魔王経営学の基礎
チビでハゲでフードをかぶった男は、グレゴリーといった。
「では、さっそく基本からまいりましょう」と、グレゴリー。
「基本?」と、僕はたずねる。
「魔王様のお仕事の基本ですよ」
「ああ」と、僕は納得する。
「魔王様は世界の支配者にございます」
「それは知ってるよ。勇者であった頃に散々魔王軍のモンスターと戦ってきたからね。世界各地で滅ぼされた国や街、魔王軍に制圧された土地を見てきた。人間たちは迷惑していた」
「それをかつて勇者であったあなた様が開放して回っていた」
「今度は、その逆をやれというのだろう?実に皮肉な話だけどね」
「それがお仕事ですから」
グレゴリーはまた言った。
“お仕事”か。
まあ、人間界に帰って、みんなからチヤホヤされて、余生をのんびり過ごすよりかはこの方がまだマシかも知れない。
「魔王軍は現在、壊滅状態にあります。まずは体勢を立て直していきましょう」
「どうすればいい?」
僕はたずねる。
「そうですね。最初は魔物の育成から始めましょう。なるべく安いモンスターから始めるといいでしょう」
「安い?もしかして、お金がかかるのかい?」
僕は嫌な予感がした。
「当然じゃないですか」
グレゴリーは「何を言っているんだ?この人は?」という顔をして答えた。
なんだか面倒くさいことになってきた。
僕はお金の管理が苦手なのだ。冒険者として暮らしていた頃は、適当にその辺のモンスターを狩ってお金を稼げばよかった。
それで、その日の宿代や食費は簡単に手に入る。たまに高価な武器や防具を買う時には、一生懸命にモンスターを狩ってお金を稼ぐだけ。常にどんぶり勘定だった。
それが、モンスター1体を雇うごとにお金がかかるだと?
「もしかして、経営者みたいなものなのか?魔王ってのは」
「そうですね。その表現は非常に的確です。魔王様に必須なのは、経営能力にございます」
グレゴリーが答えた。
やれやれ。なんてこった。
剣の腕を磨いたり、新しい魔法を覚えたり。そういうのは得意なんだ。なにしろ勇者だったから。魔王もその延長線上にあると思っていた。
だが、どうやらそれは大きな勘違いだったらしい。
面倒くさい作業に、僕は頭がクラクラしてきた。
*
それでも、僕は魔王経営学の基礎から順番に学んでいった。
「まずは、ゴブリンやコボルトといった。基本的な魔物を雇うといいでしょう。彼らは一体あたりのギャラが安いので、大量に雇うことができます」
「フム。『何ごとも質より量』って言うもんな。けど、僕みたいな強い冒険者と出会ったらどうするんだ?ゴブリンやコボルトなんて、何万体いたって相手にならないぞ」
「それは先のお話です。最初は基本から。そう説明したはずですよ」
「それはそうだけど…」
「それに、強い冒険者というのは非常にまれです。ほとんどヒヨッコ冒険者たち。あなた様もかつて同じ立場にあったのであれば、理解できるはずでは?」
確かに。グレゴリーの言うことはもっともだった。
冒険者に限らないが。職人でも何でも、優秀な人間というのは、ほんの一握りに過ぎない。ほとんどは初心者・初級者。せいぜい中級者レベル。上級者にまで到達できる者は限られている。
まして、達人やら伝説の勇者レベルともなると、さらに数は少ない。
レアな存在のことは、ひとまず置いておこう。
「ゴブリンやコボルトは、基本的に戦闘が得意な種族です。それも、物理的な戦闘が」
「棍棒やら斧やら槍やら弓矢やら使って戦闘するんだろう?僕も散々戦ってきたから、それは知ってるよ」
「ただし、中には非常に賢い者も存在していて。攻撃魔法や防御魔法、回復魔法などを使える者もいます」
「そういえばいたな。そういう奴ら。ゴブリンのくせに、妙に頭が回るし、強かった」
「そういった者たちを育成するのも、あなた様の役割でございます」
「フム。経営に育成か。ますます面倒になってきた」
「理論ばかりでは先に進みません。実際にやってみましょう」
グレゴリーにうながされて、僕はゴブリンを数体雇ってみた。
それから、近くにある人間の村を襲わせてみた。
数時間後、彼らは成果をあげて帰ってきた。
人間の食糧やお金をごっそりと奪ってきたのだ。中には、薬草や防具などのアイテムもある。
「なんだ、簡単じゃないか」
僕は拍子抜けする。こんなのだったら、いくらでもできるな。
「でしょう?基本はこれだけです。あとは、モンスターたちの数を増やし、育成し、レベルを上げて、より強固な軍団を作り上げていくだけ。最強の魔王軍を目指しましょう」
