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メロディは手のひらに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
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第1回 昼食会。起きて、犬、



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



礼拝堂の掃除や、教会内にある執務室で仕事をして過ごし、昼ご飯の準備に家へ戻ると、まだノアは寝ていた。


起こさないように静かに準備を始める。


と言ってもパンを切り分け、チーズを切ってフライパンで溶かし、その油をそのまま使って目玉焼きを焼くだけ。


あとはスープが温まれば完了。


ノアを起こそうとソファへと近寄る。


そういえば、起こしてくれとは言われていなかった。


もしすぐに起きなかったら放っておこう。


さて、どうやって起こせばいいのだろう。


組んでいる腕を叩けばいいのか、それとも肩か?いや膝か?


でも身体に勝手に触れるのは難易度が高い。


よし、声を掛けるだけにしよう。


腰を折り、耳に顔を近付ける。


「お昼ですよ。ノア、起きてください。」


その小さな声に反応し、薄らと瞼を開けた。


次の瞬間、ノアの両腕に引き摺り込まれた身体はノアの胸に押し込まれる。


「うわっ!ノア!!」


驚いて大声を出してしまった。


「……すいません!つい、あの、癖で……」


すぐに気付いて解放してくれたノアは両手で顔を覆っている。


「……大丈夫です。お昼、できましたよ。」


崩れた態勢と眼鏡を直しながら離れ、コンロへと戻る。


急に体勢が崩れたことに驚き、未だ飛び跳ねる心臓を鎮めることに努める。


まるでハグのような距離感だった。


実家を出て以来、手を繋ぐこともハグもしていない。寂しさがチラチラと降る。


癖だと言っていたのは、きっと。


「……犬、飼ってたんですか?」


「…………あぁ、はい。」


やっぱり。


私も飼っていたので、気持ちはわかります。


予想が的中し、跳ねていた心臓も落ち着きを取り戻してゆく。


皿には、溶かしたチーズを乗せたパン、横に目玉焼き。


それとスープをテーブルへと運ぶ。


テーブルに突っ伏しているノアは、きっとまだ寝足りないのだろう。


「……どうぞ。」


やはり、顔を顰めているノアはまだ眠そうだ。


「……いただきます。」


食べ慣れた昼食を食べ終えコーヒーを淹れようと立ち上がる。


するとノアも立ち上がり食器をシンクへ片付けがてら、冷蔵庫へと向かった。


冷蔵庫から取り出したのは今朝仕舞った紙袋。


引き出しから小さいフォークを2つ、それと小皿を取ってゆく。


フォークで食べるらしいそれはどんなものなのだろう。


コーヒーが落ちきるのが待ち遠しい。


コーヒーを持ってテーブルへ向かうと、小皿の上には小さな楕円形のチーズケーキが乗っていた。


「半熟チーズケーキ、だそうです。」


半熟とは何だろう。


「……いただきます。」


小さなフォークで掬い口へ運ぶ。


ふわふわのムース状のチーズケーキは口へ入れると、ふかふかしゅわりと静かに溶けて消えていった。


ベイクドチーズケーキのようなコクのある味なのにレアチーズのようなさっぱりとした軽やかな口当たり。


すごく美味しい。


けれど小さいからすぐに無くなってしまう。


3口にしかならなかった。


空になった皿を恨みがましく眺めていると正面から、ふっと笑い声が漏れ聞こえた。


その笑い声に顔を上げると、にこっと笑うノアと目が合う。


その手には紙袋。


徐に紙袋に手を入れ、取り出すその手にはもうひとつ。


それを私の皿に乗せてくれた。


「……いいんですか?」


「どうぞ。」


その言葉に軽く頭を下げ感謝を伝えてから、再度チーズケーキへと戻る。


先程の美味しさは幻ではなかった。


2個目のチーズケーキも美味しく3口で食べ終えてしまう。


幸せを噛み締め、溜め息が出る。


