第3回 お泊まり会。ぽかぽか、じんじん、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「今日の夕飯、何かリクエストありますか?」
お昼ご飯を食べ終えたキースが、コーヒーを啜りながら訊ねてくる。
「……ミルクスープ?」
「前に電話で話したやつですね?」
「それです。材料ありますか?」
「えぇ、作れますよ。」
「じゃあそれがいいです。」
「スープはそれで、おかずは何がいいですか?」
「んー、冷蔵庫見てもいいですか?」
「どうぞ。あとは納豆ご飯ですからね?」
「まだ蕗の薹味噌ありますか?」
「ありますよ。」
「ふむ。」
冷蔵庫を開けて中にある食材を確認する。
「気に入りましたか?」
コーヒーを啜りながらキースが目をキラリとさせながら訊いてくる。見ていないけど絶対キラリとしていたと思う。
「たぶん。なんなんだろう、あのえぐみが癖になるっていうのかな、美味しいのかどうか確かめる手が止まらない、って感じですかね?」
ざっくりと把握し扉を閉める。
「すっかり納豆信者ですね。」
「いや、どちらかといったら蕗の薹の信者でしょ?今一言も納豆のこと褒めてませんよ?」
テーブルへ戻りながらキースの頭を通り過ぎ様に立ち止まり撫でる。
「でも拒否反応が出なくなりましたよ?」
撫でられながら見上げてくる。それが手に頭を擦り付けてきているようにも感じられる俺の感受性の高さ。
「まぁ、それは、確かに。慣れかな?」
「立派な納豆信者ですね。」
「3回食べないと美味しさがわからないラーメンってあるじゃないですか?」
「……ないです。」
「聞いたことないですか?それとも食べたけど1回目から美味しかったのかな?」
「聞いたこともないので、食べたこともないと思います。」
「じゃあいつか挑戦してみるのもいいですね。」
「はい……おかず、決まりましたか?」
「とりあえず肉ですね。どうしようかな?炒めるだけにします?」
「味付け何でもいいなら、ある野菜と適当に炒め物にしますよ?」
「じゃあお願いしようかな?」
「いいですよ、ノアは今からお昼寝ですよね?」
「……夜眠れないと困るので起きてようかなぁ。キースの仕事について行ったらだめですか?」
「え……と、午後は執務室で書類仕事するだけですよ?」
「はい、邪魔はしませんから。」
「構わないですけど、こっちで寝ててもいいんですよ?疲れてるでしょう?」
親友が、仕事に励む格好良い姿を眺めていたいんです。
「親友が、どこにも行かないように見張りたいんです。」
「そう、なんですね……?」
「間違えました。親友のそばにいたいだけです。」
「しんゆう……、どうぞ。」
「キースも、親友にして欲しいこととか、何でも言ってくださいね。」
「……わかりました。」
親友という言葉を喜んでいるところを見ると、今まで親友は居なかったのか、極々少数だったのだろうか。そんな自分ばかりに都合のいい過去を望んでしまう。
俺には今まで親友と呼べる相手は居ただろうか。
コーヒーを飲み干すまで考えてみても、答えは出なかった。けれどキースが親友なのだとしたら、そこに並び立てる人は思い浮かばなかった。
家に鍵を掛け、執務室へ向かうキースの首裏を見つめる。親友にはどこまでが許される?
