第2回 朝食会。身体で払って、やめて、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おはようございます。神父さん、いますか?」
前回に倣い仕事帰りに朝市でご飯を買い、教会へとやって来た。
扉をノックし声を掛ける。
暫く待っても出てこない。ここには今居ないのか。声が届かなかったとは考えづらい。
こんな早い時間に祈りを捧げに来る人もそうそう居ないだろうしなぁ、そう考えながら辺りを見回す。
今日は1日快晴だろうと思わせる爽やかな風と穏やかな日差しが差し込む森の中に、黒い聖服姿を見つける。
あんなところで何をしているんだろうか。
そちらへと足を向ける。
段々と近付くにつれ、はっきりと見えてくる姿はやはりあの神父だった。
手に持った何かを大事そうに眺めては摩り、その横顔には清々しい朝に似合わない切なさが滲んでいた。
天を仰ぐように、顎を上げ遠くを見ている。
何故か見てはいけないものを勝手に覗き見たような罪悪感が募り、そこで立ち止まった。
「おはようございます。」
少しだけ声を張った。
びくりと身体を揺らし、こちら振り返った神父の驚いた顔。
次第に固まってゆく表情と、そっとポケットへ押し込む手。
さっきまで眺めていた何かは大事そうに隠された。
「急に来てすいません。」
神父は言葉を返すことなく無表情な顔を乗せた首を横に振る。
そしてこちらへゆっくりと戻って来る。
「……ピアノ演奏は、もう終わってしまいました。」
申し訳なさそうに悲しげな声で教えてくれる神父は何故か5メートル程離れた位置で立ち止まったままで、その声もなんとか聞き取れた。
「そうですか。また朝ご飯一緒にどうですか?」
籠を掲げて見せ、籠の中身を見せるように傾けた。
立ち止まった位置からは動かないが、籠の中身は気になるようだ。
「ルールルルルル」
間違えた。
無表情だった顔は、眉根を寄せ口を引き結び、細めた瞳に真っ直ぐ睨み付けられる。
「朝ご飯、どうですか?」
「……家へどうぞ。」
横を通り過ぎる神父の後ろに付いて歩く。
生地が厚い聖服の外側からでは、ポケットの中身の形は浮かび上がらず、あれが何だったのか探れなかった。
無表情と不機嫌が標準仕様の神父にあんな顔をさせたものは何だろう。
想い人の写真が入ったペンダントや、想い人と揃いの品だろうか。
「今日は米ですよ。」
前回がパンだったから米にしてみた。
果物はそこまで喜ばないとわかったから買って来なかったが、変わりに棒ドーナツを買って来た。
「……卵スープと、コーヒーなら出せます。」
「どちらもいただきます。」
玄関扉から遠い方の椅子に座り、ダイニングテーブルに買って来たおにぎりを並べる。色んな種類があって選ぶのが大変だった。
そこへ神父がスープを運んでくる。白いスープマグと白い取り皿。シルバーのスプーン、フォークと、木製の箸。
「……あの、お金、払います。」
「考えておきます。早く食べましょう。」
「…….はい。」
神父を椅子に座らせ、おにぎりの説明を始める。
塩、おかか、昆布、梅紫蘇、味噌焼き、蕗の薹味噌、しらす、中華味、海老の天ぷら。
ひとつひとつが2、3口で食べ終わりそうな大きさ。
それら全てがふたつずつ。
説明を聞いている神父は、興味はありそうだがまだ瞳は輝かない。
食べたら、また輝くだろうか。
説明を終え、ひと足先に食べ始める。
食べ慣れないものは、蕗の薹味噌、中華味、海老の天ぷらだろうか。
蕗の薹は砂糖と味噌で甘しょっぱく味付けされていて、蕗の薹のえぐみが却って味わい深くさせている。
中華味はごま油を米に染み込ませ、塩で味を整え、それを海苔で包み込んである。
衣を付け油で揚げられた小さめだけど肉厚の海老に甘しょっぱいタレと海苔。
どれも癖になる味で、好みのものばかりだった。
神父の口には合っただろうか。
そっと正面を盗み見る。
小さいおにぎりなのに、今日も両手で掴み食べている。
少しだけ下げた眉の下で瞳は輝いている。
前回のあれも幻覚ではなかったのだ。
見ていることに気付かれないうちに、さっと視線を外す。
神父が出してくれたのは、ふわふわ卵と薄切り玉ねぎのスープで、味噌で味付けがされていた。
卵と玉ねぎの甘さが染み出たスープは、しょっぱくなった口にちょうどよく美味しかった。
先に食べ終えてしまったため、まだ一生懸命食べている神父を眺めて待つことにする。
するとやはり視線に気付いた途端、眉根を寄せ、テーブルの隅を睨み付け不機嫌そうな顔になる。
前回のこれも幻覚じゃなかったのか。
