友情
日下悠人には、白井海人という小学校から中学校まで仲の良かった友人がいた。小学生の頃は、“何かあったら自分が絶対に助ける”と互いに言い合うほどに仲が良かった。
仲の良さは、中学の頃も変わらずに、共に行動することが多かった。
ただ、その関係が薄くなり始めたのは、高校生になってからだった。悠人と海人は別々の高校に進学することになり、入学当初こそ頻繁に連絡を取り合っていたが、徐々に疎遠になっていた。
悠人も海人のことを決して忘れたわけではなかったが、高校で新しくできた友人と付き合うことが多くなったのだ。
結局、高校に入学してから1年が過ぎたが、海人と会う事はなかった。
高校2年生になってから、1ヶ月ほど経った頃、悠人は下校中に偶然自宅近くの河川敷に差し掛かった。何気なく土手の上から高架下を見遣ると、悠人は驚いた。海人と思われる人物が同じ制服を着た3人の男子に囲まれていたのだ。
囲まれているという時点で海人が何らかのトラブルに巻き込まれているのは明白だった。悠人は、急いで、土手から降りる階段に向かう。ただ、土手を下り終え、高架下に着いた頃には海人を取り囲んでいた男子たちはいなくなっていた。
海人は、膝の汚れを手で払っていた。
汚れを払って、立ち上がった時に、目が合った。
海人は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに視線を外し、まるで知り合いではないように、悠人の横を通り過ぎた。
悠人は言葉が出るよりも先に体が動いた。海人の右腕を掴んだ。
「おい、海人! ちょっと待てよ!何で無視するんだよ!」
海人はわざとらしく溜息をつくと、ゆっくりとこちらに向き直った。右腕を離す。
「……で、何?」
自分が知っている海人の言動とは、とても思えなかった。しかも、この状況で、“何?”はないだろと感じた。その冷たい視線には少し腹が立った。
「何って、さっき男子たちに囲まれてただろ」
「…………。別に、関係ないよ。話をしてただけだ」
ぶっきらぼうな言い方だ。
「あれは、単に会話をしてるって感じじゃなかっただろ?その……。大丈夫なのか?」
「………。別に気にしてもらうようなことじゃないよ」
こちらの顔すら見ないで話している。
「でも……」
「本当に関係のないことだから」
そういうと、海人は、悠人に背を向けたまま歩き出した。
「おい、ちょっと待てよ!」
背中に向かって呼びかけるが、それに応じる事はなかった。
海人は悠人からどんどん遠ざかっていくが、悠人は追いかけはしなかった。
おそらく、これ以上追及しても、無駄だろうと思ったからだ。
海人は、はぐらかしたが、先程の光景はどう見ても友人同士で会話をしていたというものではなかった。間違いなく、いじめを受けている場面だった。
だが、仲が良いからこそ、言いたくない、知られたくないと思う気持ちにも理解はできた。
だからこそ、今、無理矢理介入するのは良くないのではないかと悠人は感じた。それに、ずっと連絡をとってさえいなかった人間が急に現れて、助けたいと言ったところで何を今更と思われる可能性は高かった。
悠人は、海人から助けを求めてくるまで待つべきだと思った。
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海人がこちらに助けを求めてくるまでは、そっとしておこうと決めたものの、頭の片隅には海人の存在があった。
あれから、数日経つが、今のところ何の音沙汰もない。といっても、普段から連絡をとっているわけではないが。
ただ、何もせずにじっとしているというのはできなかった。どうしても気になって仕方がないのだ。
悠人は、確か中学の時に同じクラスだった生徒の中に海人と同じ高校に進学した人がいたはずだと思い出した。
悠人は、まず同じクラスだった、梶田という生徒に連絡をとった。梶田というのはクラスのムードメーカー的存在で、クラスの皆と仲が良かった。クラスメートの事もよく知っているだろう。
梶田の連絡先は持っていたので、早速連絡をしてみた。
梶田とは、ほとんどやり取りをしていなかったので、突然の連絡に多少驚いたようだった。ただ、こちらを怪しんでいる様子は別になかった。
