視線
お久しぶりです
ぼちぼち書いてきます
完全感覚没入型VRシステムが完成してから今で大体五年程。幸運と言うべきか、或いは怪我の巧妙と言うべきか。私がVRゲームを始められたのは発売日の一週間後だった。
こんな情緒と性格だ、幾度も引退と復帰を繰り返してきて分かったのは、VRってのは半月もやらなければ脳が分かりやすいくらい鈍ることだ。
いつもと違う脳の動かし方、日常生活では絶対に受けない独特な形の負荷。元より人体が想定してないが故に、大半の人間は完全感覚没入型への耐性が存在しない。
その例に漏れない私はかつて妹にこのゲームを押し付けられるまで、色々あって半年以上VRゲームから距離を取っていた。タイムリープにあった感覚ではつい昨日までVR空間で殺し合いをしていたっていうのに、肉の体の方は耐性が錆びに錆びていて……まあ有り体に言うのなら、酔った。
(気ン持ち悪っ……なまじ戦闘経験研ぎ澄まされてるせいでナチュラルに無茶な指令出し続けてるし、今は余計にその反動が……)
タイムリープで戻った時間は約二年。
プレイ出来ても最大で五年な他人と違い、計七年もの研鑽を経た私の戦闘感覚は、一々相当な活動を脳とアバターに無意識の内に要求する。
例えば自傷跳躍、例えば掴んだ舌だけを始点にした無茶苦茶な体の起こし……さながら足の骨折のリハビリ中にシャトルランを全力疾走してるかのような暴挙である。
よくもまぁそんな馬鹿なことしてるよね私?
……あぁレッドアラートがうるせぇ、タブを一々視界に映すな鬱陶しい!
「……腕、」
「ん?」
「……その、腕、大丈夫ですか? あの、結構思いっきり噛まれてましたけど」
「……あー」
触れてから少し破けているのが分かった。
硬質な感触が内にある左腕の袖を捲れば、"チャキッ"という音と共にそれが空気に晒された。
「……ナイフと、鉈?」
「即席の盾。お陰で貫通せずに済んだよ」
チャリオットと戦る直前、手頃な蔓を紐代わりに機套の内側に括り付けた二つの武器。噛み付いてくるモーションを視認して反射的に突き出したが、これしてなきゃ普通にぐちゃぐちゃに貫通されてただろうね。
──このゲームで初期配布される武器は、攻撃力がカスな代わりに耐久力が存在しない。言わば『絶対に破壊されないオブジェクト』として命綱に使うのはデイブレの民の常套手段だ。
壊れない、故に貫通しない。
防御力は無いので衝撃とダメージは普通に食らうが、固定さえちゃんと出来てれば一番信用出来る欠損対策器になる。
感覚は、ある。ただ痛覚が麻痺してない? 鉈──腕──ナイフの順に馬鹿みてぇな咬合力でサンドイッチされたせいか、武器の跡がくっきりと腕に残ってら。……これもしかしなくても折れてそう。
「ちょっ……! 鬱血してるじゃないですか!?」
「治せるの?」
「え゛……い、いや、無理、ですけど」
「じゃあ騒ぐだけ不毛だね…………あ゛ー多少はマシになってきた」
倦怠感と割れるようなタイプの頭痛。VRゲーム特有の酔い方にうんざりしながら立ち上がる。私、VRの適性低いんだよなー……慣らすまでまた時間かかりそう。
……あれ、こっからなにするんだっけ? ……ああそうだ、街にこの子連れてくんだった。……なんでだっけ? まぁいいや、過去の私がそう決めたんだからそうしとこう。
「げ、妖刀切れてるのだっるぅ……」
……まあ死ぬこた無いだろ。武器は……猪牙の槍を再生産、これで良し。
リザルト。ステポをSとAに半々。スキルは……まぁ別にいらね。討伐報酬も後でいいや。
「……ん、もう動ける。そろそろ行こうか?」
「あっ、はい!」
一回エンジン切れてから脳の劣化が凄まじい、正常な判断力が欠如している。これ本格的に寝ないとダメなやつだから、ここで休んでても意味無いし無駄なだけ。
脳が死んでようが戦える身体に感謝して、方角だけ間違えないようにさあ行こう。
(ボスの討伐でセーフティエリアになる仕様で助かった)
元ボスエリアの中央から、外周の木立の元へ。
『マッピング』と記憶を照合すればこの先に街がある筈だ。
左腕は使えそうにない。より正確に言うなら、使えはするがいつどこでエラーを吐くか分からない爆弾状態と化している。ので、使うにしても精々ライター係兼肉壁辺りが無難でしょ。
てなわけで放火。
「…………」
横から無言の圧を感じる。何か言いたいなら言えばいいのに、何故私と知り合った奴は皆一様にコミニュケーションを取ろうとしなくなるのだろう?
