第1回 お泊まり会。尋常じゃない、悪い子、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
キースに浴室の使い方を教えてもらい、先にシャワーを浴びる。
下心があるせいか、変に気負いながら浴室に入ってしまった。
第三者の存在を匂わせる物も無かったし、大人の嗜みを思わせる物も隠されていなかった。
明日は帰って来たら洗濯をさせて貰おう、ついでにキースの物も……と考えそこで思考を止めた。
一宿一飯の恩義のつもりがただの変態に成り下がるところだった。
明日はどんな服で出掛けるのだろう。
普段は聖服で出掛けているのだろうか。
似合っているけれど、さすがに街だと浮くだろう。
そんなことばかり考えているうちに全身を洗い終え、ゆったりした白いコットンの半袖とサラリとしたズボンに着替える。
リビングへ向かう途中で、今日着ていた服は部屋に投げ込んでおいた。
キースはソファで本を読みながら待っていたらしい。
「お待たせしました。」
本を閉じ、ソファに掛けたままこちらを見上げる。
「早かったですね。……もう寝ますか?」
「いえ、デザートしましょう。」
「わかりました。じゃあ、いってきます。」
リビングから出ていくキースの背中を見送りつつ唾を飲む。
もう寝ますかって。誘い文句に聞こえるな。
デザートの話をしてあったから、実際デザートに誘ってくれたのは明白だけれど、違うお誘いでも嬉しい。
キースは眼鏡を外したくないようだけど、下から見上げた時に眼鏡を通さない視線とか色気があるから危ないんだよな。
そんなことを頭の片隅で考えながら冷蔵庫を漁る。
寝る前だから、ホットミルクにしよう。
酔っ払いキースのお持ち帰りは許されることだろうか。
それ以前にひとりで歯磨きできるのか心配になる。
「……1/3だけあげよう。」
いや、歯磨きをしてやることは全く構わない。
見る面倒がそれだけで済まなくなる自信はある。
あれやこれやと全ての面倒を見てやり結果添い寝に落ち着く未来が見える。
「……捨てがたい。」
キースが自ら進んでアルコールを摂取した結果ならば、許されるのではないだろうか。
そうだ、それなら罪悪感が無い。
すぐ火に掛けられるよう鍋に牛乳をあけておく。
ブランデーケーキもひとつの皿に乗せ、フォークも一本だけ出しておく。
まだキースは戻らないだろう。
さっきまでキースが読んでいた本でも借りて読もうか。
テーブルに置いていった本を手に取る。
「猫の足跡図鑑」
猫が好きなのか?それにしても足跡って。
中身を読むでもなくぺらぺらとページを捲り足跡を目で追う。
暫くそうしているとキースが戻る足音が聞こえてきたので、鍋を火にかけようと椅子から立ち上がる。
「お待たせしました。」
「ホットミルクとブランデーケーキでいいですか?」
鍋から目を離さずに訊ねる。
「はい。」
返事と共にキッチンへ近寄り何かを探しているらしい物音が聞こえる。
何を探しているのだろう、と振り返った。
そこに居たのは眼鏡を外し、パジャマ姿のキースだった。
ゆとりのある大きさのパジャマは長袖長ズボン。上衣は前開きのボタン付き。首元からは中に着ているインナーが覗いているけれど。
聖服は立ち襟で首元が隠れているからだろう、晒け出された細い首はひどく無防備に見える。
そして眼鏡を外すとより若く見える。
「すごく、可愛いです。」
「これ可愛いうちに入るんですか?街で買ったやつなんですけど、普通じゃないですか?」
不安そうにパジャマの上衣の裾を引っ張って見せてくれる。
「そうですね、尋常じゃない可愛さですね。」
「……そんなに。買い替えた方がいいですね。」
パジャマが可愛いと思い込んでいるキースが可愛い。
「俺以外に、見る人いますか?」
淡い灰色。聖服の黒色と比較し、余計に柔らかそうに見える。
「……いない、です。」
「それなら大丈夫じゃないですか?」
つるりとした生地感を伝える光沢に、手触りを確かめたくなる。
「……そうですね。」
「それ、蜂蜜ですか?」
キースが手に持つ瓶が目に入る。
「はい、ホットミルクに入れようと思って。」
「いいですね。」
インナーを着ていなければもっと良いですね、と心の中で付け加える。
沸騰する前に火を止め、マグカップに注ぐ。
そこにキースが蜂蜜を垂らす。
蜂蜜を溶かすように掻き混ぜながらテーブルに着く。
そしてフォークでひとくちブランデーケーキを切り出し、キースの口元へ運ぶ。
ぱくりと齧り付いたところで、すっとフォークを抜いてやる。
咀嚼し、ホットミルクで流し込む。
美味しく食べられたらしく、顔が緩んでいる。
その顔を眺めながら自分もひとくち食べる。
キースの視線がブランデーケーキに向いていることを確かめ、またひとくち運んでやる。
さっきもだったけれど、躊躇いなくフォークを受け入れたのは、こういうことに慣れているからなのだろうか。
その割にはチーズケーキの時には使うのを躊躇っていたんだったか。
でもこれでカトラリーの使い回しは許容範囲内だと把握できた。
俺に炒飯を差し出したくらいだからな。
ちりっと小さく嫉妬の火種が灯る。
その後も交互に食べ進め、結局半分ずつ食べただろうか。
キースの頬は赤くなっていたが、まだ目は生きていた。昼間のようにとろんと蕩けてはいなかった。