悠人は適当な理由を付けて海人と同じ高校に進学した生徒について尋ねた。梶田はすんなりと教えてくれた。
梶田が教えてくれたのは、雨宮という女子生徒だった。黒髪ロングが特徴的で、学級委員をやっていた。男子にも結構、人気があったのを覚えている。
ただ、連絡を取るのは少し憚られた。というのも、クラスこそ同じだったものの、会話をそこまでしたことがなかったからだ。接点がほぼ無かった自分が急に連絡をするというのは、怪しまれてもおかしくない。
ただ、折角海人の手がかりが掴めそうなところまで漕ぎ着けたのにここで諦めるというわけにはいかなかった。
悠人は、梶田に教えてもらった雨宮の連絡先に連絡を入れた。メッセージで事情を説明するのは、ややこしくなると思ったので、電話をしたが、やはり雨宮は困惑した様子だった。
電話した理由を変に誤魔化すと、更に怪しまれると思い、丁寧に事情を話した。
雨宮は、理由を聞いて納得したようだった。聞けば、偶然にも海人とは同じクラスだという。ただ、授業など必要最低限でしか会話する機会が無く、海人のことはよく知らないという答えだった。
だとしても、何か気づいた事はないかと悠人が食い下がると、もしかしたらいじめられているのかもと雨宮がポツリと言った。
最近、あまり良い噂のない男子らと一緒にいるのを見かけるというのだ。ただ、実際にいじめを受けている場面などは見たことが無く、本当のところはよく分からないという事だった。
雨宮からは、思っていたほどの情報を得る事は出来なかった。ただ、海人がいじめを受けているというのは、ほぼ間違いなさそうだった。
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それから、数日が経った頃、悠人はベッドに横になりながら、考え事をしていた。
雨宮に聞いたことで、やはり海人がトラブルに巻き込まれていると分かったものの、海人からの連絡はなく、悶々としていた。
その時、突然スマホが鳴った。
「おわっ」
突然の着信に思わず声が出た。
そして、着信元を見て更に驚いた。海人からだった。
「……もしもし」
「今……、時間大丈夫か?」
決して明るい口調ではなかったが、この間のようなぶっきらぼうな言い方ではなかった。
「ああ!大丈夫だ!」
悠人は勢いよく答えた。
「……。悠人、雨宮さんに何か聞いた?」
「えっ」
悠人は、ドキッとした。雨宮が海人に何か言ったのだろうか。
「雨宮さんに言われたんだよ。悠人が俺のことを心配してるって」
「……。悪い。勝手に聞いて……。でも、余計なことをしたとは思ってない!お前が心配だから!」
これは、悠人の本心だ。
「雨宮さんは、詳しい事は話さなかったけど、何か聞いたのか?」
ぶっきらぼうというわけではないが、何か他人事のような話し方だ。
「……。お前がいじめを受けているかもしれないって聞いたよ……」
「で……?」
“で……?”でって何だよ!海人の物言いには少し腹が立った。
「こっちは、お前のことを心配してるんだよ!ただ、黙ってる方が無理だろっ‼︎」
電話口で思わず叫んでいた。
「どうして……?」
「は……?」
海人は、あくまで悠人には関係ないというスタンスをとるつもりなのだろうか。それとも、海人にとっては、自分が信用に足らない存在なのだろうか。
「お前の親友だからに決まってるだろっ‼︎」
普段であれば気恥ずかしくて言えないような言葉だが、この時ばかりはクサイことを言ったなどとは思わなかった。
電話越しに、フゥと息を吐くのが聞こえてきた。
「……。本当に力になってくれるのか?」
なんて、当たり前のことを言うんだ、と悠人は思った。
「勿論、当たり前だろ!それに、約束しただろ、昔。“何かあったら絶対に助ける”って!」
しばしの沈黙を挟んで、電話の向こうから応答があった。
「……。そうか、分かった」
これまでよりも声に柔らかさがあった。
「じゃあ、明日の夜、家だと話しにくいから。そうだな、この間の河川敷の高架下に来てくれないか?あそこなら話しやすい」
「分かった。柳川のところだな?必ず行く」
通話を終了して、ベッドに横たわると、眠気が襲ってきた。
