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メロディは手のひらに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
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第6回 朝食会。もうだめ、もっと、



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「おはようございます。」


小さな家の扉をノックする。


暫く待っても返事はない。


前にもこういうことがあったと思い、森の方へ向かう。


すると、やはりそこにキースは居た。


けれど今日はこちらへ戻ってくるところだった。


視線は横へ。森の中へ向けられていて、一向に俺に気付きそうにない。


以前のように物思いに耽っていたのだろうか。


「おはようございます。」


声を掛けると、びくりとして立ち止まった。


「……おはようございます。」


今回も5メートルくらい手前だったけれど、挨拶だけ述べると再び歩き出した。


視線はしっかりと外され、無表情だ。


そのまま横をすり抜け家へ向かう背中を追い掛ける。


家へどうぞ、と言われなかったけれど、着いて行ってもいいだろう。


「……今日はビーフシチューです。」


こちらを振り返らず発せられたその言葉で、訪問の許可が下りていることを知りほくそ笑む。


「こっちのは、内緒です。冷蔵庫に入れさせてください。」


「……内緒………どうぞ。」


家に入ってもこちらを振り返ることもなくコンロへ向かうキースは、どこか元気がないように見える。


「具合、悪いんですか?」


先にテーブルに着き、キースの背中へ問いかける。


「いえ、大丈夫です。」


その声にも張りがない。


「何か、ありましたか?」


その問いかけには沈黙が返される。


焦げ付かないよう、静かに鍋を掻き回している。


「……ピアノの彼がこの街を去りました。」


ぎりぎり聞き取れるくらいの小さい声だった。


「……寂しいんですか?」


もう彼はいない?