食べているところを見られたくないのだろうか。美味しそうに食べる顔はもうバレているのだから隠さなくてもいいのに。
視線を外す気になれず、不躾な視線を送り続ける。
「俺、ノアって言います。」
「……キース、です。」
今日も口の中のものを飲み込んでから返事を返す。
「俺、28歳です。」
寄せた眉をぴくりとさせ、嫌そうな眼差しが一瞬だけ返され、またテーブルの隅に視線で穴を開ける作業へ戻ってしまう。
食べている時に話しかけるなということなのか、年齢は聞かれたくなかったのか。
そのまま食べ終わるまで眺めて過ごす。
やっとで食べ終えた神父は、一刻も早く席から離れたい思っているような素早さで食器を片付け、コーヒーを淹れに行った。
行ったと言っても、ここから6、7歩ほどの距離に居るわけだが。
カウンターに置かれた道具を作業台へ移し、こちらに背を向け、コーヒーを淹れる神父を眺める。
立ち襟のワンピースのような聖服は、気難しそ……いや厳格そうな神父によく似合っているな、と思いながら眺めていると時折り無意識になのか、ポケットに手を添えている。
そこにはどんな大切なものがあるのだろう。
コーヒーを両手に戻った神父に、棒ドーナツの入った紙袋を渡す。
さすがに食後すぐに食べられるようなものではない。
「後で食べてください。」
紙袋の中身を検めた神父の瞳がきらんと一瞬光るのを見逃さなかった自分を褒めたい。
「……ありがとうございます。」
態度こそ無関心を装っているが、コーヒーを啜りながらも時折紙袋に視線が向くのも見逃さなかった。
「……それで、いくら払えばいいですか。」
「身体で払ってくれればいいですよ。」
間違えた。
神父の眼差しが過去一番、鋭く深くぐさりぐさりと突き刺さる。
「今度朝市で何かご馳走してください。」
失言という名の、通じなかった冗談は無かったことにし、堂々と告げた。
「……それは、しばらくは無理です。お金払いますから金額を教えてください。」
しばらくは無理。つまり、そのしばらくが過ぎたら街でご飯を一緒に食べてもいい、とそういうことか。
「……じゃあ代わりに、年齢教えてください。」
眉根を寄せ、小さな口を少し尖らせた神父は、テーブルの隅を睨み付けぽそりと呟いた。
「…………30歳です。」
「ほわ。歳上だった。年下だと思ってた。」
思わず敬語が外れる。
「じゃあ、キースさんって呼んでいいですか。」
テーブルに身を乗り出すと、神父はびくりと仰け反りさらに拒否感を強め首を小さく振る。
「やめてください。……さん、は要らないです。」
再び断られたかと思ったが、違うらしい。
「ふっ、じゃあ今日の支払いはそれで。」
つい笑いが漏れてしまった。
笑ったからか更に神父の眉は寄り、睨む先も俺から離れたいのか真横を、キッチンの方へと顔ごと逸らしてしまう。
「俺のこともノアって呼んでくださいね。」
細めた目で一瞬流し見ていく。その一瞬でも冷たいナイフが突き刺さるよう。
「次のリクエストありますか?」
「ありません。……あなたが、食べたいと思ったもので。」
「ノア」
不機嫌をこれでもかと顕にしてゆく神父に反し笑いが込み上げる俺に、怒り心頭なのだろう。
マグカップをがたりとテーブルに打ち付けるように置いた神父は、とうとう俯いてしまった。
「……ノアに任せます。」
言い終えると同時に上げた面に、射殺さんばかりの眼差しで睨まれる。
「それじゃあ俺はそろそろ。また来ますね、キース。」
にいっと歯を見せつつ口角を上げ目を細める満点の笑顔で殺気を跳ね除け、次の来訪を約束し、家を出る。
下唇を噛み締め、俯くキースは当然見送ってくれなかった。
マグカップを両手で包み込みぴるぴると震えている背中を、扉を出る前にちらりと見た。
前回は嫌われていないとも思ったが、さすがに今日は嫌われたかもしれない。
踏み込んで来るなと拒絶するような態度は何故か心地よくも思える。
それなのに朝市でご飯を食べることを拒否しなかったり。人が良いのか押しに弱いのか。
否定的であれど、見せてくれた感情的な反応を思い出し、可笑しくて笑いが漏れる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
知り合いができました。
名前を呼ぶことが、名前を呼ばれたことが、気恥ずかしくて。緊張と興奮で悶えているうちに、彼は……ノアは帰った、らしい。
身体で払えと言われた時は、売り飛ばされるのだと思って怖くて失神しそうだったりと、今日は心が忙しい。
その後何事もないように話を進めていたのだから、きっと冗談だったのだろう。
