第0章:ダンフォースという人
「なあ、ダン」
ダンと呼ばれた男は、見た目は20代後半、身長こそ低いが口の周りの髭にもそろそろ貫禄の影が現れているように見えた。
だが実際には15歳。まだ学徒だ。軽く頭を振ったことで、被った中折れ帽子が揺れる。
そのダンこと、ダンフォースが俺だ。昔は別の名前で呼ばれていたが、もうその名前で呼ばれることはないだろう。
「なんだよシシド」
粗野な口調の幼なじみである赤い髪をした男装の少女シシドは、俺と並ぶと余計に幼く見えた。歳はシシドが1つ上だ。
「死んでるな」
「ああ死んでるな」
目の前の男は死んでいた。首が90度に曲がり、身体は腐敗によるガスで膨らんでいる。髪の毛だけは未練がましく頭に残っていたが、目玉は腐ってこぼれたようだ、あるべきところには、ぽっかりと黒い穴が空いている。
「ではなぜこいつは動く?」
俺は肩をすくめた。
「エロ本を処分し忘れていたんだろ」
6時間ほど前。
夏季休暇のため、学校のあるアナトリアから実家へと、緩やかな丘の続く街道を進んでいた途上のことだった。
「高貴なお方!」
馬に乗って移動していた俺たちは、青ざめた様子の村人に声をかけられた。武家?
俺は同行していたシシド、カミラと顔を見合わせた。
「お前のことじゃね?」
「いやいや、カミラのことだろ」
「アホ主人ったら脳みそまで腐っちまったんですね、どこの世界に貴族の格好した人を差し置いて、高貴なお方扱いされるか弱い乙女がいるんです」
「それはそうだが、ここにか弱い乙女はいないな」
魔法使いのローブをゆるくまとったシシドに、女性用の騎乗服を着ているカミラは俺のこと呆れたように見ている。
「どうか話を聞いて下さい高貴なお方!」
「ほらアホ主人、呼んでますよ」
貴族の服を着た俺に向かって、その村人は声を出したのだった。
「死体が消えるねぇ」
村へと案内された俺たちは、墓守だというその男の話を聞く羽目になっていた。青い瞳をした癖のある黒髪の男だ。
「へぇ、消えるんです」
男によれば、墓に埋めるべく安置所に安置していたそうだが、それがこつ然と消えるということが起きたようだ。
「3人ですよ! オレぁ30年墓守をやらせてもらっていますが、こんな失態は初めてでさ」
墓守は悔しさで震えている。
「食屍鬼か、埋葬品狙いのケチな墓荒しの線は?」
シシドが尋ねた。墓守は首を横に振る。
「それが……もちろん安置所に鍵はかけたんですよ、安物ですが。で、その鍵は見事に壊されちまってたわけですが……おかしなことに、どうも内側から壊されたようなんでさ」
内側からときいて、俺とシシドの表情が変わった。思わずカミラを見る。
「ええっと、吸血鬼ってことですかね」
カミラは困ったような顔をしながら言った。端正な土気色の顔が憂いで歪んでいる。
「まさか……ヴァンパイアがここらにいるなんて聞いたことも……」
村人は驚いたが、そもそもヴァンパイアなんて見たことがないだろう、いるともいないとも言えないはずだ。
「分かった、分かった、で、俺に何をして欲しいんだ?」
俺は強引に話を打ち切った。
腐臭が鼻についた。いいかげん慣れてもいいのに、俺の鼻は、臭い臭いとしつこく悲鳴を上げている。
「ダン、臭い」
「故人の前だぞシシド、思っていても口に出すな」
安置所の棺の中には半ば腐敗した男の死体が入っている。1週間ちょい前に、屋根から足を滑らせ首の骨を折った男だそうだ。
この男の母親が大層溺愛していたそうで、死体が盗まれるのが我慢ならないと、死体を安置所に収めず、自分の家のベッドに寝かせていた。そのベッドはもう使い物にならないだろうな。
この男の死体を守り、原因を突き止めること。それが墓守から頼まれた仕事だった。
「アホ主人、なんでこんな厄介事、引き受けたんです」
