5-15
ソラル皇子は才気煥発で容姿端麗、聖騎士として申し分ない清廉潔白な性格。領民からも人望厚い。
ナガン皇子は、学も剣の才能も無く、聖騎士として目覚められなかったため、信仰で聖騎士になれる派生クラス、神光の従者という、善と秩序に仕える聖騎士からは少し外れた道を進んでいる。信仰する神は秩序の神ではあるが、善に対してあまり積極的ではないとされる、共同体の神マナン。
雷雨轟く雨の中をモモは走っていた。破壊された石畳の道は歩きにくかったが、レベルカンスト軽業師であるモモにとっては、舞い落ちる羽の一枚すら良好な足場になる。地面が隆起している程度、石が転がっている程度、激しい雨で地面がぬかるんでいる程度、どれもなんら支障にはならない。
「そんな……」
だがモモの顔は焦燥している。追手の忍者二人はモモにとって敵ではない。仲間のキシンに比べたらあまりにも未熟な相手だ。それでもモモの脳裏は、激しい感情で荒れ狂っていた。
モモはミナトの指示で、ケントとソラル皇子の勢力に協力していた。ミナトが調べていた、なぜ私たちが転移したのか、なぜこの世界がブルー・オブ・アナザーカラー・オンラインが現実になったものなのか、そしてなぜ私の頭のなかから作られたはずのジェイクたちが存在するのか……それも、誰にも言ったことのない、これから書くはずだった設定まで含めて……それをミナトは明らかにするために調べていた。
ミナトはその真実にかなり近いところまで進んだらしい。しかし最後の調査をするまえに、ブルー・オブ・アナザーカラー事件が起こる期日になってしまい、モモをケントのところへ送ったのだった。
モモは日本人だ。平和な世界で生まれ育ってきた。普通の学校に通い、普通に大人になり、作家になった。売れてるとはいえないし、シナリオライターとしても活動しているが、それでも何作か本をだしている作家だった。だから、こういうことを書いたこともある。歴史を調べ、このような陰謀が行われた事例というのも知っている。だがそれでも。
「父親を殺すなんて……」
モモが調べていたのはパラディン王アゴンと、その妻……つまりソラル皇子、ナガン皇子の母親であるゼリア王妃の行方だった。青い隕石に巻き込まれて消息を経ったとされていたが……。
だが、ソラル皇子によれば、アゴン王とゼリア王妃は、ケントのことを信頼していたはずで、あの日、パラディンパレスから避難するはずだったという。だがナガン皇子は、二人はあの日、パラディンパレスから動いていないと証言していた。自分の居城にいたソラル皇子と違い、ナガン皇子は前日までパラディンパレスにいた。ソラル皇子も納得するしかなかった。
モモのベルトポーチにはゼリア王妃の髪と指輪、そして一枚のメモが入っている。パラディンパレスの牢番が持っていたものだ。この牢屋番もすでに死んでいる。死ぬことで、自分の遺体の中に油紙に包んだこのゼリア王妃の遺品を隠し通したのだ。この牢屋番の遺体を引き取るのに、ソラル皇子に親しい下女が指名されていたことで、不審に思ったケントがモモを護衛につけたのだった。
牢屋番の遺書には下女に遺産を譲ると残され、目録が書いてあった。内容は、牢屋番の遺産に相応しいささやかなものだとモモも思った。だがそもそも下女と牢屋番は、顔見知り程度でそう深い仲では無い。なぜ彼は、このような遺書を残したのか。
「何か、ソラル皇子に伝えたいことがあったのでは?」
モモが下女にそう聞くと、下女は「ありえます」と頷いた。
遺体を受け取り、目録に従って遺品を確認していると、一つ足りないものがあった。
宝石箱に入っていたはずの銀の指輪がない。宝石箱は残されていた。中には、「飢え、指輪を食べるしか無かった」とメモが残されていた。
「そんなはずは、あの指輪はアゴン王が兵たちに手渡す忠誠の証です。それを売って食料に変えるなんて」