「……………そうですね、朝の楽しみが無くなりましたから。」


すぐに返らない返事に、また聞かれたくないことを聞いてしまったかと焦りはしたが、今回は違うらしい。


雨の日以外は毎日来ていたんだったか。


毎朝聞いていたピアノの音が聞こえないというのは、確かに寂しくなりそうだ。


そう思考しないと、背中からじわじわと抱き付いてくるような優越感に飲み込まれそうだ。


悲しそうにする人に笑顔でよかったですねと言うようなことはしたくない。


気を引き締めないと簡単にそちらに転がり落ちそうな自分に少しだけ苛つく。


「レコードでも聞きますか?」


「……そうですね。」


賛同するような言葉は返ってきたが。


「蓄音機は持ってますか?」


「……えぇ。」


「今度一緒に街に行きませんか?」


「……えぇ。」


合意の言葉は返って来たけれど、やはり心ここに在らずといった様子で、俺が街へ誘ったことを理解しているのかは定かではない。けれど言質は取った。


よほど気落ちしているらしいのが気掛かりだ。


街にはレコードを扱っている書店がある。


気に入っている曲のレコードを贈ったら元気になるだろうか。


ビーフシチューの牛肉の脂の甘い匂いが届く。


焦げ臭くなったらすぐ動けるように警戒しておいたが、心配するほど放心もしていなかったらしい。


出された皿には、じゃがいも、にんじん、きのこ、牛肉がたくさん入っていて美味しそうだった。


そこにひとりひとつのコッペパンを皿に用意してくれた。


こちらへと延べられた皿に乗ったパンをすかさず手で半分に千切る。


「半分ずつにしましょう。俺が買ってきたやつもあるので。」


そう伝えキースの皿に乗っていたパンを勝手に袋へ仕舞い、半分に千切ったパンを代わりに乗せた。


そこでやっとで俺を見た。


「……はい。」


変わらない無表情で神妙に頷いた。


具沢山のビーフシチューは、コッペパンを浸けて食べても良い塩味と甘味で、あっけなく無くなってしまった。


黙々と食べるキースはまだ無表情だった。


自分が作ったものでは瞳は輝かないのだろうか。こんなに美味しいのに。


それともそんなに悲しいのか。


「俺のやつは、コーヒーが一緒の方がいいかもしれません。」


キースにはコーヒーを淹れてもらい、その間にビーフシチューを食べた食器を洗っておく。


冷蔵庫から紙袋を取り出し、先にテーブルで待つ。


暫くしてコーヒーを持ってキースも戻る。


キースにしっかりと紙袋を見せつけてから中へ手を入れ、ひとつ取り出す。


崩さないよう優しく掴み、パンが乗っていた皿に置く。


白い食パンが三角形に切られている。


食パンと食パンの間には3センチほどの隔たりがある。


その隙間にむっちりと挟まれているのはミルククリームと黄色味がかったフルーツ。


まだ食べていないのに、キースの瞳はキラキラと輝き、唇は薄く開いている。


その隙に自分の分も取り出しておく。


キースはまだその個体を眺めていたいらしい。


時々角度を変え横から後ろからと眺めている。


満足できたのか、やっとで俺の存在を思い出したらしく、口をきゅっと引き結びこちらを見上げ目をぱちぱちと瞬く。


「どうぞ。」


「……いた、だき、ます。」


この反応だから、恐らく初めて見たのだろう。興奮と緊張が見て取れる。


手に取り、まずその柔らかさに怯えを見せたが、慎重に口元へ運ぶ。


そして三角の頂点に齧り付く。


咀嚼するその口角は上がり、頬には少し朱が差している。眉はもちろん下がっている。


その顔を見ながら自分でも食べる。


確かにミルククリームの甘さとフルーツの酸味が合わさり、それらを邪魔しないシンプルなパンで美味しい。


ただ柔らかすぎて、溢さないように注意が必要で一度キースの顔から視線を手元に戻さなければならなかった。


一口ひとくちを大事に食べるキースは、さっきまでの落ち込みようが嘘のよう。


こっちに気が逸れてよかった。


最後のひとくちまで見守っていると、どうやら食べ切ってしまったことが悔やまれるらしい。


その手にマグカップを差し出してやる。


両手でマグカップを受け取ると、悲しげにコーヒーを啜る。


その隙に再び紙袋を持ち上げる。


その紙袋が擦れる音にキースが反応する。


もちろん今日も手元にしか注意は向けられていない。


そして次の一切れを取り出し、皿へ置く。


茶色い食パンが三角形に切られている。


食パンと食パンの間には3センチほどの隔たりがある。


その隙間にむっちりと挟まれているのはチョコレートクリームといちご。


「……チョコレート………」


フルーツサンドを凝視しているキースの薄く開かれた口から言葉が零れる。


マグカップを持ったまま、眺め回している。


