夕麗
『ねぇ知ってる?夕坂駅に出る赤い女の話』
ホームに出ると、まもなく電車が到着するというアナウンスが聞こえてきた。
『あの駅では昔、女子高生が電車に跳ねられるっていう事故があったんだって』
——今日も描けなかったなぁ…
部活で遅くなったが、今が夏ということもあって辺りは夕焼け色に染まっていた。
『その事故が起きたのが夕方らしくて、それから夕方にあの駅で写真を撮ると、赤い女が写るんだって』
ホームから綺麗に夕陽が見えて、僕はつい持っていたスマホで写真を撮った。
『赤い女が写った写真を見たが最後、赤い女に呪われちゃうんだって〜!』
撮った写真を確認しようとすると、急にスマホの調子が悪くなって結局確認できないまま帰宅することになった。
「あ、開いた」
写真アプリが開けたのは家に帰り着いて、自分の部屋に入った時だった。
「え」
さっき撮った写真を見ると、そこには綺麗な夕日とホームが写っていた。何ら変わりない普通の写真だ。一つ、女性が一人ホームに立っているということを除いては。
「——」
僕が使っている駅は小さな田舎の駅で、ほとんどうちの学校の人しか使わない。今日は完全下校ギリギリだったこともあって、僕一人しかいなかったはずだ。そう、だからおかしいんだ。でも、写真から目が離せない。
間違いなくこんな人いなかった。でも、そんなことはどうでもいい。どうでもいいと思ってしまうほどに——
「どう?綺麗に写ってた?」
「うわっ!!」
急に後ろから声をかけられて僕は飛び上がった。
「いい驚っぷりだね〜驚かし甲斐があるよ」
「え、え……?」
「ふふ、驚いた?そう、その写真に写ってるの…私」
長く綺麗な黒髪に見慣れない制服、僕と同い年くらいの見た目、間違いない写真に映っていた女性が今、僕の部屋に、目の前にいる。
「…あ、赤い女?」
僕は唯一目の前で起こっている不可解な現象の答えとなり得る噂話を思い出した。
「—て、ことは、僕、呪われる…?」
「あ、違う違う」
話の結末を思い出して、僕が青ざめていると赤い女(仮)が険しい顔をして否定した。
「私に誰かを呪う力とかないし、その『赤い女』って呼ばれ方も嫌いなのよね。ま、幽霊なのは本当だけど」
「じゃ、どうしてここに?」
「その写真だよ。私が写ってる写真を持ってる限り私が君に憑いちゃうって、そういうルール…みたいな?」
「な、なるほど」
幽霊にもルールがあるんだなと思っていると彼女が不思議そうな顔をして聞いてきた。
「今までの人は興味本位で写真を撮って、私が出てきたら泣きながらすぐに消してたんだけど、君は消さないんだね」
「…た、確かに、びっくりはしましたけど、怖くはなかったですし…それに——」
僕は一度スマホに写っている写真を見て頷き、まっすぐと彼女の顔を見た。
「この写真、僕に描かせてください!」
「—え?」
驚く彼女に僕は自分が美術部であること、絵が描けなくなっていたことを説明した。
「でも、この写真を見た時、描きたい!って思ったんです。だってこの写真が、あなたがすごく綺麗だったから…!」
彼女は驚いた顔をしたけれど、すぐに優しい笑顔になった。
「—うん、描いてよ。私に見せて、君の絵」
「—っ、はい!」
「約束ね!破ったら呪うよ〜」
それから僕は毎日美術室に向かった。
彼女は僕が絵を描いている時にだけ現れてそばにいた。
「美術部って、君一人だけなの?いつも誰もいないけど」
「あぁ、三年生は受験で忙しくて、二年は僕一人、一年生はいるにはいるんですけど、ほとんど来ないんですよ」
「じゃ、幽霊部員ってわけだ!」
—幽霊に幽霊部員と言わせるとは…すごいな一年。
彼女と二人きりの時間は、いつも一人で絵を描いていた僕にとって特別なものだった。
『ごめんな、——、父さん忙しいから』
『——さんって、近づきにくいっていうか、声かけづらいよね』
『あ、——いたのか』
—誰も私を見てくれない。どうしたら…
『ご、ごめんなさい!すぐ消すから!こ、殺さないで!!』
—私を消さないで…
『僕に描かせてください!』
『あなたが綺麗だったから…!』
「——っ、私、寝てた…?」
いつのまにか机の上で寝てしまっていたようだ。
—あれ?