これはコーヒーとも合うやつだ、とマグカップを持ち上げる。


そこで正面のノアの皿にまだ残っているチーズケーキに目が行く。


フォークを使った形跡がないことに気付き顔を上げる。


そこでもやはりこちらを見ていたらしい、まったりと微笑むノアと目が合う。


再び紙袋に手を入れるノア。


まさか、そんな。


再び、チーズケーキ様が私の皿へとご降臨召される。


こんなことがあっていいのだろうか。


言葉を失う。


「どうぞ、食べてください。」


ノアに声を掛けられ、我に帰る。


「……いただきます。」


マグカップをテーブルに置き、フォークへと持ち替える。


3回目のチーズケーキにも未だ飽きは来ない。


それなのに。


変わらず3口で消失する幸福。


幸福との惜別をコーヒーで飲み下す。


手元にあった皿がノアによって片付けられる。


ご馳走様でした、と伝えようとマグカップから口を離そうとした。


そこで目の前に差し出されたのは未だチーズケーキが乗っているノアの皿。


「これもどうぞ。」


見上げると、気怠げに頬杖を突きへにゃりと眦を下げ笑っているノアと目が合う。


「……ありがとうございます。」


ぐさり、フォークを刺してから思い至る。


ノアはひとくちも食べていない。


「……ノアは、食べないんですか?」


フォークを突き刺したまま確認する。


こんなに美味しいものを食べないのは勿体無い。


「……じゃあ、そのひとくちください。」


フォークを持ち上げる。


お皿を一度返せばいいだろうか。


逡巡していると徐に私の手ごとフォークを掴み、そこに乗っていたチーズケーキがノアの口の中へと消えた。


「ご馳走様です。」


手とフォークは返却されたが。


この場合、このフォークの扱いに悩む。


一度フォークを置き、コーヒーを飲むふりをしながら思考する。


間接キスの定義は確か……陽キャや同性同士には適応されなかったはず。ふむ。


とりあえずここでフォークを交換したら相手に失礼であることと、私が間接キスごときで取り乱す童貞だと思われる可能性が極めて高いことだけはわかる。


さすれば取れる手は何もない。


何も無かったようにフォークを使うしかない。


マグカップを置き、フォークを持つ。


考えることは最後のチーズケーキを堪能することだけ。


舌に乗ったチーズケーキの美味しさに、間接がどうこうと悩んだ記憶は跡形もなく霧散した。


「……ご馳走様でした。」


このチーズケーキはどこで買えるのだろうか。


訊ねようと顔を上げると、ノアが徐に紙袋を掲げる。


「あと4つ入ってます。明日にでも食べてください。」


ノアが神様だった。ひとくちしか食べていないのに満足そうな顔をする非常に謙虚な神様だ。


「……支払いは?」


「あぁ……もう貰ったので大丈夫です。」


ご馳走様でした、と改めて頭を下げた。


「また来ますね。」


そう言い立ち上がったノアを追いかけ立ち上がる。


「ちょっと待ってください。」


いつものお礼に用意していたものをキッチンへ取りに行く。


扉を開け外に出て待つノアの、その手に持つ籠に紙袋を押し込む。


「……好みがわからなかったので、適当ですが。教えてくだされば次はそれにしますから。」


「ありがとうございます。いただきます。では、また。」


中身をちらと確認し、受け取ってくれた。


にかっと歯を見せて笑い、手を振り立ち去るノアを見送る。


体調もまだ本調子ではなさそうだから無理をしなければいいけれど。


礼拝堂の陰に入る直前、ノアが徐に振り返った。


さっきと変わらないにかっと笑いで、こちらに向け籠を掲げ、もう一度手を振ってから背を向け、すぐに見えなくなった。


じわじわと滲み出る冷や汗。


なんてこった。


両手で顔を覆い、羞恥に耐え切れず蹲る。


家に入るのを忘れていた。


ずっと見送っているなんて、気持ち悪すぎだろう。


頭を抱えても、呻いても、いつまでも羞恥は消えてくれなかった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……ノア、………」


