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メロディは手のひらに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
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友だち。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



はぁ。


ひとり、ベッドに転がり読んでいた本を閉じ、ぼんやりと天井を眺める。


まだ実家に居た14歳の頃、昼間遊びに出掛けた10歳の弟が、夜になっても帰らなかったことがある。


両親は、心配しなくてもそのうち帰ってくるよと暢気だった。


妹は煩い人が居なくて落ち着かないから一緒に寝てほしいと寂しがっていた。


まだ電話が家にない頃で、遊び場といえば川辺や森の中。どこかで何かがあってもすぐに知ることはできない。いくら冬じゃないから大丈夫だと両親に言われても、ひとつも安心出来なかった。


森の中で迷ったのだろうか。どこかで怪我をして動けなくなっているのだろうか。ひとりで泣いていないだろうか。


結局眠れないまま、小さな妹を抱きしめることで怖さを紛らわせて朝を待つ長い夜だった。


翌朝、探しに行こうと玄関を開けると、そこに兄さんおはようと暢気に笑う弟が立っていた。友達の家で寝てしまい、そのまま泊まらせてもらったそうだ。


それを一緒に笑って聞く両親と、昨日はあんなに寂しがっていたのに顔を見た途端に煩いと顔を顰めて見せる妹。


私が心配しすぎただけ。


でも笑って済ませないで欲しかった。安心したはずなのに落ち着かない。


ノアが居なくなった日、あの時に似た焦燥感と寂しさが、ひたひたと近付いて来たことに気付いてからは気が気じゃなかった。


無事を確認したいと思って受話器を持ち上げて初めて、連絡先もどこに住んでいるのかも、名前以外何も知らないことに気付いた。


私たちはお互いに自身のことを語らない。だから踏み込んでも来ない。心地良い距離感だなぁなどと浸っていたことを後悔した。


受話器をきつく握っても、不安は晴れない。


生きてるよね?


また痣だらけになっていたらどうしよう。


3、4日置きに来るノアを待つ、その数日の間を私は今までどうやって、何を考えて過ごしていたんだろう。どうして不安にならずにいられたんだろう。


1日が全然終わってくれない。


明日は来るだろうか。早く明日になって。


もしかしたら昼には。早く昼になって。


夜には来ないだろう。でももしかしたら。


そう思いながら待つ1日は、すごく……


昨日見せてもらったお腹にも背中にも外傷らしいものは見えなかったけれど、それでもまだどこか安心できず、落ち着かなかった。


もう怪我なんてしないでほしい。


今日もなんだか気鬱そうだったけれど、仕事は無事に熟せているのだろうか。


約束したからちゃんと帰ってくるよね?


んー。


天井に向けて伸ばした両手を開き、小さな罪悪感を喜びで包み込む。


一昨日、両手を包むノアの温かい手に触れられるまで、私は気付いていなかった。


一緒にご飯を食べても、言葉を交わしても、どこか他人事だった。別々の世界に住む私たちは、ひととき交差するだけの仮初の世界で揺蕩っている。そんな現実感の希薄さ。


ノアと名前を呼んではいても、彼をただひとりの“ノア”として自分ごととして受け入れていなかった。他者という大きな箪笥の、大きくて深い引き出しの中にガラガラと詰め込まれた透明なガラス玉のなかのひとつ。


