29話 一年の猶予
オレは、ゆっくりと拳を握りしめた。
指先が白くなるほど、力を込める。
1年――。
わずか12カ月の猶予。
それは救いであり、同時に、処刑台へ向かう道のりでもある。
天幕の外では、夜風が低く鳴った。
さっきまで荒れ狂っていた戦場の気配は嘘のように静かだ。
だがその静けさは、決して安らぎではなかった。
「……1年後」
ザムザは低くつぶやいた。
その言葉が空気を震わせ、自分自身へ鋭い刃のように突き刺さる。
背後で、ピノの艶やかな声が再び耳をくすぐった。
『1年は、短いようで長い。
でも、あなたがどんな答えを出すのか――
ピノちゃんは楽しみにしてる♡』
「黙れ」
オレは吐き捨てた。
だが、ピノは愉悦に満ちた微笑みを崩さない。
『怖がらないで。
あなたの決断が、わたしたちの望み。
ただの人間が、神々にどう抗うのか
――それを見たいだけ』
足元にひやりと冷気が走った。
言葉ひとつで世界を揺るがせる存在。
しかしオレは、その視線を外さなかった。
「オレは、お前たちの玩具にはならない。
意思を示してやる。
この一年、好きにはさせない」
「ムカつくんだよ!!!!
ナメてんじゃねぇぞ!!!」
ピノは一瞬、目を細め――そして笑った。
『……その目。
いいわ、それが見たかった』
次の瞬間、ピノの姿は淡い光とともに霧のように消えた。
ただ夜気だけが、冷たく天幕を満たしていた。
ザムザは深く息を吐き、外へ歩み出す。
そこにはユリシアが待っていた。
「話は終わったか?」
鋭い瞳に、しかしどこか安堵の色が宿っている。
「……ああ」
「1年、か」
ユリシアは短く言い、口を結んだ。
その横顔に、月光が淡く射し込む。
「1年あれば、できることがある」
ザムザはその言葉に、ほんの僅かな救いを感じた。
たった1年。
だが1年もある。
――この時間をどう使うか。
それこそが、神々の戯れを打ち砕く唯一の道なのだ。
夜風が二人の間を通り過ぎる。
日が落ちて、遠く瓦礫の街に夜の気配が染み始めていた。
▼
満月が冴え冴えと輝き、城の床を白銀に染めていた。
その光は、つい先ほどまで息づいていた人間の奴隷たちを
無数の氷像へと変え、冷たく煌めかせている。
寄せ集めの兵を従え、反乱軍の最後の牙城を攻め落としたのは、
魔王軍四天王の一人――氷の魔女フェリル。
豊満な肢体と艶やかな美貌。
だがその面差しに漂うのは、濃密な死と底知れぬ恐怖だった。
倒れ伏したレムリア公爵を、フェリルは見下ろす。
深い紫の肌に五本の角、背には六枚の黒翼。
魔界でも最上位に連なるデーモンの貴族ですら、
フェリルの氷魔法には抗えなかった。
「レムリア公爵――なぜ反乱を?」
「……弱肉強食こそ魔族の本懐。
魔王の政治に、吾輩は納得できなかった」
「弱肉強食では、我らは滅びるだけ。
種族全体に恩恵がなければ、繁栄などありえません」
「種族の繁栄など要らぬ。
強き者が生きればそれで良い――
そんな魔族でありたかった」
「長期的な視野を持たぬ愚か者の言葉です」
フェリルが冷たく告げ、指先をわずかに動かす。
瞬時に氷が公爵の身体を覆い、音もなく凍りつかせた。
「……フェリルよ。勇者が来るぞ」
「次は知恵をつけてな」
「お前たちの絶望……楽しみにしている」
最後の言葉が氷に閉ざされる。
フェリルは眉をわずかにひそめたが、ためらいなく
その氷像を粉砕した。
砕け散る音が城に虚しく響く。
「勇者、か――」
夜空を仰ぐ。
満月が、その冷たい横顔を蒼白に照らし出した。
――――
同じ月光が、遠い森にも降り注ぐ。
そこに立つ青年は、衣服ひとつ身につけず、
ただ一本の剣だけを携えていた。
端正な顔立ちには、どうしようもなく
滲み出る悪意がある。
背は高く、刈り込んだ黒髪が無造作に跳ねている。
人々が“勇者”と呼ぶ男――
その瞳は常軌を逸した光で揺らめいていた。
周囲には魔族たちの死体が山をなしていた。
青年は剣を軽く一振りする。
刃に宿るのは“無”の概念。
振り下ろされた瞬間、死体は影も形もなく消滅した。
彼は反乱軍によって解き放たれた存在――
世界を壊す、神々の駒。
「まおぉおおおおうッ!!
ぜったい許さねぇ……!」
月明かりに叫ぶ声は、狂気を帯びていた。
「反魔法陣なんて反則だろうが!
あれがなきゃ、余裕で俺様の勝ちだった!」
「人間牧場なんかに送りやがって……
そのせいで俺様は、インポだぞ……イ・ン・ポだァ!」
狂った笑いが森を震わせる。
「待ってろよ……
俺様のチートスキルで、アヘらせてやる……!」
「この俺様こそが――主人公だ!!」
満月は、嗤い続ける“勇者”を
どこまでも静かに、そして優しく照らしていた。
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