターには多すぎるポイントだし、これから訓練を開始するまでの間に上げていけば、最終値にも1%くらいの影響を与えられるかもしれない。
というわけで俺は日夜戦っている。
「待てー」
ハエたたきを持って家中のゴキブリやネズミを追い回して経験値を稼いでいたのだった。
本来のBOACでは、クラス:子供をプレイヤーが使うことはできない。だがこうして動きまわってみると、いくつかの隠れた特性があることがわかった。
「坊っちゃん」
台所でメイドたちが俺を出迎えた。
「今日もよろしくおねがいしますね」
ドンと目の前に野菜カゴが置かれる。
「うん、任せてよ」
俺はナイフを手にし、キラリと目を光らせた。サクサクと野菜の皮を剥いていく。上位ランカーである俺にかかれば、野菜剥きなんてちょろいものだ。ジャガイモは楽勝だ。カボチャは手強い。うぇ、今日の夕飯にはニンジンを使うのか。
「坊っちゃん」
料理の下ごしらえを手伝ったら、次は庭師のところへ行く。
「なんか悪いですねえ、じゃあ下の方は頼みます」
日に焼けた顔に笑顔を浮かべて、庭師は俺に手袋を渡した。
庭園に蔓延る 雑草をプチプチと抜いていく。木殺しの俺にとって雑草なんて相手にもならないのだ。
「坊っちゃん」
執事のアルフレッドが、俺の奇行にもいい加減慣れたという笑顔を皺の深い顔に浮かべた。
「今日はこちらの書類をお願いします」
俺はフフンと鼻息を荒くして重なって分厚く見える書類に向かう。これは大仕事だ。俺は書類に押されている印鑑の種類に従って、書類ケースに書類を仕舞っていく。間違ってはいけない。迅速に丁寧に、一枚一枚さばくのだ。
終わったら残った時間は、屋敷の掃除だ。途中でネズミやゴキブリを見たらやっつけるのを忘れない。
「いやあ、どうなされたんでしょうね、最近の坊っちゃんは」
屋敷の人たちは首を傾げながら、俺の変化を不思議がっていた。
なんのことはない。経験値稼ぎだ。
BOACでは、戦闘以外の役割があるクラスには、その役割をこなしたら経験値が得られるようになっている。例えば、鍛冶なら武器を作れば経験値が、狩人なら動物の皮を素材に加工したら経験値が入る、といった具合にだ。
たしかに、その特性はスキルにはなっていなかった。だから俺も最初は気が付かなかった。子供にとって、敵を倒す以外に経験値を貰える条件、それが「お手伝い」だったのだ。
野良犬にも負ける可能性のある子供1人で経験値を稼ぐにはこれが一番だ。あとはネズミとかを倒して経験値を稼ぐ。再来年の春から始まる学校で訓練が始まるまでに、目指せ獲得ボーナスポイント200点。
「父上、明日、叔父上が来られるのですか?」
夕食後、俺は父上にそう聞いた。明日は叔父のイェシーが来るはずの日だ。
「ああ、予定を変えたという話は聞かないな。あいつもお前のことを気に入っているようだし、すっぽかすこともないだろう」
「そうですか!」
「また狩りに連れて行ってもらうのか?」
「ええ、約束してたんです。叔父上は弩の名手ですから、一緒に狩りをするのは楽しいです」
「私も、一緒に行ければいいのだが、あいにく仕事がな」
「残念です、いつか父上にお見せするときまでには、僕も叔父上のように弩を当てられるように練習しておきますね」
「ああ、楽しみにしているよ」
イェシー・マク・モーン。父上の弟で、悠々自適に暮らす名士。爵位の継承権を放棄する代わりに、ある程度の財産を受け取り、狩りをしたりスポーツをしたり、そして歌や踊りや演劇といった趣味に生きている人だ。
顔が広く座談の名手。父上も貴族との会食では、叔父さんを呼んで手伝ってもらったりもする。領民からも人気が高く、モーン伯爵領の名付け親といえばこの人だと評判。
息子が2人、娘が1人いる。1人の息子は父を嫌って家を出て、騎士になったそうだ。もう一人は父親の生き方に憧れ、自由気ままな旅を続けている。娘はどこかの国の王子様に見初められ、お妃様にならせられた。
なんで小説に出てこなかったんだろうというくらいキャラの濃ゆい、型破りな人だった。
俺が狩りに行きたがるのももちろん、経験値のためだ。滅多に当たらないのだが、名手である叔父さんと一緒にいればそれなりに経験値が入るのだ。
「私たちの息子はずいぶんと成長したものだ、あんな事件があって塞ぎこんでいたと思ったらもう立ち直っている。何を考えているかまではさっぱり分からないが、それが子供の成長というものなのだろう」