もちろん、時々首の角度を変えている。


これはもう惚けていると言っていいだろう。


手に持ったマグカップを下から支え、そのまま受け取ってやる。


俺の存在感の無さに失笑を零せば、やっとで俺を思い出したキースがこちらを見上げる。


「どうぞ。」


さっきの一個で食べ方は習得したらしい。


ひとくち頬張り、飲み込む。


瞳は輝きを通り越し、涙で潤んでいる。眉はだらしないほどに下がっている。


「……中にもチョコが入ってるなんて……」


なるほど。


チョコレートは特に好きらしい。


テーブルの下では微かに、足先をパタパタと動かしている気配がする。


紙袋から取り出し齧り付いたそれには、チョコレートクリームの中に砕かれたチョコレートの欠片が入っていた。


チョコレートクリームの甘さといちごの酸味、カリカリというチョコレートの歯応え。


確かに美味しい。


ここまで喜ばれると次のお土産を選ぶ難易度が上がってしまうな、と少しだけ後悔もしたが、キースが喜んでくれるなら何でもいいかと開き直り、ぺろりとお腹へ納めてしまう。


いつもゆっくり味わうように食べるキースが、口の中をチョコレートで満たしておきたいと急ぐように喰らい付いているのが意外だった。


最後のひとくちを飲み込むと、やはり激しい後悔に襲われるらしい。


ハンカチを持っていればよかった。


代わりにテーブルに置かれたティッシュを取り渡してやる。


受け取り、目元と口元を拭く。


それを見届けマグカップも持たせてやる。


放心しながらも消失してしまったチョコレートを想うその姿があまりにも哀れに思えた。


「キース、次が最後ですよ。」


その言葉に縋り付くように頼りなさげに涙を浮かべた瞳でこちらを見上げる。


「チーズクリームと葡萄、だそうです。」


少しだけ瞳は輝きを取り戻す。


居た堪れなくなり、さっさと紙袋から取り出し皿に置いてやる。


「……いただきます。」


名前だけでは歓喜しなかったそれは口に合うだろうか。


恐る恐る頬張ったひとくち。


キラリ。見開いた瞳が輝く。


チョコレートほどではないにせよ、美味しかったらしい。


その表情に安堵し深い溜め息を吐いてから、食べ始める。


もったりと重い甘しょっぱいチーズクリームに、厚い果肉で食べ応えのある大粒の葡萄。


水分の少ない葡萄で、水っぽくならない。


それとチーズ味がコーヒーに合うし、この組み合わせも美味しいな、と考えながらもキースの顔からは目を離さない。


無表情だったり冷淡で、不機嫌、拒絶的な表情との落差が大きすぎる。


けれど、どちらも悪くない。


「……ご馳走様でした。」


両手を合わせ合掌していたから、恐らく俺ではなくチョコレートの神様への挨拶なのだろうと察しておく。


「じゃあ、また、来ますね。」


玄関の扉を開け外に出てから忘れていたことを思い出し振り返る。


「コーヒーとクッキー、美味しかったです。ありがとうございました。」


後ろについて来ていたキースが、しまったという顔をする。


「待って、今日の支払いは?」


「今日もたくさん貰いましたからいいですよ。」


幸せそうに食べる顔も見られたし、チョコレートが好きだってわかったので。


「でも、あの、待ってて。」


そう言うとキッチンへと向かう。


もしかしてまたお土産を貰えるのだろうか。


手に持ってきたのはやはり紙袋。


「これもコーヒーとクッキーだけど、味は違うから。」


それを籠へ押し込む。


紙袋を納め終えても手を離す素振りを見せずに動きを止めてしまう。


「……ノアがいつもたくさんの美味しいものを教えてくれるので、もう私は駄目な人間になりそうなんです。」


籠から力無く外した手を握り込んでいる。


「……美味しいものに罪はないですよ。美味しいもの、一緒にもっと食べましょう。」


項垂れる頭を優しく片手で撫でてやる。


「また来ますね、キース。」


手を振り、背を向けて立ち去る。


打ち付けるように強く拍動する心臓を、息を止め必死に抑える。


ひどい言葉選びだと、笑って受け流せばいい。


あなたのせいで私がだめになる。世間一般で使われるであろう男女のそれを連想させる言葉。


それなのに、何度も何度も思い返しては鼓膜を揺さぶる単語の連なり。


初めてきちんと触れたサラサラの黒髪の感触が残る手のひらを握り締める。


ノア。もう。だめ。


キースが甘くて美味しいものへの思いの丈を語っただけなのは明白なのに、どうしてこんなに黒々とした感情が熱を持っているのだろう。


あぁ、もっとダメにしてやりたい。


木々の葉擦れが、もっとダメにしてやれと耳元で囁く。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「おはようございます。」