カミラは非難を込めて俺に言った。
「経験値が欲しかったからだよ。実戦の方が効率がいいんだ」
そう言った俺に、カミラは小首を傾げるとため息をついた。
「カミラがこの仕事を解決したがっていたからだろうよ」
「ぶっ飛ばすぞシシド」
主無きレッサーヴァンパイアのカミラはフルフルと頭を振った。土気色の顔に少し赤みが差したような気がした。気のせいだったのかもしれない。
そして時間は冒頭に戻る。
「動き出したなぁ」
「動き出しましたねぇ」
死体は動き出し、外に出ようと扉をカリカリと引っ掻いている。開かないとわかると、そのうち体当たりをしだすのだろう。
「シシドがやるか?」
「おうよ、アンデッドには炎だな」
「……分かってたよ火力バカ、俺がやる」
俺は呪文を唱え、つるり油の魔法を使った。床に召喚された、つるり油に滑って、ゾンビーはころりとこけた。
「つまらん魔法だな」
「炎より強いだろ」
俺とシシドの魔法観は正反対だった。
「これでゾンビーはここを動けない、でもこれじゃ原因がわからないから」
俺は棺のなかを必死によじ登ろうとしていた、ちぎれて落ちた男の指を掴んだ。
「どこに行きたいかはこれに案内してもらおう」
転んでいるゾンビーをひょいと避け、俺たちは外に出て、また扉を閉め、られなかった。
「……なんだこりゃ」
シシドでさえ、軽口を叩く余裕もなく、口をポカンと開けていた。
ガリガリ、ザクザク。
俺たちの耳に、音が聞こえる。方向は? 正面、そして下方。
死者たちが土を掘り起こしている。それも下側から。ときおり聞こえる、バリバリという音は棺を引き裂く音か。
「…………」
俺は言葉をなくして、その光景に目を奪われた。
満月の光に照らされた墓場から、無数に突出された腕。
ゆらゆらと揺れるその腕が、緩慢な動作で土をかき分け、地上から忘れ去られたその肉体を再び地上へと帰還させようと、もがいていた。
「おい、魔法使いダン、どういうことだこりゃ」
「お前が魔法使いだろうが、俺はちょっと違う」
ポカンとしていた俺たちにカミラが怒ったように声を上げた。
「アホ主人にバ火力さん! あっちにもう這い出したゾンビーがいますよ」
指さした方向を見ると、3人のゾンビーがフラフラと墓地の外へと向かっていた。
「あれを止めても、別のゾンビーがあっちに行くだろうな」
「僧侶でもいれば、なんとかなるだろうが、こんなミスメイクパーティーじゃ、どうにもならんな」
「じゃあどうするんです?」
「この指はお役御免だな」
俺たちは墓地の死体を足止めすることを諦め、ゾンビーたちの後を追うことにした。
ゾンビーは近くの崖の下へと降りていった。下には昔の砦跡といった様子の石の小屋が建っている。割れた屋根から、酷い臭いのする煙が立ち上っていた。
「悪の魔法使いですかね」
「ヴァンパイアではなさそうだな」
俺とカミラは密かに胸を撫で下ろした。実際のところ、ヴァンパイアを相手にするだけの準備はしていない。
勝てる自信が無いわけではないけどね。
「このレベルでヴァンパイアに挑もうなんて、ダンくらいだろうよ最強厨」
「それに付き合うのもシシドくらいか火力厨」
「なんにせよ、不相応(レベル不一致)な戦いをまたせずに済んでよかったですねゲーム厨のお2人さん」
カミラは腰の剣を抜いた。分厚いバスタードソードを構える。
「蜥蜴足」
俺は2人に向けて呪文を唱えた。
「俺はここから狙うよ、2人は下降りて敵を誘い出してくれ」
「誘いだすのは構わないんだけど、別に倒してしまっても」
「誘い出せ、絶対にだぞ」
「分かってるよ参謀、ダンの作戦は大体パーフェクトだ」
「リーダーもいないのに参謀ってのもなぁ」
かつてのパーティーを懐かしむが、いないものは仕方がない。
「頼りにしてるって、ミナトの作戦以上のものはこの世界には存在しない、それだけは間違いないぜ」