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海人との約束の時間は22時30分だった。おおごとにはしたくはないから、家の人には知らせないで欲しいと海人から頼まれていたので、早めに部屋に閉じ籠り、22時頃になるのを待った。
悠人の部屋は、2階にあるが、ベランダの手すり伝いに下に降りることができた。悠人は、22時を過ぎた頃に家族に気づかれないように家を出た。
外は、すっかり暗くなっていた。自宅から河川敷までは歩いて5、6分だ。
通り慣れた道とはいえ、この時間帯だと不気味な感じがする。この時間帯は、すっかり人通りが減っており、街灯もそこまで多くないので、真っ暗だ。
結局、河川敷に着くまで誰ともすれ違う事はなかった。土手を降りて高架下へと向かう。
暗い事もあってか人がいるのかいないのかよく分からない。
スマホで時間を確認すると、22時17分だった。少し着くのが早かったかもしれないと思った。
高架下から、土手の方を見上げて待っていると、高架下の奥の方から、すなわち背中側からゴソゴソという音が聞こえてきた。
海人だろうか……。悠人は恐る恐る声をかけた。
「海人なのか……?」
「なんだ……、意外と早かったな」
海人の声は非常に落ち着いていた。
「そっちこそ、随分早かったな?」
「ま、こっちはその前にやる事があったからな」
「やること?」
「さてと、あまり時間がないからな……」海人は悠人の質問には答えずに、こちらに近づいてきた。
「確認だけど、家の人は悠人が抜け出していることは知らないよな?」
何の確認なんだ?とも思ったが、ああ、と頷いた。
「それなら良かった。じゃ、早速手伝ってもらおうかな」
「……手伝う……?」
一体、何の話だ?
海人はどこからともなく、スーツケースを持ってきた。そして、悠人に開いてくれと頼んだ。何となく、嫌な予感がして、恐る恐るスーツケースを開くが、中身は何も入っていなかった。
「……。おい、一体どういうこと何だ?」
そこまで言って、ふと辺りを見回したところで、悠人は思わず体を硬直させた。
暗くて目が慣れるまで分からなかったが、海人の後方の地面に敷かれているブルーシートの隙間から人の足のようなものが見えたのだ。
悠人はゴクリと唾を飲み込んだ。上手く言葉が出てこない。
心臓がドクドクと高鳴っていた。頑張って呼吸をする。
海人は、悠人が動揺しているのを察したようだった。
「ああ〜、気づいたか」
そういうと、海人はブルーシートを捲り上げた。そこに横たわっている人物の顔を見て悠人はギョッとした。
先日、遠目から見ただけだったが、間違いない。海人を囲んでいた男子の1人だ。
「そ、そいつ……」
「こいつは、俺をいじめてたリーダー格の奴だよ。呼び出して、首を絞めて殺したんだ」
「は……?」
何言ってるんだ、海人は……?これは夢なんじゃないかと思う。
目の前の情報を処理しきれない。
「悠人……。俺たち親友なんだろ?何かあった時は、絶対助けてくれる。……だったよな?」
「……。だからって、な、何で。こんなこと……」
何とか言葉を絞り出す。
海人は、ブルーシートで男子の体を覆うとスーツケースにせっせと詰めていく。
「だから、散々言っただろ?関係のない事だから、首を突っ込むなって。それでも、無理に関わってきたのはそっちだろ?」
悪びれもなく言う。
悠人は、呆然として立ち尽くしていると、海人はスーツケースに鍵をかけて立ち上がり、膝についた汚れをパンパンと払い落とす。
海人は、腕時計で時間を確認した。
「あまり時間がないな。持ち上げるから手伝ってくれるか?」
「……。おい、いくら親友だからといっても……。流石にこんな手伝いは……。できない」
悠人は下を向いて言った。
「は……?今更何言ってんだよ?」これまでに無いほど低い声と恐ろしく冷たい視線を向けてきた。
「もう手遅れだぜ。お前は既に共犯だからな」
海人が川に向かって何か投げるような動作をした。直後、何かが水に落ちる音がした。
「共犯ってどういうことだ⁉︎俺は何もしてないだろっ‼︎」
何かとんでもないことが起きている。悠人は思わず叫んでいた。
「おいおい、静かにしろよ。誰かに気づかれたらマズいだろ?」
海人は口角を上げた。邪悪な笑みだ。
「今、川にスーツケースの鍵を投げ捨てた」
さっきのポチャンという音はこの音だったのかと悠人は思った。