モモはじっと考え込んだ。そして腰のダガーを引き抜き、引き取った遺体の腹に当てた。下女もモモの考えを察したのか、何も言わなかった。
そして、牢屋番が隠し通してきたものが見つかった。
「アゴン王とゼリア王妃はパラディンパレスから避難しようとしていた。ソラル皇子と同様に、ケントの警告を信じていたのよ。でもブルー・オブ・アナザーカラー事件の混乱に乗じて、ナガン皇子とカコが二人を捕らえ秘密裏に殺害していた。牢屋番は二人が牢に投獄されていたのを知っていた。彼はなんとか王妃に接触し、遺品を受け取った。だけど、秘密を知り得た可能性のある牢屋番たちも牢塔に軟禁状態にあり、外に情報を届けられない。生きている限りは。だから牢屋番はこんなことを」
「ゴンズさん……」
下女は牢屋番の名前を小さくつぶやいていた。
明日一番でパラディンパレスを発つはずだった。深夜。微かな殺気を感じて、モモはそっと枕元に置いたダガーに手を伸ばす。相手が一歩踏み出したのと同時に、投擲されたダガーが1人の忍者の首に突き刺さった。
「レベルカンスト、ジェイク派!?」
襲ってきたのはレベルカンスト忍者が三人。監視されていたのか、それとも最初から始末するつもりだったのか。だが不意を打たれ忍者たちが動揺している隙に、下女の身体を抱えると、モモは窓から外へと飛び出した。
激しい雨が降る夜。廃墟となったパラディンパレスを二人は走った。相手はそう腕の立つ相手じゃない。逃げきれるはずだ、とモモは考えていた。
目の前に強烈な威圧感を感じてモモは思わず立ち止まった。
「誰!?」
モモはダガーを構えて叫ぶ。雷光の中に浮かび上がったのは、剣をだらりと下げた、剣聖カコの姿だった。
モモが動くより早く、カコの刀がモモの足へと迫っていた。自分の太ももの裏をカカトで蹴り上げるようにして、モモはその一撃をかわす。倒れ込みながら、片手で地面に触れたかと思うと、ふわりとモモの身体が宙を舞った。頭上から振り下ろされたダガーを、カコは首を軽く動かすだけでかわした。
くるりと回転して、モモは地面に降りた。モモの肩口がはらりと裂けた。肌に傷はない。斬られたのは服だけだ。だが、あと数ミリ踏み込まれていたら斬られていた。回避力に特化した軽業師モモにとって、完全に避けきれなかったという事実は、両者の実力差を認めるのに十分だった。
(勝てない……)
死の恐怖がモモを襲った。夜の闇の中で輝く、カコの白刃に恐ろしかった。
「逃げてください!」
下女はそう叫ぶと、カコへと跳びかかった。躊躇する暇はなかった。モモは足で泥を蹴りあげた。空中に飛散した泥を足場に、モモの身体が空を跳んだ。
「ほぉ」
小さく、カコが感嘆の声を漏らした。下女を斬り、そのまま切り上げた刀がモモのすぐそばを通過する。刹那。モモの身体はすでに屋根の上へと飛び上がり、駆け出していた。
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「モモが命がけで持って帰ってくれた情報がこれよ」
ケントは黙っている俺達に、王妃の遺書を渡した。遺髪や指輪はソラル皇子が持っているらしい。
そこには確かに、ナガン皇子が王と王妃を捕らえたと書いてあった。
「…………」
ジェイクたちは何をするつもりなのか。善の砦だったエーリュシオンの地で、一体何が起ころうとしているのか。
「このままでは内乱が起こる、私にはどうすればいいか分からないのよシシド」
「ミナトはどうしてるんだぜ?」
「連絡が取れない、今こっちに向かっているはずだけど、いつ到着するのかわからない。中央で帝国を創ったダンフォースなら、エーリュシオンを救えるはずよ、お願い……力を貸して」
「どうする、ダン?」
シシドは迷っている様子で、俺にそう問いかけた。