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メロディは手のひらに隠して  作者: アフタヌーン朝寝坊
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第2回 昼食会。怒って、納豆、



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



太陽が一番高いところからキリキリと熱く眩しく降り注ぐのを、だらしなくも森の木々に守られながら教会を目指した。


どんな顔で、どんな態度で迎え入れられるのか、そもそも迎え入れてくれるのか。胃をキリキリとさせながらも、熱い決意からは目を逸らすことなく一歩一歩森を進んだ。


一度大きく息を吸い込み、息を止める。


コンコンコン。


勢いよく開いた扉から出てきたキースは、見るからに困惑していた。


「……ノア!無事でしたか!?」


その表情に、言葉に、息をゆっくりと吐き出す。


キースは一歩近寄り、焦ったような顔で俺の全身を眺め回す。


「その、この前は、すいませんでした。」


「……急用でも、できたのでしょう?」


「はい……」


「それより……どこかへ行くんですか?」


固くした表情に警戒心を滲ませ、一歩下がる。


「いえ……今日、泊めてください。」


「……大荷物ですね?」


「気付いたらこの量になってました。」


背中には大きなリュック、大きなカバンを肩に掛け、もう片手には大きめの手提げ袋。


「……とりあえず中へどうぞ。あ、あと部屋ですね。」


そう言い、空き部屋へ通してくれたけれど、まだ焦りは抜けないようで早口だ。


「ここは、他の神父が来た時に貸している部屋なので、ベッドもありますし、小さいですけどクローゼットもあるので、どうぞ。……お昼ご飯、食べますか?」


空き部屋だと言っていたけれど、普段から空気の入れ替えや掃除はしているらしい。


他には小さなテーブルと椅子がひと組。


「はい、いただきます。」


「じゃあ荷物を片付けたら来てください。」


そう言うとキースはパタパタとキッチンへ戻った。


背負ってきたリュックを下ろし、中から衣類を取り出しクローゼットへ仕舞う。


洗濯せずとも1週間は過ごせるだけの量を持ってきた。


それからソファで寝るのが辛くなった時のために寝袋も持ってきたが、これは必要無さそうだ。


他には歯ブラシやタオル類、予備の靴。


明らかに一泊するだけの備えではない。


荷物を簡単に片付け、部屋を出る。


リュックに詰めていたお土産をテーブルへ置き、コンロに向かうキースの横に並ぶ。


「わ、すごい臭いですね、これってもしかして……」


「はい、納豆です。」


「うわぁ……」


「嫌いですか?」


「好んでは食べないですね……」


「食べてくださいね。」


玄関先で見せた表情の豊かさは鳴りをひそめ、先程までの焦った様子も無く落ち着いている。


「……怒ってますか?」


じっとフライパンの中身を見据える瞳は、どこか切なげだ。


「……いいえ。でも、心配しました。」


何も言わずに突然居なくなれば誰でも心配するだろう。相手が俺じゃなくても。それがわかっていてもじわりと滲み出る喜びを止められない。


「……心配してくれたんですね。」


心配が怒りに変わるのも悪くない。


その表情をもっとよく見ようと、作業台を背にする。


「……追われているんですか?」


「………………ん?」


「怖い人や、国の役人なんかに、追われているんですか?」