無視して鉈でゴスッゴスッと木に切り込みを入れていくが、効率はなんとも言えない。『妖刀』起動中とは比べるべくもなく、同時に森に踏み入れた当初のカスステよか遥かにマシ。中途半端な感触のまま松明を作って森にぶちまけ、頼りないステータスで進軍再開。
(……傷まで回復はしないのがなぁ)
ボスにリソースを使い果たした後に雑魚モブに漁夫られては溜まったものでは無い。ボス初討伐後に解禁されるセーフティエリアは他のモンスターの寄り付かない安全地帯ではあるが、それが帰りの道まで続く訳もなく。
エリアの境界線を踏み越える。
この先は当然ながらモンスターエンカウントのある世界。まぁ、脳死してようが処理は容易いだろと無警戒で歩いて──瞬間。
「待ってっ……!」
左から震え声の主が手を引いてくるのと同時、凄まじい悪寒が身体中に迸る。
視線。
それも一つでは無い。一箇所から、一つから、一つでは無い認知に遭っている。
視線。
見られている。そして観られている。或いは視られている。それは私達をミていて、それらは私だけをミていた。
視線。
目が、眼が、瞳が、眸が、私を。
識別されていた。観察されていた。認識されていた。考察されていた。
視線が、私を──見ル。
『遘̶̦̤̓̂̊́̎͢͠√҉̧͕͍̤̣̫̈́͐͑͑͡′̸̡̣̩̪̝̲̄̄̾̓̕隕̵̡̬̩̪̐͊̔͞九҉̛̩͇̤͆͌̇̃́͜∴̵̨̪̙̖̣͑́̒͋͠ͅ繧҉̨͓͉̟̰́̿̿͊̀̕九̴̙̗̰͒̔͢͝?̵̛̫̣̠̯̊͛̐̀͜縺҈̢͇̲̜̔͐͞ͅ具̸̧̛̘̟̣͈̀̾͂́̚シ̴̧̳͍̈̂͞』
意味不明な不協和音。理解不能な独自言語。解読不能な交信に曝されている。
電子にもVRにも関係無いと分かる謎の音、若しくは声。耳障りで居心地の悪い彼方のノイズ。
それに口など無い。背の高い山羊のようなそれにあるのは、夥しく場所も角度も出鱈目な数の目、目、目目目目目目目目目目目目目目目目目……
縦に咲いていた。斜めに割いていた。胸に生えていた。首に飾り付けられていた。
顔は無かった。頭が無かった。されども音は鳴った。けれども声を発していた。それでも言語は識覚に届いていた。
漆黒では足りず、生物には成し得ない暗黒の皮膚に毛は無かった。血管の想起も不可能だった。
闇が形を持ったような彼は、しかして夜闇からくっきりと縁取られていた。
生物の外見をしているだけの、生命とは呼びたくも無いナニカが、私を見ていた。
私が見られているのに気付いた。私が見ているのに気付いた。私の脳が受信した。私の脳を受信された。
双方向に、認識して、認識されて。
堂々と、自然と、当然のように、何事無く、ソレが。
私を見ていた。
私を見ていた。
私を見ていた。
私をルていた。
私と。目が、合った。
(うわキッショ、何コイツ)
思わず出たソレへの感想はそんなもの。
生理的嫌悪感が湧くフォルムというか、極めて生命への冒涜を感じる雰囲気というべきか、少なくともモンスター的な外見をしてない謎のブツが、少し離れた木陰になんか佇んでいる。
シルエットだけで見るならデカイ山羊。動きで想起する近似生物はフクロウ。
頭が無いのに長い首をゆっくりと左右に動かして見てくるんだけどすっげぇキメェ、アレ私が反応するかどうか試してんのか? 手近な石でも投げたろかしら。
「コヒメちゃん、アレ知り合い?」
一応対処する前に声を掛ける。震え声で"待て"と言ってきたことから十中八九敵なんだろうけど、終始観察されてるだけで敵意自体は感じないんだよね。
ただ只管に鬱陶しいくらいの不快感を植え付けてくるだけで、言ってしまえばそれだけだ。脳が冒されるような感覚から来る本能的な反応は、思考と自意識で捩じ伏せれる程度の些事。
まぁ一旦殺してドロップ見るかと気だるく武器を構え直した刹那、直感に突き動かされてコヒメの手を引き横へ全力で吹き飛ぶ。
──直後、それまで居た場所が圧倒的火力によって爆ぜ飛んだ。
「……ッ!?」
言うなれば生存本能と言うべきか。悪寒に従い回避したのは土塊で出来た巨大な槍。
着弾箇所がチャリオットの両脚叩き付け以上に抉れてることから、直撃イコール即死なのは火を見るより明らかだった。まぁ火なんてそこら辺にクソほど燃えてるんすけど。言うてる場合か?