「……。でも、鍵を投げ捨てたから何だっていうんだよ……」
「分からないか?見てみろよ」
海人は両手を悠人の前に出して見せた。
「俺、手袋してるだろ?指紋を残さないためにな」
悠人はゴクりと唾を飲んだ。嫌な感じだ。
「通報したりしたいなら好きにすれば良いさ。でも、そうなったら困るのはお前の方だ」
心臓の鼓動が早まっていく。
「覚えてないか……?さっきお前、俺に頼まれてスーツケースをいじった時内側とかにも触れただろ?ブルーシートにも少し触れたか?いずれにしてももう意味は分かるだろ?」
「海人っ!お前っ!」悠人は海人の胸倉を思わず掴んだ。
「別に良いんだぞ、無理矢理スーツケースを開けたって。最もそうすれば、更にお前の痕跡が残るだけだけどな」
胸倉を掴まれながらも笑みを浮かべて語る様子は、完全に常軌を逸していた。
「初めから……。そのつもりだったな!」
「ふっ」
海人が笑った。
くそっ。
だが、悠人は思い出したことがあった。悠人は今夜、海人と会うなどとは家族に言っていないし、家族は悠人が外へ抜け出したなど知らない筈だ。
「スーツケースに俺の指紋がついていたとしても、俺には家にいたというアリバイがある。だから、そもそも俺が疑われる事は……」
「いや、それはどうかな?確かに家族は、お前が家にいたと証言してくれるだろうよ。でも、お前は早い時間から部屋に篭ってたわけだろ?つまり、ずっと姿を見ていたわけでは無いわけだ。警察がそれを知れば、お前に疑いの目を向けるさ」
「っ……」
それに、悠人も気づいたことがあった。2階から抜け出した形跡を完全に消す事は無理だろう。
もう、どうしようもないのか……。
俺は、海人の胸から手を離した。
海人はぐしゃぐしゃなっていた胸の襟元を丁寧に直した。
「覚悟は決まったわけだね?」
何もしていないが、海人の言う通り、疑われる可能性は十分にある。それに、海人はきっと手を回していると感じた。それに、悠人自身、突然中学の同級生である、雨宮に海人の近況を尋ねるという怪しい行動をとってしまっている。殺された男子と全く接点がないわけではないという事だ。
覚悟を決めるしかなかった。
「……。で、そのスーツケースはどうするんだ?」
「このまま、川に捨てる」
「川に捨てる⁉︎」
「ああ」
「そんなの、すぐに見つかるぞ‼︎」
海人はやれやれというように肩をすくめた。
「柳川は、見ての通り流れが早いだろ?すぐに海まで流れていってしまうさ。それにだ、仮にスーツケースが重くて流れなかったとしても、この川は水深が意外深い。それに水はいつも濁ってるから見つかる事はない」
「っ……」
悠人は深呼吸した。
「でも、仮に警察に発見されたらどうする?この男子はお前を虐めてたんだろ?疑われるだろ?」
「確かに、疑いの目は向けられるかもな」
「かもなって……」
「ところで、ここに来るまでは、俺が事前に送ったルートで来たんだよな?」
「あ、ああ」
実は、海人から今日来るのに際して、事前にメールをもらっていた。このルートで来れば最短で来れると言われていたのだ。
「なら、大丈夫だ。帰りも全く同じルートを引き返せば良い。あのルートだと、防犯カメラに映らずに来ることができるんだ。つまり、お前にはこの現場に来たという証拠はない。俺も何とかカメラに映らないようにここに来ている」
本当に、カメラに映らないで済んでいるのだろうか……。だが、ここはそれを信じるしかない。とにかく、ここに長居するのはマズイ気がしていた。
「分かった。早いとこやろう……」
悠人は海人となるべく音を立てないように慎重にスーツケースを川に流した。
「本当に……。バレないのか」
「はぁ。まだそんなこと言ってるのか?そもそもあいつは俺のようにいじめていた奴がもっといるんだ。つまり、あいつを殺す動機がある奴はごまんといる。俺だけに焦点が当てられるってことは考えにくい」
海人は少し間を置いて、言葉を続けた。
「だが、これで、俺とお前は一蓮托生だ。死ぬまでな」
「………」
「それに、まだ後2人いるしな……」
「は?」
「安心しろよ。すぐにはそんな危ないことしないから……」
悠人にはもはや言い返す気力もなかった。
ただ、悠人と海人は、親友以上の深く固い絆で結ばれるようになったのは言うまでもない。