木の上に見つけたリスに静かに声を掛ける。


ちらとこちらに反応するもすぐに走り去ってしまう。


やはり小さな動物は難しい。でもこの森には大きな哺乳類は生息していない。はず。


さすがに手からではないが、鳥類は餌を食べてくれる。けれどリスは家の側には来てくれない。


まだまだ出番の無さそうなどんぐりをポケットへ戻す。


殆ど毎朝聞こえていたピアノの音が聞こえなくなり、残った朝の楽しみは小動物と仲良くなろう作戦だけ。


そろそろ家へ戻ろうかと道を戻り始めるも、諦めきれずに森の中にリスを探しながら歩く。


あわよくば猫でもいてくれたら。


「おはようございます。」


突然掛けられた声に驚き、立ち止まる。


「……おはようございます。」


リスを探しているのがバレていませんように。


ノアとの朝食会も楽しみのひとつだと今気付いたことがバレていませんように。


必死に表情を抑え家へ向かう。


「……今日はビーフシチューです。」


「こっちのは、内緒です。冷蔵庫に入れさせてください。」


「……内緒………どうぞ。」


内緒にされると期待値が勝手に上がってしまう。


「具合、悪いんですか?」


「いえ、大丈夫です。」


今日はどんな食べ物だろうか。甘いものか、しょっぱいものか。


「何か、ありましたか?」


心配してくれている人を他所に、食べ物のことしか考えていなかったことに恥じ入る。


鍋を掻き回すことに集中しているように見せかけながら、必死で頭を回転させる。


「……ピアノの彼がこの街を去りました。」


そうだった、こんな大事なことを伝え忘れていたではないか。


「……寂しいんですか?」


「……そうですね、朝の楽しみが無くなりましたから。」


「レコードでも聞きますか?」


寂しい。それは、こういう感覚だっただろうか。


私は寂しいのだろうか。


「……そうですね。」


「蓄音機は持ってますか?」


約2年ですっかり馴染んでしまった音楽鑑賞。


「……えぇ。」


「今度一緒に街に行きませんか?」


街にはレコードを売っている店があるのか。行き慣れた店にしか立ち寄ったことがないから知らなかった。


それから最近やっとで買えるようになった棒ドーナツ。そろそろ食べたいな。


冷蔵庫に入れたのだから、あれは棒ドーナツではないことは確実。


「……えぇ。」


ビーフシチューの匂いで棒ドーナツの禁断症状を抑え込む。


ビーフシチューとパンをテーブルへ置く。


「半分ずつにしましょう。俺が買ってきたやつもあるので。」


出したばかりのパンをひとつ袋へ仕舞い、半分に千切ったパンをくれた。


これは、半分こだ。


「……はい。」


誰かとひとつを分け合って食べるのは、家族としかしたことがない。


初めて名前を呼ばれた時に似た温かい気持ちになる。


「俺のやつは、コーヒーが一緒の方がいいかもしれません。」


そう言われてしまうと、やはり甘いものなのだろうかと気持ちが逸る。


コーヒーを持ち戻ると、ノアが紙袋を見せつけてくる。


悔しいが、焦らされている自覚はある。


そして取り出されたそれはサンドイッチのようだけれど、配色がおかしい。


白い食パンが三角形に切られている。


食パンと食パンの間には3センチほどの隔たりがある。


その隙間にむっちりと挟まれているもの。


ミルクの甘い匂いが顔を近付けなくてもわかるほどに漂う。


そこに混ざるのはフルーツだろう。


甘いサンドイッチなのだろう。


初めて見た。


どんな名前の食べ物なのだろう。


三角に切られた食パンの断面にはクリームが付いていないのに、これだけぴっちりと挟められているということは、先にパンは切ってあるということだろうか、それとも見えない断面には切られた時のクリームがベッタリと付いているのだろうか。フルーツはパイナップルか、桃だろうか。


これをどうやったら溢さずにきれいに食べられるだろうか。


ノアの食べ方を見てからにしよう、と顔を上げると、ノアもまだ食べておらず、目が合う。


「どうぞ。」


「……いた、だき、ます。」


フォークもナイフも置かれていないから持って齧り付いていいんだろうけれど。


口に入れやすく、クリームを落とさない角度を見つけ出すのに少しばかり手間取った。


つまりここ、三角の頂点に齧り付く。


これは白い神様だ。


甘いのにしつこくないミルク味に、甘く煮られた桃。


永遠に食べ続けられる。


それなのに消えて無くなる。


手に寄せられたマグカップ。


ノアが差し出してくれたのか。


これまでの経験からこの一切れだけということは無いはずだ。


もっと……そんなはしたない気持ちをコーヒーで飲み込む。


やはり!ノアが再び紙袋を持っている。


そして次の一切れを取り出してくれる。


それは。


茶色い食パンが三角形に切られている。


食パンと食パンの間には3センチほどの隔たりがある。


その隙間にむっちりと挟まれているのは。


チョコレート!!


