評価の数だけ作者が〇〇〇〇する小説
「いいね・高評価・RTの数だけ〇〇〇〇します」という企画はSNSや動画共有サービスで以前から繰り返し使われてきました。
一昔前には、評価数に応じて作者が何らかの作業を行う「苦行系」が多く見られました。おそらく人間の奥底に秘められた嗜虐心を巧みに刺激することが評価に繋がっていたのでしょう。目立つ作品に対して仄かな嫉妬心を抱いてしまうのは珍しいことではありませんが、そこに作者をあたかも罰するような苦行要素を取り入れることで視聴者あるいは読者の反感を見事に打ち消していたのだと推測します。
一方、最近流行しているのは「施し系」です。投稿者、あるいは架空のキャラクターが評価数に従い何らかの恩恵を受けることができるタイプの企画。これは非常に分かりやすい手法で、単純に評価だけを求められると誰しも反抗心が芽生えがちですが、特定の対象を救済するというボランティア精神に論点をすり替えることで、受け手自ら進んで評価してしまう秀逸な仕掛けとなっています。
そこで、私もこの素晴らしいシステムを自作品に取り入れてみようと思い立ちました。規約との兼ね合いが少々不安ですが、現状「小説家になろうよ」では、あとがきにおけるクレクレが容認されている以上、直接評価を催促する文言さえなければ違反として扱われることはないはずです。
さて、肝心の企画内容について述べます。私は『評価の数だけ作者が自画自賛する小説』を書くことにしました。これは『苦行系』と『施し系』を兼ね備え、両立させる画期的な新ジャンルです。
要するに、評価数と同じだけ、自らの作品そのものをひたすら褒め続けるのです。もちろん、ただのコピペの掃き溜めとならないよう、同じセリフ・表現を使い回すことはできません。数が増えれば増えるほど、頭を悩ませることになる立派な苦行です。
しかし、どうしても自らの抱える残酷性を認めたがらない見栄っ張りのひねくれもの……もとい心の底から優しく慈悲深い善良な読者様もおられるでしょう。そこで「自画自賛」という行為によって、作者自身にも利益があることをアピールすることにしました。これにより、いかなるサディストも聖人君子も喜び勇んで評価ボタンを連打すること間違いなしです。
……さあ、今のうちに褒め言葉リストでも用意しておくとしましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……完全に想定外です。とはいっても、まさかこんな結果になるなんて一体誰が予想できたでしょう。こんなことになるなら、いつも通り全く見向きもされない方がまだマシだったかもしれません。
たとえ面白半分で評価されるとしても、せいぜい5、6人だと思っていたのに。
よりによって、あのジャスティンヒーハーに読了ツイートされてしまうなんて……。
評価数が見たこともない桁数になっているだけではなく、読めない英語の感想がひっきりなしに届いています……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……
「誰でも興味を惹かれるタイトル」
「作者と読者の秀逸な共同作業」
「ある意味ざまあ 兼 もう遅い」
「真面目で不真面目な考察」
「流行への強烈な皮肉」
「読むとポジティブになれる」
「予想を裏切る展開」
「努力の方向音痴」
「運の良さと悪さの両立」
「オンリーワンの作品」
「栄枯盛衰の切なさを感じる」
「鮮やかな墓穴の掘りっぷり」
「何度読み返しても楽しめる」
「ごく自然な評価への誘導」
「身近で共感しやすいテーマ」
「ショートショートとは思えない充実感」
「単純だが複雑な構造」
「羞恥心との戦いがアツい」
「有言実行の諦めない姿勢に憧れる」
「形容しがたいネーミングセンス」
「発想の勝利というべき作品」
「古典的ながら新鮮なオチ」
……あれ……この表現は既に使っていた気がします。
あの騒動からかなりの年月が経ちました。「何年掛かっても絶対にやり遂げます」なんて調子に乗ってインタビューで宣言しなければよかった……。ブームなんて一瞬で過ぎ去ると頭では分かっていたのに。この作品の存在自体、今ではとっくに世間から忘れ去られています。それでも不用意に吐いてしまった言葉は、決して外れない呪いの枷となって未だに私を苦しめているのです。
ここまで評価が、そして賛辞が恐ろしいものだったとは知りませんでした……。
私は評価と褒め言葉が心の底から怖くて堪りません。