キースがフライパンを見つめる目付きが険しくなる。聞いたことを申し訳なく思っているのか、それとも答えに怯えているのか。


でも、その発想はなかったなぁ。


「逃亡者でも犯罪者でも無いです。一般市民ですから、安心してください。」


キースが詰めていた息を小さく吐き出す。


こちらを見上げた瞳は安堵に緩んで見える。


「俺はむしろ、追いかけてますね。」


「……探偵さん?」


瞳をきっと鋭くし、小声で訊ねてくるキースは至って真剣。推理小説が好きなのだろうか。


誰にも言いませんから私だけには教えてくれませんか?とでも言いたげだ。


「ただの捕食者ですよ。」


「…….狩人?」


キースの表情から険しさは幾分削がれたけれど、まだまだ真剣そのもの。


清らかな思考と可愛い反応に、腕を組み口元を片手で覆う。


「えぇ、そうですね。」


被食対象に狙いを定め、舌舐めずりをする狼のように、柔らかく微笑みかける。


ただの狩人にはあまり興味がないらしく、ふいと顔を逸らしフライパンへと視線を戻す。


「獲物は夜行性なんですね。どんな生き物なんでしょうか……」


俺が夜間の肉体労働者であることと話を繋げてしまったらしい。


「すごく、可愛い生き物なんですよ。」


「それは……精神が疲弊してしまいそうですね……」


俺の職業が“夜な夜な可愛い生き物を捕獲する狩人”になったらしい。その職業に同情しているらしく、顔を辛そうに顰める。


「捕獲されても、幸せになる個体だっていますよ。」


「食糧としてだけではなく、愛玩動物にもなるんですか?」


「えぇ、美味しく食べられたり、たくさん愛情を注がれますよ。」


「そんな動物がいて、そんなお仕事があるだなんて知りませんでした。……怪我しないでくださいね。」


「えぇ、怪我しないように優しくしますね。」


話は意図して噛み合っていないのだが、神妙に頷くキースには気が抜けてしまう。


こんな可愛い思考回路を隠していたのか。


それに今までにこんなに長く会話を続けたことはあっただろうか。


「明日、一緒に街に出掛けませんか?」


「……いいですよ。食料品も買わないといけないですし。」


「じゃあ決まりですね。街で朝ご飯食べましょうか?」


「……はい。」


「楽しみですか?」


「……はい。」


街で食べる美味しいものに思いを馳せたのか頬が緩んでいる。


「……寂しかったですか?」


困ったように眉を下げ、首をゆるりと振る。


「……いえ、心配でした。」


たった1週間。


あの時は、あの場に留まることに息苦しさを感じ、握り締めた拳をぶつける先を求めて立ち去ってしまったけれど。


横顔に苛立ち、向ける視線に隔絶を覚え、なぜ後悔したのかを理解するのに1週間も掛かってしまった。


「会いたいと、思って欲しかったですね。」


「炒飯、出来ましたよ。」


本心は、敢えて米を炒める音で掻き消した。


「……なんかスープも臭くないですか?」


「キムチスープです。」


「好きなはずなのに何故か臭く感じますね。」


「スープはお昼で無くなりますけど、炒飯は夜の分もあります。夜は納豆スープですよ。」


「あ、れ、もしかして結構怒ってます?キース?食べるけど、ね?食べるけど、先に何で怒ってるのか、掘り下げてみませんか?」


隠している感情を何とか表情から読み取ろうと、顔を眺める角度を変え変え周りをうろちょろする俺を煩わしそうに一瞥してから、また眉を下げた。


「……怒ってないですよ。私は安心したんです。ノアが五体満足で帰って来てくれて。」


帰って来てよかった。


ここを、キースを帰る場所にしたい。


その気持ちを知っているはずもないのに。無意識に使った言葉なのはわかっているけれど。