腎臓はふたつあるから売っても死なないとか、肝臓は高値がつくとか、聞いたことがあります。
そういうことを仕事にしている人なのだとしたら知り合いになることも危ない。
もしまた会ったら、少し注意して接していかなければ。
でもまだ良い人である可能性も残されている。
ちらとテーブルに置かれた紙袋を見やる。
憧れの棒ドーナツ。
今までは見かけても買えなかった。あの屋台はいつも年頃の女性たちや子供たちが並んでいる。
街に出る時は聖服を着て行かないので神父だと気付かれることはないと思うけれど、それでも大人で男で陰キャな私がそこに並び買うことを世間が許さない、そう思って尻込みしていた。ドーナツは他所でも買える。
でもこの棒ドーナツを食べてしまったら。
これでないと禁断症状が出て死んでしまいそうなほど病的に気に入れば、自分で買えるようになるかもしれない。
恐怖と期待に支配されながら、上がる呼吸とともに紙袋へと手を伸ばす。
紙袋を開けただけで、溶けた砂糖の甘い匂いが鼻を擽る。匂いだけですでに美味しい。
指2本ほどの太さで、掌より少しだけ長い棒状のドーナツが3つ。
ひとつずつそれぞれが紙に包まれているそこからひとつを選び、取り出す。
先端に齧り付く。
舌に乗せた瞬間にじゅわりと溶けるのは、塗された砂糖とシナモン。
口の端についたそれも舌先で舐め取る。
あぁ、幸せで死んでしまう。
一口ひとくち、味わって大事に食べたのに。
もう無くなってしまった。
あとふたつ。
揚げ物の賞味期限は短い。
揚げたてが一番美味しい。
美味しいうちに頂かなければ。
次に取り出したのは、白い粉砂糖だけが塗されていた。
先程のシナモンよりは中毒性は低そうだが、シンプルな分いつでも食べたいし、難なく食べられる。
そして最後のひとつは、粉砂糖は塗されておらずテラテラと光っていた。
微かに香るのは蜂蜜だろうか。
齧りつくとじゅわりと蜂蜜が滲み出る。
こんな幸せな食べ物があっていいのだろうか。
想像していた味を大きく上回った棒ドーナツ。
幸せすぎて、今朝の悲しい出来事も頭から吹き飛んでしまった。
今朝はリスに挨拶ができた良い朝だった。
けれど、近寄ろうと足を踏み出した瞬間飛ぶように走り去られた。
今日も手ずからどんぐりを与えることはできなかった。
やはり小さな動物と仲良くなるのは難しい。
いつ機会が訪れてもいいように常に持ち歩くことにしているけれど、いつになったらこのどんぐりは役目を果たせるのだろうか。
そこで彼に急に声を掛けられたのには、かなり焦った。
その後も彼の前でどんぐりを落とさないように気を揉んだ。
こっちにおいで、餌をあげるよ。
そうキツネを呼ぶが如く、私を呼ぶなんて。
やはりコミュ障だと思われているのだろうか。
その疑惑を取り払うために、コミュ障じゃありませんけど?と虚勢を張って、また彼を家にあげてしまった。
決してご飯に釣られたわけではない。
きっとどっちもと言われるだろうと覚悟しながら卵スープとコーヒーを提案したが、予想通りどちらもだった。
彼が買って来てくれたおにぎりは、テーブルいっぱいに並べられ、そのどれもが美味しかった。
一度にたくさんの種類を味わえることが楽しかった。
棒ドーナツを食べてしまえば、そんなおにぎりの記憶も飛んで消えてしまいそうだったけれど、きちんと思い出しておこう。
それよりも……ノアは私より歳下だったなんて。
物怖じせず強引なところがあるから歳上だと思っていたけれど、それもコミュ力おばけの成せる技だったのか。
年齢を教えることを朝食代の代わりにしてしまうだなんて、やはりコミュ力おばけは考えることが違う。
勝手に歳上だと思ってしまっていたし、陽キャに敬称をつけられるのは恐れ多くて慄いた。
即座に、敬称は不要だと伝えられたのは今日一番のファインプレー。あれはよかった。
今日は前回よりもかなりスムーズに会話ができたと思う。
この調子でいけばあと2、3回朝食会を熟せばコミュ障という称号を返上できる気がする。
同僚以外で知り合いができただなんて。
すごいことだ。
それはさておいても、今日から忙しくなる。
棒ドーナツを買いに行く練習をしなければ。
並ぶ時のマナー、注文の仕方、これを食べるのは私ではないです、お土産なんです。という顔の作り方。
まずは屋台の観察から始めよう。空いている時間帯が割り出せるかもしれない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お読みくださりありがとうございます。