思考を加速。
崩れている体勢で無理矢理頭を振って情報を再取得、暗闇を火が煌々と焼く森奥に捉えたのは宙に浮かぶ二つの新たな影。
モーションブラーの酷く掛かった記憶に映っていたのは凡そ2~3mはある石膏の大影。視界に今入れているのは未だアクションの無い謎生物。危険度の脳内評価はコチラが上だが不気味なくらい動きが無い、強いて言うなら視線が私の動きを追ってるくらい。
荷物を小脇に抱えながら、片手で肉体を力任せに跳ね上げる。
飛び散る破片をコートで意識して受けながら優先順位を再設定、異形の対処を最低限の視認だけに留めて攻撃の下手人に意識を注力。
明確な敵意を持って迫る二匹──否、二像を今度ははっきり捉えて、思わず口の端が引き攣った。
「な、長く同じ場所に留まり過ぎた……っ!?」
「後で聞く、いいから逃げるよ!」
敵影の頭上に表示された文字列を確認と同時、脳は即座に逃亡を選択する。異論なしと理性も許可して、何事かを喚くコヒメを抱えて全速力で走り出した。
外見だけで言うならば、それらは黒い石膏で出来た翼を持つ悪魔の像だ。
ガーゴイル、その亜種だろう。
本来は灰色の石肌である彼らは、種族全体の特徴として高耐久のステータスで空中から魔法で攻撃してくるゲーム中盤以降のモンスター。
処理は面倒であるが狩れなくはない。今までその程度の認識だった私は今、スペックでは無くレベルを見て撤退を即断していた。
『黒天の従者:Lv60』
『黒天の従者:Lv60』
(最序盤マップで何ほざいてんだこの馬鹿MOB共!)
60。
それが表示されたコイツらのレベルなのだ。
明らかに、そしてあまりにも異常な数値。凡そ現段階で勝たせるようにデザインされていないそれらに加え、謎の異形も湧いてる深夜の森。
「勝てる勝てないじゃない、今コイツらとここで戦るのはマズイ!」
状況の意味が分からねぇ! 流石に不確定要素が多過ぎる……!
視線に曝される。そして同時に、別方向からの圧を感じる。
直感。後ろを見ずに横っ飛び。直後に爆ぜるは私の影。
爆音は重低では無く軽快に、粉砕では無く破砕のように、樵るのに一手間掛かる大木共をグシャグシャにぶち抜いて児玉する。
衝撃で揺れて一瞬足を取られた。足を取られる程の振動を齎す火力に私達は晒されていた。
普通に背中が冷えるんだが? 割と飛んで離れてんのになンでここまで余波が届くわけぇ?
森を焼く余裕は無い。連鎖して、潜むトレントをケアする方法も無い。エンカウントは止められない。
『マッピング』を随時細かに開閉しながら記憶頼りに方角だけ合わせて、視界は腰に吊るした頼りないランタン一つで確保して。
左手の感覚が無くなってきた。抱える荷物が負担となって重症の左腕を痛めつけていた。
抱えた方が速い、効率で強行。
全身で風を切る。舞った枯葉が頬を撫で、私を見つけ次第突撃してくる肉弾を最小限の動きで脳天を穿ち処理。
申し訳程度の各撃破条件スキルの起動。役に立つ物等ろくに無く、一応あるにはある『隠密』スキルも強引な激走では機能しない。
木立が邪魔だ。暗闇が邪魔だ。
その中で走っているが故に──撤退の効率は最悪だ。
(……割とやばいな)
視線に未だ曝されている。鬱陶しいなァコレ本当に!
進路の木でトレントを引いた。横を抜けざまに振られる樹腕による横殴り。偶発的に発生する奇襲を反射神経で躱せば、ロスに突けて即死火力が背後から投射されている。
方向がクソ適当な縮地を一発。着弾予測地点から距離だけは離れるが、方向感覚が狂って更なるロスが。
エンカウント、頭上から落ちてくる蛇。それが何なのか識別出来たのは肩を噛まれてからだった。
ケアすべき対象が増えたぞクソが。
コート越しに牙が突き刺さる。貫通前に目の前にあった胴体を先に噛みちぎる。
エフェクト邪魔。
右手で飛んできた猪を刺し殺して疾走再開。樹上への意識と全ての木がトレントだった場合の処理出来る余力を確保しながら、左耳から鳴る甲高い何事かを無視して走る、走る、走る、走る……!