「その名前で呼ぶなよ、俺はもうミナトじゃないんだから」
「石の騎士は死んだ、か」
話を切ると、2人は魔法の力で急勾配の崖をするすると降りていった。
2人が砦の中へと入ってからしばらくして、何か言い争う声が聞こえた。
「ヘイ、死霊術師、年貢の納め時だぜ」
もちろん、あの火力バカの辞書に、穏便に解決するという文字はないことはよく知っていた。
「準備するか」
すぐに出てくるはずだ、俺は下級悪魔を5人ほど召喚する。不利になるとすぐに逃げ出す臆病者だが、俺の戦い方なら問題ない。
ドカンと地面が揺れた。
下を見ると、慌てた様子で2人が建物から逃げ出していた。
「ふはは、愚かなり冒険者!」
砦が崩れ落ちる、なかから何か巨大な影が現れた。
「肉の巨像!」
なるほど、あれを製造するなら大量の死体が必要なはずだ。
人造の巨人は、その手で砦のあまりに狭い入り口を破壊しながら、表へと現れた。
フレッシュロドス。それは無数の死体で構成される不浄の巨人だ。砦を破壊した腕には、死体がお互いを掴み、喰らいつき、重なりあって構成されている。
その五指は、力なく垂れ下がった5つの死体だ。顔に見えるのは蠢く死体の塊だ。目玉にあたる部分には2人の死体が虚ろな顔を突き出している。足を踏み出す度に死体が重みで潰れて腐汁をまき散らした。
だが巨人を包む負のエネルギーは、半ばアンデッドとなった死体の損傷を、もとの腐敗しただけの綺麗な死体へと再生させる。
「ヴァンパイアに勝るとも劣らない大物じゃないか」
あれは火力バカのシシドや、レベル相応のカミラでは手に負えない相手だ。
シシドが火弾を打ち込むが、巨人に堪えた様子は見られない。
「だがまぁ、相手が悪かったな」
俺は鞄から猫くらいの大きさの模型を取り出した。
「あ、アホ主人! ヘルプミー! これは無理です!」
「畜生! ヒットポイントが高すぎる! 全弾撃ち尽くしても殺しきれねぇよ!」
ロドスは生きていないがな。
俺は小さく呟くと、呪文を唱えた。正確には呪文を解除した。
小さな模型はみるみるうちに元の姿へと戻っていった。黒鉄の身体に満月が映り込み、鈍い光を放った。
超大型のキャノン砲。普通なら攻城戦で使われるような大型兵器。
「装填! 照準!」
俺は下級悪魔たちに指示を飛ばした。主だった工程は、魔法の力で遠隔操作できるのだが、単純作業はマンパワーで解決したほうが圧倒的に早い。
「目標! 死体の塊!」
本来なら初弾の弾着地点から照準を修正して、目標を狙うが、俺にはそんなものは必要ない。
俺の左目には砲弾が落ちる地点がはっきりと見えていた。
「へ?」
死霊術師は目を丸くして、俺のことを見ていた。まさか大砲があるとは夢にも思わなかっただろう。
「攻城兵器リンク強化!」
唱えられた火弾の魔法が攻城兵器に吸い込まれた、本来は城壁を吹き飛ばすためにあるその能力は、消費した魔力に対してデタラメな効率でダメージを上乗せする。
「ファイア!」
火薬が爆発する轟音と共に、ロドスの身体に砲弾が打ち込まれた。身体に大穴があき、死体が再生不可能になるほど粉々に粉砕された。
「お、おいおいおいおい!」
死霊術師が悲鳴を上げる。構うものか。
「次弾装填!」
悪魔たちが必死に火薬と大きな鉄弾を込めている。これ一発で結構なお金がかかる。でもまぁ、フレッシュロドスを相手にするのなら、安いものだ。
3度撃ち込んだところでフレッシュロドスは粉々にくずれて動かなくなった。
俺はダンフォース・マク・モーン。モーン伯爵家の長男で、貴族レベル0の不良魔法使い。より正確に言えば、不良攻城魔法師。
この、恐怖に満ちたブルー・オブ・アナザーカラーの世界で生きていくからには、最強の構築でなければ我慢ならない、妥協なき最強厨だ。