ダンが部屋を出た後、父上はそう言った。
「部屋に戻ります」
母さんは立ち上がると、それ以上何も言わずに部屋を出た。
息子と会話どころか目を合わそうともしない自分の妻の後ろ姿を見送りながら、父上は小さくため息を付いた。
「叔父上」
俺が叫ぶと、中折れ帽を被った、気安い中年の男が、嬉しそうに帽子を取り、おどけたように、だけど恭しく気品のある礼をした。俺も負けじと、拙い動作で礼を返す。
「これは勇者殿、このイェシー、御身のために参上仕りましたぞ」
「うむ、苦しゅうないぞ叔父上」
叔父上は俺を抱き上げると、額にキスをした。髭がチクチクと当たってくすぐったい。
「ダン、大きくなったな」
「叔父上、先週もそれ言ったよ」
「1週間も会わなかったのか、そりゃ大きくなるわけだ」
俺たちはクスクスと笑いあった。真面目な父上の弟とは思えない陽気な人柄。名士は詩人の派生クラスで、間違っても強くはないが、人の目を惹きつけ、人気者になれるクラスだ。俺より先に貴族ではなく別のクラスを成長させた先輩でもある。
まあ長男である俺と、次男である叔父さんでは状況が違うだろうけど。そういうこともあり、貴族以外のクラスで貴族ができないかという悩みも、叔父上には打ち明けていた。
前回の事件のあと、誘拐された俺を探していた叔父上と、そのとき故郷に戻っていた下の息子のユミル従兄さんが、領内を走り回って俺を探してくれていた。森の火事の中、子供が保護されたと聞いて、真っ先に駆けつけてくれたのが叔父さんたちだった。
村人から俺の母が死んだと聞いて、すぐにマリーのことだと察してくれた。事情は聞かず、ただ無事でよかったと言ってくれ、治療の魔法と秘薬を惜しげも無く使ってくれた。おかげで傷は1日ですべてふさがり、痕も残らなかった。
それから傷心の俺を元気づけるためか、叔父上はよく屋敷にやってきては歌ったり、演劇を披露したり、魔法を見せてくれたりした。
俺が、あの事件から割りとすぐに立ち直れたのは、俺の中にミナトがいたからでもあるが、イェシー叔父さんが元気づけてくれたからという部分も大きい。平穏になってから、ミナトは退屈だとでも言うように、俺の心の奥深くに引っ込んでしまった。
「えへん」
そうこうしていると、咳払いが聞こえた。叔父上の肩越しに後ろを見てみると、俺より背の高い女の子がじっと俺のことを見つめている。
「おっと、これは失礼」
叔父上は俺を降ろすと、少女を手招きした。少女は油断なく俺を見ながらこちらに近づいた。
「この子をダンに紹介しようと思って連れてきたんだ」
俺は少女をよく見てみる。赤い髪をした女の子だ。歳は俺とあまり変わらないだろう、クラス:子供であることから±1歳といったところか。このくらいの年頃なら男の俺より成長早いだろうし。
「こんにちは、僕はダンフォース・マク・モーン。よろしく」
そう言って差し出した俺の手を無視して、その女の子はじっと俺のことを見つめている。え? 何この子? 俺が何かした? なんでそんなに見つめてくるの?
「どうやら恥ずかしがっているみたいだな」
いやいや恥ずかしがっている人は、こんなじぃぃっと油断の無い目をしたりしないよ。
「この子は、ユミルのやつが旅先で拾ってきたんだ?」
「拾ってきた?」
「ああ、なんでも小さなゴブリンの群れを牛耳って、盗賊をやっていたらしい」
なにそれ怖い。なんでそんな子拾ってきたの?
「それでユミルがゴブリンを討伐してな、残ったこの子を拾ってうちに預けに来たんだ」
「へ、へえ、そ、それでなんでそんな子を連れてきたんです?」
「そりゃこの子は、天涯孤独だろ? ダンが友だちになってやってくれればと思ってな」
「……え、ええっと」
驚きつつも、俺は興味を持ちつつあった。小さい集団程度ならレベル1冒険者が戦う相手とはいえ、子供の能力ではゴブリンを相手にするのは難しいはずだ。どうやって、この子は手懐けたのだろう。俺ならどうするだろうか?
「大変だったんだね、名前はなんて言うの?」
そう言って、俺はもう一度手を出した。ようやく少女は俺の手を握り、獰猛な笑みを浮かべる。
「俺はシシドだ。よろしくダンフォース・マク・モーン殿」
赤い髪をした少女はそう言ったのだった。