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2-6

「ふぅぅぅ」


 脱出した。なんとか生き残った。小屋の床下から外へと抜けた俺は森のなかへなんとか逃げ込み、一息ついた。上半身裸で森を走り回ったせいで、体中に小さい傷ができている。ヒリヒリと全身が痛んだ。


(安心するのはまだ早いぞ。状況は何も改善していないんだから)

 ミナトがそんな俺を冷ややかに見つめている。

 お前ミナトと違って、ダンは痛みを感じる能力があるんだ、疲れもただのステータス低下じゃなくて、苦痛として感じているんだ。少しはこっちの気持ちも分かってくれ。ミナトは黙って肩をすくめた。


 さて、これからどうするか。はっきり分かっていることは子供の能力ではどうしようもないということだ。


(いいぞ、ダン。その通りだ)

 なんだよ、ここでユーアーデッドだなって言いたいのか?

(違うさダン。大切なのは冷静な戦力分析だ。自分のできないことを認めることだ。お前は何もできない。ならどうする?)

 そうだ、分かっていたはずだ。だから俺は炎や馬を使ったんだ。


「炎か、それなら子供の俺でも森を焼き払うだけの威力を出せる」


 だが、それじゃあ俺も焼け死ぬことになる。それに森を焼くだけの炎をどうやって用意する。

(思いだせダン。すでにクエストクリアに必要な情報は揃っている)


「そうか、池か」


 炎は水を乗り越えてはこない。池の上に逃げれば炎をやりすごせる。場所は西より、情報はこれだけか。

(問題ないさ、ダン。この森には、恐ろしい動物は何もいない、全部トレントの根っこの下だ。ゆっくり探そうじゃないか)

 森を焼き払うだけの火はどうやって用意するか。

(それも簡単だ、同じことすればいい。さっきの小屋には最初の小屋と同じものがあった)

 そうだ、油樽もあったな。俺は西へと向かった。


 ここが池か。俺は夕日の映る水面を見つめた。

 池を見つけた頃には、すでに夕方になっていた。夜になる前には片を付けたい。そのためには、マリーがいたさっきの小屋に戻らなくてはいけない。

 くそ、戻るしか無いか。しかも、あの重い油樽と森に撒いて火を付けなくてはいけない。できるか? そんなことをすればさすがにトレントも襲ってくるぞ?


(他に手はないだろ?)

 ミナトはそう言って、早く行けと手を振った。


 俺は緊張しながら小屋へと戻る。割れた扉から明かりは漏れていない。誰も居ないのだろうか?

 姿勢を低くして中を覗きこんだ。心臓の音がやけにうるさい。この森の静けさが恐ろしい。

 だが小屋の中にはだれもいなかった。


 俺は油樽を転がしながら外にでた。火をつけるための火口箱ほくちばこも暖炉の側から持ちだした。馬は無い。マリーが乗って行ったのか。仕方ない、転がしていこう。俺は森のなかを苦労しながら樽を転がしていた。ゴトンゴトンという音が嫌に大きく森に響いている。


(だからこうなるのは分かっていただろ)

 ミナトはそう呟いた。


「可愛いダン、あなたが悪いのよ、私を怒らせるから、言うこと聞かない悪い子だから」


 池まではまだ少し距離があった。だが目の前にはマリーが斧をもって、ぶつぶつと呟いている。服は破れ、美しかった青い髪が乱れ、泥で汚れている。これがマリーさんなのか、いつも俺の面倒を見てくれたマリーさんと同じ人なのか。


 ダン、そんなことを考えている暇はないぞ。すぐに行動しろ。


 俺は樽の栓を抜いた。トプトプと油がこぼれ出した。

 周囲がざわつく、トレントたちがこぼれたものが何をするものなのか察知して動き出した。マリーが斧を振り上げ飛びかかってきたが、同じタイミングでトレントたちが俺を襲うべく腕を振り上げた。


「私のダンに触るなぁぁ!」


 マリーは地面を蹴って進路を変更し、トレントの枝を斧でたたき落とした。トレントたちは当面の敵をマリーと認識し、よってたかってマリーへと襲いかかる。その数は30は下らない。周囲の木々すべてが敵なのだ。マリーはやがて、振り下ろされる大量の枝葉にまみれて姿が見えなくなった。

 俺は必死に樽を転がす、油がこぼれて道を作っていった。腕が痛い、身体も痛い、6歳の子供に無理をさせすぎだろう、でもミナトなら文句も言わないだろう、だから俺も我慢する。クエストクリアしたらしばらくは働かないぞ、樽なんて絶対押さない、6歳児らしくお絵かきでもして過ごしてやる。


 やがて、樽の中身が無くなった。異常を察知したトレントたちが動き出し始めている。俺は火口箱を取り出し、火打ち石を打ち鳴らして火をつけようとした。

 一度目、着かない。俺はダガーでズボンの裾を切り、それを油に浸した。二度目、着かない。トレントが俺に向けて足を上げた。手が震える。逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。


「逃げるなダン、信じろ」


 火打ち石から火花が迸り、ズボンの切れ端に火が着いた。すぐに炎は油の道をさかのぼって炎をまき散らしていった。俺は跳ねるようにして飛び退いた。そこにトレントの足が踏み降ろされ、火口箱はクシャリと潰れた。

