08
「由奈さん、兄がすみません…」
「いや、新君が謝ることじゃないでしょ。それに非常識ってところは合ってるし」
それにしても、新君でも怒ったりするんだね。
普段穏やかな新君の意外な一面を見て、私はこっそり驚いていた。男らしいところもあるんじゃないかと。
「でも財産目当てとか、誘惑するとか酷いことを言って…」
「まぁびっくりしたけど、良いお兄さんじゃん」
弟思いの。ちょっと過激というか、過保護?っぽいけど。
そう言うと新君は首を横に振った。
「そんなことないよ。兄はいつもああなんだ。吸血鬼たるものこうあるべき、って理想を押し付けてきて。身内に僕みたいな半人前がいることが許せないんだ」
「そうかなぁ?本当に許せなかったら、それこそ縁を切るとかすると思うよ。ちょっと強引だけど、私には新君が心配でしょうがないって風に見えた。そうじゃなきゃGPS使ってまで探し出さないよ」
「気のせいだよ」
うーん、これは平行線かも。私も会ったばっかりでお兄さんのことを良く知ってるわけじゃないし、これ以上言ってもしょうがないか。
新君もこれ以上話すつもりはないらしく、ご飯作るね、と言ってキッチンに立った。
口出しできるほど新君の家の事情を知っているわけじゃないけど、でもお兄さんと仲直りできると良いなとは思う。喧嘩の原因は私みたいなものだし。
その日の夕食は、いつもより口数が少なかった。
翌々日の月曜日。定時で退社して会社の玄関から出ると、途端にむわっとした空気に包まれた。いよいよ夏本番だ。むしむしして嫌だなぁと思いながら歩き出すと、須藤さん、と声をかけられた。
声のした方を振り向くと、そこには新君のお兄さんが。
「お兄さん…」
「あなたにお兄さんと言われる筋合いはありません」
あ、いえ、そういうつもりじゃなかったんだけど。
「えーっと、誠さんでしたっけ?何の御用でしょう?」
十中八九新君のことだろうけど。解放しろとかそういう話かな?別に縛り付けてるつもりはないんだよなぁ。
「家まで車で送ります」
車の中で話がしたいということだろうか。
私は一歩足を踏み出して、そこではたと足を止めた。
そういえば一昨日、記憶を消すとかなんとか言っていたような気がする。もしかしてどこかに連れて行かれて、どうにかされちゃうんだろうか。
私の一瞬の躊躇いに気付いたのか、誠さんは少し眉根を下げた。
「ただ話がしたいだけです。ちゃんと家まで送りますから。これ以上弟に嫌われたくありませんし」
「…分かりました」
私は開けられたドアから車に乗り込む。助手席の後ろに座ると、誠さんが運転席の後ろに乗り込み、車が静かに動き出した。
運転手さんはもしかして千村家お抱えとかなんだろうか?やっぱりお金持ち…。
「須藤さん、先日はすみませんでした」
「え?」
「頭に血が上っていたとはいえ、失礼なことを言いました」
ああ、財産目当てとか誘惑とかの話か。
「いえ、私が非常識なことをしているのは事実ですし、財産目当てと思われても仕方ないです。あ、もちろんそんなつもりはありませんけど」
「失礼だとは思いましたが、あなたのことを少し調べさせてもらいました」
え、興信所とか使って?でも私のことを調べても、特に何も出てこないと思うけど。ごく普通のありふれた家庭に産まれ育って、普通に就職して普通に生きてるだけだし。
「勤務態度は問題なし、借金もなく、吸血鬼との関わりもない。一体どういうつもりで新を住まわせているんですか?」
薄暗い車内で、誠さんの視線がこちらをまっすぐ射ぬいているのを感じた。
「家を追い出されたと言うので、家事と引き換えに同居しているだけです。まあ面白半分というのは否定できませんし、非常識なことをしている自覚もありますが…新君をどうこうするつもりはありません」
「新は…今まで反抗期らしい反抗期もなく、私に言い返したり大声を出したこともありませんでした。あなたが何かしたのでは?」
「特には何もしてません。ただ、私は新君とは出会ったばかりですけど、新君はあまり自分に自信がないように見えます。会社も居心地が悪いみたいですし、吸血鬼らしくしろと言わない私といるのは楽なのかもしれませんね」
新君は穏やかで紳士的で、あまり主張がない。それは裏を返せば自分を抑え込んで生きてきたということなのではないか。私はそんなことを考えながら、誠さんに目を向けた。
「新はあなたに随分気を許しているように見えた…」
「そうですかねぇ…ああ、でも新君が吸血出来ない理由は教えてくれました。吸血鬼とは無関係の第三者だから言いやすかっただけかもしれませんが」
「新がそんなことまで?私には何も言わなかったのに…」
誠さんの横顔が寂しそうなものに変わる。
やはり誠さんは新君のことが心配なだけなんだろう。ちょっと心配の仕方の方向性を間違っているだけで。
「新は私とは少し歳が離れていて、両親にも甘やかされて育ったから、ただ甘ったれているだけだと思っていました」
「新君は新君なりにちゃんといろいろ考えていると思いますよ。私が言うことじゃないですけど、新君も大人なんですから、そんなに口を出さなくても良いんじゃないですか?」
吸血鬼にとって吸血出来ない半人前というのが、どういう立ち位置なのか知らない私が言うべきことじゃないかもしれないけど。
誠さんに反抗した今、新君は遅れてやってきた反抗期というべきか、プチ家出状態だ。28にもなって反抗期というのもおかしいかもしれないけれど、私には誠さんの過保護ぶりを見るとそう思えた。
だって普通の男兄弟って、そこまでお互いに干渉しないよね?
そうこうしているうちに、車がアパートの前に着いた。ちゃんと家に送ってもらえて良かった…。
「須藤さん、新のことをお願いします」
「えっ?」
私が車を降りようとしたら、誠さんにそう言われた。誠さんは真剣な表情だ。でも…。
「うーん、私は保護者じゃないので、何かを期待されても困ります。そもそも新君より年下ですし」
「それもそうですね…」
「まぁしばらく放っておいてあげたらどうですか?衣食住くらいは提供しますので」
私はそう言うと、誠さんの返事を聞かずに車を降りた。
頼まれたって困るのだ。私はただ非日常をちょっと楽しめれば、それで良かったんだから。