「親友になった記念に、キースにひとつお願いごとをしてもいいですか?」
「なんですか?」
執務室の窓からの景色に見入りながら、椅子に腰掛けようとしているキースに訊ねる。
「抱きしめて欲しいです。」
「今ですか?」
「はい、お願いしてもいいですか?」
窓の前から動かず、顔だけキースに向けて手招きする。それに従い腰掛けたばかりの椅子から立ち上がり、近寄ってくる。
遠くの峰々を眺めたままの俺の隣に、肩を並べるように立ったキースが伺い見上げてくるのを頬に感じる。
「……ノア?」
外の景色に没入していた身体を引き戻し、キースに向け両手を広げる。
「お願いします。」
「はい。」
一歩近寄った身体がそっと胸に凭れ、控えめに回された両手は腰の上のシャツを掴んでいる。
「むっ」
その両手を捕まえ、ぐっと引き上げ背中に手を置かせる拍子にキースの頬が肩で押し潰され呻き声があがった。
「ちゃんと、抱きしめて。」
「むっ」
背中に置かせた手はそれでもやはり肩甲骨の下のシャツを掴む。
両腕にしっかりと抱き込んだ肩は狭く、薄い。頬にあたる髪の毛は擽ったい。
今はこれでいいか。さっき怖がらせた罰で、これが今のふたりの距離だ。
最後の最後まで気持ちを諦めないって、ここの、キースの神様たちに誓います。でもその最後がいつなのか、最後のその先どうしてしまうのか、俺にもわからないから、だから、早く俺のことすきになって。
「キース、もっと糖度をあげて貰っていいですか?」
「……とうど?」
少し腕に力を込め、頬に当たっていた髪の毛に鼻先を埋める。
「こういう風に、すきって気持ちをこれでもかと込めてください?」
シャツを掴んだままの手と手が少しだけ背骨に寄る。
「……これで、どうですか?」
「んー、すきって念じてくれました?」
「くれませんでした。」
「くれてください?」
少しだけ背骨に寄った手に背中をほんの少しだけ押されたのを抱き寄せられたように感じる俺の感受性の高さ。
「好きです。」
「口から出ちゃいましたね。可愛いです。俺もだいすきです。」
念じるだけのつもりが言葉にしてしまったキースが可愛いので、腰を抱く。
「ノア、伝わりましたか?私はぽかぽかしてきましたよ?」
「ぽかぽかしてきたんですか?可愛いですね。俺はまだしてこないですよ?」
「むっ」
怒った声なのか、肩によりめり込んだ呻めきなのか。可愛いので背中からお腹に掛けて抱く。
「……どうですか?」
「うん、あったかい。」
「よしよし。」
「それは頼んで無いやつですねぇ。」
「でも、なんか、なんとなく?」
抱きしめて欲しいというお願いごとを破った片手が頭をさわさわと撫でる。
「でも、なんか、いいですね。」
軽く上げた手は頸近くをゆっくりと優しく撫でてくれる。
きっと、こういう瞬間を永遠に失うところだったんだと思う。
キースが引き留めてくれてよかった。
2ヶ月で積み上げてきたものは、ちゃんとここにある。
「キースは、親友記念、何か思いつきました?」
「……溜まってるんです。」
瞬時に期待してしまう俺の感受性の高さが憎い。
「ナニが?」
それでも機会は逃さずセクハラしてゆく所存。
「記念?お祝い?」
「ん?ありましたっけ?」
「ノアの転属祝いと、友だち記念です。」
「なるほど。溜めるのは身体に良くないです。適宜発散していかないと。」
「スケジュールを詰め込まなければ身体にも悪影響はないんじゃないですか?」
「そうですね、じゃあ明日、夜のデザート会しませんか?とりあえず転属祝いに。」
「わ 、いいですね、夜のデザート。罪悪感もスパイスになるってやつですね。」
「そんないけない言葉、どこで覚えてきたんですか?」
「推理小説に出てくる探偵が言ってました。」
「いけない探偵ですねぇ。」
「そう、なんですか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。」
「時々ノアの言い回しは難しくて頭がこんがらがるんですよ?ノアの方がいけなくないですか?」
「……いけない人。うーん、ちょっと重複した意味で間違ったイメージが付いても困るので、無しかな。」
この言葉がフラグでないことをただただ祈る。
「ノア?」
「キースは、友だち記念と親友記念のふたつのお願いごとが残ってますよ?あれ?これってもしかしてもしかすると、知り合い記念も溜まってません?」
「ノアは天才ですね?すっかりそこは抜けてました。」
「でしょ?底無しですよね可愛さが。どうしてくれましょう。」
「お願いごと……。ノアはあとふたつですね。悩むなぁ。」
「最近可愛い可愛い言い過ぎて、聞き流されてる気がするんですよねぇ。」