僕は、魔王軍経営シミュレーションに簡単にハマってしまった。
何よりもいいのは、自分の手を汚す必要がない点だ。
僕は魔王の城に居ながらにして、遠隔地の魔物たちに命令をくだすだけでいい。
「気に入った!いいぞ、この遊び!いや、この仕事」
「そうでしょうとも。そうでしょうとも。わたくしには最初からわかっていましたよ。あなた様が卑劣な手段で先代の魔王様を倒された時から。『この方は、きっと魔王様に向いている』と」
グレゴリーが褒めてくれる。
「卑劣な手段ねぇ…まあ、確かにそうだといえばそうなんだけど。面と向かって言葉にされると、心が傷つくねぇ…」
「世の中、夢や理想だけでは渡っていけません。時には、卑劣な手段を用いて現実に生きる必要もございます。そういう意味で、あなた様は資質がありますよ。世界を支配する魔王様の資質が」
褒められてはいるのだろうが、何だか心がこそばゆい。
けど、まあ。僕が魔王に向いていることだけは確かなようだ。これで、しばらくは退屈せずに済みそうだ。
*
ゴブリン、コボルト、オークといった種族は、人間に近い。だが、見た目は醜悪で凶暴だ。
それでも、つき合ってみれば、そんなに悪い奴らではないとわかってきた。しょせんは立場の違い。以前は勇者という立場であったから、相容れない仲であっただけ。
今や僕は魔物側。それも、トップに立つ魔王という立場。
みんな「魔王様!魔王様!」と慕ってくれている。
仕事が終われば、みんな酒盛りをして過ごす。
こういうところは、人間と変わらない。僕も人間の冒険者であった頃は、魔物退治のあとによく酒場に繰り出したものだ。
魔物たちはギャンブルも好きだ。
もちろん、ある程度知性のある種族に限られる。スライムのような動物以下の知能しか持たない者は、ギャンブルどころか上司の指示も聞きゃしない。ただ、戦場に配置されては戦闘をこなすだけ。
どちらかといえば、兵器の一種に近かった。
「魔王様、ごきげんよう!」
「今度の魔王様は金払いもいいし、労働環境にも気を使ってくれる」
「ほんと、ほんと、最高だぜ!」
部下たちの褒め言葉を聞いて、僕もご満悦だ。
ただ、職場は問題も多い。
まずは人材管理。最初は雇っている魔物の数も少なく、編成も簡単だったが、組織が大きくなるにつれ、そうもいかなくなってきた。
「役割を分担し、序列を作るといいですな」と、グレゴリーが提言してくる。
「役割分担と序列?」と、僕は問い返す。
「はい。何もかもを1人で背負おうとなさいますな。数が増えれば、おのずと無理が生じてきます。全ての作業を1人で行うのではなく、部下の数を増やすのです。人材管理・中間管理職、そういう考え方を学ぶのです」
「人材管理に中間管理職ねぇ…」
僕はため息をついた。
「簡単に言えば“組織作り”ですよ」と、グレゴリー。
「やれやれ、魔王ってのも見た目ほど楽じゃないな。ほんとに先代の魔王もこんなコトをやっていたのか?」
「はい。先代も、そのまた先代も。ずっとずっと、このようなコトをこなしてきたのですよ。人材管理能力に欠けていた魔王様は、得てして短命でございました」
「そんなこともないだろう。結局のところ、戦闘能力が一番大切だろう?強い奴が生き残る。違うか?」
「違いますね。戦闘など、魔王様のお仕事の1つに過ぎません。むしろ、強力な力を持つ勇者との戦闘など滅多にないとお考えください。それよりも『どうやって勇者一行を魔王の城に近づけないか?』を重視するのです」
「それってズルくないか?正々堂々戦えばいいじゃないか」
「アレアレ。卑怯な手段で先代の魔王様を倒した方のお言葉とは思えませんね。力に頼るのではありません。頭脳を使って生き残るのです。それがあなた様のお仕事」
そう言って、グレゴリーは自分の頭をトントンと指で指し示した。
「頭脳ねぇ。まあ、言わんとすることはわかるよ。僕だって長生きはしたい。じゃあ、その“組織作り”というのをやってみますか。それに加えて、トラップに防壁強化。やるコトはいくらでもあるなぁ」
魔王の仕事は思ったよりも忙しかった。
僕は、魔物たちの管理に専門の役職を作り、経理部だとか総務部とかも作った。それに宣伝部。魔王軍のイメージアップをはかり、より優秀な人材を集めるためだ。
福利厚生を充実させ、戦闘で死亡した際の家族への補償制度も作った。
お金はどんどん飛んでいく。人間たちから奪っても奪っても足りない。
そうこうしている内に、人間たちの方もレベルアップしてきて、以前のように簡単に街や国を襲撃できなくなってきた。