その言葉がキースの口を突いて出たという事実に、胸がきゅーっと縮む。


抱きしめたい。


「お仕事の話を聞いてしまったら、身体に良いものを食べて欲しくなっただけですよ?」


「キース……」


身体の心配までしてくれている。


「納豆スープは、具が納豆だけなんですよ。」


「キース……心配かけてごめんなさい。もう、居なくなりません。」


「ノア……」


真剣な眼差しでキースを見つめる。きっと口を引き結び、目に力を込める。


勢いで両手を掴んでしまった。


初めて触れた手は小さく薄く、もっと手だけに意識を集中させたいのに。


それを見つめ返すのは無垢な眼差し。


「……だから、納豆スープはまた今度にしましょう?」


回避したい気持ちが邪魔をする。


「だめです。」


納豆スープはできれば回避したいけれど。


頑固なところもあるのかと新たな発見ができたことを嬉しく思い、そんなところもまた可愛く思えてしまう。


「ノア、炒飯がよそえないです。」


俺の手なんて振り払えばいいのに、手を離してくれと律儀に伝えてくる。


「もう少し、このままで。」


「じゃあ片手だけ返して貰ってもいいですか?」


「仕方ないですね。」


コンロに近い方の左手を返してやる。


手元に残された右手を両手で弄びながらキースの真剣な顔を眺める。


「ノア」


目の前に差し出されたスプーンには炒飯が乗っている。


ぎくりと身体が揺れてしまう。


勘違いしたらしく、スプーンを自身の口元へ寄せ息を吹きかけては再び差し出す。


「そこまで熱くないと思いますよ。」


熱いのは応援の視線。


キースは突然居なくなった俺に怒って、その怒りを料理に込めた。


つまりこれは愛情だ。受け取るしかない。


片手をキースの手から離し、スプーンを持つその手ごと掴む。


そしてスプーンを口に収める。


納豆の臭みももちろんあるけれど、爽やかな柑橘類の香りと、ぴりりとする癖のある辛味、そしてかりこりとする食感。


「……美味しい。」


ぬるぬるは残るけれど。


「よかったです。さ、よそいますよ。」


いつの間にか捕まえていた手は引き抜かれていた。


「これ、何が入ってるんですか?」


「大根の漬け物、沢庵です。」


「それで食感がかりこりしてるんですね。味付けは?」


「柑橘果汁を使った調味料です。香辛料には山椒をこれでもかとたっぷりです。」


「これなら夜も食べられます。」


「納豆スープには、納豆しか入ってないですけどね。」


納豆のツンとする臭いだけの炒飯かと思ったら、さっぱりとする味と香りに、後を引く香辛料の香り。


何かそんなものが、その納豆スープにもあって欲しい。


そんなことよりも。


さっきのは、“あーん”だった。


まさか先に俺がやられるとは思ってもいなかった。


俺もやりたい。


納豆関連以外で。近いうちに必ず。


キムチスープには白菜、もやし、にんじん、豚肉、豆腐と具沢山だ。


これからの暑い盛りに汗をかきながら食べるのにも良さそうな、酸っぱさと辛さ。


臭いながらも美味しいスープと炒飯を食べ終えるとキースがコーヒーを淹れに立ち上がった。


食器を片付けがてらキースの後を追う。


コーヒーを淹れるために作業台に向かうキースの隣に並ぶ。


作業台に背を向け、キースの顔がよく見えるようにすることも忘れない。


「他所の宗教だと、食べられない動物とかいますよね?あとお酒とか。キースは?信仰で食べられないもの、あるんですか?」


「牛や豚、馬のことですね。


食について説かれるのは、米粒ひとつにも神が宿るので食べ物を粗末にしないこと、くらいでしょうか?