「知り合ってから、たくさんご馳走してもらってるのに更にお願いごとをするのは、気が引けますね。」
「そうですか?お願いされるのは嬉しいからご褒美になるって言っても?」
「嬉しいですか?」
「俺なら、キースに手繋いでとか、キスしてとか、抱きしめてって言われたら嬉しくて飛び跳ねますよ?」
「飛び跳ねはしないけど、それは私もわかります。」
「え、そうなの?」
「頼られてるってことでしょう?」
「まぁ、そういう面もありますよね。間違いではないです。」
「ノアも喜んでくれるなら、何か私もお願いしてみますね。」
「うん、楽しみに待ってます。」
いつの間にか、後頭部を撫でていた手もシャツを掴んでいた手も下がり、腰を抱かれていた。
「ノア……」
甘えるようなくぐもった声が鼓膜を揺らす。
「キース……」
腰を抱く手に力を込め引き寄せる。
「……仕事していいですか?」
「うん、だめ。」
強請り甘えるような声に乗せる言葉ではない。
「邪魔しないって言ってましたよ?」
「言いました。じゃああと1分ください。」
「いーち、にーい、」
「数えるんですか?」
「さーん、しーい、ごーお、」
「数えるんだ。」
「ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅーう。」
ゆっくりと数えてくれる優しい声が耳に心地よく、このまま眠ってしまいたい。
けれど可愛い声が枯れてしまわないように、30までで勘弁してやろうと静かに聞き入る。
ちゅ。
30まで数えてくれてありがとうの気持ちを込めて耳にキスを贈り、ゆっくりと腕を解く。
頬を紅潮させ、軽く息を乱しているキースを間近に捉える。
「息が、切れました……」
「俺も。切れるところでした。危なかった。お仕事頑張ってください。」
「がんばり、ます……」
軽くフラつきながら机に戻るキースを横目に見ながら、応接セットのソファに掛ける。
視界に入るのは、窓の向こうに見える荘厳な景色を背負う、キースの冷淡な横顔。
話を聞いてくれると言ってはいたけれど、どう話せばいいのか。
恋愛の意味で貴方を慕っている。貴方に他の誰かではなく私を想って欲しい。
この真意が伝わってしまうことが怖い。今まで散々してきた告白も伝わらないからこそ言えていた。
キースが彼に恋をしていなければ伝えただろうか。いや、恐らく同じだ、キースの気持ちがこちらを向いてくれるまでは伝えることはしないだろう。
それならば今の段階で言えることは?
「おやつ休憩しますか?」
キースに声を掛けられ、はっと我に返った。
「俺、寝てました?」
「目は開いてましたよ?寝てたんですか?」
「……わかりません。」
キースの横顔を眺めながら考え込んでいた時間は一瞬だった。てっきり寝入っていたのかと思ったが、 そうでもないらしい。
ひとつだけはっきりと認識できるのは、キースに話せることが何も見つかっていないということだけ。
こんなに何かの答えを求めたことが過去にあっただろうか。
「今日お土産ないんですけど、キースのおやつは足りますか?」
「えぇ、ありますよ。ノアの分もありますからね。コーヒー飲みますか?」
「俺の分……あるんですか?」
「はい、来る日がわかっていると準備が出来ていいですよね。」
「そっか……確かにそうですよね。」
気付きたかった。彼のことを想う瞬間があったとしても、こうして俺のことを考えてくれる瞬間もあったのだ。
鼻の奥がツンとする。
「ノアの好みだといいんですけど、わからないので期待はしないでください。」
キースが前を歩いていてよかった。泣いてはいないけれど、変な顔になっていると思う。
「何でも。すきです。コーヒー俺が淹れますよ。」
「おやつの準備は一瞬で終わりますけど、お願いします。」
キスやハグでも、体温でも、心臓の音でも、きっと伝えきれないこの気持ちを表す言葉は、もっと見つからない。
カリカリとコーヒー豆を挽く音の中にも見つからない。
あのレコードを聞いたら?
いや万が一、見つけてしまうのが怖い。
「つっ!」
「ノア!」
目測を誤りコンロで火に掛けられているポットに当たってしまった左手は、駆け寄ったキースに鷲掴みにされる。
シンクへと伸ばされた手は冷たい水に晒され、それを掴むキースの手にも水がかかり、聖服の袖口も濡れている。
手の甲を見つめる真剣な眼差しに、噛んだ下唇に、繋がれるように触れる手に、拍動は強く早くなる。
左腕で熱の集まっているであろう顔を隠す。
「痛みますか?」
「痛み……ではないです。大丈夫です。」
一度流水から手を離し患部を目視で確認する。
「どうですか?じんじん、しますか?」
