自分の修行の時間
「ハァ~」
僕は、魔王の部屋でひとりため息をつく。
「魔王ってのが、こんなに忙しいとは思いもよらなかった…」
忙しいのはいい。それだけ充実した時間を過ごせているということだから。
ただし、自分の能力を上げるための時間がないのは困る。
「勇者だった頃は、まだよかったな~」
勇者も忙しいといえば、忙しかった。
あっちの村、こっちの街と引っ張りだこで。常にモンスター退治に明け暮れていた。それでも、戦闘自体が経験になったし、レベルアップもしていた。
それがどうだ?
魔王になってから、剣や魔法の修行を1秒でもできたか?
そもそも武器を手にした記憶すらない。こんなことじゃ、次に勇者が襲ってきたとしても対応しきれないぞ。なまった体で、どう戦えというんだ?
もちろん、そうならないための策は講じてある。
魔王の城がある魔界は、並の人間が来られるような場所ではない。いくつもの特殊なアイテムを集め、重要人物に会い、話を聞いて、トラップをくぐり抜け、仕掛けを解除しなければならないように設計してある。
当然、その過程で凶悪なモンスターを何体も倒さなければならない。
そこまでして、魔王の城にたどり着いたとしても、城自体が複雑なラビリンスと化しており、そう簡単にはこの部屋まではたどり着けないようになっている。
それでも!それでもだ!
そこまでしてたどり着いた勇者は、並の人間ではない。実戦から遠のいた僕で勝てるものだろうか?
「もしかしたら、先代の魔王も弱っていたのかもな…」
その可能性は高い。
魔物の軍団を組織し、お金の問題に頭を痛め、魔物同士のコミュニケーション問題を解決し、あちこち飛び回ってはトラブルに対処する。
そんな暮らしをしていて、どうやって自分のレベルを上げるのだ?
体力は落ち、新しい魔法の習得もできず、能力は頭打ち。僕でなくとも、いずれどこかの勇者に倒される運命だったのでは?
僕は先代の魔王に同情した。
先代だけではなく、そのまた先代も、そのまた先代の魔王にも。
「こんなに大変だと知っていたら、魔王なんて引き受けはしなかったのに…」
自分で言いながら、その言葉はウソだとわかっていた。
なぜなら、魔王を倒した勇者として人間界に戻ったとして、そこで待っているのは退屈な人生に他ならないからだ。
それに比べたら、激務のこの暮らしの方がまだマシだ。
「人にまかせるんですよ」と、グレゴリーは言っていた。
「人にまかせる…か」と、僕は口に出して繰り返してみる。
人にはそれぞれ得意分野がある。
一見すると魔物だろうが、魔王軍だろうが、戦いにたけている者ばかりに思える。少なくとも、冒険者の視点から見ている時はそう思っていた。
だが、実際にはそうではなかった。
ただ単に戦闘能力が高い者だけを集めていても組織は成り立たない。そんなのは、ただの暴力集団に過ぎない。世界を支配したりもできない。
長期間に渡って安定して世界を支配するためには、それなりの“システム”が必要なのだ。
前線に出て戦う者はもちろんのこと、後方で支援したり補助したり、補給だって必要だ。むしろ、目に見えない“縁の下の力持ち”のような役割こそ重要なのではないか?
僕はそう考え、なるべく仕事を他人に振るようにしていった。
これまで自分で管理していた部分までも、どんどん部下に投げていく。それは、非常に勇気の要る行動だった。
「なんだか不安になってしまうな…」
そう、不安になるのだ。
全てを自分の監視下に置き、何もかもをトップに立つ者が指示する。そのやり方は、非常に安心する。
いわば、独裁制だ。
だが、そのやり方には限界がある。
組織に所属する者の数が増えれば増えるほど、無理が生じてくる。多かれ少なかれ、誰かにまかせる必要が出てくる。
「や~めた!」
僕は管理するのをやめた。
世の中にはお金を扱うのが得意な者がいる。
人を育てるのが得意な者もいる。
発明をするのが得意な者も、安定して組織を維持するのが得意な者も。
みんな、それぞれの得意分野をまかせてしまえばいいではないか。
僕みたいな素人が口を出したって、うまくいくはずがない。現場が混乱するだけだ。
なら、いっそのこと全部丸投げにして、それぞれの専門家にまかせきりにした方がいい。
この考え方はうまくいった。
おかげで自分の時間を大量に確保することができ、剣の修行をしたり、新たな強力な魔法を覚えることもできた。
なにしろ魔王の城にある書庫には、古代の書物がたんまりと眠っているのだ。“禁忌”と呼ばれる魔法も多い。
僕は、それらの書物を片っ端からひも解き、自分のものとしていった。
武器庫をのぞくと、これまた見たこともないような貴重な剣や斧や槍などがいくらでもある。
弓矢も盾も杖だって!
魔王の権限で、それらの武器防具も使いたい放題だ。
…と、最初はよかったのだが、しだいにほころびが生じ始める。