軍師アナジル・アジルトン
アナジル・アジルトンの活躍は目覚ましいものがあった。
名目上、彼の立場は“人事長官”ということになっていたが、彼はみずからを“軍師”と名乗った。
その方が心に響くからだそうだ。
名前など何でもいい。
気持ちよく仕事してくれるなら、どうとでも呼ばせてやれ。
アナジルが人事長官に就任してからというもの、あちこちで頻発していたトラブルはピタリとやんだ。
いや、正確にはトラブルは常に起こり続けている。だが、小さな穴が空いた瞬間、彼は即座に駆けつけ、的確な人材を配置し、即座に問題を解決してしまう。
まさに人事長官の名にふさわしい。いや、軍師だったか?ま、何でもいい。
おかげで、僕の仕事はグッと楽になり、以前にも増して自由な時間を確保できるようになった。
剣や魔法の修行にも専念でき、強力な必殺技や巨大魔法をいくつも身につけることができた。
これで、並の勇者では太刀打ちできまい。いつでもやって来い!返り討ちにしてくれるわ。
*
ある日、アナジルが進言してきた。
「魔王様。守ってばかりでは、つまりません。そろそろ本格的に人間界に侵攻をされては?」
「そうはいってもなぁ。人間たちの方も守りを固めてきているから。小さな村1つくらいならどうとでもなるが、大きな国となると。城の防壁は厚く固くなり、兵士は重い盾や鎧を装備している。こちらも、相応の勝算がなければ…」
僕は渋った。
「そこはそれ。どんなに強固な壁も、アリの穴1つから決壊すると申します。頭を使えば、意外と簡単に制圧できるかと」
「フム。何か策があるのだな?なら、やってみよ」
「ハッ!」
そう答えて、アナジルは城を出て行った。
*
数ヶ月が経過した。
アナジルの進言などすっかり忘れていたのだが、その間、ゆとりの時間がたっぷりと取れがおかげで、僕はさらに腕を磨くことができた。
「これだ!これ!これこそが僕の望んでいたコト!あり余るほどの時間を与えられ、修行に専念し、剣や魔法の能力を上げる。これこそが僕の抱いていた魔王のイメージだ!」
そんな風に僕が喜んでいると、アナジルが帰ってきた。
「準備が整いました、魔王様」
「準備?何の準備だっけ?」
「お忘れですか?人間界への侵攻の準備ですよ」
「ああ、そうだった!そうだった!決して忘れていたわけではないぞ。ただ、やるコトが他にいろいろあって忙しくてな。一瞬、そっちに気を取られていただけだ。一瞬だけな」
「やれやれ…」と、あきれた様子のアナジル。
「で、どのような作戦だ?」
「はい。今回はからめ手で参りましょう」
「カラメテ?」
「ええ、何も正面から突破するのが戦いの全てではありません。内部から切り崩してやるのです」
「内部から?どのような手段で?」
「人間とは欲望の塊にございます。目の前の欲のため、人は人さえも裏切る。世界の行く末などどうでもよい。国がどうなろうが知ったこっちゃない。ただ自分が幸せになれさえすれば、それだけでいい。そういう生き物ですよ、人間というのは」
「その意見には賛成だ。人間だけでなく、魔物もな」
「おっしゃる通りで」
アナジルは楽しそうにニチャリと笑った。
「で、具体的には?」
「な~に、ごくごく古典的な手法ですよ。強欲な商人どもに金や宝石を握らせる。それで、防壁の内側から扉を開いてくれる。あとは、好きなだけ兵士を送り込み、内側と外側両方から同時に攻め立てる」
「なるほど。では、さっそく頼む」
「ハッ!」
その後、しばらくして、大都市の城がひとつ陥落したという報告が届いた。
アナジルの策が成功したのだ。
だが、それは魔王軍にとって大いなる成果であると同時に、致命的な驚異ともなった。なぜなら、いつアナジルが同じ手段を魔王軍に対して使用するかわからないからだ。
「まったく。やっかいな者を雇ったものですね」と、アドバイザーのグレゴリーが困り顔をした。
「まあ、いいじゃないか。今のところ、よくやってくれている。我々にとっては利しかない」と、僕は答える。
「味方でいる内は…ですがね」と、グレゴリー。
確かに、味方でいる内は心強い。
けれども、敵に回ったらどうか?いつ裏切るかも知れぬ有能な人材を抱えているというのは、体内に爆弾をセットされているのと同じだった。