じん、じん、
「……してます。」
痺れるような熱さを感じているのは胸の中。
「薬塗りましょう。」
胸の中にも塗れる薬があったらいいのに。ざわざわときりきりには、絶対薬があった方がいいと思う。
普段開けることのないカウンターの一番左端の一番上の引き出しを開けると、そこが薬箱になっていた。
薬の場所も聞けば自分で出せる、薬だって自分で塗れる。
それなのに。離してくれないのか、俺が強く握って離さないのか。
じっと薬を塗るキースの横顔を見つめる。
「この火傷でノアは死にません。大丈夫。コーヒー淹れてくるので、少し待っててくださいね。」
少し考え事に気を取られていたと反省しながら、ただただ動くキースを目で追う。
「お待たせしました。」
マグカップがふたつと、紙箱がテーブルに置かれる。
「これ……非常用じゃないですか?」
「違いますよ、昨日買ったやつです。色んな味が入ってるので好みのものもあるといいんですけど。」
紙箱を横に引き開けると、12個のひとくちサイズのチョコレートが並んでいた。
味は6種類。意匠の同じものがふたつずつ入っている。
ストロベリー、フランボワーズ、ココナツミルク、アーモンド、マカダミアナッツ、ラムレーズン。
名前が書いてあってよかった。
白いチョコレートがふたつ。
薄い茶色のチョコレートがふたつ。
濃い茶色のチョコレートがふたつ。
それぞれ、四角い形に斜線のものと、お椀型でその型をなぞるような線がチョコレートペンで描かれたものがひとつずつ。
いや、どれだよ。
中身の推測が全くできない意匠に項垂れる。
唯一わかるのは楕円形をしているアーモンドのみ。
「もしかして、苦手なやつ、ありましたか?」
「違います。アルコール使ってるやつがどれなのか予め知りたかったんです。ラム、大丈夫かな……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
指を交差させるように繋がれた手が視界に入る。また眠ってしまったらしい。
食べたチョコレートは3つ。
ストロベリー、アーモンドにラムレーズン。
アーモンドが確定していた楕円形の濃い茶色のチョコレートで手始めに気持ちを高めた。
そして白いチョコレートから制覇しようと四角い方を食べると、中にはさらに甘酸っぱいストロベリー味のチョコレートが詰まっていた。
次に食べたお椀型のチョコレートの中には、ラム酒漬けのレーズンとそれを纏めるためのプラリネが入っていた。
大人味のチョコレートはコーヒーともよく合っていたのに、途中でノアに牛乳で割られてしまった。
そのあと少しだけ眠気に襲われ、そのまま寝てしまったらしい。過ぎた時間も僅からしいと、差し込んでいる日差しの黄色が教えてくれた。
隣で眠るノアを起こさないよう、繋いだ手をゆっくりと解く。
昼寝もしていなかったから、夕飯の準備までのもう少しの間くらいは寝ていても夜の睡眠には響かないだろう。
あどけなさを感じさせる寝顔を眺め、頭を撫でるようにして背凭れに乗せてやる。
私はまた間違えてしまった。
何かを抱え込むノアを慮ることもせず、自分が傷付きたくないからと、拒絶される恐怖から逃げ出した。
誰にでも笑えない日はある、笑っていても心の中では笑っていない時だってあるのに、どうしてノアに変わらない笑顔を求めてしまったんだろう。
ノアが笑っていない日は今日が初めてだった。いつだったろう、気まずそうにしながらも笑顔を作っていたのを思い出す。
笑えない日は笑わなくていいのに、そんな日が今までにもあったのだろうか。
ちくりと痛む胸を摩る代わりに、ノアの頭を撫でる。
人付き合いの経験値がもっと高ければ、あんな辛そうな顔をさせずに済んだのだろうか。
親友という称号を得たからといって、話を聞かせて欲しいと言ったのも強欲だ。
力無い弱々しい笑顔に、どこか遠くを見るようなうわの空な態度に、寂しさを感じるなんて傲慢だ。
大好物のチョコレートと睡眠で、ほんの少しだけでもノアが安らげますように。
こういう時どうしたらいいのかわからない、だめな友だちでごめんね。
ちゅ。
眠っている顔は安らかなのが、やるせない。
こめかみに贈ったおまじないがよく効くように、玄関に鍵を掛けてから執務室へ向かう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……キース?」
ラムレーズン味のチョコレートで見事に頬を染めて見せたキースが隣に居ない。
シンクの上の窓から差し込む日差しは濃いオレンジ色だ。
首を揉みながら寝室側の扉を開け、人の気配が無いことを確認してから玄関へ向かう。
