0‐0 なずな
初投稿です。
「クジラが泳いでいる」
それを見た人は全員そう言った。そう表現する他なかった。
そこは水族館ではない。いや、水族館も含まれていたかもしれない。
クジラは半透明の美しい漆黒をしている。しかし、愛でるには余りにも巨大すぎる。
クジラは空を泳いでいた。
幻想的なこの世の終わりに住民は絶望した。
そのクジラはどんなものであろうと見境なく食べた。建物、森、人、あるいは空間そのものだろうか。
ジェット機に迫るほど速く動いているはずのクジラは、大通りを優に飲み込める程の体の大きさによってゆったりと動いているように見える。
ある者は逃げた、ある者は猟銃で立ち向かった、ある者は諦めた、そして全員が喰われた。
方向を分けて逃げてもそれを食い尽くせるほど速かった。
一方的な干渉しか許されないように銃弾は当たった瞬間消滅した。
最も長く生きたのは諦めた者だった。ほんの一分にも満たない差だが。
クジラはそれを繰り返していくうちに、段々と食べ物を選り好みするように人間を優先して狙うようになった。
小さな村一つを食べ尽くして、クジラはその場で巨体をゆっくりと回し獲物を探す。
そして見つかったのは、身の丈に合わないぶかぶかの服を着てフードをかぶっている10歳に満たないような女の子。少女と呼ぶにも早いような1人の子供だった。距離は3キロ程度だろうか。加速にかかる時間を含めても10秒程度で着くだろう。その巨体と速度が生む風圧で木々をなぎ倒しながら直進する。
そんなクジラを子供はまっすぐに見つめていた。諦めだろうか、好奇心だろうか、それとも
「6弦解放」
一言だけつぶやく。子供の右手には少し歪な形の拳銃が握られていた。
高度な知性などは持ってように見えるクジラは、何か感じたのだろうか、身をよじって進路を変えようとする。
しかしもう遅かった。
引き金がひかれる。撃鉄が解放される。発砲音が響く。そして1秒も経たぬうちにそれはクジラの悲鳴によってかき消される。
銃弾に触れた瞬間、空のクジラは思い出したかのように物理法則に縛られ始めていく。
重力によって体が地面に激突し、透明な体ははっきりとした黒色を取り戻す。そして自重に耐え切れなくなった体は潰れてあちらこちらから血を吹き始める。摩擦によって減速しながら、あと0.5秒あれば到達できたはずの子供の目の前まで滑っていく。
子供は地面から伝わる振動によってバランスを崩されるが、揺れが収まるとすぐにクジラのもとまで駆け寄っていった。
「……乖離値4.2、うん、標準の範囲内」
クジラの体に体温計のようなものを当てて何かを確認した後、クジラの頭に打ち込まれた銃弾を回収してそれをのぞき込む。
子供はそれを見て何故だか小さく笑い、ズボンのポケットから取り出した携帯電話で誰かにかけ始めた。
2コール程度でその電話はつながった。
〈もしも~し?〉
電話の相手の声は女にしては低く、男にしては高い、緊張感のないゆったりとしたしゃべり方をしていた。
「もしもしアキさん?無事に終わりましたよ。6600くらい採れたしおいしい変異点でした」
〈お疲れー、結構採れたね。一応聞いておくけど生存者は?〉
「まず間違いなくゼロだとですね。だから事後処理とかは特にしなくていいと思います」
〈……そっか〉
無事に終わったことに喜んでいる子供とは対照的に、アキと呼ばれた電話の相手は少し落ち込んでいる。
子供は気づいていないのか、特に気にすることもなく話を続ける。
「というかこんなに大きい事態なのに機構の対応が遅い気がするんですが」
〈んー、酷いと思うけど万全期すために最初の町一つは見捨てるつもりだったのかなぁ。多分どっかで待ち伏せしてるけど、そろそろ空クジラが死んだの気づかれると思うよ〉
「なるほど。なら急いで帰らないと結構危ないですね」
〈うん、気を付けて帰ってきてね、なずな〉