甘く香ばしい香りがぶわりと立つ。


これはチョコレートといちごの組み合わせだ。さっきと違うのはパンの色。もしかしてココアが練り込まれたパンだったりするのだろうか。断面から見えるいちごはスライスされている。


力が抜けそうな手元からマグカップが離れてゆく。


ノア、ありがとう。危なく落とすところだった、と伝えたいけれど、口がチョコレートという発声しか受け付けていない。


「どうぞ。」


ひとくち。


想像通りの味で、茶色の神様だ。


「……中にもチョコが入ってるなんて……」


チョコレートといちごの組み合わせだというだけで幸せなのに、これを作った人は天才だ。


中に砕いたチョコレートも入れてくれるだなんて。


甘いもふもふと、かりかり、甘酸っぱいいちごとの合わせ技に泣きそうだ。


その組み合わせを楽しんでいただけなのに、またしてもどこかに消えてしまった。


まだ全然食べてないのに。


慰めるように渡されたティッシュで、本当に涙が溢れそうになっていたことに気付く。


甲斐甲斐しくマグカップを持たせてくれるノア。


「キース、次が最後ですよ。」


介護をさせてごめんなさい。


「チーズクリームと葡萄、だそうです。」


今回は予告制なんですね。


期待に胸が高鳴ります。


チーズクリームは甘いだろうか、しょっぱいだろうか。葡萄はどんな品種だろうか。


「……いただきます。」


これが今日の最後。


どちらかと言えば甘みが勝るチーズのもふもふとしたクリームの間に挟まるのは、巨峰だろう。しゃくしゃくとした食感も美味しい。


やはりすぐに消えて無くなったけれど、チーズの後味がコーヒーと合うのが憎い。


「……ご馳走様でした。」


ノアはご馳走の神様ですね。


「じゃあ、また、来ますね。」


玄関へ向かったノアを追い掛ける。


「コーヒーとクッキー、美味しかったです。ありがとうございました。」


振り返りお礼を言われたことで思い出す。


「待って、今日の支払いは?」


「今日もたくさん貰いましたからいいですよ。」


ビーフシチュー、たくさんよそって良かった。


「でも、あの、待ってて。」


キッチンへ用意していたお土産を取りに行く。


「これもコーヒーとクッキーだけど、味は違うから。」


前回はしっとりさっくりバタークッキー。でも今回はかりかりシナモンクッキー。


それを籠へ押し込む。


この籠を持って訪れるノアがいつも美味しいものを齎してくれる。


確か外国にそういう特徴を持った神様が居た気がする。そうだ、サンタクロースだ。


美味しい食べ物をたくさん詰めた籠を持って家々を回る陽気な男性。


だったはず。今度調べ直そう。


「……ノアがいつも美味しいものを教えてくれるので、もう私は駄目な人間になりそうです。」


確かサンタクロースが家を訪れてくれるのは一年に一度きり。それなのにノアは。


そして訪れてくれる度に増えてゆく好きなもの。


甘いものに限らないけれど、棒ドーナツだけでも禁断症状が出て辛いのに、今日のチョコレートのやつも絶対なる。


「……美味しいものに罪はないですよ。美味しいもの、一緒にもっと食べましょう。」


美味しい食べ物で得られる幸福に心が浮かされる、そんなことは初めてで。


神父という職業柄、欲に溺れないよう律するように努めていたのに。


ふわふわと浮いているのか、ずぶずぶと引き摺り込まれているのかわからなくなる。


そんな自分が怖くて狼狽える私を、ノアは慰め赦すように優しく頭を撫でてくれた。


美味しいの神様は、首を傾げるように顔を覗き込んできて、にこっと笑った。


明るい茶色の髪の毛をふわりと揺らし、髪色と同じ柔らかな色をした瞳を優しく細める。


あぁ、サンタクロースと同じ配色だ。確か。


「また来ますね、キース。」


にかっと笑い手を振り背を向けて立ち去る。


もっとたくさん美味しいものが食べたい。


この街にある美味しいものを全部食べ終わる頃には、ノアと友達になれるだろうか。


振り返らない背中が見えなくなっても、暫くはそこから動けなかった。


次はいつ来るだろう。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

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