「二度とこねぇ」
──開けた世界。
綺麗な月と星々が状況と場違いな程に輝いていて、苛立たしいまでに美しい光が地表を灼く。
若干の明度を取り戻した風景、その先に待つのは一際大きな大きな影。
見たまま例えるならウォー〇マリアな都市の城壁、その巨影を30分以上の激走の末に漸く視界に捉えて尚、逃亡は終わらない。
「しつけぇ……!」
ゲームシステム上、コイツらを撒くのにキリのいい地点は何度か踏んだ。
エリアの移行、マップの移行、単純な距離、逃走時間……大体のモンスターがどれかしらで諦めるだろう条件を大体クリアしても、この『黒天の従者』共はセーフティエリアに辿り着くまで私達を逃がす気が無いらしい。
平野、それも障害物の無い直線コース。的当てには最適な環境ですねぇクソが!
面倒だ、あと頭が痛い。ので、もう被弾は割り切った。
縮地の連打。跳ぶ方向はただただ前へ。
STRの使用判定を出し、それをAGIの初速に乗せて急加速。低空を跳び接地するまでに逆の足で再度の判定入力。
着地と同時にSTRとAGIの出力を揃え、縮地からの縮地を、加速に加速を終わることなく連結させて、渾身のアバター操作を大地へと叩き付ける。
割れ、捲れ、抉れる緑。塵芥のような茶が飛び散り、やがて闇に溶ける黒と化す。
音速には程遠く、かといって確実にそこらの自動車よか加速した私を平気で追従してくるのは見飽きた岩塊。
未来を幻視、まぁまず直撃。
回避は取らずに更なる加速。
射角を調整、ボロボロの『猪牙の槍』を投げ捨て、小脇に抱えた少女を無傷の右腕に回して前に抱いて半身逸らす。
走りにくい体勢のため速度が落ちる。当然魔法と私の距離が縮まっていく。
盾はボロボロの左腕。無駄に全体傷ませるよか、被弾箇所をそこだけに絞る方が安く済む。
街までは凡そ30秒、魔法には発射間隔がある。一射目と二射目にはそれなりに時間が空くはずだ。
だからこれさえ凌げばいい。
──やがての直撃、予期していた激痛。
骨が砕けるようだった。
肉を貫かれるようだった。
体幹が崩れる。体勢が破壊される。
強制的に衝撃で前に吹き飛ぶ体を、痛みで眩む目をかっぴらいて意地で制御。着地を縮地で行って、コヒメを雑に抱え直して再度の加速。
『機套[不屈]』の『不屈』が発動、HPの減少が1で止まる。
欠損は無し、出血も無し、畢竟dotダメージで死ぬ未来は無し。後はこの体を街へ叩き込めばゲームセット。
被弾を加速に変えるだけ。
いつもやってることだった。
《ワールドアナウンス!》
《新たな拠点『冒険者の街エルロンド』に『彁』が到達しました!》
《以降、この拠点が条件を満たすことで使用可能になります!》
「……じゃあ私一旦寝るから、話聞くのは起きてからで」
「え、あの、ちょっと!?」
止める守衛を躱して門を蹴破り街に侵入後、一方的にそう告げて体温を降ろす。
交戦中の表示は消えた。完全な安全圏で漸く消えたかあのガゴ亜種共、執念深すぎるだろ私かよ。
(──依頼は達成、事後処理は次に回す)
頭が重けりゃ体も痛い、過負荷のレッドアラートもうるせぇし、アドレナリンでゴリ押してたけどこの状態でもう頭なんざ使いたくねぇわ。
おお、切羽詰まってない日常のなんと素晴らしいことか。この世界で寝ても命の危険が無いなんて久々じゃんね。
「……疲れた」
意識を手放す。
暗転、何処までも眠れそうな浮遊感。
泥みてぇに底に落ちていく思考回路。
五感が遠のく。
六感の接続が切れる。
それは電脳という慣れ親しんだ空気から、異物として締め出されていくような……
──儀式を忘れていた体は然し、システムのセーフティによって適切な処置をされてその場から意識だけを消失させた。
現実の人体が何らかの要因によって意識がトんだ場合における、強制的なログアウトにその少女は晒された。
ただ、いつものように。
仮想世界で眠った体は──忘れていたゲームとして当然存在する機能によって、現実へその意識を弾き返される。
その仮想世界にやがて残ったのは、正常な手続きを踏まなかったがために消失せずに残った『彁』という気絶したアバターと、泣きそうな顔で守衛に詰め寄られている一人の不憫なNPCと……
──それを遠目からルル視線だった。
コヒメちゃんかわいそう(小並感)