薄く開いた視界にキースが映る。


引き寄せ胸に閉じ込める。


「うわっ!ノア!!」


出された大声で夢から醒める。


「……すいません!つい、あの、癖で……」


夢が醒めても両腕にキースを抱き留めていたことに気付き、素早く解放した。


やってしまった。


「……大丈夫です。お昼、できましたよ。」


しかも癖だと言ってしまった。


どんな爛れた生活を送っているんだと思われてしまう。


いつかのキスマーク疑惑もあるのに、更に要らない情報を与えてしまった。


タオルケットを畳み、テーブルに着く。


どう弁明したらイメージダウンを防げるか、寝起きの頭を必死に働かせているところへ掛けられた間の抜けた問い掛け。


「……犬、飼ってたんですか?」


まるで、飼ってる犬に起こされますよね、と言いたげな問い掛け。


「…………あぁ、はい。」


起こされたことはないけれど、実家で飼っていたことは事実。


嘘は吐いていない。


夢に出て来たキースを思わず抱き締めたら現実でした、なんて今更口が裂けても言えない。


キースが清らかな心の持ち主でよかった。


猛省しているところへ昼食が届けられる。


溶かしたチーズを乗せたパンと目玉焼き。


それと朝も食べたスープ。


「……どうぞ。」


淫奔な人だと蔑まれるよりはマシだけれど、まだ何か引っ掛かるのはなんだろう。申し訳ない気持ちだろうか。


「……いただきます。」


パンに乗っていた厚いチーズは濃厚で美味しいのに、なかなか気分は上がらない。


そうだ、今日はちゃんとお土産があったんだった。


冷蔵庫から紙袋を、引き出しからはフォークと皿を取り用意する。早くキースに見せたい。


コーヒーが落ちきるのが待ち遠しい。


コーヒーを持って戻ったキースは、皿の上に置かれたものに釘付けになっている。


やはり甘いものが好きらしい。


「半熟チーズケーキ、だそうです。」


「……いただきます。」


ケーキの周囲をぐるりと回ったフィルムを丁寧に剥がし、最初のひとくちを頬張る。


眉は下がり、目はほぼ開いていない。小さな口の端はふにゃりと上がっている。


俺ならひとくちで食べるサイズのケーキだけあって、あっという間に無くなった。


空になった皿を寂しそうに見ているキースが可笑しくて、笑い声が漏れた。


元々意地悪をするつもりでひとつだけ出しておいたのだ。


この顔が見たかったのだから、作戦は成功だ。


そこで紙袋を見せつけ手を入れる。


紙袋に入れた俺の手しか見ていない。


よっぽど食べたいらしい。


ひとつ取り出し皿に乗せてやる。


「……いいんですか?」


「どうぞ。」


軽く頭を下げるものの、全くこちらは見ていないからチーズケーキと会話し、チーズケーキに頭を下げているようにしか見えない。


俺がずっと見ていることさえ気にならないくらいに夢中らしい。


二つ目を食べ終え、吐いた溜め息が妙に色っぽい。


全部で8個ある。


あと2回遊べる。


こちらに視線を寄越すまで待ち、ちゃんと俺と目を合わせ、俺の存在を思い出させてから再び紙袋に手を入れる。


期待で唾を飲んでいるのがわかる。


焦らさず、取り出したひとつを再び皿に乗せる。


じっとケーキを眺めるばかりで動かない。


「どうぞ、食べてください。」


「……いただきます。」


神妙な表情で食べ始めるも、すぐに無くなるケーキに口惜しそうな顔をする。


あと、一回。


キースの手元から皿を回収したら、さっきのが最後だったのだと誤解してくれるだろうか。


回収されてゆく皿から寂しげに視線を外したことを確認し、自分の皿をキースの目の前に置く。


「これもどうぞ。」


ひどく驚いた表情でこちらを見る。


本当にさっきから。いつもの冷淡な表情はどこに落としてきたのだろう。


「……ありがとうございます。


……ノアは、食べないんですか?」


食べようとした手を止めてこちらを伺う。


「……じゃあ、そのひとくちください。」


持ち上げたフォークに乗るひとくち。


勝手にキースの手ごとフォークを掴み、そこに乗っていたチーズケーキを頬張る。


「ご馳走様です。」


失敗した。


揶揄うつもりでやったことだったけれど、明らかにそのフォークを使うことを躊躇っている。


潔癖症なのかもしれない。


手元にあるフォークを渡せば済むけれど。


嫌そうにしながらも、そのままフォークを使ってくれた。


こんなことで傷付けるのならば、やらなければよかった。


「……ご馳走様でした。」


「あと4つ入ってます。明日にでも食べてください。」


申し訳ない気持ちでの提案ではなく、元々そうするつもりだった。


「……支払いは?」


「あぁ……もう貰ったので大丈夫です。また来ますね。」


「ちょっと待ってください。」


立ち上がり、帰ろうとするのを引き留める理由は何だろう。


長居してしまわないよう外に出て待つと、キッチンから何かを持ってきた。


そして籠にそれを押し込む。


「……好みがわからなかったので、適当ですが。教えてくだされば次はそれにしますから。」


お土産を俺にも持たせてくれたらしい。


「ありがとうございます。いただきます。では、また。」


紙袋の中身はなんだろう。


森に入ったら開けてみよう。


楽しみに浮かれていたせいだろうか、扉の閉まる音が聞こえてこない。


礼拝堂の建物の角で、何ともなしに振り返ってみると、キースはまだ扉のところに立っていた。


見送ってくれていたのか。


籠を掲げ、お土産ありがとうの気持ちを込め、もう一度手を振った。


頬を撫でられるような、こそばゆい心地だ。


森はもうすぐ目の前なのに建物の角を曲がってすぐ、待ちきれずに歩きながら籠から紙袋を取り出した。


中にはコーヒー豆と、クッキーが入っていた。


明日から大事に食べよう、と籠にしっかりと仕舞い直す。


今までお土産にあげた棒ドーナツとカップケーキは、一体どんな顔で食べたのだろう。


今日のように幸せそうな顔で食べたのだろうか。


チーズケーキに翻弄されるキースの顔を思い出しては、笑い声をあげながら森を抜けた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

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