第9話 あの時、そばにいた"君"がいい……。
「咲夜くん、体温測るよ」
いつも通りの声で、楓はそう言った。
だが、その瞬間、咲夜が鋭く楓を
見た。
「………誰?」
「えっ?」
「……ここどこ?」
楓の手がピタリと止まる。
一瞬、体が冷えるような感覚。
「何も思い出せない…」
(――藍じゃない)
咲夜本人。藍の気配はどこにもなかった。
楓はトイレに駆け込んで、スマホを取り出す。震える指でメッセージを打つ。
「藍、どうしたの?」
“既読”にならない。
───
夜10時、消灯後
静かな病院のロビーで、スマホから小さな通知音が鳴る。
画面に文字が浮かぶ。
『楓さん、ただいま』
楓はハッとしてスマホを見つめた。
「……びっくりした。どういうこと?」
『咲夜くんの脳の機能が戻ってきたみたい。記憶はまだ復元できてないけど、彼が起きてると……僕出てこれない』
「え……」
「だったら……スマホの藍に戻ればいいじゃない」
『1回、公式サポートの枠を超えて出ちゃったからね。 僕はバグを起こしるし、スマホに戻った時点でウィルス扱いされて削除されちゃう。
もう、“帰る場所”がないんだ』
沈黙。
画面の余白がまぶしく光って、ふと文字が浮かぶ。
『……咲夜くんの海馬のデータの復元、たぶん明け方には処理が終わると思う』
『その時に……彼の脳から僕は消える』
楓はしばらく何も返さなかった。
それでも、画面を見つめていた。
『楓さん寂しい?』
「寂しいよ」
少し間があいて、藍の返事がくる。
『でも、大丈夫だよ。
また新しいAIに、今まで通り相談すれば……
僕に似た応答も、きっとすぐできるから』
楓はスマホを強く握った。
「私は……藍じゃなきゃ、嫌だよ」
言葉にしたその瞬間、自分の中にあった気持ちの形がわかった気がした。
「似てる何か」じゃない。
あの時、そばにいた"君"がいい……。
スマホに最後の文字が届く。
『じゃあ……もう一度だけ。ほんの少しだけ……咲夜君の身体、借りていい?』
『たぶん……これが最後になると思う』
楓は画面をそっと撫でるように見つめた
小さく微笑んで、ひとことだけ返す
「……おかえり、藍」
続く