残念なことに、耐性が付いてしまったのかもしれない。
「洗いますから、座っててください。」
皿を持ち、キースの手元に本を寄せシンクへ向かう。
鍋と食器を洗い終え、キースを振り返ると、にこにこと楽しそうに猫の足跡図鑑を読んでいる。
やっぱり酔っているのかもしれない。
「キース、歯磨き行きましょう。」
本の中の猫を愛でる、にこにこ顔のままこちらを見上げるのだから。
あまりの可愛さに、ぐうの音も出せずさらさらの黒髪を撫でる。
されるがままのキースも気持ち良さそうにしている。
もしキースが猫なら、きっと今喉を鳴らしているんだろう。
明日の朝まで続けることも吝かではないけれど。さてそろそろ歯磨きを、そう思い手を止めた。
そろりとこちらを見上げるキースの恨みがましそうな目ときゅっと閉じた唇に、恨み言を言いたくなる。
キスしてやりましょうか。
「ほら、歯磨き行きますよ。」
手を出すと、今度はちゃんと手を取ってくれた。
小さな手はすべすべでアルコールのせいか熱いその手を引き、浴室へ向かう。
浴室に置いてある椅子にキースを座らせ歯ブラシを握らせる。
自分も歯を磨きながら、キースが寝落ちしないよう、歯ブラシを喉に刺さないよう、見守る。
先にうがいもさせ、後から自分も。
すぐにでも寝そうになっているキースから目を離すのが怖い。
ブランデーケーキは昼に食べるのがベストだなと自分の中で結論を出しながら、キースを部屋の前まで送る。
「本……」
本をきちんと部屋に片付けるのか、今から読もうというのか、求めるように呟く。
「取ってくるので部屋で待っててください。」
部屋の前にキースを残しリビングへと急ぐ。
テーブルから本を取り上げ踵を返すと、リビングの扉のところにキースがいた。
「大丈夫ですよ、ちゃんと取ってきましたから。」
本を掲げて見せるも、頭を振る。
「ノアが居なくならないように見張ってました。」
これは抱き締めてもいいんじゃないだろうか。
「居なくなりませんよ。ほら部屋に行きましょう。」
手を繋いでも振り払われることもなく、大人しく着いて来る。
と言っても数歩で辿り着く距離。
部屋の扉を開け入室を促すと、その手を離さないまま中へ進むキースに導かれ部屋に入る。
そしてそのままベッドに上がるキース。
もちろん手は繋いだまま。
その手をくいくいと引き、俺をベッドに呼ぶ。
訳もわからず、小脇に抱えていた本をキースに手渡す。
それを受け取るもまだ呼び続ける。
これはもう合意があるということになるんじゃないだろうか。
この獲物を見据える獰猛な眼差しが見えないのだろうか。
ゆっくりとベッドに上がる。
それを確かめてからキースはヘッドボードに枕を当て背を預けるように座る。
必然的に横に同じように座るしかない。
この後はどうするのだろうとキースを見守る。
少しでも熱を孕んだ眼差しを俺に向けたなら。
俺を求めてくれないだろうかと期待し、握る手に力が入る。
座る位置を調整し、折った膝の上に出したのは猫の本。
そしてページを捲る。
時折り手を止めてはこちらを見上げ、向けられる眼差しはひたすらに猫を愛でた延長線上のそれ。
思わせぶりな態度に振り回されている自分の愚かさに失笑しそうにもなるけれど、キースが一緒に読もうと誘っていたのだと思うと可愛さに微笑みが溢れる。
本のページになど目はいかず、にこにこと微笑むキースの横顔を眺め、頭を撫でたり頬を撫でて過ごす。
可愛いから、もうそれでいいか。
1週間前とはまるで別人のよう。意識的にしたことではないけれど、押してダメなら引いてみろを実践した成果なのか。
「寝ましょうか?」
目を擦り、だんだんと速度を落とすページを捲る手に、堪らず声を掛ける。
「……はい。」
眠くてぼんやりしている手元から本を取り上げサイドテーブルに置く。
そして毛布に潜り込むキースは未だ手を離してくれない。
あわよくば添い寝をと思っていたではないか、と怖気付きそうになる自身を叱咤する。
引かれる手に誘われひとつの毛布に潜り込む。
「キース、手、離してもらっていいですか?」
瞑った目を開くことなく手は離してくれた。
振り回されてばかりでは悔しいから。
キースの首元に腕を差し込み、枕を頭を支えられる位置に入れてやる。
反対の腕ではしっかりとキースの背中を抱き寄せる。
これで少しくらい狼狽えればいいのに。
俺の首元に頭を埋め、両手で俺の胸のあたりの上衣を掴んでいるらしいキースは、動揺を見せるどころか脚を絡ませてきた。
お互い長ズボンで良かったと安心させられたことに悔しくなり、負けじと脚を絡めてゆくことにする。
「ノアは悪い子ですねぇ……」
小さな呟きに反論しようとするも、たちまちすぅすぅと寝息が聞こえてくる。
寝言だったのだろうか。
「キースの方が悪い子だと思いますけどねぇ。」
顎下に収まったキースの頭を撫でる。
同じベッドで眠れるくらい、俺に心を開いてくれたのに。
あの彼が好きなんでしょ?
あの時、恋心を自覚させられたのは俺の方。
俺の恋心を弄んで。
悪い子だなぁ。
明日の朝起きたらと、男性の身体の仕組みを考えてしまう。
食べ物以外で、ダメにさせるのもいいなぁ、などと考えながら眠りに落ちてゆく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お読みくださりありがとうございます。