がちゃ。
「あれ、鍵掛かってる。」
いつもリビングで寝かせて貰っている時に鍵が掛かっていたことはない。
「なんか……」
続く言葉を探したけれど、寝惚けているせいかそれは水底へと潜ってしまったらしく全く見当たらない。
開錠し、首を傾げながら執務室へ向かう。
コンコンコン。
「はい。どうぞ。」
中から聞こえた声に安堵し扉を開ける。
「キース……」
向けられる視線が自分だけを捉えていることに、また鼻の奥がツンとしそうになる。
ゆっくりと近付く間も逸らされない瞳に、恥ずかしさが顔に出そうになり、途中でルートを変えた。
「西陽、眩しいですね……」
西陽に背を向けるキースの正面へとまわり込む。
「今の、日が長い季節だけですけどね。」
「目が痛い。」
「そんなに外を見ていたら当たり前ですよ。」
「でも、きれいで。」
窓を背に立ち、オレンジ色に染まるキースの横顔を見つめる。
「夕陽も綺麗ですよね。」
「朝陽の方が好きですか?」
「そうですね、どちらかと言えば。」
「どうしてですか?」
「夕陽の方が寂しげでしょう?」
「なるほど。確かに朝陽の方が似合う。」
「似合う?」
「はい。キースに似合うなって。」
「そう、ですか……ノアは、真夏の天頂にある太陽、かな…?」
「満月がギラつく静かな夜じゃなくて?」
「ノアは心も身体も体温が高そうだから、あんまり夜のイメージじゃないかも……でもあんまり夜に外に出ないから知らないだけなのかもしれません。」
「じゃあ今度確かめてみましょうか?」
「……お月見ですか?」
「なるほど。いいですね。」
「お月見のお作法、調べておきますね。」
「お作法ですか。俺も知らないです。調査お願いします。」
お作法なんて。キースが居てくれればそれだけで充分なのに。
「夕飯、作りましょうか。」
立ち上がり振り返った顔は眩しさに目を細めているせいか、ひどく柔らかく見えた。
「……はい。」
「ノアは、ゴーヤ食べられますか?」
時々こういうことがある。
「はい、大丈夫です。」
「じゃあゴーヤ炒めにしますね、おかず。」
「はい。」
だから。おかずの相談は、ゆったりと甘く静かに愛を囁くような声音に乗せる言葉ではない。
「手は、痛みますか?」
さっきの声音を適用するなら絶対こっちだろ。お色気サービスタイムが終わるのが早すぎる。
「じんじん、はまだありますけど、痛くないですよ。」
「そうですか。でもお風呂上がりにも塗ってから寝ましょうね。」
「塗ってくれますか?」
「いいですよ。」
寝る時には包帯か何か巻いた方がいいかな、と呟きながら家に向かうキースを追いかけ執務室を出る。
「そういえば、なんで鍵掛けてあったんですか?」
「あれは、なんとなく、そうした方が良さそうだなって思って。」
「なるほど。やっとで不用心だってわかってもらえましたか。」
「そんなところですね。」
「ここにひとりで居る時に、知らない怖い人が来た時はどうするんですか?何か対策してありますか?」
「えっと、とりあえずこっそり覗く。観察してみて危なくなさそうだったら出て行く。だから大丈夫。」
「それだけ……?刺股とかエアガンとか、モーニーングスターとか、ないんですか?」
「そんな物騒な物無いですよ!?」
「いやいや、無い方が物騒ですよ!」
「負傷者はご飯作りはお休みですから、座ってゆっくりしててください。」
「あからさまに話を逸らさないでください?」
「うーん、じゃあ、せめて塩とかにしませんか?」
「それ生きてる人には効かないですし、霊体にも効くかどうかわからないですよ?」
「でも目に入ったら痛いでしょ?それに、やっぱり武器はだめだと思うよ?」
「あー、目を狙ってたんですね……それならありかな……うん、痛そう。意外と攻撃的だった。でもなんかもっとこう身を守れるもの、あると思うので探しておきますね。」
「はい、ノアに任せます。休んでてください。」
「全然必要ないって思ってますね。あと手は大丈夫なので俺も手伝いますよ。」
「薬が取れちゃうので……水を触らない仕事をお願いします。」
「任せてください。」
そう言っていたのに結局任されたのは、炒める仕事だけ。野菜を洗ったり切ったり、卵を溶いたり、鍋に牛乳を入れたり、味付けまで全てキースがやってくれた。
「ミルクスープ、全然牛乳臭さは無くて美味しいです。」
「お口に合ってよかったです。でもミルクスープは寒い季節に飲んだ方が美味しいと思いますよ。」
「今でもこんなに美味しいのに?でも冬の方が美味しいなら、また作って貰って確かめないといけないですね。お願いしてもいいですか?」
「えぇ。冬じゃなくても、食べたくなったら言ってください。」