初めて触れ合った体温に、そうじゃないでしよ?と諭された。


帰って来てくれたことでピンと張り詰めていた緊張が切れ、伝わる体温がここにいると教えてくれたおかげで、私は喋りすぎた。


好きなことの話ならば前のめりで早口に語るオタクのようで気持ち悪いと、思われていないといいけれど。


さらにはブランデーケーキに唆されノアを枕に眠り込むだなんて恥ずかしすぎる。でも気持ちよくなってからすぐに寝たから醜態は晒していないと思いたい。


その反省会にノアが乱入してきては驚き飛び跳ね、続け様に晒した醜態は記憶から消したい。赤くなった膝は見られなくてよかった。消す記憶が増えるだけだった。


ふっ。


納豆スープ、辛かったなぁ。私にも、納豆初心者のノアにもあれはまだまだ早かった。


いつも大きな口でガツガツと食べるノアがちびちびと啜るのも、美味しいと思っていないのに最後までそれを飲み干す耐え忍ぶ顔も、面白かった。


朝起きた時にノアは私に抱き枕にされていたけれど、いい歳してと呆れられることもなかった。


でも、きっとこれらは“ノア”に気付いていなければ起こらなかったことだったと思う。


ノアは。


ただ会話を続けるためだけに私を暴こうとしない。 踏み込んでほしくないと伝えれば、立ち止まってくれる。


私を川に例えるならば。


両手で笊を抱えた人がズボンをたくし上げ川へざぶざぶと入る。その笊を川底に押し込んでは引き上げてを繰り返し、川底の土が舞い上がり濁った水で足元は見えなくなる。掬い上げた笊には砂金の粒も砂粒の煌めきも入っていない。ここでは何の収穫も望めないと川から上がったその人は、手に持った笊を投げ捨て、立ち去る。打ち捨てられたのは、小石が悠々と通り抜けるだけ目の荒い笊。


本人にそのつもりはなくとも、他人を踏み荒らし価値を勝手に決める人は多い。


それなのに。


川辺に座り込み、デザート用のスプーンでそっと川面を浚う。そこには少しだけの水と砂粒ひとつ。傾けたスプーンの中身を手のひらに移し、砂粒を流してしまわないようゆっくりと水を溢してゆく。そうして残った小さなひと粒に顔を輝かせ、これは何ですか?と訊ねてくれる人。


それがノアだと、2日一緒に過ごして確信できた。


快活で躊躇わずに踏み込んでくることもあるけれど、踏み込む力加減や深さを見極め、怯えさせないように気遣ってくれているのがわかってしまった。私の心の動きが見えているのだろうか。


そんな繊細な思いやりを持つノアが、どうやって出来上がったのか。


その答えもノアが自分から教えてくれていたのに、それに気付かず辿り着くのに時間がかかってしまった。


そう、愛の神様だ。


そのことに私は驚愕した。


私が知っている限りで愛を司る神様を崇めている宗教は、唯一つ。


あの宗教は幻と同程度の扱いだ。


“遥か東の、とある国では猫を御神体とする宗教があり、その神様は愛を司っていたそうです。”文献で得られる情報もこの程度。伝聞で、過去形。


そんな伝説級の宗教の信徒がまさか実在したなんて。そんな人と友だちになっていただなんて。


質問を投げかけるだけの知識すら持ち合わせておらず、不用意に訊ねることは不敬だ。


希望は薄いけれど、せめて可能な限り図書館で自分で調べてから、ノアに話を聞いてみたい。


ん。


寝返りを打ち、うつ伏せになる。


ノアは陽キャじゃない。陽キャなんて言葉で括ってはいけない。そもそも他人を分類し纏めること自体失礼で、されて嬉しいことじゃない。そのことを知っているのに無意識のうちに私も嫌な奴になっていた。ごめんね。


ノアは崇高な愛の神の信徒で、私の美味しいの神様で、サンタクロースで、友だちなのに。


他者という大きな箪笥には、小さな引き出しもある。それは一番上の一番手に取りやすく中を覗きやすい段にある。その引き出しだけは四隅が綺麗な紋様に模られ取手も細工されている。そしてその引き出しの内側は柔らかい布張りだ。


そこには家族みんな分のガラス玉が入っている。きっともうノアのガラス玉もそこへ移っている。それはどんな色をしているんだろう。


ふっ。


抱きしめた枕に、思い出し笑いが溢れる。


眼鏡を外すことはノアの前ならもう怖くないから大丈夫なのに。


許して欲しいと懇願するように、耳を垂れ尻尾を下げつつも器用にその先だけは振り、顔色を伺いながらじりじりと擦り寄ってくる。飼っていた犬を思い出した。


怒ってないよと伝えるために優しく頭を撫でてやる、そんなところも一緒だった。


ふふっ。


背中から抱きつき肩に頭を擦り付けるところは、弟とそっくりだ。しっかりしていて頼りがいがあるけれど、寂しがりで甘えたがり。


一緒にお風呂に入りたがるところも、キスを欲しがるところもそっくり。


ふっ。


妹は甘えたいのに素直に甘えられないところがあって、いつも何か口実を探している。


ひとりじゃ歩けないとせがむ顔は似ていた。飼ってた犬が遊んで欲しい時にする顔とも似てる。


でも、執務室で見せた真剣でまっすぐな頼もしさのある横顔は、ふたりとは似ていないかもしれない。


んー。


抱きしめた枕に押し付けている頬を入れ替える。


また夜が、長いなぁ。


すん。


枕に残る微かなノアの匂いを吸い込む。


安心するその匂いに誘われ、ふわふわと優しい眠りに落ちてゆく。


朝ご飯、楽しみだなぁ。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

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