 必死にその場から逃げ出した。思っていたとおり、トレントたちは燃え上がった火をどうにかしようと集まってくる。もう俺には目もくれない。

 そのうち、一体のトレントに火が燃え移った。こうなればもう止まらない。火を消そうと暴れるトレントから別のトレントに炎が燃え移り、森中に広がっていった。


 俺は池へと走り続けた。本当なら樽をイカダの代わりにするつもりだったが仕方がない。池に着いた俺は、ようやく後ろを振り返った。夕日はすっかり落ちていたが、森は赤く輝き、煙が上がっていた。周囲の木々が何が起こったのかと蠢いている。動かないはずの植物たちが、もはや隠れもせずに動いていたのだ。


 俺はあたりを探し、折れた太い枝を見つける。いいぞ、俺はこの枝を引きずりながら池に浮かべた。枝にしがみつくと、池の中央へとゆっくり進んでいく。あとはここですべてが終わるのを待つだけだ。俺はやりとげたんだ。


 炎は勢い良く広がっている。真っ赤な輝きはどんどん強さを増していた。夜空が赤く染まっていくようだった。

 メキメキとトレントたちが怯えたように後ろに下がった。夜の闇の中、全身を炎に包ませたトレントがふらふらとやってきて、そして倒れた。木の燃える臭いが当たりに充満する。

 一瞬の静寂。パチパチと倒れたトレントが静かに燃える。

 そして激しい音が押し押せてきた。炎に包まれたトレントたちが我先にと池に飛び込んできたのだ。水面に燃える木々が飛び込み、大きな水しぶきと、ジュージューという音を響かせる。

 トレントたちはメキメキという悲鳴を上げながら焼け落ちつつある森を走り回った。


 マズイ。俺は焦り始めていた。

 次々に池に飛び込むトレントたちに、あまり広くもないこの池はすぐに許容量を超えた。消しきれなかった炎が、水面に浮かぶ別のトレントに燃え移り、再びトレントの身体を焼いた。池は炎で包まれつつあった。

 どうする、どうすればいい。


「疲れた農夫は眠りについた、子猫が鳴くよニャーニャーニャー、悪い子猫は殺しましょう、子猫殺したら静かになった」


 子守唄が聞こえた。マリーは生きていた。その姿は血だらけで、火傷だってしている。なのにその目はランランと輝き、その顔は無表情だった。


「マリー……さん」


 斧を構えたマリーは池へと燃え盛るトレントの踏みつけながら、走りだした。


「疲れた農夫は眠りについた、子供が泣くよわんわんわん、悪い子供は殺しましょう、子供殺したら静かになった」


 俺はダガーを抜いた。


(ダン、正念場だぞ!)

 ミナトが叫んだ。

(相手は傷ついている、ボロボロだ。弱体化したボスだ。相手の武器は斧だ。水中で振り回しても威力はない。こちらはナイフだ、水中だって刺すことはできる。相手は服を着ている。こっちは上半身裸だ。ここまで来た、ここまで持ってきたんだダン。勝てるぞダン。ふんばれダン)


 だけど俺の口は別の言葉を叫んでいた。


「愛していたのに! 大好きだったのに!」


 ダンフォースは叫んだ。なぜこうなった、マリーさんは一番好きな人だった。母親よりもずっと好きだった。

 春に一緒にお花を見るのが好きだった。夏に一緒に川で水を浴びるのが好きだった。秋に果実を切ってくれるのが好きだった。冬に僕の冷たくなった手をギュッと握ってくれるのが好きだった。

 そりゃ気づいていたよ。マリーさんが狂っていたことくらい。僕の食事したものはすべて暗記していた。僕の言葉をすべて暗記していた。いつだってかならず僕を見ていた。僕の世話係になるために他の子にひどい嫌がらせをして辞めさせた。母さんを憎んでいた。僕と同じ日に生まれ、その日のうちに死んだマリーさんの子供が、実は僕とすり替えられたのだと固く信じていた。


 マリーさんと僕は水の中でもつれ合った。お互いにつかみ合い、肌を密着させ、ふざけあっているかのようにブクブクと泡を吐いた。


 そして俺はナイフを突き立てた。

(クエストクリアだ。よくやったなダン)

 水の中なのにミナトはそう言って拍手をしていた。


 次に気がついた時、俺は近くの村のベッドの上だった。


「おお、目がさめたぞ!」


 村人が嬉しそうに人を呼んだ。


「何が……?」

「森が火事になってな、全部焼け落ちてしまったんだが、池に浮かんでいた木の枝の中に、坊やが倒れていたんだよ。一体何があったんだい? すっかり森は焼けちまって、なぜか池の周りに燃えた木々が移動してたんだ。すっかり焼けちまったがね。まったく不自然なことだよ」

「あの、もう一人、いませんでしたか?」

「いんや、君だけだったよ、親も一緒だったのかい?」

「……はい、母が」

「そうか……気の毒になぁ」


 ダンは静かに涙を流した。


 焼けた森はすぐに蘇った。10年もしないうちに、前以上に豊かになったその森を、人々は「豊かな不自然」と呼んだのだった。

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