「……なんか、いいですね。」
冬も一緒に過ごしているとお互いが当たり前のように思っていることが嬉しい。
「なんか、いいですか?」
「はい。冬が来るのが楽しみです。」
そしてまた夏が来て。冬が来る。
「ノアは冬の食べ物が好きなんですか?」
「どの季節も。全部すきです。」
キースと一緒に過ごせるのなら何時でも。
「どの季節にも美味しいものはありますもんね。」
季節問わず美味しく頂きたいものもあるけれど。
「はい。食べる準備は整ってますので、いつでもどうぞ。」
キースが膳に据えられる日はいつだろうか。
「食いしん坊ですね。」
「違いますよ、すきなもの限定です。」
「そういえば、ノアの苦手な食べ物って何ですか?」
「……無い、かな?」
「納豆は克服出来ましたもんね。」
「そうとも言いますね。キースは?」
「……魚、です。」
「言われてみれば、出て来たことないですね。なんでですか?」
「臭いが苦手で……」
「納豆は良くても魚はダメでしたか。」
「はい……」
「あれ?フィッシュバーガーは美味しかったんですよね?」
「あれは全然臭くなかったです。美味しかったです。」
「あと海老とあさりも大丈夫でしたよね?」
「はい、海産物でも生臭くなくて、食べやすいものなら、大丈夫です。」
「なるほど。覚えておきます。」
「いえ、覚えなくていいです、ノアが美味しいと思ったものなら食べてみたいので、気にしないでください。」
んー、可愛い。
信頼度の高さを手放しで喜びたいのに、押し寄せるのは優越感ではなく罪悪感。現実では未遂でも、脳内では完遂。
しゃくしゃくと歯応えの残るゴーヤの苦味と、豚肉と卵の甘さに感情が重なる。
「ゴーヤ炒めも、美味しいですね、鰹節の匂いが良いです。」
「ゴーヤ、苦いけど、美味しいですよね。」
「これも癖になるやつですよね。」
罪悪感は苦くて渋くて美味しくないし、癖にしたらダメなやつだけれど。
「ノアの好きな食べ物は何ですか?チョコレート以外で。」
それはもちろん。
ぱく。しゃくしゃくしゃくしゃく。ごくん。
ぱく。もぐもぐもぐ。ごくん。
ぱく。
「ノア?」
すきで食べたい人を視線で示す。
「当てて欲しいです。」
「また問題形式なの?」
「すいません、俺のわがままに付き合ってください。」
「わかりました。お肉でしょ?」
「肉も好きです。」
なんなら殆ど正解かもしれない。
「お米、パン……炭水化物!」
「炭水化物も好きです。」
「もしかして全部正解になるんじゃない?」
「いえ、正解はひとつです。」
「本当に?」
「はい。好物からしか得られない栄養素があるんです。好物というよりは生命維持に必須って感じですけど、好物には違いないです。」
「それ、もうチョコレートじゃん!」
じゃん!!?
基本敬語で、砕けても丁寧語が基本なキースが……じゃんって言った!
口元を手で覆い頭を振る。
「やっぱり美味しいです。無いと生きて行けない。」
「なんだ、卵かぁ。卵は確かに無いと困る料理が多いですよね。それに生命維持に必須。大正解。」
「言ってることは合ってますけど、正解ではないですね。」
「ノアって時々難しいですよね……哲学者だったりしますか?」
「それは、当たらずとも遠からず、かもしれません。」
主体的かつ理性的に、キースを能動的に求めてしまう己を徹底的に探究し、そこに何があるのか突き止めることが、今、俺が生きている理由だと言える。
「狩人で哲学者……」
「そういうことですね。」
暫くぽかんと呆けるような顔をしてから、惚けるような尊敬の眼差しで見つめてくるのが忍びない。けれど、おかげで心は軽くなった。
キースに話せること。その言葉探しを放棄してしまった後で、違うものを見つけてしまった。
じんじんと痺れていた心が、じわじわと解れてゆく。
「ちょっと情報処理に時間がかかっているので、お皿洗って来ます……ノアはお風呂どうぞ……」
とっくに食べ終わっていたのに、ふたりで片付けることもせず話し込んでいた。
会話をせず黙々とご飯を食べることが、ふたりの当たり前だったはずなのに。
「キース」
椅子に座ったままシンクに向かう背中を呼ぶと、水を止めずに徐に振り返ったのは困惑した顔。
「……チョコレートの残りとホットミルクでデザートしましょうね。」
その言葉にきりっと表情を引き締め頷いてから、手元へと視線を戻した。
困惑した表情で、一体どんなことを考えていたのだろう。少しだけ背中を眺めてから席を立った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お読みくださりありがとうございます。