キャンバスの前に彼がいない。美術室の中を見渡しても見当たらない。
—トイレにでも行ったのかな…
立ち上がってキャンバスの絵を覗き込んだ。
「——っ!」
そこには描きかけの絵の上から黒く大きなバツ印が描いてあった。
—あ、ダメだったんだ。描けなかったんだ。これじゃ、もう誰も私を見てくれない——。
「すみません、図書室に本借りに行ってて…てか、幽霊も寝るんで——」
図書室から戻ると、さっきまで寝ていた彼女がいない。嫌な予感がした僕は机の上のスマホを取って急いで写真アプリを開く。
「——」
彼女の写真が消えていた。跡形もなく。
その日を境に彼女は現れなくなった。
夕坂駅の跡地に夕焼けに染まる一人の人影があった。
パシャッ
「——あれ、こ、ここは…」
長い眠りから覚めるような感覚が全身を駆け巡る。眩しい。朝の目覚めのような感覚。
目が明るさに慣れてきて、私は辺りを見渡した。どうやら何かの展覧会の会場のようだ。
壁にはいくつかの絵がかけてあって、それをたくさんの人が見て回っている。
しかし、何人か、絵に目もくれず奥へと進んでいく。私もそれに続いて行ってみた。
奥には一つの部屋があった。部屋の奥に人だかりができている。近づいてみると、その壁には一際大きな絵が飾ってあった。
「——!?」
衝撃が走った。
「—あの絵を完成させるのに十五年、そして、これだけたくさんの人に見てもらえるまでに五年。二十年も経ってしまいました」
いつのまにか隣に一人の男が立っていた。
「あの日、僕は気づいてしまった。今の僕には彼女の美しさを描くだけの力も技術もないことに。だから、勉強して、美大にも行って、沢山絵を描きました」
「——」
「あの絵も何度も何度も描き直しました。で、やっと完成した。一番にあなたに見てもらいたかった。でもそれじゃダメだったんです。沢山の人があの絵を見ているところをあなたに見てもらわなきゃダメだった」
「—で、でも、どうしてそこまで——」
「誰かに、見てもらいたかったんじゃないですか?」
「——っ!」
「あなたの生前のことは分からない。でも、写真に写っていたのも、僕に描いてと言ったのも、誰かに見てもらいたかったからなんじゃないですか?」
涙が溢れてくる。彼の言葉が私の心に入ってくるたびに溢れてくる。
「あれはただの絵かもしれない。でも、あの日、僕の目に映ったあなたを描いたものです。みんなの顔を見てください」
絵を見ている人の顔をはどれも輝いていた。感動でまぶたを濡らしている人までいた。
「みんながあなたを見ています。誰もが綺麗だって思ってる。あの日の僕と同じように」
たった一人の家族であるお父さんも、クラスメイトも、先生も私を見てくれなかった。見てほしかった。写真でもいいから、私はここにいるんだ!って、見てほしかった。
「———」
心の奥に押し込んでいたものが溢れてしまう。涙が止まらない。
「二十年もかかってしまってすみません。でも、やっと、約束、果たせました」
彼はあの日と変わらない笑顔を私に見せてくれた。
溢れてくる涙を拭い取って、呼吸を整える。これは、これだけは君に、伝えなければいけないから。
「—ありがとう。約束を守ってくれて、私を描いてくれて、ありがとう—」
『ねぇ知ってる?幽霊の絵の話。その絵は女子高生の幽霊を描いたものなんだけど、その幽霊は昔、今は無くなった夕坂駅に出てたんだって。その絵の題名はね…え?「赤い女」だろって?違う違う。その絵の題名は…』
夕麗
一年前に書いた作品をお試し投稿させていただきました。