食べられることに感謝をすることが大事ですから。


食べる為の殺生も、精が付くものも、アルコールも禁止されていませんよ。


他所ではそれらも禁止されるところがあると聞きますけどね。」


やはりこういう話であればたくさん話してくれる。それにしても。


「……精が付くもの?」


「動物性の食材はもちろんですけど、他にはニンニクやネギ、ニラなんかですね。キムチスープもしっかりニンニクが効いていたでしょう?」


「俺に精を付けさせてどうする気ですか?」


精を付ける、その名の通りだろう。これは誘われているのだろうか。


「疲れているでしょう?疲れが吹き飛ぶといいですね。」


その気なんて全然無かった。


この人にはやはり下心というものは似合わないから、いいのだけれど。


けれど大切なことを思い出させてくれた。


「他の宗教だと、神父といえば身も心も神様に捧げた人のことでしょう?キースも神様のものなんですか?」


大切なこと。


「とある宗教では、身も心も捧げるので結婚はもちろん恋愛もできないと聞きますね。私たちは、捧げるにしては神様が多すぎますから。結婚や恋愛も自由ですよ。」


「それは相手の性別も関係なく?」


大切なこと。


「えぇ。他では異性愛のみを認め、他を罪とする宗教もあるそうですね。」


よかった。


「極端な話、愛の無い異性夫婦と、愛のある同性夫婦が居たとしたら、愛がない方が罪だと思いたくなりますけどね。」


「そうかもしれませんね。私たちの神様は自身が多種多様な恋をしていますし、家庭の形にも色々あると、教えてくれているので自由なのだと思います。」


「それを聞いて安心しました。」


「……入信ですか?」


「その神様は、入信さえ望んでいないのではないですか?」


「ノア、よく、わかりましたね。入信せずとも信仰することが許されているんですよ。」


驚き、ぱっと顔を上げた顔は目を見開き、頬は紅潮している。


「前に言っていた博愛主義がわかってきたような気がします。」


「伝わってよかったです。さ、コーヒーが入りましたよ。」


テーブルに置いていた紙袋を思い出し小皿とデザートフォークを用意する。


「お腹いっぱいですよね?今じゃなくて後でにしますか?」


紙袋を開いて中を見せ訊ねる。


「半分にしませんか?残りは後で。」


「そうしましょう。」


紙袋から一切れをキースの皿に取り出し、フォークで半分に割る。


片方にフォークを突き刺し、自分の皿に乗せる。


「どうぞ。」


ひとくち分をフォークで切り崩し、口へ運ぶ姿を見つめる。


甘いものが好きなのはわかっているけれど、これはどうだろうか。


コーヒーとも合うから好きだといいけれど。


「……ブランデー、ですか?結構強いですね。」


紙袋を覗かせた時に香りでわかったはずだ。


だから食べられないものではないはずだけれど。


瞳は輝かない。


ケーキとコーヒーをひとくちずつ交互に口へ運んでいる。


「苦手でしたか?」


「いえ、美味しいんですけど、結構お酒の味が強くて……」


熱いコーヒーを飲んでいるせいだと思っていたけれど、心なしが顔が赤くないだろうか。


「もしかして酒弱いですか?」


「どうでしょう?滅多に飲まないので、わからないです。」


かなりの時間を掛け、ブランデーケーキ半切れをやっとで食べ終えたキースは明らかに火照っていた。


輝かなかった瞳は薄らと潤んでいる。


頬を赤く染め、時折苦しそうに深呼吸をしている。


これはいけないやつだ。


「キースはお酒を飲まない方がいいです。すごく弱いですよ。身体に悪いですから。はい、水。飲んでください。」


急ぎ水を注ぎに行き、グラスを手渡す。


背後から椅子ごと抱え込み、ついでにと冷やしてきた手を両頬に当てる。


キースはその両手を払い除けることもなく、グラスを傾け水を飲み続ける。


頬は熱く、さっき冷やして来た手がすでに当てる意味を失っている。


水の無くなったグラスを受け取り、もう一度水を注ぎに行く。


再び水の入ったグラスを手に持たせたが、飲む気配はない。


再び頬に冷やしてきた両手を当ててやる。


すると徐に顎を上げ、キースがこちらを見上げる。


「……きもちいいです。」


潤んだ瞳で、頬を染めるその顔が、緩みきっていることを自覚していないのだろうか。


蕩けるような笑顔を俺に向ける。


そんな顔は見たこともないし、まだまだ見られると思っていなかった類のもの。


ぐっと歯を食いしばっておかないと自制心を破壊する可愛さの威力に、舌を噛みそうになる。


口説き落とそうと躍起になってる俺が、逆に口説かれてるのかと勘違いしそうになる。


かわいい。


気持ち良いからと頬を手に擦り寄せてきていないだろうか。


キスしたい。


いつも目をまっすぐにじっくりと見るようなことをしないキースが、ずっと俺を見つめている。


酔っ払てるキースがかわいい。


ブランデーケーキで酔っ払ってるのがさらにかわいい。


キスしたい。


片手を外しおでこに掛かる前髪を除ける。


そしておでこへ唇を寄せる。ちゅ。


「早く酔いが抜けるおまじないです。」


そのキスに恥じらうような反応は見せず、ふふっと微笑むも、目を逸らさない。


あぁ、可愛い。


可愛すぎて、目が離せない。


この一週間でキースは人が変わってしまったのではないだろうか。


俺の理性が呆気なく崩壊する前に、早く酔いが抜けますように。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



お読みくださりありがとうございます。

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