第十九章¦もう独りじゃないよ
それからというもの、保健室の先生にこう問いかけられた。
「雨涙さん、どうする? スクールカウンセラーの先生との面談、これからも続ける?」
正直なところ、私は「もう相談しても意味がない」と感じていた。
誰かに話したところで、この状況が劇的に変わるわけではない。期待しては裏切られるような感覚に疲れてしまい、私は静かに首を振った。
「あ……いえ、もう大丈夫です……」
「そう。でも、もしまた何かあったら、いつでも相談してね。話しやすい先生でもいいし、担任の先生でもいい。もちろん私でもいいから。一人で抱え込もうとしたらダメだよ。わかった?」
「……わかりました」
そう短く言葉を交わし、私は逃げるように保健室を去った。
カウンセラーに相談しても、事態は何ひとつ好転しなかった。
ただ、色のない孤独な日々をじっと耐え続けるだけ。
けれど、ついに限界は訪れた。
ある日の朝。
震える手で開いた連絡帳の余白に、私は祈るような思いでその一行を刻んだ。
──先生、相談があります。
翌朝、連絡帳に託したその一言が、私の精一杯だった。
昼休み。給食当番の片付けを終えた私に、先生が優しく声をかけてくれた。
「雨涙さん、どうした? また何か、悩んでるのか?」
「はい……」
消え入りそうな声で答えると、偶然通りかかった一人の女子生徒が足を止めた。
「雨涙、どうしたの?」
月乃瀬愛葵。クラスの太陽のような彼女が、小首をかしげて先生に問いかける。
「雨涙さん。なんか、悩んでるんだって」
先生の言葉を聞くやいなや、愛葵は私の顔を覗き込み、包み込むような声で言った。
「雨涙、大丈夫? ひまが話、聞いてあげようか?」
差し伸べられた救いの手に、先生も安堵したように微笑んだ。
「愛葵さん、お願いね」
「ひまにおまかせあれ!」
愛葵の席は、私のすぐ前だった。
周囲にはまだクラスメイトが残っていたけれど、この距離なら、ひそひそ話が誰かに漏れる心配はない。私は周囲を気にしながら、彼女だけに届く小さな声で、これまでに起きた出来事や今の胸の内を静かに打ち明けた。
すると、愛葵は私の話を、否定することも、茶化すこともせず、ただ真っ直ぐに受け止めてくれた。
「そっかあ。じゃあ、これからはひまがそばに居るよ!」
思いもよらない言葉に、私は息を呑んだ。
「え、いいの……?」
「うん! 全然いいよ!」
「ありがとう…」
屈託のない笑顔に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
私は、嬉しさと感動で胸がいっぱいだった。
けれど、その感情と裏腹にひとつ心配なことがあった。
それは、常に愛葵にはいつも一緒に行動している友達が居て、私はその子とあまり仲良くないのだ。
そんな中、一緒にいてもいいのかと…。
そうした不安を抱えていた私だったが、数日後、その懸念はきれいさっぱり消え去ることとなった。
ある日の昼休み、愛葵が、私に、思いもよらない言葉を告げた。
「雨涙、最近ひまも悩みがあってね……」
「うん、どうしたの?」
「あのね、ひまがいつも一緒にいた美香居るでしょ?」
「うん」
「実はひまね、あの子苦手なんだよね…」
驚きで、思わず声が漏れた。
「えっ、そうなの?」
いつも仲睦まじく過ごしている二人を見てきた私にとって、それは全くの予想外だった。
「あんなに仲良かったのに…?」
「やっぱり、仲良さそうに見える?」
「うん、めっちゃ仲良いなあって思ってた」
「実はね、嫌なんだよね…。びっくりしたでしょ。最初は良かったんだけど、最近は一緒にいても誰かの悪口ばかりで……。私、ネガティブなことばかり言う子って、どうしても嫌になっちゃうんだよね……」
「なるほどね……」
彼女の本音に触れた瞬間、愛葵との心の距離が一気に縮まったような気がした。
「わかるよ。私もそういう子は苦手……」
「でしょ? だからさ、あの子が最近仲良くしてる別の子のところへ、そのまま行ってくれないかなって思ってて……」
(そうだったんだ……)
私はただ静かに、愛葵の話を聞いていた。
すると──「ねえ、めっちゃ見てくる。こわいんだけど……」
何かを察したのか、窓際の席に座る美香がこちらをじっと睨んでいたようで、愛葵は怯えたように身を縮めた。
そんなやり取りの末に昼休みは終わり、午後の授業が始まった。
授業が終わり、放課後の校舎を玄関に向かって歩いていると、保健室の先生とすれ違い、声をかけられた。
「あら、雨涙さん。最近はどう?」
「……友達ができました」
「本当! それなら良かったわ。文化祭も一人で回らずに済むわね。本当に良かった!」
先生はそう言って、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、気をつけて帰ってね。さよなら」
「さようなら」
挨拶を交わして、私は玄関へと向かった。
あとから知ったことだが、保健室の先生は、私が一人で文化祭を過ごすことになるのではないかとずっと心配してくれていたらしい。担任の先生から、私が最近誰かと仲良くしているという話を聞いて、愛葵たちの耳に入るようにそれとなく伝えてくれていたのだ。
そんな周囲の優しさに気づかぬまま迎えた、文化祭の準備期間中のこと。
愛葵の友人である沙藤愛海に、明るい声で話しかけられた。
「雨涙、文化祭一緒に回ろう!」
あまりに突然の誘いに、私は驚きつつも、溢れる嬉しさを隠せなかった。
「……いいの?」
「もちろん! 一緒に回ろう〜!昨日の帰り道にね、愛葵と話してたんだ。文化祭、雨涙も誘おうよって!」
その言葉に、私は感動で胸が熱くなり、泣きそうになった。
そうして迎えた文化祭当日。私は愛葵たちと一緒に校内を巡り、最高の思い出を作ることができた。
この日を境に、私たちは毎日のように放課後を共に過ごし、それぞれの家路につく途中まで一緒に帰るようになった。
これまでの人生で感じてきたものとは違う、あたたかな感覚。
そこには、もう孤独なんて微塵もなかった。
「2人とも、本当に私のことを受け入れてくれたんだ」
心の底からそう実感できた。
私はもう、独りじゃない――。
そう思わせてくれた、かけがえのない大切な友人たちのお話。




